4日目ー4 敵の総大将は静かにやってくる
「……っ」
大穴からシグニーミアが出現した時の様子はどこへやら。明らかに警戒した様子を見せる緑の魔法少女。
緑の魔法少女はシグニーミアとの距離を保ちつつ、だがいつでも飛びかかれるように地面に足をこすりつける。
そして、両手で持ち直した斧に光の粒が集まり、あっという間に倍以上の大きさ――装飾も豪華になり、非常に重そうだ――へ変化させた。
一方の月瀬は、思わずシグニーミアの元へ真っ先に駆け寄り、腰にすがりつくように抱きついた。
「ミアッ! ミアぁ……っ!!」
「ツキセ! 大丈夫? へんな事されてない?」
「されて、ない。けど……こわか、った……! っぅう……!」
「もう大丈夫。イチェアも来るよ」
今までの積み重なった恐怖が崩れ、涙となって排出される。シグニーミアの衣装を握りしめながら震えていると、彼女が頭を優しく撫でた。
その感触は月瀬の心に安心を舞い込ませ、恐怖が少しずつ融けるように消えていく。
月瀬の涙が大分収まったのを見届けたシグニーミアは、月瀬の腕を優しく剥がす。そして、杖を緑の魔法少女へ向けた。目を釣り上げた、敵意のある表情で。
「ッ……。そう。そんなにその人が大事なの?」
緑の魔法少女も月瀬への誤解が溶けかけた時の様子はどこへやら。シグニーミアと同様、斧を向けたまま対峙する。
大気中の酸素が減ったかのような、張り詰めた空気。
二人を中心にして床や岩に細かいヒビが入り、岩や壁の一部がぱらぱらと崩れ落ちる。また、地面は水を張ってなどいないのに非常に細かい波を伴った波紋が生まれては広がり続けている。
――あれ、これ、まずいんじゃ。
なぜ睨み合っているだけなのにこんな怪現象が起き続けているのかはわからない。だが、非常にまずい状況なのはわかる。
真っ先に最悪の予想――シグニーミアと緑の魔法少女が殺りあう事――が頭をよぎり、なんとか回避する為のよい展開へ導く手段を探し、自分の弱さを思い知った。
続いて自分の保身に発想を切り替えて。
――あ、だめだ。足、動かない。……今度こそ死ぬのかな。私……。
震える口元は弧を描いている。人が心の底からの絶望に追い込まれた時は防御反応を起こして笑うというのは本当らしい。
足が動かず、死を覚悟しかけた――その時。
魔法少女達の武器と腕にどこからともなく出現したリボンが巻き付いている事に気がついた。それも見覚えのある赤いリボンが。
「――おらぁ! いい加減にしやがれなのね!」
「イチェア……ッ!」
声のした方向へ全力で振り向くと、変身したイチェアが腕を組んで仁王立ちをしていた。勿論、眉を釣り上げたその表情は憤怒そのもの。
続いて風が止んだと同時にシグニーミアとコウヨクも振り返った。
「コヨ! 一緒にいたおちびが証言するのね。……この子は、月瀬さんは、何も関係ないの。様子のおかしいシーニーに懐かれただけの巻き添え一般人なのね!」
「そう……なの?」
「なのよ! だから睨み合うの止めるのね! 武器も仕舞う! シーニーも!」
「むー……」
緑の魔法少女は目をぱちくりとさせ、シグニーミアは不満げな表情であったが、二人共武器を光の粒に変換させた。どうやらこれが魔法少女なりの武器の仕舞い方らしい。
一方。コヨ、という単語に月瀬の耳が反応していた。
月瀬は思い出す。イチェアが何度か話題に出していたもう一人の魔法少女の存在を。コヨはあだ名とも言っていた。確か本名は――。
「この人が、コウヨク……さん?」
「……あら、あたしの事知ってたの?」
***
それから少しして。
「ったく、月瀬さんは居なくなるし、シーニーは突然変身して壁に向かって大技ぶっぱなすし、かと思えばコヨと睨み合ってるしでどうしようかと思ったのね! 特にシーニー! あの時おちびがとっさにガッシャンガッシャンさせてみんなの気を引かなかったらどうなってたやら……!」
「ガッシャンガッシャン……?」
「おちびの魔法だけであっちこっちのシャッター何度も出し入れしてみーんなびびらせたのよ! けが人は出してないから安心してほしいのね!」
というイチェアの小言から始まった魔法少女達による話し合いが行われた。
主な内容はイチェアが知っている事をベースにしつつ、シグニーミアの現在の状況や月瀬との関係性。また、時折月瀬からの捕捉を入れたり、緑の魔法少女ことコウヨクからの疑問に答える形であった。
そんなこんなで五分程経過した頃、コウヨクの顔は青鬼もびっくりするくらい真っ青なものへ変貌していた。
「あ、あたしっ、なんて事……。――本当に申し訳ありませんでした!」
流れるような美しい土下座。
まさか魔法少女の土下座が見れるなど誰が想像できただろうか。唐突の事に月瀬は大きく肩を震わせ、説得を試みる。確かに非常に怖い目に遭ったが、自分の状況を理解した上で心から謝ってくれたのならそれでいいのだ。
「ふぁ!? あ、ちょっ、顔ッ、顔上げて! あげてください!」
「うぅ……ごめんなさい……」
月瀬の言葉に従い、コウヨクは顔をあげる。やはり青みは取れておらず、俯いた表情からは申し訳無さがうかがえる。
そんなコウヨクをイチェアが軽く肘でどついた。
「月瀬さん。おちびからもごめんなさいなのよ。この子はちょっと思い至ったら、弓矢のようにびゅーん! って突っ走っちゃう事が時々あるのね」
「それは……なんとなく察してた」
「ええ。だから後で好き勝手弄っていいのね。言う事の一つや二つ聞いてくれると思うのね」
「えっ」
「ちょっと!? ……まぁ、とてつもなく怖い思いさせちゃったしね。いいわよ。何でもするわ」
何でも。その単語を聞いた時、月瀬の目はまんまるになり、頭の中で連想ゲームが始まった。『何でも言う事を聞いてくれる』という状況、色んな動画で見かけてもはやフリー素材と化した成人向け映像の一部、黒塗りの高級車……。
「なんでもするって……?」
「まぁ、あたしにできること限定だけど……」
すぐに月瀬の理性的な部分がその連想ゲームを強制的に終わらせたのだが、一度始まってしまったものを頭から完全に追い出す事はできない。おまけにコウヨクが否定しなかったせいで加速してしまう。
やがて、インターネットと言う名のバーチャル下水道に毒されてしまった脳みそは明らかに今考えてはいけない結論に達してしまった。
「――か、かかっ、体は大事にしなきゃ駄目ですよ!?」
「ねぇ一体何想像してんの!?」
コウヨクが明らかにドン引きした表情で距離を取る。
一方の月瀬は知らない単語が出てきたので正気に戻ることができた。……と、同時に、同じく引いている様子のイチェアを見て、自分の発言を理解し、羞恥を覚える。幸いなのはシグニーミアがいつも通りきょとんとしている事くらいか。
気まずくなった空気を吹き飛ばすように、コウヨクがわざとらしい咳払いを一つした。
「は、話戻すけど……何か手伝える事とかあったら言って! できる限り協力するわ! で、状況は大体わかったしあたしの疑問ぶつけるわよ! あなたなんでこの結界に入れたの!?」
この話題を引っ張ってはいけないと判断したのか、強引にコウヨクが話題を変える。その急降下したジェットコースターの如き話題の変え方に月瀬の頭が一瞬混乱した。
「えっ、あ、いや。わからないんです! コウヨクさん追いかけてたらなんか、変なところに迷い込んだって事くらいしか……」
「この結界は特別製で……さっき言った通り、魔法を使う素質のある奴しか入れないの! あなたが実は魔法少女だったとか、人に化けた魔物だったとか、そういった理屈が無いとおかしいわ」
「魔法少女なのっ?」
刹那、オッドアイの瞳を全力で輝かせて月瀬を見上げるシグニーミア。
「そうなら良かったんだけど違うんだよ……」
「そっかぁ……」
シグニーミアの瞳から光の大半が消え、表情もしょぼんとしたものへ変化する。月瀬はなぜか申し訳無さに襲われたが、魔法少女でないという事実は変えられないのだから仕方ない。
一方、コウヨクは二人の様子をじーっと見つめていたが。
「……本当に心当たりが無いのね?」
「はい……」
そんな問答を交わした後、腕を組んで首を捻った。つられて月瀬とシグニーミアも首を捻る。
ただ一人、イチェアはそんな三人から視線を反らし、この空間に乱立している柱岩のうちの一つをじっと見つめた。そして、再び三人へ視線を戻し、提案を投げかける。
「とりあえず……本拠点に戻ってから考えるのはどうなのね? それよりもまず、対処しなきゃいけないのがいるのよ」
「え?」
「まさか」
「……ん」
言っていることが理解できていない月瀬。真っ先にイチェアが見た方向を確認すると共に武器を取り出すコウヨク。そして、きょとんとした表情を浮かべたものの、すぐにコウヨクと同じように臨戦態勢になるシグニーミア。
――え、え、何!? ほんとに何!?
何が起きているのかわからず、魔法少女達と同じ方向を見つめる月瀬。しかし気になるものは何も無い。
そんな混乱もつかの間。
「おら、出てきやがれなのよ。カイネ」
「カイネ、って……」
イチェアの口から出てきたものは、コヨに続いて再び聞き覚えのある単語。そして、昨日聞いたエピソードの羅列が瞬時に脳裏に並ぶ。
カイネなる存在は、確か……。
――敵側の、総、大将……。
イチェアの言葉の意味を理解した次の瞬間。
視界が白くなり、世界から色が消えた。
まるで唐突に霧が出てきたような風景。
ただ、霧にしては魔法少女達の持っている武器が闇夜を照らす街灯の如くよく見え、なんとも言えない不気味さを醸し出している。
何が起きたのかわからない不安と、すぐ側に魔法少女が居る安心に挟まれていると、自分の耳がおかしい事に気がついた。
何も聞こえないのだ。
元から静寂な空間だった事と、皆が口を閉ざしているからだけではない。
まるで急に耳が遠くなったような感覚。服がこすれる音も、呼吸する音も、わからなくなってしまったのだから。
だが、耳が聞こえなくなったわけではなかった。
コツン、と靴音一つして、柱岩の影から男性らしきシルエットが姿を見せる。
こつんこつん、と足音に合わせてシルエットが揺れている。コートを羽織っているようだ。
足音が近づくたび、雰囲気が緊張し、魔法少女達が武器を持つ手に力を込めるのがわかる。
やがて足音は止まり、同時に視界と聴力が元通りになる。
そこに居たのは、一人の男性であった。
身長は月瀬よりも少し高く、服装は腕をまくった白シャツと暗色のズボン。また、上半身に巻き付いているボディハーネスが、彼が細身ながらも筋肉の引き締まった体であるという事を主張している。
すっきりとしたショートの髪は、シグニーミアと同じピンクグレー。
大海原を連想させる深いブルーの瞳。ただし左の瞳に何か模様が刻まれている。
また、耳たぶの下で揺れるピアスと、左目の側にあるほくろがどこか妖しげな雰囲気を醸し出すのに一役買っていた。
魔法少女達から数メートル離れたところで、少女達の瞳を見つめるカイネ。
「どのタイミングで乱入すればいいかわかんなくて困ってたんだよ。助かったぜちびすけ」
彼は柔らかく微笑み、口を開く。
「んじゃ、殺り合おうか」




