2日目ー4 寂れた商店街に魔物があらわれた!
――あ、やば。
そう思った瞬間、月瀬は自転車のペダルに乗せたに力を込めていた。そしてそのまま無言でUターンし、全速力で自転車を飛ばしていく。
後から聞こえる「え? 何々?」「今そこに誰か居たような」「追いかけようぜ!」「これまだ描き終えてねぇだろ。どうすんだ?」というやや喧騒混じりの声が離れていった。
***
そのまま少し経過。
無我夢中で自転車を漕ぎ続けていたが、やがて月瀬は地面に足をつけた。乱れた呼吸で二酸化炭素と熱を放出し続けること数秒。自分が今とんでもないスピードで逃げ続けていた事に気がついた。この間、誰ともすれ違わなかった事は間違いなく幸運と言えるだろう。
「……人居なくてよかった……。あ、ミア、ミア置いてきちゃった……!?」
「いるよ?」
「うおぉあ!?」
すぐ側から鈴の転がるような声が聞こえ、自転車から転がり落ちるような勢いで驚いてしまう。バランスを崩した月瀬は立て直そうと傾いている方の足に力を込め――るよりも前に、荷台と腕をシグニーミアに掴まれ、痛みに悲鳴を上げた頃には元の姿勢に戻されていた。
薄々感づいていたが、この少女は腕力だけではなく脚力もオリンピック選手真っ青レベルである。
不安から解放された安堵と驚きやらでドギマギした心臓を抱え込みつつ、月瀬は反射的に口を開く。
「あ、ありが――」
「ねぇ! さっきの見てた!? あいつら、わるい事してた!?」
礼の言葉に割り込むように魔法少女が口を開く。目をとんがらせ、鼻息荒く叫ぶ姿は間違いなく怒りか不満を抱いているもの。
やはり魔法少女だから悪を許せないと思っているのだろうか。月瀬は見開いた目で瞬きを数回し、彼女の望むであろう真実を伝えた。
「え、あ、えと……。そ、そうだね。悪いこと。普通に犯罪」
「わかった! 止めさせる!」
「待って!」
「なんで!」
ちょっと待って、と告げ周囲を見渡す。自分とシグニーミアしかいないことを確認すると、疲れと汗がどっと出てきた。願わくばこのまま連れ帰って風呂にでも入りたいが、目の前のむくれた魔法少女が許してくれそうにない。
まずはこのお子様魔法少女をなんとかしなくては。月瀬の口から出てきた声は、非常に硬いものであった。
「説明の前にちょっと確認させて。……どうやって止めるの?」
「オラクルシェードでぶっとばすの! お星さまよお星さま!」
「待って、そのおらくるしぇーどって魔法!? どんな魔法!?」
「どっかーん! きらきらきら~ぱーん! って魔法!」
両手を空中でブンブンと振り回しながら、かつ擬音語ばかりの説明はこちらに伝える気が無いのか、それとも知能が足りていないのか。それを判断する術は月瀬には無い。
現時点でわかるのは、それを使わせてはいけない――気がする――という事だけ。
「絶対駄目!」
「なんで!! ツキセ、あいつらの味方なの!?」
杖の先を月瀬に向けるシグニーミア。彼女の強い言葉に反応するように、杖の先端にある楕円形の大きな宝石と彼女の瞳がゆらりと光る。
刹那。恐怖に縛られた心臓が大きく跳ね、体が強張る。一歩間違えれば初日のような、下手したらそれよりも酷い目に遭ってしまうかもしれない。だが、誤解させたままなのは避けなくてはいけない。
「味方じゃない! ミア、あなたが悪いやつを倒してやるって考えになるのはわかる。けど、ここでは駄目なの! ここら辺は寂れているけど……あなたが好き勝手壊して良い場所じゃない!」
「ワタシは魔法少女なんだよ!?」
「それでも!」
「いけず!」
不満たらたらの顔で自分の体程長い杖をぶんぶんと――彼女が振り回すたびに空中にラメ混じりの薄い煙が飛行機雲のように周囲に漂い、溶けていく――振り回すシグニーミア。
一歩間違えれば当たってしまいそうなその距離に、月瀬は思わず一歩後ろに下がろうとして、自転車に乗っているため下がれない事を思い出した。
月瀬はまだ高校生だが、大人の価値観も子どもの価値観もある程度はわかる。だから、彼女にどう言えば伝わるのかについて頭を悩ませた。考えることばかりで頭は悲鳴の代わりに痛みを放出しつづけている。
「基本的にね、こういった事は警察とかの専門家……専門家? えっと、とにかく、そういう対応するのが仕事の人達に任せなきゃいけないの。たとえ自己防衛でもやりすぎたら怒られるんだよ!」
「……。じゃあ、どする?」
「私達は一旦引き上げよう。その後警察に報告して、対処してもらう。ほら、行こ?」
先ほどから聞こえる声がどんどん近づいてくる。間違いなく、この場に残り続けたら先程の迷惑配信者の餌食になってしまうだろう。
彼女の正義感には悪いが、自分の身の安全の為に切り上げなくてはならない。月瀬はシグニーミアの顔を覗き込むように問うた。
だが、彼女は無言を貫くのみ。
俯いた顔からは表情が伺えないものの、口が小さく動いている。文句を言っていてもおかしくない。
元はといえば月瀬の失言が原因である。後で何かご機嫌取りをしなくては。そんな事を考えていると、シグニーミアが顔を上げた。ムスっとした表情を隠す素振りすら見せない。
「……。じゃあ、アレも放置?」
『アレ』について聞き返す直前、シグニーミアが背後を指差す。つられて月瀬もそちらへ視線を向けると――。
……ォブ、ガポ……プギュ。
明らかに日常生活では聞かない音。まるで、粘性の強い物体に閉じ込めた空気がここから出してくれと抵抗しているかのような面白くて不快な音。
ぶぢゅ、と逃げ場を失った空気が息絶えるような音と共に小さく地面が振動するのが連続的に聞こえる。
そして、物陰からカラフルな粘性の液体が流れてくる。それは、月瀬達の方まで流れてくる程の量は無いが、そのかわりとして『本体』にへばりついている事を知るのに時間はかからなかった。
ずしん、と大きい振動が伝わり、建物の間から何かが出てくる。
大きさは一階の建物程度。
二足歩行。手は正面にかざしている。
大きく口を開けた顔はやや間抜けにも見える。
全身に様々な色の液体――スライムという方が近いかもしれない――をぶちまけられたような柄。
鼻をツンとつくような不快な臭い。
そんな特徴を持った、スライムの如く溶けたゲーミングミニゴジラが、体を引きずるように闊歩していた。
「!? なっ、なななななななななにあれぇえええ!?」
「魔物! ワタシと一緒に来ちゃった? ……あれ、ほっといたらまずいかも?」
「なんとかならないの!?」
「殺せるよ。ワタシなら」
殺せる。
日常生活なら物語やゲームの中か、ニュースの中でしか聞かないような単語に月瀬の肩が震える。震える足から力が抜けそうになるのを気合だけで持ちこたえる。
ゲーミングミニゴジラは月瀬達からは何メートルも離れた場所でどすんどすんと足音と思われるものを響かせながら闊歩している。
幸いなのは、ゲーミングミニゴジラに気づかれていない事と、迷惑配信者達の声が明らかに月瀬達の方向から離れてゲーミングミニゴジラの方へ向かったという事だろうか。
「た、倒さなかったら……どうなる?」
「ミンナやられちゃうかも。……倒そっか?」
倒すという事は、殺すという事なのだろう。
迷惑配信者、暴れたがる魔法少女、これまでの日常生活では絶対ありえないであろう巨大なモンスターの出現……月瀬の頭はキャパオーバーを起こしかけていた。
――私はミアを連れて帰らなきゃいけなくって、迷惑配信者に見つからないように帰らなきゃいけないわけでっ、でもアレ放置したら絶対まずくって……。わた、わたし、どうすれ、ば……。
奥歯を噛みしめる事で現実逃避したがる頭を制御し、ゲーミングミニゴジラを改めてしっかりと見る。この怪物は周囲を見渡しながら闊歩するばかりだが、時折道端にタンを吐くようにして緑色のスライムを吐き出し、地面やシャッター、建物の壁を凹ましていく。
間違いなく、当たれば怪我は免れない。
それだけではない。吐き出した緑スライムは数分立たずに小さく震え、自分から動き出したのだ!
速度こそ亀レベルなものの、放っておけばろくなことにはならないだろう。
見なかったことにして帰ったとして、誰がアレを鎮圧してくれるだろうか? 鎮圧部隊に犠牲者は出ないだろうか? ……そもそも、鎮圧部隊が来るまでシャッター街から絶対に出ないという保証などどこにあるのか?
月瀬は視線をシグニーミアに移す。太陽の光を浴びながら微笑む彼女がやけに神秘的に感じた。
「たお、せるん……だよね?」
「うん!」
「あなたなら……怪我、しないって、しても治せる……って、約束してくれる?」
「うん。いいよ?」
遠いところで、何か重い音が聞こえる。
月瀬はきゅっと唇を結び、弱々しく開けた。
「お、おね、がい……っ」
「うん♡」
にっこりと微笑んだシンプルながらも可愛さ極まる極上の笑み。この表情を、忘れる事などできないだろう。
「じゃあいくよ。【オラクルウェイヴ】!」
シグニーミアが月瀬に背を向け、己の身長程の長さを持つステッキを大きく振りかぶる。すると、まるで先端からキラキラとした粉が溢れるかのような、現実ではありえないタイプのエフェクトと共に風が巻き起こった。
光り輝く波動はまるで波のように広がり、魔物だけを的確に攻撃……破壊していく。光の波が当たった瞬間にその辺に居たスライムが声にならい声を上げて弾け飛び、光の粒へとなっていった。
「き……消えた? なんで……」
「マナになったった?」
「ま、まな? ……魔力、とか?」
「かも?」
この一撃だけで月瀬の視界内に居た魔物は全て消し去られた。シグニーミアの強さを再確認すると共に、少しだけ安心と余裕の心が出てくる。
とりあえず礼を言おうと月瀬は改めてシグニーミアを見る。だが、それほど遠くない場所から聞こえた重い足跡が、まだ終わっていないことを知らしめた。そうだ、まだゲーミングミニゴジラが居る。しかも足音からして複数居るのだろう。
「み、ミア……!」
「わかってる。……ねぇツキセ、さっきの人達はおしおきダメだけど、魔物はいーい?」
「う、うん」
「わかった。……あ、ツキセ、これ持ってて」
シグニーミアが振り返り、月瀬の前に拳を突き出す。受け取るように月瀬が手を出すと、彼女は握っていたものをその手に置いた。それは小型のアクセサリーのように見える。……ペンダントだろうか? 特別な仕掛けは無いように見えるが、なぜか持つとほんのり温かい。
これは一体。そんな疑問を口に出すより前に、どこからか響いてきた重い足音が恐怖を誘い、体を震わせた。それと同時にシグニーミアが音の方へと顔を向ける。
言いたいこと、聞きたいことは山ほどある。だが、今は自分の身を守らなくてはいけない。
「み、ミア……。あ、あの。頑張って……!」
シグニーミアはちらりとこちらを向いて。
「うん!」
そう、花のこぼれるような満面の笑みで返した。




