6日目ー3 非日常はいつもあなたの傍に
広場を見下ろせる場所にやってきた二人。
吹き抜けから下の階を見下ろすと、人気戦隊キャラクターの格好をした役者が小さい怪物に襲われているシーンが目に入った。だが、悪役にやられるシーンにしてはあまりにも一方的で、蹂躙のよう。
観客のどよめきが非常に強かったり、ショーの裏ではスタッフと思わしき人達が声を荒げている事からも、異常な状況というのがひしひしと伝わって来る。
「確かに様子おかしいね……。どうしたんだろう……」
「あ、ツキセ! あれ見てアレ! あの緑!」
「緑……って、怪物の事?」
月瀬はこのヒーローショーの原作について全然知らない。だがそれはシグニーミアも同じだ。
せめて彼女の言いたいことを理解しようと、月瀬は悪役の怪物を注視する。
目を凝らしながらじっと見つめること数秒。子供のような背丈のそいつが、着ぐるみにしてはやけに生々しい事に気がつく。
全身緑色の小さな体、原始人のようなボロボロの腰布、大きくて尖った耳、口元から見える白い牙……ここで、そいつの外見と月瀬の知識が一致する。
そいつの名前は――。
「――ゴブリンッ!?」
そう。ファンタジー系物語によく出てくる敵だ。そして、彼らから遠くない場所に家にあるような空間の亀裂がある。観客は誰も亀裂に目を向けず、月瀬達以外には誰も見えていない様子。
いくらゴブリンが雑魚敵とは言え……ここは日本。ただの一般人がファンタジー基準の雑魚に勝てるはずがない。現に、主演と思われし役者は手も足も出ない状況だ。
突然の非日常に、手すりを握る手に思わず力が籠もる。
月瀬は思わず隣を見た。こんな状況を打開できる唯一の存在を。
「……倒してこよっか?」
「お願い!」
「わかった!」
シグニーミアは花のこぼれるような笑顔で返すと、その場で変身した。
呆気にとられたり、周囲を見渡す者達を見向きもせず、シグニーミアはゴブリンへ杖を構える。
次の瞬間、杖の先端から出た白に近いピンク色のビームが、姿勢を立て直したゴブリンへ達へ直撃する。そして、光の柱となった。
柱を中心に衝撃波が生じ、小物やポスターが吹き飛ばされる。その中ではゴブリン達が苦しむようにもがき――やがて、光の粒となって消えていく。
乱れた場の元に、静寂が訪れた。
「やった……?」
皆がぽかんとする事数秒。やがて、今のはなんだったのかというざわめきが生まれ始め、スタッフが「ヒーローショーは中止します!」と声を上げる。それによって一層ざわめきやヤジの声、ヒーローがやられたと嘆く子供の声が大きくなったが――どこかほっとした表情の者が多かった。
「倒したった」
「ありがとうミア。……ところでさ、あの役者の人治療できる? 大事にはしたくないから、できるだけこっそり……」
「んー……きびしい……。ワタシの結界に無理やり引きずりこむか、すごい魔法つかうかしかない……」
「すごい魔法?」
「ちゅどーん」
「やめて」
「えー」
その瞬間、月瀬の視界の端で何かが揺らめいた気がした。
思わず違和感の方へ顔を向ければ、空間の亀裂がさざ波のように震えている。
そして。
「――って、あ! ミア、あれ見て!」
亀裂の中から、わらわらと追加のゴブリン達が出てきた。その数合計五体。先程のよりも重装備で、剣や杖を持っている奴も居る。
殺気立った表情のそいつらは『仲間を殺ったのはお前か!』と言うかのごとく役者へ飛びかかろうとして――。
「もう!」
シグニーミアのぶん投げた岩塩入りミルがゴブリンの一体に直撃した事によって、ギリギリのところで踏みとどまった。
直撃したゴブリンが倒れ、他のゴブリンが動揺したと同時、シグニーミアがひらりと飛び降りた。そのままステージに向かって走る。
そのまま彼女はステージにひとっ飛びで乗り、役者を守るようにしてゴブリン達と対峙する。観客と演者の視線が彼女へ注がれた。
それと同時に。
空気が、冷えた。
当たり前だ。明らかに事故が起きているヒーローショーにただのコスプレ少女が乱入してきたのだから。
役者は明らかに戸惑いを見せ、スタッフが目を見開き、観客達でさえ声を出すのを忘れるほど、その少女は場違いであった。
――あ、まずい。
刹那、月瀬は思い出した。普通、魔法少女は身近な存在ではないと言うことを。
続いて直感が告げた。明らかにヒーローショーの演出で誤魔化せる範囲を超えている、と。
どこかで誰かが息を飲む音がして、月瀬の背中にも冷たい汗が伝う。
ゴブリン達がシグニーミアに飛びかかっては、杖で薙ぎ払われたり、キックで蹴り飛ばされたりしているからというのもあるだろう。彼女は役者を守るように動いているが、それも限界がある。
――まずい。なんとかしなきゃ。なんとか、いい感じに……! でもどうやって……。
次の瞬間、ゴブリンの武器がシグニーミアに当たり、彼女がよろける。
観客の中から悲鳴が上がる一方で、「ちょっと、あれまずいんじゃないの?」「子供が乱入してる! ちょっとスタッフさん!」「おいあいつ写んねぇぞ!?」と困惑する者や野次馬までも現れ始めている。ヤジを飛ばすだけならまだいいが……スマホで撮影している者まで出始めているではないか!
このままでは戦闘どころではなくなってしまうだろう。そうしたら怪我人がどれだけ出るか……。
そんな焦りの中。
ふと思いつく。
――いっそ、私が誤魔化してみるか? これも演出の一つだって……。
そうだ、ここはヒーローショー。一観客のフリで誤魔化せばいいのだ。
――でも、絶対注目されるよね……。
だが、何十もの視線が怖い。あいつは何をしているんだと、馬鹿だと思われるかもしれない。
――震えるな。ここでやらなきゃ誰がやるんだ……! しっかりしろ青蜂月瀬……!
それでも、悩んでいる時間や他の手段は無い。
震える手を口に添えて、腹の底から息を吸い込んで――。
「――ミアーッ! 頑張ってー!」
叫んだ。腹の底から。この場にいる全ての人に届くように。
これは賭けである。周りの人が釣られてくれるかどうかの賭け。
「……みあ? 誰?」
「えっ、これ演出? ……演出にしては随分と変ねぇ」
案の定、観客達がざわめき始めた。怪訝そうな表情を浮かべるのは主に大人たちだ。そのうち何人かは月瀬を不審者を見るような目つきで見てくる。
その視線の冷たさに、作戦は失敗だったと、心が折れそうになる。だが、声の震えを押さえつけ、何度も頑張れと叫ぶ。
そんな時。
「ミア、がんばれー!」
「ヒーロー助けてー!」
「緑のやつ、やっつけろー!」
月瀬の想いに答えるように、子ども達も応援し始めた。数人だけであったそれが、どんどん増えていく。
先ほどまで月瀬を怪訝そうな目で見ていた者達は困惑するばかり。
凍てついた場に、夏の日差しのような温度が戻っていく……。賭けに勝ったのだ。
「「「頑張れー!」」」
一丸となった観客達の声。
それに答えるようにして
「……いくよ!」
シグニーミアが、笑った。舞台のセンターに立つプリマのように無邪気で、まっすぐな笑顔だ。
「ギャギャ!」
ゴブリン達が鳴き声を上げながら集まってくる。
シグニーミアはそれを待っていたかのように、ステッキを構える。彼女の足元に非常に大きな――それこそ、舞台を丸々飲み込んでしまうくらい――魔法陣が出現した。
ゴブリン達が一斉にシグニーミアへ飛びかかったその瞬間。
「――【オラクルピラー】!」
魔法陣から光が出現する。周囲にハートや星のエフェクトを撒き散らしながら、天に昇るかのように。
それに巻き込まれた者――ゴブリン達は光の粒となって溶けるように消え失せ、役者やスタッフ達の周りを緑の光が纏う。回復魔法だろう。
やがて、光は勢いを弱め、魔法陣と一緒に消えた。勿論、ゴブリンの姿はどこにもない。
観客達の中から熱狂の声が上がる。誰も彼もがシグニーミアに釘付けになっていた。
「――すごいぞ! 新戦士ヒーローオラクル!」
「え?」
そんな中、ヒーロー役の役者が、シグニーミアを見上げながら叫んだ。全て演出だと言うかのように。
「新世界の力を借りし輝きの戦士! ありがとう! またいつか、力を貸してくれ!」
「え。あ、う、うん! まかせて!」
演者がシグニーミアと共にポーズを決め、顧客席が湧き立つ。小さな子供達の「ヒーローオラクルー!」「つよーい!」という声があちこちから飛び交った。
勿論、演出にしては派手すぎる事に戸惑いを抱いている様子の者も居るが……目を輝かせた子ども達の勢いに圧倒されるばかりといった様子。
――とりあえず収まった……。よかった……。
月瀬はステージを見下ろしながら大きく安堵の息を吐く。
流石にあんな事があったせいか、ヒーローショーは一旦中止となるらしく、演者やスタッフがシグニーミアを連れて裏に回ろうとしたところで――岩塩を回収したシグニーミアが物陰へ駆けていった。
慌てて追いかけたスタッフ達の「あれ、消えた!?」という動揺の声が聞こえる事数秒、月瀬の視界が急に変わる。駅ビルから、だだっ広い草原のような空間へと。
「――へ!? ここどこ!?」
慌てて周囲を見渡すと、そう遠くない場所に座り込んだシグニーミアが居る事に気がつく。二人以外に人はいない。
シグニーミアの元に駆け寄ってしゃがむと、こちらを見上げた彼女と目が合う。……多少疲れた様子であるが、笑顔を浮かべていた。
「……ツキセ、ありがと」
「え? 私、何もしてないよ?」
「おーえん、してたよね? あの時……なんか、体軽くなったの。多分、おーえんのおかげ?」
なるほど、と思った。
月瀬視点ではよくわからなかったが――子供達の応援によりヒーローが力を得るという描写はそこそこ見る。そういう事なのだろう。
「皆の応援が届いたんだね」
「ちがうよ? ツキセのおーえんが届いたんだよ」
「え、私の!?」
驚く月瀬に対し、シグニーミアは「うん」と微笑むばかり。
「よくわからないけど……それはよかった……?」
「んふふ」
シグニーミアは軽く笑うと、その場に寝っ転がった。
「ちょっとやすむ」
「お疲れ様。休むのはいいんだけど……ちょっと教えて。ここどこ?」
「んー? ワタシのけっかい」
ああ、と月瀬は納得した。見た目こそ大きく違えど、一昨日のコウヨクの結界のような場所なのだろう。
「あ、でも、夜になる前に帰ろうね。どうしたら帰れるのかわかんないけど……」
「んー。あとでお家とつなげてあげるー」
「ならいいか……?」
シグニーミアの目が閉じる。
喫茶店で魔法をかけてもらったとはいえ……流石に色々ありすぎたせいで己の体も疲労を訴えている。自分も寝っ転がろうとして、違和感一つ。
――あれ? こんな怪我してたっけ?
月瀬はシグニーミアをまじまじと見つめた。その白い肌のあちこちに、不自然な赤みが浮かんでいる。軽いやけどを負ったかのように。
先ほどのゴブリンに炎関連の攻撃をしてきた奴はいなかったはずだ。
見ている間にも、その赤みは水蒸気のようにふつふつと揺らぎ、やがて消えていく。まるで何か異質なものが彼女から抜け出していくかのように。
自然回復だと自分の言い聞かせる。けれど、皮膚の下で光がちかちかと瞬く様子は、ゲームで見慣れた回復魔法よりもどこか不気味で――。
――治ってる、ならいいんだけど……?
胸の奥に、言葉にできないざらつきが残った。




