6日目ー2 迷子
それからしばらくして。
二人は家からそこそこ遠い場所にある大きな駅ビルにやってきた。
この場には大量の店が並んでいる。ありとあらゆるチェーン店から、小さくも個性溢れる店、子供向けの遊び場――老若男女全員を満足させてやるという強い意気込みの漂う施設だ。
「すごい……! おっきい……!」
シグニーミアが目をキラキラと輝かせながら周囲を見渡すのも納得できる。自分のものではないのに、月瀬の心にはどこか誇らしげなものがあった。
夏休みシーズンなだけあって人が多い。はぐれないように手をしっかりと繋ぎつつ、月瀬は周囲を見渡す。
「すごいでしょ。ここ、色んなお店や施設があるんだ。みんなへのお土産探しも兼ねて、散歩してみない?」
「する!」
***
二人は様々な場所を散策した。
洋服屋やお菓子屋、化粧品店、ゲームコーナーなどなど……少しずつ楽しい思い出やお土産を得ていくと同時、どんどん時間が過ぎていく。
そんなこんなで時刻はもうすぐ午後二時半。月瀬とシグニーミアは通路にある長椅子に座っていた。
「……ねぇミア。ほんとに自分へのお土産それでいいの……?」
「うん!」
「それ、塩だよ……?」
満足そうなシグニーミアの手にあるのは、ピンクがかった小石が大量に入った筒。パワーストーンなんて可愛いものではない。岩塩だ。
この少女はこの場に来てから様々なものに興味を持ち、目を輝かせたが――なぜか、一番心を揺り動かしたものはこれらしい。
「しってるよ? でも、キレーでしょ?」
そう言って、シグニーミアは透明な筒ことミルを証明に向かってかざす。筒が反射した光が小さい虹を作った。
――確かに綺麗だけど……近所でも買えそうなんだよなそれ……。まぁ楽しんでるようだからいいけど……。
せめて近所で入手できないものに目を輝かせて欲しかったという願いは我儘なのだろう。だが子供などこんなものか。
岩塩入りミルを見上げながら足をぱたぱたと動かすシグニーミアとは対象的に、月瀬の目は遠くなる一方。
その隣で、突如、ミルを仕舞ったシグニーミアは不思議そうに周囲を見渡した。口を閉ざして、何かを探すように。
「……今度はどうしたの?」
「んー。んー? ……あ、待ってて!」
はい!? と月瀬が驚くのと同時、急に立ち上がったシグニーミアはどこかへ駆けていく。
戸惑いながら待つこと約一分。モーゼのように道行く人々が左右に別れたと思ったら、その中からシグニーミアが姿を見せた。先ほどと同じように走りながら。何か人型のものを抱えた状態で。
見間違いでありますようにと思う間もなく、シグニーミアが月瀬の前で急ブレーキをかける。見たことない幼女――後ろ姿しか見えないが――をだっこした状態で。
「みっけた!」
「元いた場所に帰してきなさい!」
ああ、子供が虫を連れて帰ってきたのを見た親はこんな気持ちなのだろうか。いや、流石に虫の持ち帰りと人間の誘拐を同じ括りにしてはいけないだろう。
これまでシグニーミアの奇行は数多くあったが、流石に誘拐を見逃すわけには行かない。月瀬は慌てて抱っこされている幼女の顔を覗き込む。明らかに顔が強張っていた。
――うわどう見ても怖がってる……。そりゃあ知らん人に誘拐されたらこんな顔にもなるわな……ん?
その子は目元を真っ赤に泣き腫らしていて、頬にあるのは涙の伝った跡。
シグニーミアが走り去ってから彼女を連れてくるまで時間は約一分。こんな短時間で作れる表情とは思えない。
月瀬は改めて幼女を見つめる。彼女はシグニーミア、下手したらイチェアよりも小さい。幼稚園児か小学生のような外見だ。
「……ね、ねぇ。あなた、もしかして……お母さんやお父さんとはぐれちゃったの?」
「ふぁい……」
「はぐれたのは……このお姉さんと会うよりも前かな?」
「はいぃ……」
幼女が頷く。その大きな瞳の縁から、涙が一滴零れ落ちた。
間違いない。彼女は迷子だ。
続けて月瀬はシグニーミアへ顔を向けた。良いことをやったと確信しているのが丸わかりの満足げな表情を浮かべている。……何を言っても無駄そうな表情とも言える。
「ないてる声聞こえたから、探したの! そしたらいたった!」
「……OK。大体わかった」
「どすればいい?」
「何も考えず連れてきたの!? あー……っとぉ……その子、下ろしてあげて……?」
シグニーミアが幼女を下ろす。幼女の足が地につくも、震えるばかり。
通行人からの視線が痛い。ざわざわとした声が体に突き刺さってくるような気がする。聞き取った声の大半が『小さい子がやらかした』系の推測であったのが幸いだろうか。
「ごめんねこのお姉ちゃんが無理やり連れてきて……。とりあえず、迷子センター、行こっか! お母さんやお父さんと会いに行こう!」
プレッシャーに反応してしまった心臓からの圧力を感じながら、月瀬は再び幼女へ声をかけた。周りの人に聞こえるように、大きな声で、ゆっくりはっきりと。
だが、彼女はうんともすんとも言わなかった。その代わり、幼い瞳にどんどん涙を溜め、やがて――。
「おかーしゃ……あいだいぃ……ひぐっ……うぁ……あ、ぁああ……!」
限界を迎えてしまったらしく、大声で泣き始めてしまった。
目尻で受け止めきれなかった涙は頬を伝い、胸元と床を濡らすばかり。まるでダムの決壊だ。
――まずい! ……でも、どうすればいいのこれ……!
周りの人のひそひそ声がやけに耳につく。幼女の震えが月瀬にまで伝染り、体から血の気が引いていく感覚がした。
月瀬が冷や汗をだらだら流しているその傍で、何かを考えこんでいるような表情のシグニーミアが月瀬と幼女を交互に見やる。
やがてシグニーミアはしゃがみ、幼女と目線を合わせた。
そのまま幼女に見えるように人差し指を立て。
「……そら、守りのまほー」
ぽつりと呟くと、指先に淡い光が灯る。それは花火のように弾けたかと思えば、幼女へ向かい、体の中に溶けるようにして消えていった。
幼女がきょとんとした表情をうかべ、一瞬だけ涙が止まる。
「……もうだいじょーぶ」
そのままシグニーミアは幼女の頭を優しく撫でた。手のひらを動かしながら、小さな声で聞き慣れない言葉を唱える。呪文のような、歌のような、不思議な響きは……子守唄を連想させた。
その声に合わせるように、幼女の表情がゆるみ、しゃくりあげが次第に小さくなっていく。そして、それは月瀬も同様であった。先程まで抱えていた緊張が歌に溶けるようにして消えてゆく。
現実世界にて約一分後。シグニーミアは歌うのを止め、幼女の顔を覗き込む。
幼女は涙で濡れた目をシグニーミアに向け、安心したように微笑んだ。先程まで大泣きしていたのが嘘かのように。
「え、何が……何が起きた……?」
月瀬は思わず声を漏らす。
少し前まで泣き喚いていた子が、今ではすっかり落ち着いている。それどころか、シグニーミアに懐いたように手をぎゅっと握って離さない。
――なんでこんなに手慣れてるの? 助かったけど……。
自分よりもずっと自然に、そして当たり前のように迷子をあやす彼女の姿を、月瀬は思わずまじまじと見つめていた。
シグニーミアは記憶喪失のはず。
なのに、どうしてこんな……まるで昔から子供を相手にしてきたかのような仕草ができるのだろう。
「……ミア、その子落ち着かせてくれてありがとう。とりあえず……迷子センター行こっか。今度こそ……」
答えのない疑問を胸に抱えながら、月瀬は幼女に手を差し出す。幼女が手を取ってくれたのを確認すると、月瀬は先導するように迷子センターへ向かった。
***
幼女を迷子センターに届けてから十数分後。月瀬とシグニーミアはフードコートの隅を陣取っていた。対面に座る二人の間には先程幼女の親から貰ったジュースと、フードコートで買った小さなパンケーキの山がある。
ちびちびとジュースを飲む月瀬の頭をよぎるのは、先ほどのシグニーミアが手慣れた様子であやす姿。
となると、可能性は……。
「……ねぇミア、あなた……何か思い出したの?」
「んぇ?」
「いやだってさ……さっきの、歌……」
そう、何かを思い出したというものだ。
だが、月瀬はこの説にも疑問を抱いていた。物語でよくあるような「思い……出した!」という言葉無くとも、思い出したのなら多少なりとも態度に出るのでは? と思っているから。
しかし、こちらを見つめるシグニーミアの表情は、見慣れたきょとんとしたもの。おまけに首を傾げられた。勿論、その表情に動揺は無い。
「……おぼえてないや。ぐーぜんかもよ?」
「偶然? あれが……?」
月瀬の顔が強張る。月瀬はシグニーミア以外に記憶喪失の存在と出会った事が無い。だから、この反応が記憶喪失あるあるなのか、それとも個人差で済ませていいものなのか、明らかに異質なのかわからない。
ただわかるのは、彼女は積極的に何かを思い出そうとしていないという事。
――やっぱり、何かとんでもないトラウマを封印しているのかな……? でもそれにしては怖がる様子とか全然無いし……。だけど、ただの記憶喪失ならもっと思い出そうとするよね……?
続いて頭をよぎったのは、シグニーミアと再会した時のイチェアやコウヨクの泣きそうな表情。
そして、カイネに襲撃された時の、あの鮮やかな連携。
「……ねぇ。ミア、前にイチェアちゃんやコウヨクさんの事も覚えてないって言ってたよね。でもそれにしては警戒とか全く無いし、カイネさんが襲撃した時に連携してたし、昨日はメルセントさんって単語に反応してた」
月瀬は先程の幼女を思い出す。両親と別れてこの世の終わりと言うかのごとく泣きじゃくっていた迷子の事を。
続いて思う。シグニーミアだって実質迷子ではないか、と。イチェア曰くしばらく行方不明だった上に、唐突にこの世界に現れたとの事なのだから。おまけに記憶喪失ときた。
先程の幼女のように泣きじゃくりこそしていないが……内心は不安でいっぱいなのではないか? なんせ仲間の事も覚えていないのなら、誰を信じればいいのかだってわからないはずだ。
だが、もし内心が不安でいっぱいだとしたのなら……。なぜここまで動揺なり不安なりを態度に示さないのだろう?
「……思い出したくないのなら、無理に思い出そうとしなくてもいいよ」
触れてはいけない事なのかもしれない。
だが、今日まで抱き続けていた疑問が膨らむばかりで、苦しいのだ。
地雷原に足を踏み入れるかのような緊張と、この苦しみから逃げたいと思う気持ちを織り交ぜた声は、自分でも驚く程に重々しかった。
「……でも、教えて。なんで、あなたは、こんなに冷静なの。知らない場所で、知らない人の隣で、なんでこうして笑っていられるの……!?」
この問いに、シグニーミアは即答しなかった。
目を伏せ、困ったように軽く俯かれる。落ち着いた色の証明が彼女の長いまつげを照らした。
他に全然人が居ない事もあって、重々しい沈黙が非常に苦しい。月瀬はジュースの容器をぎゅっと掴んだ。震えを誤魔化すように。
やがて、シグニーミアは顔を上げた。困ったかのような諦めたかのような、へらりとした笑いを浮かべながら。
「……体がおぼえてるのかな? イチェアやコウヨクといるとね、おちつくの」
やはり、思い出す気配は無いらしい。月瀬は喉の奥に小骨でも引っかかったかのような感覚を、続いて地雷を踏み抜かなかった事への安心を得た。
多少ほっとしたが、残ったモヤモヤが体を巣食っている。そんな月瀬を更に安心させるかのように、シグニーミアが愛らしい笑顔を向けた。
「それだけじゃないよ? ワタシ、ツキセ好き。やさしいから!」
不意を突かれたとはこのような事を言うのだろう。危うくジュースの容器を潰しそうになった。
胸の奥をくすぐるような言葉に、月瀬は思わず顔を赤らめる。
問い詰める空気が一瞬で霧散した。
「……な、なにそれ。いきなり……」
「んー? ほんとだもん」
ちっちゃなパンケーキを食べながらにこにこと目を細めるシグニーミア。まるで、先程までの重苦しい沈黙が幻だったかのよう。
月瀬は深く息をついた。心の奥のもやもやは消えない。だが、あまりに屈託のない言葉と表情に、これ以上は追求できなかった。
「……あんたってさ、ずるいよね」
「へ? なにがー?」
「こっちが悩んでんのに、そんな顔して……」
言いかけて、月瀬は首を振る。
彼女に疑問をぶつけたところで、答えが返ってくるとは限らない。むしろ、また笑って誤魔化されるだけだろう。
代わりにパンケーキを一つ口に放り込む。柔らかい甘さが舌に広がっても、胸の奥のざらつきは取れない。
けれど、正面で楽しげにジュースを飲むシグニーミアの顔に、不思議と少しだけ心が落ち着いてしまう自分も居た。
――いつか……何があったのかわかる日は来るのかな。
月瀬はそんな考えを胸に隠し、ほんのちょびっとだけ残ったジュースを飲み干す。
その時だった。
「――なぁなぁ、ヒーローショーでなんかやべぇ事になってるらしいぜ?」
「ほんと? 行こ行こ!」
そんな会話をしながら、子供数人が月瀬達の前を駆けていったのは。
シグニーミアと月瀬は顔を合わせた。
「いこ、ツキセ!」
「う、うん!」




