3日目-4 「ここにいる」
月瀬がこれから話をどのように持っていくべきか軽く悩んでいると、シグニーミアが席を立った。
「……トイレ行ってくる」
「あ、うん。行っておいで」
そのまま彼女はリビングから去り、リビングと廊下を繋ぐ扉が閉まって数秒後、同じく席を立ったイチェアが月瀬の側までやってきた。
イチェアの口が開く。その声は、非常に重々しい雰囲気をまとっていた。
「……ねぇ、シーニーの瞳、初めて会った時からああだった……?」
「瞳? うん。ああだった。綺麗なオッドアイだなって思った」
「あの子ね、本当は両目とも薄荷色なの……。暖かい海の浅瀬のような……とても綺麗な青緑の、不思議な色」
月瀬の目が大きく開く。月瀬の知っているシグニーミアの瞳は右目が燃える炎のような赤、左目が可愛らしいピンク色だ。
ぱっと思いついた可能性はどこかでカラコンを用意したというものだが、雰囲気からしてそんな簡単な話ではないのだろう。嫌な予感を覚えつつも、次の言葉を待つ。
「瞳の色はね、魂の色を表しているの」
「たましい……!?」
「今のシーニーは、中身が別人になっているかもしれないって事なのよ。あなたと出会った時にはああだったみたいだけど、前のシーニーは違った。もう少し大人で、理性的だった」
「そんな事、言われても。私、どうすればいいの……?」
「何もしなくていいのよ。あなたはシーニーモドキと出会っただけの一般人なのだから」
――あ、線引かれたな。部外者として。
確かにイチェアから見た月瀬はただの魔法が使えない一般人である。
わかっていた事ではあるが、月瀬は胸の奥が締め付けられる感覚を得た。昔から何度も経験してきた感覚だが、未だに慣れる気配が無い。
「あ、ああでも、これからもちょくちょく会ってくれると嬉しいのよっ」
月瀬の様子が急に暗くなった事に気がついたらしいイチェアが慌てて言葉を付け足す。その語り口は先程よりも明るめのものであった。
鈴の転がるような声が、月瀬の重く沈んだ気持ちを少しだけ引き上げる。
「情報提供はしてもらいたいし……それに、あの子が壊したものの弁償しなきゃ。全部こちらの世界のお金で弁償ってのは難しいけど、その分魔道具とか渡すのよ。必要なところで何か役に立ってくれるはずなのね」
そんな、弁償なんて――と言いかけたところで、魔道具とかいう二次元でしか聞かないような単語に意識がつられてしまい、「へぁ!?」という素っ頓狂な返事が出てしまった。
慌てて引っ込めてしまった本心を吐き出すよりも前に、イチェアは言葉を重ねてくる。
「それとね。シーニーがおトイレから出てきたら、おちびはあの子を連れて帰ろうと思うの。下手に長居しちゃ悪いのよ」
「帰っちゃうの!? ……待って、帰ったら、敵と戦う事にならない!?」
「んー。シーニーあの状態だし、少なくても元に戻すまでは休戦が続くと思うのよ。だから心配しなくていいのね」
休戦状態になるのであれば、シグニーミアも月瀬も危険な目に巻き込まれないだろう。月瀬はほっとするも、言葉にできない不安感やら寂しさやらが込み上げてきた。
三日前には殺されそうになり、二日前には警察に預けようとして失敗し、昨日に至っては自分はとんでもない存在を拾ってしまったのかと思っていた。
そして今日。ちっちゃな保護者が現れ、回収すると言ってくれた。
もう怖い思いをしなくて済むと、安堵すべきはずなのに。
なぜ、心の一部が欠けてしまったような感覚を得ているのだろう?
「寂しそうな顔ね? 言いたいことあるなら聞くのよ?」
イチェアに指摘され、月瀬は自分の状態に気がつく。
シグニーミアと出会って今日で三日目だが、彼女の存在は思っていたよりもずっと、ずぅっと、月瀬に影響を与えていたらしい。それこそ寂しいという感覚を得る程に。
「う。……あ、あなた達にも都合があるって頭ではわかってるんだけど……そ、その」
「いいのよ。言ってみて?」
「……ミアが居なくなるの、ちょっと寂しいな、って……」
中学生の時から始めざるをえなかった一人暮らし。もう寂しいのには慣れたと、下手なトラブルを生むくらいなら一人を貫こうと決意していたのだが、どうも感覚が麻痺していただけのようだ。
乾いた体に水分が染み渡るかの如く、久しぶりに誰かと暮らしたという経験が寂しいの感情を思い出させてしまった。
――ああ、やだな。
自分で理由もわからないままそう思う。
目の前の幼女魔法少女は月瀬の内心など知らない。なのに、月瀬を見つめる瞳は非常に穏やかなもので。
「また会いにくるのよ。今度はもう一人の子も連れてくるのね。ほかに、何かできる事があるならするの。魔法少女だもの」
寒い日に差し込んできた日光のように柔らかくて温かい声色。涙が出そうになるのをぐっと堪えた。
「じゃあ……もっと、旅していた時のお話……聞かせてくれる……?」
「勿論よ。おちびのお話気に入ってくれたの? 嬉しいのね。……また、ここに遊びに来るのよ。続きはその時にでもいぃ~っぱい話したげるのよ。約束なのよ」
「それ、なら……」
月瀬は数回深呼吸を繰り返す。涙をせき止める事には成功した。
「……帰る前に一つ、教えて。……なんでミアは私の前に現れたの? 敵の……えっと、カイネさん、だっけ? その人達にやられて、倒れてたの?」
「……ごめんなさい。その答えは知らないの。でも、一つだけ言える。シーニーの現状に関しては、カイネ達は関わっていないのよ」
「えっ? じゃあ、なんで」
刹那、月瀬の寂しさはどこかへ吹っ飛んでいった。その代わりに、空いた部分を埋めるかのごとく疑問の雪崩が押し寄せてきた。
脳裏をよぎったのは、出会った時の全身傷だらけで、瞳に敵意を宿したシグニーミア。
「あの子、私が見つけた時、怪我だらけだったんだよっ。でも、なんで……。魔物? にやられたの?」
「おそらくね。……というのも、シーニーは一年以上行方不明だったのよ! この間、カイネ達にも探すの手伝ってもらってたのね……!」
「ミアはカイネさん達を追いかけて地球に来たわけじゃないの!?」
「居なくなったシーニーを追いかけておちび達とカイネ達がこの世界にやってきたのよ! 勿論、カイネ達は悪さなんてしてないのよ。見張っていたから断言できるのね」
――じゃあ、昨日見た魔物達は? カイネって人がばらまいたものじゃないの……?
イチェアの告白に、月瀬は目を大きく開いたまま固まる事しかできなかった。
なんという事だろうか。シグニーミアの素性を知ることはできたが、疑問は増えていく一方でしかない。
「おちび達はシーニーの魔力の残滓……魔力でできた残り香みたいなものをたどってこの世界にやってきたの。そして、そこら辺の道や建物とかにシーニーの事を尋ねて、このお家を突き止めたのね」
「だからいきなり魔法少女拾わなかったか聞いてきたんだ」
一つの疑問に終止符が打たれ、心の中がスッキリした感覚になる月瀬。確かに、無機物と意思疎通ができるらしいイチェアならこの家を特定できたのも納得できる。
「驚かせてごめんなさいなのよ。シーニーがこれ以上どっか行く前になんとしてでも接触しなきゃと思って……」
「じゃあ、ミアが何で地球に来たのかはわからない……?」
「ええ……。道から聞いた情報によると、急に空間が裂けてあの子が出てきて倒れて、通りかかったあなたにお水ぶっかけられて連れてかれたって……」
あ、と月瀬は初めてシグニーミアと出会った時のやらかしを思い出す。続いて当時の行動について触れられ、もっと上手くやれなかったのかという思いが羞恥心へと変換された。あの行動は相手が魔法少女ではなく普通の人間であったのなら間違いなくNG行為であっただろう。
「い、いやああのそのっ、誘拐するつもりはなくって! だいぶ錯乱していたから変な形で連れて行っちゃって! あと水分取らせなきゃって思って――」
「わかっているのよ。シーニー、怪我していたのでしょう? あなたが手当していたってこのお家が言っていたのよ」
イチェアが壁を軽く叩く。つられて月瀬も壁を見やる。魔法の効力が切れたのか壁唇は無くなっており、ただの白い壁に戻っていた。
「ここから先は憶測になっちゃうのだけど……。おそらく、シーニーはおちび達とはぐれた後、何かと戦ったと思うのね。それ以外だと説明つかないのよ」
「その、何かに心当たりとか……無いよね」
「いいえ。心当たりが多すぎてわからないのよ。あの子、おちび達とはぐれた後にいくつもの世界を渡り歩いていたみたいで……。ねぇシーニー、覚えていることある?」
イチェアの視線が月瀬から外れ、つられて月瀬も同じ方向を見る。
そこには、廊下とリビングの境界線で気まずそうな顔をしたシグニーミアが立っていた。シグニーミアは唇をきゅっと結び、数秒間場を沈黙で満たすことを選んだ後、そっと口を開いた。
「……覚えて、ない」
「そう……」
わかりきっていた告白にイチェアは静かに目を伏せた。月瀬に説明していた時のとは違うその儚げな声からは、寂しさや悲しみが含まれているのがよくわかる。
イチェアはそのまま目を閉じる。数回呼吸できる時間が流れ、再び目をぱっちりと開いた。その表情は、寂しさなどかけらもないような――むしろ、決意したようなキリッとした顔。
「でも、ちゃんと生きていて安心したの。その上、優しいおねーさんに保護してもらっていたみたいだし。……ねぇシーニー、一旦戻らない? 慣れない環境で疲れたと思うのね。本拠点のふかふかベッドで体を休めるといいのよ」
「や」
「えっ」
提案を一文字で否定された事にイチェアが動揺するさなか、シグニーミアは月瀬の側まで小走りで駆け寄る。そのまま月瀬の腕に絡みつくように抱きついて。
「ここにいる」
「「えっ?」」
居候期間延長を宣言した。
イチェアと月瀬の目がまんまるになり、反射的に疑問符を口にしていたのは言うまでもない。
だが、月瀬の心中は混乱と驚愕だけではなく、ほんのりと温かいものが宿っていた。確かに出会った当初と比べてずいぶん意思疎通できるようになったと感じてはいたが、まさかここまで懐かれていたとは。
「だっ、駄目よシーニー! 月瀬さんにも迷惑なのよ!」
「や」
「シーニー!」
「やだ!」
「かーえーるーのー! これ以上迷惑かけちゃめーなのよー!」
「やーあー! こーこーにー居ーりゅーぅー!!」
月瀬の心が静かなさざなみのように広がる感動に浸っている一方で、魔法少女二人はえらく言葉の少ない論争を広げていた。今もシグニーミアは月瀬の腕に絡みついている一方で、剥がそうとイチェアが両手で引っ張っている。
二人の見た目の幼さも相まって、もはや小学校低学年の妹が先生から離れたがらない高学年のお姉ちゃんを剥がそうとしているかのような光景。笑い事ではないのだが、少しだけ微笑ましさを覚えてしまう。
そのまま魔法少女二人は押し問答で騒ぎ、月瀬は時々腕に引っ張られるようにして軽く揺れていたのだが。
「――ああもう! こうなったら!」
そんなイチェアの力強い一言で、状況が大きく変わった。
いきなり体重が無くなったかのような感覚。続いて、体に巻き付いた何かに引っ張られるようにしてシグニーミアと離される。勿論月瀬は動いていない。
え、と困惑半分驚愕半分の声が漏れた時、月瀬は気がつく。自分の体は中に浮いており、体にどこかから伸びてきた赤いリボン数本が巻き付いていたのだ!




