4日目ー10 悪役は魔法少女の手のひらから飛び降りる
時は少し遡る。
月瀬達が帰宅している最中、屋根裏部屋のような秘密基地感溢れる室内に向かい合って座っている男女が居た。そう、カイネとイチェアである。
カイネはベッドに腰かけ、イチェアは近くにある背もたれ付き椅子に――背もたれを前に回すようにして――座っていた。二人が居る部屋は広さからして個人の部屋だろうか。なお、魔法少女が敵に誘拐されたというのに、雰囲気はどちらかの家に集まってだらだらしている幼馴染もしくは悪友といったもの。
「あんた、やけに気合いの入った演出してきたのね。可愛い子四人に見られることがそんなに嬉しかったのね?」
「なにしれっと自分も可愛い子枠に入れてんだその性格直してから出直せ。……普通に青蜂月瀬へのファンサだよ。ファ、ン、サ」
最後の『サ』のタイミングでカイネがウィンクを飛ばす。元々の美形も相まって非常に様になっているが、相手のイチェアは苦いものを食べてしまったかのように全力で顔を歪めるばかり。
「あの子はあんたのファンじゃねーのよ。何なのよ急に。きもいのね。うぇーっ」
「うるせぇ。あの子供がいい感情持ってるのはお前らだってくらいわかっとるわ。だから、魔法少女を輝かせるための悪役業だって力入れなきゃだろ? それに、あの登場演出だけでなかなかよい感情喰えて俺としては大満足……じゃねぇわ本題行くぞ」
足を組んで座っていたカイネが長い足を解き、座り直す。イチェアも背中をちょっとだけ伸ばした。
「色々言いたい事はあるんだけどさ、お前さ……最悪、月瀬死んでもいいかなって思ってただろ」
「へぇ? どうしてそう思ったのね?」
「バリアの強度が低い。普段アレの十倍は頑丈なやつ張ってるからさ、ちょっと脅かすつもりが予定狂って慌てたんだぞ。あと、シグニーミアが暴れた時……怒り狂ってたとは言え、隙も多かった。お前なら拘束できただろ」
青い双眼でじっとイチェアを見つめるカイネ。その表情に先ほどまでのふざけた様子は微塵もない。
一方のイチェアは「そーねー」と気だるそうに呟く。
「付き合いが長いって嫌なのね本当に。でも一つ訂正させてほしいのよ。月瀬さんに死んでもらおうなんて考えてはなかったのね。まぁちょっと危険な目に遭ってもらう必要があるなとは思ってたけど」
でも、とイチェアは続けて顔を上げる。カイネの青い瞳に、イチェアの灰紫の視線が真正面からぶつかりに行った。そして、百点満点のテストを先生から受け取る子供のように、不敵な笑みを浮かべる。
「あんたはよっぽどの事が無い限り人殺しなんてしないのね。だからいいかなって」
「つまりあの子供の命は俺の裁量に委ねていたと。――おい魔法少女」
カイネがジト目になった瞬間、今度はイチェアが悪くないでしょうと言わんばかりにウィンクを飛ばし返してきた。なお、それに対するカイネの反応も苦虫を噛み潰したかのようなものである。
「魔法少女らしくない行動だったのは謝るのね。……でも、殺す気なかったのは図星でしょう?」
続けて発せられたイチェアの言葉に、カイネは不満そうな表情を浮かべつつの沈黙で返した。だが、彼女は口からの返答を所望しているらしく、口元と目元に弧を描きながら彼を見つめるばかり。
やがて、彼は根負けしたらしく、わざとらしく大きなため息を一つついて。
「ああ、まったく……付き合いが長いって嫌だな?」
眉間にシワを寄せたまま、ぶっきらぼうな言い方でこう返した。そして、この解答は百点満点だったらしく、イチェアの浮かべる笑みが試すようなものから、満開の花のような満足120%スマイルになる。
「あんたの目的はシーニーの現状把握だし、なのね?」
「そゆこと。……つまり最初っからお前の手のひらの上だったと。はははこやつめ腹立つな」
カイネの顔に影のある笑みが浮かぶ。そのまま彼は立ち上がるとイチェアの元まで近づき、その柔らかいほっぺたをつまんで引っ張った。
「やめぅのおー! ほよあいあのわよほーあいらっあのおー!(訳:やめるのよー! コヨが来たのは予想外だったのよー!)」
「ああそうか。コウヨクに連絡してなかったんだっけか。……お前ら友達じゃねーの? なんで連絡しないんだよ」
カイネが頬から手を離すと、イチェアは赤くなった頬を守るように両手で隠した。その灰紫の瞳には涙こそ浮かんでいるものの、ぶーたれた表情である。
「いやしたのよ。でもあの子ずーっと音信不通で、とりあえずメッセージを送ってはいたのだけど……。見てなかったのねあの子」
「あー……納得。そういやあいつ月瀬に謝罪してたな」
「まぁ、あんたをからかったから襲撃されるって話はしてなかったけど」
「おい」
再び頬を引っ張るかと言わんばかりにカイネが手を伸ばし、イチェアは背中を反らす形で逃れた。だが、勢いをつけすぎたあまり椅子ごと後ろに転びそうになって――慌てて生成したリボンを周囲のものに絡ませハンモックにする形で地面との衝突を逃れる。
何やってんだと言わんばかりの表情でイチェアを引っ張ったカイネが椅子ごと元の位置に直し、ついでに「何やってんだばーっか」と声をかければ、目尻を釣り上げたイチェアに「うっさいのね!」と返される。
「んで? さっき後ろに転びかけたドアホ魔法少女さんや」
「引っ叩かれたいのね?」
「怖~。……さっきの話の続きなんだけどさ、なんでコウヨクには連絡しなかったんだよ? 俺に襲撃されるって怖気づいて震えてでもいたのか?」
「蹴っ飛ばすのよ。……あれはね、事前にコヨに『シーニーを見つけたけど様子がおかしいこと』とかを伝えていたのよ。そんな状況であんたに喧嘩売った云々なんて言ったらどうなると思う? 答えはね、おちびが〆られるのよ」
「まるで俺よりもコウヨクの方が怖いと言いたげな言葉だな」
「何当たり前の事言ってんのね。あんたの強さは道端の蜂さん未満なのね!」
「はははこんにゃろ今日こそ〆てやらぁ!」
カイネが今度こそイチェアの頬を引っ張ろうと両手を伸ばす。
だが、頬に指先が触れる直前、部屋にいくつもの空間の裂け目ができ、勢いよく飛び出してきたリボンが彼の両腕を絡め取った。
不愉快そうに顔を歪めたカイネがもがくも、ぎし、ぎしっ、といったきつく結ばれたリボンがこすれる音が生まれるのみで、イチェアの頬を引っ張るなんてできっこない。
「ふふん! 同じ手には引っかからないのよばぁ~っか!」
「このやろ知恵つけやがって……! ――てかさっきのはお前が勝手に自爆しただけだろ」
「知らないのよぉ~っだ! いぃ~っひっひっひっひ!」
睨めつけるカイネの前で高笑いするイチェア。……なお、彼女は背もたれに体の前面を当てるタイプの座り方をしているため、大股開きで笑うその姿には威厳という文字の最初の一画目すら無い。それどころか笑い方が邪悪すぎるせいでどちらが悪なのかがわからない状況である。
「ま、でも? ……話戻すけど、おちびの行動は結果オーライってやつなのね? あんたにシーニーの異常っぷり見てもらうって目的は達成できたし、月瀬さんの前で魔法少女の戦いを披露する事もできたし……なんやかんやでコヨにも情報共有できたし! うんうん!」
「何がうんうんだ。お前はコウヨクにも〆られてこい。あとこのリボンいい加減ほどけ。邪魔だ」
「しょうがないのね~。……ところで『コウヨクにも』って何なのね~?」
勝ったとでも思っているのか、イチェアは満足げな表情を浮かべながら指先を少しだけ動かす。するとリボンが緩み、開きっぱなしの別空間へ巻き取られるように消えていく。
両手が解放されたカイネは腕をさすりつつ、トーン低めの真面目な声で語りかけた。
「ちびすけ。てめぇは一つ勘違いをしている。俺も個人的にお前を〆たいと思っている」
「はぁ~ん? あんたがぁ~?」
「だが、俺じゃ駄目だ。漫才になる。だから――メルセント!!」
「はぁ~い♪」
天井から聞こえてきたのは、おしとやかでのんびりとした女性の声。
刹那、「げ」と漏らしたイチェアの表情から余裕と血の気が消える。そして、彼女は空間を切り裂いて逃げようとしたが、カイネに首根っこを掴まれる事によって阻止されてしまう。ついでと言わんばかりに切り開いた空間も閉じられてしまった。
小さな穴の開いた天井から、ラベンダー色の汁が滴り落ちる。
最初は雨漏りのようにぽたぽたとしたものだったが、やがてそれは粘液のように伸び、カイネ達の前に積み上がっていく。
「ひぇ……っ」
三白眼の目を大きく開き、青ざめさせたイチェアの顔にあるのは恐怖ただ一つ。手足をばたつかせるも、カイネによって荷物の如く小脇に抱えられているせいで意味が無い。
彼女がもがいている間に、ラベンダー色の塊はたぱんたぱんと水音を立てながらどんどん積み上がっていき……やがて、百八十センチはあるであろう巨女へ形を変えた。
そう、今しがた滴り落ちてきたのはこのスライム娘である。
「カイネ様ぁ、盗み聞きしていたのですけど……もしかしなくてもっ、おちびちゃん様を好きにしてもいいって事ですか!? わたくしを呼んだって事はそうですわよね!? そうって言ってくださいまし!」
スライム娘――半透明の体内に、植物のツルと思われしものがうねっている――ことメルセントは口を開くやいなや、興奮気味にまくし立てた。
その言葉にイチェアの血の気が更に引く一方で、カイネは非常に美しい笑みを浮かべるばかりで。
「いいぞ。好きにしろ」
「いやッ!」
「好きなだけお触りしてもいいのですか!? 舐めてもいいのですか!?」
「いいぞ! 俺の知ったこっちゃねえ!」
「いやァ――!!」
「やったぁあああぁああああ!!」
そのまま宅配業者が客に荷物を渡すような動きでカイネはメルセントに暴れるイチェアを引き渡した。
メルセントはイチェアを受け取るや否や、下半身を球状――一言で表すなら、アラクネの足が無いバージョン――へ変化させ、その中にイチェアを押し込む。サイズが足りず全身を飲み込む事はなかったが、体にツタを絡ませることで無理やり座らせ、胸から下までを強制的に収納した。
「離せなのよ――ッ!!」
「おちびちゃん様は今日も活きがいいですわね~! さぁあっちでわたくしとくんず……お仕置タイムといたしましょうか~」
「イヤッ! あんたはイヤ! 離しやがれなのよこのクソスライム――!」
「――っだはははははっ! ざまぁみやがれちびすけぇ!」
そのまま笑顔を浮かべたまま――この世の終わりみたいな顔をしたイチェアを下半身に引っ付けながら――リズミカルな足取り(?)で出ていくメルセントを見送るカイネ。なお、扉の向こうから「あんたは死ね――!」という声が聞こえてきたが、そのまま汚い声での爆笑を続ける事を返答とした。
それから少しして。
「――ひー……笑った……。今頃好き勝手されてるんだろうなぁ……っふ、ざまぁみやがれ……っ。ばーか……ばーっか……ぐふっ……」
クッションにもたれかかったままひとしきり笑い終えたカイネは、呼吸を整えようとして途中で思い出し笑いをし失敗するという行為を繰り返していた。
笑い涙の止まらない瞳をこすりつつ、深呼吸を試みる。それでもやはり「ぶほっ」と時々吹き出していたが、時のおかげか深呼吸のおかげか、数分もせずに呼吸は比較的正常なものへと戻っていった。
「あ゛ー……笑い死ぬかと思った。流石だぜちびすけ……。……あ、そうだ。忘れないうちに調べないと。シグニーミアの事」
そう虚空に向かって呟きながら、彼は部屋の中にある本棚を見渡した。そして、その中から一つの本――幅十センチはある分厚いもの。そして、明らかに日本語ではない言語で書かれている――を取り出して、ぱらぱらとめくる。
なお、彼が読んでいるのは彼が今まで訪れた世界で印象に残った魔物の言語や習性などについて記したものである。いわゆる、観察日記兼備忘録というやつだ。
「なんか書いてねぇかな? ……あのキレてた時の鳴き声、なんか聞いたことあるんだよなー……」
鳴き声というのは、月瀬を人質にした時のシグニーミアが発したわめき声の事。
紙をめくる度にページ全体にさらっと目を通し、気になる点を探す彼であったが……数秒目を止めた項目はいくつかあれど、これだと断言できる記述には中々出会えない。
「……似たようなものはちらほらあんだけど……なんか違うんだよなぁ……。シグニーミアがどの世界でああなったかだけでもわかったらだいぶ絞れるんだが……。くそっ、もどかしいぜ……」
そのまま全てのページを読み進めて数分。最後のページまでたどり着くと、彼は小さくため息をついて本を閉じた。ぱたん、という小気味よい音が鳴り、風圧が前髪を軽く揺らす。
そのまま本を机の上に置いて、ベッドに背中から倒れ込んだ。彼の耳たぶについた吊り下げ型のピアスが大きく揺れる。
「ああ、ピアス外しときゃよかった。そうしたらもっと何言いたいのかわかったのに。あぁー……なんて言ってたんだろほんとに……。ぜってぇろくでもねぇ事言ってたぞあの顔ー……」
彼は寝っ転がったまま天井を見上げる。黒一色の高級感と重厚感のある天井が目に入った。
「しっかしまぁ、強い執着持ってたなぁ。俺としてはこのままでもいいんだけど……というかこのまま放置して、しばらく経った後にあの子供に危害加えて、シグニーミアに殺意向けられたいんだけどー」
カイネの言うあの子供は、今日一時的に人質にした自分とは比べ物にならない程弱い一般人の子供の事。何を想像したのか、彼の口元がにんまりと弧を描く。
彼は軽く転がって、机の上に置いてあったランタンを見つめた。ぼんやりと明るい光を漏らす代わりに、うんともすんとも言わないアンティーク風のランタンを。
「そうはいかないんだよな。さてどうしたものか」




