5日目ー6 ターニングポイント
そんなこんなの会話を繰り広げているうちに、時刻は十一時を過ぎていた。
「もうこんな時間!? お昼作らなきゃ! ……あ、あの、みなさん、食べます……?」
「俺はパスで。結構長くいたし、御暇するわ」
真っ先にそう気楽そうな返事をしたのはカイネだ。出しっぱなしの水晶を仕舞うと、彼の足元にある影が――まるで足元に墨汁を流したかのような、影にしては不自然すぎる円を描く。
そのまま彼は「じゃ」と手をひらひらさせながら軽く微笑むと、昨日と同じく影に吸い込まれるように消えていった。
思わず床――彼が居た痕跡一つない、いつも通りの綺麗な床――と魔法少女達を交互に見比べる事数回。
「……もしかしてあの人、やろうと思えば家の中にいきなり出現とかもできる……?」
「できるのね。でも、基本的に泥棒や盗撮とかはしないからあまり怖がらなくていいのね。正面から入る時に脅す事はあるけど」
「だめじゃん……」
「それよりも月瀬さん、お昼ごはんは何に――」
「それじゃあ、あたし達も戻るわ」
そんな声がしたと思ったら、コウヨクがイチェアの首根っこを掴んでいた。まるで子猫を回収する親猫のように。
体を宙に浮かせたままイチェアが後ろを向く。眉を寄せたその表情は紛れもなく不満そのもの。
「おちびは食べていきたいのだけど」
「イチェア、あたしあんたに話あるんだけど」
「げっ……ん、んなもんご飯の後でいいのね。コヨも食べればいいのね」
「何馬鹿なこと言ってるの。いくら月瀬さんがしっかりしてるとはいえ、あたし達の存在のせいで価値観とかねじ曲がっちゃったらどうするのよ! あとご飯代もタダじゃないのよ!」
「もう手遅れだと思うのね。……あ、そうだ」
顔の向きをコウヨクから月瀬に向けたイチェアの表情がまた変わった。今度は良い話を持ってきた悪徳商人の如くやけににんまりとした笑顔。
「月瀬さ~ん。お昼ごはん何作るか決まってないなら、焼きおにぎりとかどうなのね?」
「あ、あんた……!」
「焼きおにぎり? いいけど……」
お昼のメニューは何一つ考えていなかったので、このような提案は普通に歓迎である。
だがなぜ焼きおにぎりなのだろうか。月瀬が心の中で疑問を浮かべていると、作戦成功と言わんばかりにゲスい笑顔――もはやギャグマンガの悪役みたいな表情だ――を浮かべたイチェアが口を開く。
「それはよかったのね。いやぁ、焼きおにぎりはこの子の好物の一つなのね。味噌たっぷりついてちょっと焦げてるやつ」
「イチェア! あんた!」
「へぇ……」
成程。と心の中で納得一つ。同時にイチェアの狙いを理解した月瀬は笑顔を――こちらも悪役のようなどこか裏のある笑顔だ――浮かべつつ、コウヨクへ顔を向けた。目が合った瞬間「げっ」と言われた気がしたが気のせいだろう。
「味噌の好みとかあります?」
「そこまで気にしな――じゃない! つ、月瀬さん! 今回はご飯余ってないでしょう! あたし達帰るからっ! お邪魔しました!!」
「ああーん。……お昼待ってるのよー」
イチェアの首根っこを掴んだまま勢いよく背を向けたコウヨクが、イチェアを空間の亀裂にぶん投げ、そのまま彼女も逃げ帰るように亀裂の奥へ消えていく。
――ご飯一緒にするくらいならいいと思うんだけどな……。
コウヨクの言っていた価値観云々については月瀬も理解している。『魔法少女や魔法に依存しすぎるな一般人』という事だろう。
だが、それと飯を共に食わないというのは話が少し違う気がする。
――あとコウヨクさん見ててちょっと面白いんだよな……。わかりやすいツンデレだからってのもあるんだろうけど、雰囲気が、なんか……ガバった時のゲーマーっぽいとこあるんだよな……。
先ほどまであんなに騒がしかった空間はもう月瀬とシグニーミアの二人しか居ない。
さてこれからどうしようかと考える間もなく、二人は同時に互いの顔を見た。
「……また多めにつくる?」
「作ろっか。焼きおにぎりにあう汁物とかも用意しないとね。……手伝ってくれる?」
「うん!」
***
それからおおよそ二時間が経過した頃。
魔法少女達の本拠点にて、コウヨクは非常に大きくて長い溜息をついていた。
「うぅ……またやってしまった……。ちょろい奴かもって思われてたらどうしよ……」
そう。あの後結局月瀬とシグニーミアは焼きおにぎり――しかも、味変できる具材や茶漬けにできるような汁物つき――を四人分用意し笑顔で「よかったら一緒に食べませんか?」とコウヨク達を誘ってきたのである。
その後彼女がどう行動したのは、言うまでもないだろう。
「心配しなくていいのね。多分確信されてるから手遅れなのね」
「何? おしりぺんぺんされたいって?」
「何でもないのよー。いやねぇ事実陳列罪って」
コウヨクが座っている椅子の側をうろちょろするイチェアにガンを飛ばすと、彼女は口笛を拭きながら顔を反らした。
コウヨクは大きなテーブルに両肘をつけたままもう一度溜息を吐く。今度は声つきだ。ついでにそのまま崩れるように仮眠するような姿勢へとなった。
だが、落ち込んでばかりもいられない。シグニーミアや月瀬が居ない今のうちにしかできない事がある。
コウヨクは気だるげに姿勢を直すと、壁に描かれた円の模様へ手を伸ばす。
「……ねぇイチェア、今から時間あるわよね?」
「お説教は嫌なのよ」
「それは昨日カイネがしたでしょう。多分。……あんたとカイネに共有したい事があんのよ」
「何か見つけてきたのね? まぁいいけど」
イチェアが空いている椅子の一つに勢いよく腰掛ける。
円卓に魔法少女二人が揃うと、コウヨクは円の模様に向かって指を弾かせるように動かす。室内に一陣の風が流れ、模様が光り始めた。
模様の全部分が淡く光ったと同時、コウヨクは再度口を開く。
「――ちょっとカイネ! 聞こえてるでしょ!? 今からビデオ通話できるかしら!?」
《なんだどうしたうるさいぞ。さっそく月瀬に迷惑かけちゃったーって愚痴か?》
「な……っ!? ち、違うわよ! 真面目な話!」
《ふーん? ちょっと待て》
円の模様からカイネの声、続いてごそごそという音が聞こえる事しばらく。やがて、模様全体が青い光を発した。
光はやがて平面の四角形になり、その中にカイネの姿が映り込む。
どうやら彼は自室に居るらしく、その背後には誰も居ない。
《おらよ。で、要件は?》
「ちょっと二人に見てもらいたいものがあって」
その言葉と共に、コウヨクは己の前に青いウィンドウを出現させる。彼女はしらばくその上で指を踊らせ、「ほら」とカイネとイチェアに見えるようにウィンドウの角度を変えた。
刹那、二人の顔が強張る。
それに映っていたのは、小さな建物の中で男と対峙する大きな肉塊二つの画像であったからだ。
男の方は警官である。
一方の肉塊は、肉屋に売られているようなものではない。
色合いこそ赤を中心としたものだが、よくよく見ればそれはとぐろを巻いたヘビのような形をしている。
腹部以外の全身が赤い鱗――不規則に白い細線が入っている――で覆われており、柔らかそうな腹の部分は白寄りのピンク。
背中にあるのはコウモリのような形の翼。
肩と思わしき部分から生えているのは、猛禽類の足を連想させる形をした、一本一本が鎌のようになった前足。
この時点で普通のヘビではない。
横顔の半分近くを占めるのは大きな目の形をした真っ暗闇、頬まで裂けた口、その隙間から見える白く鋭い歯……ここまで見ると、不気味な怪物だ。
だが、腰の後ろと首の前にある巨大ピンクリボン――シグニーミアが変身した時の衣装についているものとよく似ている――が、無理やり可愛さ要素をぶち込んでいる。
とぐろを巻いているせいで正確な大きさはわからないが、それでも全部伸ばしたら二メートルはあるだろう。
そんな、いかにも「私、可愛い?」と言いそうな怪物が二体、警官と対峙していた。
ただでさえ不気味な画像だが、それを更に強調させる存在がある。
その怪物らと対峙している男の表情だ。
この世界では絶対に存在しないであろう怪物と対峙しているというのに、平然としている。日常の延長と言うかのように。
「きっっっも!」
《うわっ、なんだこれ》
驚愕の声を上げながらも画像を目に焼き付けるイチェアとカイネ。ここまではコウヨクの予想通りである。
これを伝えたら今の関係は崩れてしまうだろう。だが、これを自分一人だけで抱えるには荷が重すぎる。
魔法少女としての義務感と各方面への申し訳無さを抱きながら、重々しく口を開いた。
「この怪物は、シーニーと月瀬さん……と思われるものよ」
一瞬、時が止まったかのような錯覚を得た。
止まっていたのは、この場で話しているもの全員の呼吸音であった。
「え……?」
《……マジ?》
数秒置いて、イチェアとカイネのさらなる驚愕が小波のごとく静かに押し寄せる。
イチェアは顔を青ざめ口を小さく開いたまま硬直しており、カイネは青ざめてこそないものの、難しい顔で口を結んでいる。
コウヨクはそっと目を伏せる。行方不明になる直前のシグニーミアはこのような姿ではなかった。
コウヨク達はかつて、地球と同じ方法で写真や映像を撮れる世界に訪れた事がある。そこで撮った動画に映る姿も、人間姿の可愛いもの。
良く知るシグニーミアが記憶喪失な上に、怪物として映っていた。
仲間であるイチェアは勿論、敵でありつつもなんだかんだで付き合いの長いカイネも――この事にカイネが絡んでいないのなら――それなりの驚愕なりショックなりを受けるのは当然の話。
それだけではない。
二つ目の怪物。コウヨクによって青蜂月瀬と思われるものと呼ばれた塊。
心当たりが無いのに、魔力を貯める才能がほんのちょ~っとだけあった一般人。それがなぜあんな姿として映っていたのか。
この場に居る全員が、青蜂月瀬を『様子のおかしい魔法少女に懐かれてしまった一般人』として見ることができなくなった瞬間であった。




