5日目ー5 臆病者はニートの夢を見る
「――月瀬さん! 言葉に乗せられちゃ駄目! あまり知りたくないんでしょ!?」
高く鋭い声で正気に戻ると、頭を抱えていたはずのコウヨクがいつの間にか月瀬の両肩を掴んで、正面から瞳を覗き込んでいた。
「いーい? こいつはね、他人が欲望と理性の間でぐらついている姿を見るのが好きな畜生野郎よ! 話聞いちゃ駄目!」
「はははっ。さっすがコウヨク。俺のことよくわかってんじゃねぇの。……でも一つ言わせろ。頼まれた事はちゃんと最後までするぞ。それが肉体改造であろうとも」
罵倒されているのにもかかわらず、楽しそうに肯定するカイネ。
その言葉で月瀬は思い出す。彼は少し前に肉体改造と洗脳が得意という、ザ・悪の組織総大将ムーヴ溢れる自己紹介をしていた事を。
怖いのや痛いのは嫌である。具体的にどう改造されるのかは不明だが――避けるに越したことはないだろう。月瀬はそう強く思い直した。
「それにね月瀬さん、魔法を使えるようになるのは良いことばかりじゃないわ。魔法が一般的じゃない世界なら尚更よ! 変な奴に目をつけられて、手足としてこき使われるのがいいところだわ!」
「と、経験者は語る」
「殺すぞ」
「こわー」
コウヨクの言葉をカイネが茶化したと同時、彼女は殺気を一瞬放って睨みつけた。その声の低さと仰々しい顔に月瀬の肩が震える。なお、当のカイネに効果は出て無いようだ。
一方の月瀬は震えながらも一人納得していた。この世界は夢と希望あふれるニ◯アサ系のやさしいせかいではないのだ。
人と違う力を持っているなんて知られたら、怖がられるか、利用されるかの二択だろう。それがか弱い小娘であるのなら尚更。
――確かに、魔法を使えたとして……ボロが出たら地獄かも。
思い浮かんだのは、月瀬の父方の親戚達。高給取りで、現場で働く人達を見下していて、いかに法律の穴をついて金儲けをするかを考えるのが大好きで仕方のない連中だ。
仮に魔法が使えたとして、そいつらに見つかってしまったのなら、良くて手品と判断され放置、悪ければ……己の手を血で濡らすような事になってしまうかもしれない。
――そうだ。魔法に浮かれてる場合じゃない。……とっても魅力的だけど、今の私じゃあ……ただの障害にしちゃう!
それと同時に強く決心した。昔の夢に惑わされてはいけない。
そして、絶対に今の夢を諦めてはいけないという事を。
「な~んか決心したっぽいな? どれどれお兄さんが聞いてあげよう。どうだ月瀬、魔法使えるようになりたいか?」
「あんた……ッ!」
月瀬の肩から両手を離したコウヨクが、月瀬を守るようにカイネと対峙する。
だが、月瀬はその背中に隠れる事はしなかった。それどころか、コウヨクの横を抜け、カイネの前に立つ。
決心した心を言葉にできるのは自分しか居ないから。
「いいえ」
「ほう、理由を聞いても?」
「私には立派な人生設計があるんです。魔法を使えることはとても素敵だけど……それに惑わされている暇はありません」
「人生設計ねぇ……。猛勉強してお偉いさんの立場を奪い取るとか?」
「いいえ。私は……」
言いたくはない。月瀬の今の夢はあまりにも一般的な高校生からはズレているものだからだ。
だが、言わなければこの場を乗り切れない。
つばを飲み、すぅ、と息を吸った。
「ニートになるんです!!」
刹那、沈黙を場が支配した。月瀬以外の全員が驚きなりきょとんとした表情を浮かべたまま。
予想通りの反応である。だが、このまま黙っていれば己がただの社会のゴミ予備軍宣言をしただけになってしまう。
月瀬は再び息を吸い、己の人生設計――という名の弁明を始めた。
「高校は今の成績をキープして、大学受験の日にわざと熱を出して、滑り止めの頭悪い大学に入学したらバイトしながら株やって、卒業したらニート生活をするって計画があるんです!! だからぁ! 魔法に関わってる暇なんて! ないんです!!」
再び、沈黙が場を違背する。だが、先程よりも長くはなかった。
魔法少女達が小声で「かぶってなに?」「わ、わからないのね」などという会話をする中、「……ほう」と月瀬の目を直視したのはカイネであった。
彼は俯き、肩を震わす。くくくっ、と口の隙間から漏れる声はどう聞いても笑う時のもの。
やがて。
「――ふふっ、だーっはっはっは! 俺の提案を断った上、っふ、将来ニート宣言する奴なんてっ、ひひっ、はっ、はじめて見た……ひーっ、は、腹痛ぇ……ふふふっ。……そーだよなぁっ、こんな悲しみと怒りと空虚だらけの世界っ、っは、働きたくなんてっ、無いよなぁ……っ」
腹から出した声を天に届けるように、盛大に笑った。両手で腹を抱えながら。
バカにされて笑われる事までは月瀬が想定していた範囲内である。だが、それは嘲笑と言うには随分爽やかなものに見えた。
「それもありますが……。私は魔法の勉強と学校の勉強を両立できる程器用じゃありません。それで学校を中退して、お先真っ暗になるのが目に見えているので」
「……お前さん、中々理性強いな?」
「それに、魔法を使えたところで、隠し続けるのには限度があります。バレたら奇異の目で見られるでしょう。……別の場所に逃げたとして、そこの風習などを一から学ぶ必要があるし、うまく行かなければ追い出されるでしょう。そんな盛大なギャンブルできません! 怖い!!」
「臆病者め。……ふはっ。……あんた、大物になるよ」
「え? あ、ありがとう……ございます?」
臆病者という事は理解しているが、どうして大物になるなんて言ってきたのだろうか。
月瀬がきょとんとしていると、服が引っ張られた感覚がした。見下ろすと、明らかにしょぼんとした表情を浮かべているシグニーミアと目があった。
「……ツキセ、魔法……使いたくないの?」
「そんな事ない。使いたい。とても使いたいよ。……でも、他にやんなきゃいけない事が多すぎるの」
「……そっか……」
「あ、で、でも……もし、私が夢叶えてさ、いっぱい時間使えるようになったら教えて欲しいな」
「ん! いいよ!」
ニートになったら、間違いなく今より時間が増えるだろう。そうなったらいくらでも魔法を学べる。魔法少女達が居なくなってる可能性も高いが。
シグニーミアが笑顔を浮かべた事にほっとしていると、続いてコウヨクに声をかけられた。何か強烈な現実を前にしてしまったかのような、眉間と口元に力の入った微妙な表情を浮かべている。
「……あ、あの、一つ聞いていい? ニートになるって夢があるなら、どうして大学に入ってからなんて遠回りな事をしているの? 株? ってのはよくわからないけど、今からバイトなりでお金稼いですればいいじゃない」
「株自体は既にやってますよ? 定期的に買って放置しているだけですけど。……あまり頭よくない大学に入って時間作ってから、本格的に金稼ぎをしようと思っているんです。
今、学業を優先しているのは……成績落として親戚にどやされたくないからです。さっさと独り立ちできる年齢になって、親戚と縁切ってから好き勝手すると決めているので」
「……すごい歪んだ顔してるわよ。親戚の事嫌ってそうねあなた」
「はい。現場で働く人達を見下してるカスばっかりなので」
「あー……」
死んだ目と、力のない低い声。彼女の周囲にもそんな奴が居るのだろうか。
月瀬がちょっとだけ親近感を覚えると、こちらにぽてぽてとやってきたイチェアに声をかけられる。
「ねーねー月瀬さん。一つ質問なのだけど、おちび達はシーニーの記憶が戻ったらまた別の世界へ出発すると思うのね。だから、何年もここにいられるかはわからないし、あなたがやっぱり魔法を知りたいって思った頃には居なくなってるかもしれない。それでもいいのね?」
「大丈夫。覚悟はできてる」
――というか今教えられたら困る。本当に。……こう言う事でチャンスを逃すかもしれないけど、別にいい……。
「あともいっこ質問。さっき魔法知りたくないーって言ってたけど、おちび達が今まで経験してきた事や知った事とかのお話はどうなのね? おととい話したようなやつ」
刹那、「あ!」と声を張り上げた月瀬が硬直し、すぐに解けた。
同時に、覚悟を決めていた表情は一昨日のような好奇心丸出しの年相応のものに戻っており、イチェアを見つめる瞳に浮かぶのは月光に照らされる海のように煌めいていて。
「あれは、ああいうのは聞きたい!」
「んふふ。そう言うと思ってたのよー。おちびがお話止めてシーニー連れて行こうとした時、泣いちゃってたものね」
「あっちょ、そ、それは、言わないで!」
月瀬の慌てた懇願に対し、イチェアは楽しそうに小さく笑うばかり。なお、この事はカイネも知らなかったらしく「そうなのか?」という問いに対し、「なのよ。この子、とっても魔法少女が好きみたい」と返していた。
「……まとめましょうか。私達がどう月瀬さんと接するべきか」
腕を組んで周囲を見渡すコウヨク。彼女はこの場に居る全員とそれぞれ視線を合わせると、ひとつ頷いた。
「あたし達がこれから月瀬さんと接する際は、
月瀬さんに今まであった事や得た知識などを教えたりするのはいいけど、魔法の使い方は教えないようにする。
そして月瀬さんにもっと迷惑がかかるような事は進んでしない。
最後、魔法少女組は月瀬さんに生活費を入れる! できないなら家事とか手伝う!
他なんかある!?」
コウヨクが再度皆を見渡すと同時、様々な方から「なーし」という気の緩んだ声が響く。
月瀬以外の三名が無いと言ったところで、月瀬とコウヨクの目が合う。慌てて「ありませんっ」と言うと、彼女は満足そうに頷く。その顔に、先程までの憂鬱そうな影は無かった。
「よし。カイネ、そっちの連中にも伝えておきなさい。特にメルセント!!」
「おうよ。この会話聞けるようにしてるから大丈夫」
「……その割には何も聞こえてこないけど?」
「あ、わりぃ。ミュートのままだった。……聞いてただろお前らー?」
数秒もせずに、カイネの方から《聞いてるぞ!》《聞いてますわぁ》《聞こえてます》という先ほど聞こえたものと同じ声が聞こえてきた。
月瀬は思う。
魔法を学ぶ事はまだ選べないし、彼らの全てを信じるには共に過ごした時間が少なすぎる。
だけど、今だけは……この賑やかさに、ちょっとだけ甘えても良い気がした。




