5日目ー3 口約束レベルの休戦協定
魔法少女が揃うと、カイネは立ち上がりつつ踏まれていた場所を手で軽く払う。そのまま一つ息をつき、改めて彼女らへ向き合った。
「さて。これから休戦しようと思うけど、異論ある人ー!」
「なし」
「ないのね」
「……ん」
「俺もない。お前らはー?」
この場には魔法少女達三人、カイネ、そして月瀬の五人しかいない。月瀬相手にお前『ら』とはおかしい。では誰に。
不思議に思っていると、カイネの方から声が聞こえてきた。
《ないぞ!》
《ないですよ》
《ありませんわ~》
聞こえてきた声は三種。元気もりもりな男性の声、続いてダウナーみのある少女もしくは少年の声、最後におっとりとした女性の声。全て聞いたことの無いものだ。
しかし、いくら周囲を見渡しても声の主の姿は勿論、スピーカーなども見当たらない。
「よし、シグニーミアの記憶戻るまで休戦延長。以上! 解散!」
「えっ!?」
戸惑いを覚えている間にも非常に良いテンポで、以上、解散と付け加えられ、月瀬の戸惑いが倍増する。
確かにこれは小学生の口約束レベルだ。一般的な和平会談とは程遠い。
なお、最後の「えっ!?」は月瀬の声である。直後、他全員が一斉に彼女を見やった。
「どうしたのよ月瀬さん。もしかしておちび達が戦ってるとこまた見たいのね?」
「え、あ、あああのいやあのそうじゃなくって……も、もっと複雑なやりとりするのかと思ってて……」
「なんとね、今回は結構きっちりしている方なのね」
「そうなの。信じられないかもしれないけど……」
月瀬の疑問の一つに、イチェアとコウヨクが軽い解説する形で答える。嘘を言っている様子は無い。コウヨクこそやや呆れた表情ながらも、日常会話の延長みたいな雰囲気。
続いて月瀬はシグニーミアの方を見やるが、こちらも平然としていた。
何も思い出せなくても無意識で何か覚えていたりするのかもしれない。そうでないと説明し難い落ち着きっぷりなのだ。そんな彼女に「どしたの?」と聞かれ「な、なんでもない……」と返す。
そのままカイネの方を向いて、追加の疑問一つ。
「そ、それじゃあ。さっき聞こえてきた知らない声は……」
「俺の部下達だ。俺の方の本拠点に居るんだけどね、そいつらに俺の視覚と聴覚経由でこっちの様子教えてんの」
「どこから聞こえるんですかこの声……」
「俺の体内。まぁ細かいことは考えなくていいぞ」
その言葉に続いて、《そうだぞ!》という元気もりもりな男性の声が響き、月瀬は肩を震わすと同時に納得する。
なお、体内から別の人の声を出しているらしい件については考えない事にした。
「こいつらは……今紹介されても覚えられないよな。各々遭遇した時に自己紹介しあってくれ」
《カイネ様ぁ、親睦を深める為に今からそちらに出向いてもよろしくって?》
そう声を響かせてきたのは女性の声だ。おっとりとしつつも、先程よりテンションが高くなっているように聞こえる。
なお、カイネはその言葉にすぐさま返事を返す事はなく、小首を傾げながら月瀬や魔法少女達の方をじっと見つめてきた。
「……会いたいってよ?」
「止めさせなさい」
「止めやがれなのよ。あいつは月瀬さんにとって猛毒なのよ」
「それもそうか。――ロウ! メルセント見張ってて! 封じ込めてもいい!」
月瀬が口を開くより前に、三人によって結論づけられてしまう。続いてダウナーみのある少女もしくは少年の《はい! おらっ、大人しくしろ!》という張り切った返事、そして《きゃー》という女性の棒読みが聞こえた。
月瀬は先ほど低い声で返事をした魔法少女達に目を向ける。二人共目を伏せており、明らかに軽く怒っている様子。
一方で、月瀬は先ほどの『月瀬さんにとって猛毒なのよ』という言葉を頭の中で繰り返していた。
「あの、猛毒って……?」
「……あいつね、色んな液体作れるの……。あいつの趣味全開の……」
「液体……?」
その疑問に重々しい様子で答えたのはコウヨク。
だが、色んな液体を作れるというのはどういう事なのだろう。ぱっと思いついたのは、フラスコや試験管を両手に持ったマッドサイエンティストのイメージだが。
月瀬は追加説明を求めてコウヨクを見つめ返す……も、目線を下げる形で目を逸らされた。時々漏れる小さな声は悩んでいる時に出てくるもの。気のせいだろうか、顔が赤い。
彼女の側にいるイチェアも頭を抱えている。シグニーミアはきょとんとしている。
魔法少女から説明を引き出すより前に、カイネが口を開いた。
「あいつ、スライム娘なんだよ」
「スライムむすめぇ!? あ、そっか、そういう事か!」
スライムと聞いて、納得する。
スライムは雑魚敵もしくは害悪な存在というイメージを持つ魔物。このスライム娘は後者なのだろう。
「お、知っているっぽい反応だな?」
「知ってます! アニメや漫画とかでしか見たことないですけど!」
「上出来だ。うちのスライム娘はな、体の内で色んな植物を育てているタイプなんだよ」
「体内で植物を? そういうタイプは初めて聞きました」
「じゃあそこから説明すっか。あいつの植物が生み出す花やら実やらがこれまた面白……じゃなかった、厄介で……」
驚愕しつつも、月瀬はどこか冷静に情報を飲み込み、分析していた。
やがて脳のリソースは分析に取られる比率が高くなり、カイネの声が遠くなっていく。
――スライムって水分多めだし、睡蓮みたいな植物なら体内で育てられる……のかな?
魔法少女については『ご都合主義の一種。故に深く考えてはいけない』という印象だが……今回のスライム娘はどうだろうか。スライム娘なる存在は先程の印象と全く同じ感想が出てくるのだが、体内で植物を育てているとなると、月瀬にもわかる事があるのではないか。
そのように生じた疑問は月瀬の知識欲へと変換され、一つの結論を生み出した。
――どんな感じなんだろう……見てみたい!
止まらない興奮に背を押されるように、カイネの顔を見やる。
「だから、服だけ溶かすようなあいつの趣味全開のものから、数分足らずで体全体を壊死させるような強烈なものまで――」
「あ、あの……その、スライム娘さんと……ちょっと会ってみたい、です」
「お前さん俺の話聞いてた?」
ジト目のカイネに言われはっと気がつく。月瀬が熟考していた間、そのスライム娘に関する説明を聞き飛ばしてしまった事に。
月瀬は慌てて周囲を見渡す。ぎょっとした顔のコウヨク、苦々しい顔のイチェア、そしてつまらなさそうな顔のシグニーミア……自分はとんでもない事を言ってしまったらしい事に気がついた。
ただ例外として、カイネの体から《まぁ! まぁまぁまぁ!》という女性の嬉しそうな声が聞こえた――が、反応する者は居ない。
「――あ、ご、ごめんなさい! ちょっと……その、私にもわかることあるのか気になっちゃって……」
「月瀬さん、早めにその興味捨てなさい。酷い目に遭うわよ!」
しどろもどろの月瀬を説得するように、怒りとも悲しみともつかない複雑な感情を浮かべたコウヨクが駆け寄り肩をがっしりと掴んだ。
「ちょっとカイネ、この子洗脳できないのね? こんな無防備な子、あのクソスライムに食われる未来しか見えないのよ!」
「どーしよっかなー? 気になってるなら会わせてやるのも悪くないよなぁー?」
「「カイネ!!」」
イチェアがカイネへ詰め寄るも、相手は「えー?」「んんー?」と楽しげな声をもらすばかり。
そんな緊迫した空気をぶち壊すかのように、先程の女性の声が響いた。蜜のような甘ったるい声が。
《月瀬ちゃん様、ぜひお会いしましょう? わたくし、あなたと仲良くなりたいのです! 仲良くなった暁には、体の中までじぃ~っくりと見せてさしあげますわぁ♡》
「え……っ!?」
「月瀬さん、駄目よ! 流されちゃ駄目!!」
必死の形相で月瀬の両耳を塞ぐコウヨク。なお、塞がれ方が雑なせいで意味をなしてない。
一方の月瀬は、スライム娘ことメルセントの甘言に惹かれながらも、自分の失言が引き起こしたこの状況をなんとかしなきゃいけないと思っていた。
だが、打開策が何一つ思い浮かばない。
――ど、どうしよう。どう言い繕っても無理やりすぎるし……気になる。
思考回路を全力で働かせるも考えれば考える程余計なアイディアや振ってきて、考えていた事がぽろぽろと抜けていく。打開策構築どころではない。
そんな時、月瀬の手を誰かが取った。
「だめだよ」
小さい声。見下ろすと、シグニーミアが月瀬の手を取っていた。こちらを見上げた赤とピンクの双に月瀬の顔が映り込む。
「メルセントはだめ。きけん」
刹那。
瞳から体の中を覗き込まれる感覚がして――急速に現状への興味が削がれていく。
一気に頭が冷えていくのを感じた。
――冷静になってみれば……スライムの中でしか育たない植物とかもあるのかもしれない。……考えるだけ、無駄かも。
やがて思考回路が正常な速度に戻る。だが、今度は頭が回らなくなっていくのを感じ取った。まるで、自分の時間が世界より遅くなってしまったかのような強い違和感。
その時、カイネが月瀬達へ素早く顔を向けた。まじまじと見つめるその表情は、先ほどまでコウヨクとイチェアをおちょくっていた時とは比べ物にならないくらい険しいもの。
「……おいシグニーミア、お前何した?」
「だめって言った。危険みたいだから?」
「ふーん? ……嘘は言ってないようだな」
《どうかいたしましたのー?》
「わからん。悪い、ミュートにする」
声も、緊迫感のある低いものへと変わっていた。
一方、シグニーミアの表情や声はテンションこそ低いものの、警戒の色がどこにもない。まるで日常会話のよう。
月瀬の両耳から手を離たコウヨクがシグニーミアの顔を見て、カイネの方を見た。こちらもまた、強張ったもの。
「……何があったの?」
「月瀬がメルセントに対する知識欲を急激に減らした」
「シーニーが何かやったのね?」
「おそらくな」
三人が改めてシグニーミアと月瀬をじっと見やる。
カイネの顔には冷静さの中に警戒が宿り、イチェアは目を大きく開いて口元をきゅっと結び、コウヨクは信じられないと言わんばかりにシグニーミアとカイネを交互に見て口をわなつかせている。
シグニーミアの様子は、何一つ変わらない。
――あれ、なんか、雰囲気変わった……? 私が、何か、されたって……? だめ……。頭、ぼんやりする……?
一方、頭が急激に働かなくなった月瀬は、なぜこんな急に空気が変わったのか理解できない。すがるようにシグニーミアを見ると、彼女がこちらを見上げてきた。彼女は少し眉尻を下げると、月瀬と再度視線を交わす。
するとどうだろうか、今度は少しずつ頭の回転が速くなっていくのを感じ取った。今度は速くなりすぎる事なく、いつもと同じくらいの処理速度を保ち続ける。
――あれ……? 感覚戻った……? 何があった……!?
無言でシグニーミアを凝視する月瀬。その異様さに、コウヨクとイチェアの顔が強張る。
一方で、カイネは月瀬達をじっと見つめていたが、やがて一人納得したように頷く。
「なるほど。可愛い可愛いシーニーちゃん……いや、ミアちゃんにめーよって言われたから気にしないようにしたんかな?」
「そうかな? そうかも?」
「んじゃ、そういう事にしとくか」
その言葉にコウヨクは勢いよくカイネを見やり「ちょっと……!」と目を釣り上げるも、「今はカイネの言う通りにしとくのね」とイチェアに抑えられる。
一方の月瀬は表情筋を強張らせたまま周囲とシグニーミアを交互に見ることしかできない。
混乱する月瀬、顔を強張らせるコウヨクとイチェア、何ともないと言わんばかりにいつも通りの愛らしい表情を浮かべるシグニーミア、同じくどこか平常そうな表情を浮かべるカイネ……三者三様の反応を示す中、一番最初に口を開いたのはカイネであった。
「なんか雰囲気悪くなってきたし、ちょっと強引だけど話題変えようか。……なぁ月瀬、自分に魔法を使える素質がどのくらいあるか、気にならないか?」
「はい?」
「は!?」
「えっ?」
「ん?」
月瀬だけに限らず、コウヨクとイチェア、シグニーミアまでもカイネを見やる。月瀬の驚愕が別の驚愕で上塗りされた瞬間であった。
なぜこの男は急にこんな事を言いだしたのか――きっと、月瀬以外の魔法少女達も似たような事を思ったのだろう。この場に居る少女達の目が等しく点になる。
だが、逆に言えば先程までの険悪な雰囲気を吹き飛ばす事には成功しており、少女達を見つめるカイネの表情には、とてつもなく満足そうな、美しい笑みが宿っていた。




