6日目ー1 数日ぶりの再会
深夜と朝の架け橋の時間。東の空がほんのりと明るみを帯びる頃。
シグニーミアは月瀬の家にある物置部屋にて、タブレットを凝視していた。それに写っているのは、鏡のように映る己の姿。カメラモードを使用中なのだ。
「……こう? ……こう!」
上目遣いでタブレットを見上げ、シャッターボタンパチリ。
今しがた取った写真を確認する。腕の映り込んだ失敗証明写真のような構図だが、そこに居るのはいつも通りの可愛いシグニーミア。
「……よくわかんないけど、よし!」
彼女は笑顔を浮かべ、画像一覧をスクロールする。そこには何枚もの自撮り画像があり……下へ行くほど、人間とは言い難い歪なものの画像に変わってゆく。そう、まるで可愛い服を着た赤蛇のような……。
彼女はそれらを無言で全削除し、タブレットの電源を切る。そのまま彼女は月瀬の部屋へ戻り、タブレットを充電ケーブルに刺し、何事もなかったように月瀬の寝るベッドへと潜っていった。
***
時刻は朝の九時半を少し過ぎた頃。昨日した約束を守るべく月瀬とシグニーミアが家を出た時だ。
空に広がるのは灰がかった雲。だが、頬をくすぐる風にいやな湿り気はあまり無い。昼前に晴れると言っていた天気予報は信じてもいいだろう。
「……ところでさ、行きたいとことかある?」
「うん! この前見つけたの!」
「どこか聞いてもいい?」
「ないしょ!」
月瀬の住む地域はいわゆる郊外であり、「田舎では車が無いと生活できないってのは甘えでしょ?」と言う人が想像するような地域である。
逆に言えば、子供が喜びそうな施設はそうそう無い。せいぜい公園や野原、ショッピングモールの小さなゲームコーナーくらいだろう。
――どこ気に入ったんだろ。いきなり入っても大丈夫なとこで、あまり高くないといいな……。
月瀬が不安丸出しのまま周囲を見渡す一方で、シグニーミアはのんきに鼻歌を歌っていた。
***
「ここ!」
「ここ、お家じゃ……あ、お店なのか」
「ん! 入ろ?」
そんなこんなでしばらくして、シグニーミアに連れてこられた場所は小さな喫茶店であった。
小さな看板こそあれど、それ以外はどう見ても新築の一軒家。月瀬一人だったら見向きもしなかっただろう。
月瀬は立て看板に目を落とす。簡単なメニューと営業時間が書かれており、今は営業中と判明し少しほっとした。
「いらっしゃいま――あら、この間のお嬢ちゃん」
「え、ミア、ここ来たことあるの!?」
重い扉を開けて入店したと同時、カウンターに居た年配の女性店員と目が合う。とっさにシグニーミアの方へ顔を向けると、胸を張った彼女は満足げに頷いた。
「この前、困ってる事あるー? って聞いたった!」
「そうなのよ~。うちの孫見てない? って聞いたらね、探しに行ってくれたのよ」
「見つけたもん!」
流石は魔法少女と思う反面、そのコミュ力の高さと物怖じなさに月瀬は軽くめまいを覚えた。初対面の人から困りごとを聞き出すなんて、自分では絶対にありえない。
――いつの間にそんな事を……? ……ん?
ふと視線を感じて店内へ顔を向けると、テーブルを拭いていた小学生くらいの男の子と目が合った――と同時に既視感を覚えた。
月瀬の知り合いにこんな子は居ない。既視感に覚えた事に対する更なる既視感を覚え、心の中で疑問符を浮かべる。
だが、その疑問はすぐに氷解した。なぜなら。
「……こ、この間のお姉さん! ……となんかヤベー子……」
声が知っているものだったからだ。
確信する。服装や髪型等が多少異なるが……間違いない。シグニーミアを拾って二日目の時に出会った男の子だ。
熱中症気味の様子だったから半ば無理やりスポドリとお菓子を押し付けた後、商店街で再度出会い、共にゲーミングミニゴジラの被害に巻きこまれた弱気ながらも根性のある家出っ子。
ここ数日色々あった為、どうしても思考回路から省かざるを得なかったが……頭の片隅では彼の心配もしていたのである。
疑問の答えが判明したと同時、月瀬は無意識のうちに少年の元へ駆けつけ、目線が合うようにしゃがみこんだ。
「君! もしかしなくても公園で会った……」
「そうです! あの時助けてもらった奴です!」
「よかった、お家に帰れたんだね」
「……。はい……」
声をかけるも、少年は憂いを帯びた表情を作るばかり。
直後、月瀬の第六感が告げる。家出っ子がお家に帰れましためでたしめでたしで済まない話であろうという事を。
「――おや、本当に言ってた子達みたいだね。よかったねぇ。会いたがってただろう?」
「そんな事ないし! じゃ、じゃあ! 僕宿題やってるから! いいでしょばーちゃん!」
そんな月瀬に助け舟を差し出してきたのは先程の年配の店員である。それと同時、顔を赤くした少年が思いっきり顔を上げ、睨むような目つきで店員を見返した。
そのまま彼は大きな足音を立てながら逃げるように店の奥へ駆けていく。
だが、物陰に隠れる直前、ちらりと振り返り。
「……あ、あの時はありがと……」
そう呟いた。蚊の鳴くような声であったが、月瀬の鼓膜を揺らすには十分な声量。
直後、ぷいとそっぽを向いた彼は完全に店の奥へ消えてしまったが、髪の隙間からちらりと覗き見えた耳が真っ赤に染まっていたのを月瀬は見逃さなかった。
――なんだあの可愛い生き物……!?
初対面の時からあった誠実さを強調するような仕草を見て、一瞬、心がときめくのを感じ取る。そう、小動物の愛くるしい姿を見た時と同じタイプのときめきを。
なお、いつの間にか自分のすぐ後ろに居た魔法少女はそれを快く思わなかったらしく、無言で月瀬を睨むばかり。
彼女は月瀬の後ろで指先で机をトントンと軽く叩く。だが、月瀬は少年が消えていった先を見つめるばかりで。
「……ツキセ」
「え?」
唸るような低い声。振り返って、鋭い視線と目があった。
「ツキセは、魔法少女がすきなんだよね?」
意味がわからず月瀬はきょとんとしたが、すぐに彼女が嫉妬の感情を抱いている可能性に気がつく。「もちろん」と頭を撫でる事数回、シグニーミアの表情から不満げな要素が大分減った事に安堵する。
そんな様子を店員がにやつき半分、上機嫌半分といった様子で見つめていて。
「ねぇねぇお嬢ちゃん達。まだお昼には早いけど……よかったらここで食べてかない? あの子見つけてくれたお礼でタダにしちゃうよ!」
その言葉に、月瀬は店内にある時計を見上げた。現在時刻は十時半を超えたくらい。お昼には大分早い時間だ。
月瀬はちらりとシグニーミアを見る。不安を込めての視線だったのだが、どうやらここでご飯を食べようと受け取られたらしい。とても愛らしい笑みで大きく頷かれた。
「……それでは、お言葉に甘えて」
「ありがとうねぇ! それじゃあ、好きな所に座っててね!」
明らかに上機嫌になった店員が月瀬達に背を向ける。
シグニーミアを連れて適当な椅子に腰掛けると、体が疲れを訴えてきた。家を出てから約一時間ちょい。通学で足が鍛えられているとは言え、結構な運動量である。
二人でメニューを眺め、お冷を持ってきた店員に注文を伝える。
月瀬がメニューを戻すと、隣でシグニーミアが何か呟きつつ指をくるくる動かしていた。
「ツキセー、こっち向いてー?」
「今度はどうしたの」
「目閉じて、目!」
「え? ……こう?」
言われるままに目を閉じると、頭の奥で鈴がなるような音がし、ベッドにダイブしたと同時に寝落ちしたかのような心安らぐ感覚を得た。
「……もーいーよー」
意識が浮上する。
声に従い、そっと目を開ける。満足げに微笑んだシグニーミアが居た。
「……今、何やったの?」
「おまじない。体力回復ときょーか!」
「え? あ、ありがとう」
いい事したでしょ? とでも言わんげに首を傾げて微笑むシグニーミアを前に、月瀬は迷惑にならない程度に軽く体を動かしてみる。確かに大分軽い。
体の中にある疲れや老廃物が一瞬で全て消え去ったかのような不思議な感覚。きっとここが外でなければ「おお!」と声を上げて喜んでいた事だろう。
「確かに体軽い……あ、肩こりが消えてる!」
そう、胸板にくっついている脂肪の塊のせいで、しょっちゅう人間の体から出てはいけない音を鳴らすはずの肩が調子いいのだ。回してみると筋肉が腱や骨にこすれる感覚も一つ無い。ここまで調子がいいのは何年ぶりだろうか。
「ツキセ、よく肩もんでるなー? って思ったから、ちょっと治して、強くしたった!」
「お、おぉ……ありがとう! ありがとうミア!」
「んふふ。どういたしまして」
思わずシグニーミアを抱きしめて頭をわしゃわしゃと撫でてやれば、相変わらず満足げに鼻を鳴らされる。
彼女を拾ってから今日まで、本当に色んな事があった。あったが、今まで遭った理不尽な事や怖いこと全てをすっ飛ばし、拾って良かったと心の底から思えた瞬間だ。
「ありがとう……本当にありがとう! 私の恩人だよミアはぁ!」
「くすぐったいー! きゃははっ!」
そんなこんなでしばらく嬉しさに突き動かされるままわしゃわしゃしていると、店の奥から料理を手にした店員が姿を見せる。じゃれる子犬を見つめる飼い主のような温かい表情であった。
それに気づいた瞬間、月瀬は思わずシグニーミアから手を離し、ビシッと背を伸ばして座り直す。そのまま恥ずかしさをごまかすように時計をちらりと見ると、十分以上経過していた。注文してからまだ一分くらいと認識していたのに。
動揺する月瀬の横で、シグニーミアは己の前に置かれたオムライスをキラキラとした瞳で見つめていた。口は大きく開かれており、今にもよだれが一滴滴り落ちそう。
「ご飯食べたらかえろ?」
「あっ、うん。そうだね! 帰る前にイチェアやコウヨクさんにお土産買って……――待ってミア、あなた、行きたいとこ他にないの? ここだけ?」
「ん、ここだけ!」
「そうなんだ……。なら、いいか」
いただきますを済ませ、ナポリタンを一口頬張る。定価でまた食べに来てもいいかもと思えるような味であった。
だが、それとは別に。
――食べ終わったらどうしようか。
適当にお土産を見繕って帰るのも悪くはないが……頭に浮かぶのは、昨日した『できる限りシグニーミアにとって楽しいことを教える』という決意。
シグニーミアは出会ったばかりの時よりも大分落ち着いている。現在地は家からそこそこ遠い。間違いなくチャンスである。
ナポリタンをすすりながら考える事しばらくして。
――あ、いいこと思いついた。
窓ガラスにふと視線を向ける。二人の姿が映る中、シグニーミアの瞳が一瞬だけ翡翠色に揺らいで見えた。




