5日目ー1 期待は約束から、襲来は玄関扉から
翌朝。
コウヨクにはちょろい部分があるのではと思った月瀬は興味半分、仲良くしたいという気持ち半分でわざと三人分の朝食を用意した。
そして昨日と同じ方法で呼び寄せ、案の定彼女がやってきた事に対し、『やっぱりちょろい』『優しい』という二つの感情を抱いていた。
なお、朝食を食べ終え食器類も洗った後にコウヨクは本拠点へ帰っていった。「魔法少女は人の生活に食い込んじゃ駄目なのって言ったばかりなのにぃ……」と半ば虚ろな目でぼやきながら。
というわけで時刻は朝の八時半を回った頃。
作戦が上手く行った事に対して月瀬はにこにこしながら机に向かおうとしていた。机の上にあるのは、学生の天敵こと宿題である。
――昨日『ミアにとってなるべく楽しい事を教えよう』って決意したけど……。先にこれ終わらせよう……。じゃないと遊ぶことに集中できない……!
まだ夏休みが始まって五日目。まだまだ時間はあるが、真面目な心が事あるごとに『でも宿題終えてないよね?』と囁いてきて非常に鬱陶しい。
月瀬は下唇を噛み締めながら、すぐ側に立っているシグニーミアに顔を向けた。
「ミア、私あれ進めたいからちょっとこれ見て大人しくしてくれるかな」
「あれ?」
そう言って電子書籍入りタブレットを渡すと、シグニーミアはきょとんとした表情を浮かべながら受け取る。
なお、その視線はずっと月瀬を見つめ返したまま。物言いたそうな雰囲気だ。
月瀬は親指で背後にある積まれた問題集を指しながら口を開く。
「机にある大量の紙の事。あれは宿題って言ってね、教師が私達生徒を教育の為と言いながらいじめるのに使う道具」
「いじめ……?」
「そう。私はあれを消化しなきゃいけないんだ。教師の前ではいい子にならなきゃいけないからね」
一通り自分の中で正当性をもったホラを吹き込み、ちらりと後ろを見やる月瀬。
――あれがせめてタブレットだったらなぁ。
月瀬の通っている公立高校は未だに宿題や教科書等の大半が紙である。予算が少ないからという話を聞いたことがあるが、一体どこまで本当なのやら。
心の中で巨大なため息を吐いた時、月瀬の視界外でピンク色の光が生じた。
顔の向きを戻し、目が点になる。
魔法少女姿に変身したシグニーミアが、杖の先を宿題の方に向けていたからだ!
「悪いこと? 消し飛ばそか?」
「――ああああいいいやちょっと待って落ち着いてごめん言い過ぎたからお願いだからその杖しまって!」
彼女の赤とピンクの双眼には冗談という雰囲気などは一切無く、真剣ながらも純粋なもの。
それこそ、月瀬がGOサイン一つ出せば、昨日見たビームの一つや二つ放って文字通り消し飛ばしてしまいそうな雰囲気。困っている人を助ける、理想の魔法少女そのものだ。
だが、内容が内容である。
もし仮にこの方法で宿題を――物理的に――終わらせ、二学期始めに「魔法少女に宿題消し飛ばされたので何も提出できません」なんて事実を述べたとして、サボりの言い訳として受け止められるか頭の病気を疑われるのがオチだ。
シグニーミアの純粋さを甘く見ていた。月瀬は慌ててシグニーミアと宿題の間に立ち、宿題をかばうように両手を広げる。
掌返しにも程がある動きにシグニーミアの表情が怪訝そうなものになった。
「……悪いことじゃ……ないの?」
「う。うんっ。そうそう、悪いことじゃないのっ。あまり好きじゃないからちょっと大げさに言い過ぎちゃったや。だっ、だからっ、その杖しまって。怖い……」
「……わかった……」
明らかに不満そうな顔のシグニーミアが杖を消し、元々の可愛らしい私服へと戻る。
彼女の瞳から殺意が消えた事に胸を撫で下ろしつつ、月瀬はシグニーミアと改めて向き直った。
「……その、勘違いさせてごめんね。あとで何かお詫びするわ……」
刹那、シグニーミアのアホ毛がぴくりと動く。
彼女は改めて月瀬を見上げた。先ほどよりも明るいその顔に籠もっているものは、間違いなく喜びか期待だろう。
――あ。私にできないこと言われたらどうしよ……。
軽い気持ちで言ってしまったが、魔法少女相手に一般人である自分にできることはあるのだろうか。と疑念を抱いた月瀬に対し、シグニーミアの口から出てきたものはとても単純なものだった。
「じゃあ、いっしょにお外いこ? 二人で……」
「あ、暑い時じゃなければ」
「うん!」
刹那、シグニーミアが月瀬の腕にしがみつく。己よりちっちゃい女の子とは思えないほどの力の強さに、思わず月瀬は顔をしかめた。
今、めき……っと聞こえたのは骨の上げた悲鳴だろうか。思わず下を見やれば、そこにあるのはピンクと赤の光り輝く瞳。この力強さと、期待がこもりきった愛らしい大きな瞳のギャップに恐怖を覚える。
「おでかけ!」
「ま、待って、ごめんね。私、宿題をやりたくて――」
「おわびするって!」
「別の日! 別の日にしよ!? 今日は宿題したいの!」
「いつ!?」
「……あ、明日ね! 明日涼しいみたいだから、ね?」
「わかった……。約束ね?」
「う、うん」
そこまで言うとシグニーミアは月瀬から手を離した。とっさにその腕を見ると、シグニーミアの腕が巻き付いていた部分がほんのりと赤くなっている。
――これ、本気で腕掴まれたら骨折れそうだな……。
そんな事を思いながら、頭をよぎるのは昨日大暴走した時のシグニーミア。あの時は運良く被弾せずにすんだが、この幸運が次も続くかはわからない。
ただでさえ魔法が使え、足も速いというのに、腕力まで強いとなったら……万が一シグニーミアと戦った時、月瀬が勝てる可能性はゼロに等しい。
――怒らせないようにしよう……。ああ、変なことして叱ってもブチギレませんように……!
信じていない神相手に、そう強く願う事しかできなかった。
***
そのまま三十分程経過した頃。
問題集の上を滑るシャープペンシルの動きが止まり、月瀬の唇に力が籠もる。先ほどから突き刺すような視線を感じて集中できないからだ。
振り向けば、案の定ベッドで転がったシグニーミアがじっとこちらを見つめている。
その手元にあるタブレットは漫画のページを映し出していた。一応読んでくれてはいるようだが……。
「ね、ね! このりゔぁーふぃ? って子達の本いっぱいあるけど、好きなの?」
「……あー、昔ハマっていたんだ。……じゃなくてその、後で相手するから、もう少し大人しくしてて……? ごめんね…」
「ぶー……」
どうもシグニーミアの集中力はあまり無いようで、こんな感じに、おおよそ十~二十分に一回のペースで邪魔をされては、月瀬の集中も途切れるという悪循環が発生しかけていた。
――集中できない。コウヨクさんかイチェアちゃんに相談しようかな……。
***
そんなこんなで一時間くらい経過し、渡されたプリント一科目のうち半分ほどを終えた頃。インターホンの音が響く。
「――え? あ、誰だろう?」
月瀬はその場で立ち上がり、のっぴしながらリビングの方へ向かう。なお、月瀬が自室を出たあたりでシグニーミアも後を追っかけていた。
今日届く荷物は無いはずだ。祖母も来る時には連絡をよこしてから来る。ならば誰だろうか――そう思いつつ、室内親機を覗き込んで、腰が抜けかけた。
カイネが映っていたのだ。しかも小脇にイチェアを抱えた状態で。おまけにポリ袋と思われし手提げ袋も持っている。
頭から血の引く感覚。震える声を押さえつけ、なんで、という形に無理やりまとめる月瀬。
確かに昨日彼は再び来ると言っていた。だが、こんなに早く、しかもこの状態で来るなど誰が想定できただろうか。
これは応対すべきか、それとも、相手は昨日戦っていたやつだし居留守を貫くべきか。
フリーズしている月瀬の横で、カイネに気づいたらしいシグニーミアがムスッとした表情を浮かべた。
なお、当のカイネは口をぱくぱくさせたりしながら不思議そうな表情でカメラを見つめていたものの、やがて人懐っこそうな笑みを浮かべ、口を開く。
《――どうだ、聞こえるようになったか?》
「ひッ!?」
硬直の解けた口から出てきたのは、自分でも驚くほど高い悲鳴。
確かこのインターホンは客が来てもこちらから通話を許可しないかぎり、相手の声も、こちらの声も届かないという設定になっているはずなのだが。
もしかしたら知らないうちに通話許可のボタンを押してしまったのだろうか――そう思い慌てて確認するも、やはり通話するならここを押せと言わんばかりにボタンが光っている。
通話可能状態じゃないのだ。
なんで、と思う一方で、相手は日本の常識が通用する存在ではない事を思い出す。
「……おいかえす? また扉壊しちゃうかもだけど……」
「待って、お願い、それは止めて!」
変身こそしていないが、明らかに玄関に向かって杖を構えるような姿勢になっているシグニーミアを慌てて制す。ただでさえ大家である祖母には鍵が壊れたからとっかえたという連絡を数日前にしたのだ、今度は扉ごと壊れましたなんてどんな面で報告できようか。
そんなふうにまごまごしている一方で、室内親機からはカイネの声が再度聞こえてきた。
《よう。聞こえてんだろ? 昨日の謝罪と、こいつの返品に来た。危害を加える気はないから、開けてもらえないか?》
「ほんとに返品しに来た……!?」
《月瀬さーん、こいつレディーの持ち方がなってないのよー。助けてほしいのよー》
カイネの小脇に抱えられたイチェアが手足を振って軽く暴れ出す。……も、カイネはびくともしない。それどころか涼しい表情を浮かべたままだ。
なお、イチェアは助けてほしいと言っているものの、その声から緊張感は感じられない。
――あ、開けたくない……イチェアちゃんには悪いけど開けたくない!
一方の月瀬は顔を強張らせるばかり。
というのも、月瀬は高校生ながらも一人暮らし経験がそこそこ長い。故に、知らない人がいきなりやってきたら玄関扉を開けないようにしている。相手が男性なら尚更だ。
今まで培ってきた男性不審者への対応策と、相手はシグニーミアの敵を名乗る存在である事から察するに、開けない方がいいと本能が告げる。
ここにシグニーミアが居るとは言え、相手は昨日涼しい顔をして魔法少女三人の攻撃を受け流していた男。
無力な月瀬にとって脅威としか言いようがない。
人質どころか荷物のように扱われているイチェアには申し訳ないが、月瀬はそっと『応答拒否』とかかれたボタンへ指を向ける。
刹那。
《ちなみに、開けてもらえなかったら扉ぶち破るから》
「謝罪する意思あるんですかぁ!?」
反射的にツッコミを入れた直後、はっと気がつく。カイネの顔がにまにまとしたものになっているのだ。
《はははっ。謝罪の意思はあるぞ。だが、時間をかけすぎたらどんどん無くなっていくだろうなぁ。……なぁ、開・け・て?》
開けて、の部分が明らかに低い声になり、大きくない声でも圧をかけれる事を否応なしに実感する月瀬。
どうやら、相手側にもこちらの声は聞こえていたらしい。それどころかこちらの表情が見えていてもおかしくない。
なんせ相手は魔法が使えるのだ。
――これ、居留守したら……酷い展開になるやつぅ……。
ひぇ、と声が漏れ、自分の無力さ、そして相手の強大さと理不尽さにうちのめされつつ、月瀬はしぶしぶ玄関へ向かった。




