2日目ー3 迷惑系配信者
そのまま自転車を漕ぎ続け、月瀬は古びたシャッター街の入口でブレーキをかけた。
片足を地面におろし、周囲を見渡す。シグニーミアどころか、人の気配すらない。
――ああ来ちゃった。こころくな噂ないから来たくなかったんだよ……!
月瀬がやってきたこの場所は明朗商店街といい、地元では『迷路商店街』というあだ名がつけられている。
一般的な商店街とは違い、碁盤の目を連想させるその店の並びは一度迷い込んだら最後……気がつくと軽くなった財布と大量のお惣菜を抱えてしまっている。まるで迷路状の商店街に迷い込んだかのよう――という話からついたあだ名らしい。
だが、かつてはそんな賑わいを見せたという商店街も、そう遠くない場所に巨大なモールが出来上がってからちらほら人が居なくなっていき、今となっては寂しさしかないシャッター街とかしてしまった。
おまけに、減っていく活気に反比例するように軽犯罪が増えたという話もある。現に、放置されたシャッターには悪趣味な落書きがちらほら見えた。
だから、近寄りたくなかったのだが。
「……行くしか無い、よね……」
自分に言い聞かせるように、ぽつりとつぶやく。
あちこちにゴミが散らかっていたり、チンピラがうようよしていたり、シャッターや窓ガラスが壊されているのを想像していたのだが、流石にそこまで酷くはないのが数少ない幸いだろうか。だが、警戒するに越したことはない。
月瀬は荷物入れから取り出した鞄を肩にかけ、片手できゅっとショルダーベルトをつかむ、そのままいつでも逃げれるよう、片手運転で商店街に踏み込んでいった。
***
古びて欠けたタイルが並んでいる足元。おまけにその間からは雑草が生えているせいで漕ぎやすいとはとても言えない。ちらほら落ちているポイ捨てされたタバコやお菓子の袋等を避けつつ、震える足に力を込める。
周囲を見渡しながらのノロノロ運転。おまけに顔は引きつっているという明らかな不審者ムーヴを振りまきながらシグニーミアを探す月瀬。
――あああ不審者扱いされませんように。それ以上に変な人に見つかりませんように……! ああもうあの時変なこと言わなかったらこんな思いせずに済んだのに! 死ね過去の私! ばかばかばか! ばーっか!
ガアガアと空から降ってきたカラスの声がやけに不吉に感じる。月瀬は身を震わせ、心の中で数十分前の自分に何度も罵倒の言葉をぶつけていた。
そのまま遠くから聞こえる物音に体を大きく震わせ、人が物陰から出てこない事に小さく安堵する事を繰り返すこと数分。
その時だった。
遠くから言い争いらしき男女の声が聞こえ、思わず足を止める。風の音や鳥と虫の声が混じっているせいで何を言っているのかはよくわからないが……。
――ミアの声!
言い争いをしている声の中に、聞き覚えのある可愛らしい声が混じっていた。内心で安堵のため息をつき、直後に頬を両手でぺちんと叩いた。
雰囲気から察するに彼女は揉め事の中心にいるのだろう。
間違いなく、連れて帰るまでに一悶着起きる。
「い、行きたくない……。絶対何かやらかしてるよあの子……。わたしが何をしたっていうんだよぉ……!」
蚊の鳴くような声で弱音を撒き散らす。ここ数日ろくでもない事に何度も巻き込まれ嫌気が差している。だが、今更全部放り捨てて帰っても月瀬の心は晴れないし、自体は悪化の一途をたどるだろう。
某ぬいぐるみ名探偵の如くしわくちゃの顔になりながら、月瀬は声の聞こえる方へ自転車を漕いでいった。
***
声の正体を見つけた瞬間、げ、という単語が口から出そうになるのを慌てて抑え込んだ。とっさに近くの影に自転車ごと隠れ様子を伺う。
先程聞こえた声の通り、月瀬の視線の先には言い争っている男女――三人の背の高い男性に囲まれた一人の少女が居た。
言うまでもなく、少女はシグニーミアだ。
男性達の方は見覚えが無い。そもそもフードを深く被っていたり、帽子やサングラス、マスクを装備していたりで、見た目で知り合いかどうかを判別する術がない。少なくても、聞いたことのない声ではある。
――うっわやっぱり厄介事に……あれ、あの子変身してない!?
月瀬の瞳に映るシグニーミアは、出会った時と同じザ・魔法少女なピンクと白の可愛い衣装であった。
家に居た時には月瀬の服――月瀬の普段着の中で、丈が長いもの――をワンピースのように着ていたのだが、いつの間にか変身していたらしい。
――ていうかあの服初日に脱がしたような。いやでも魔法少女だから魔力で衣装の再構築とかできるのかな? 穴塞がってるし。……いや、後で考えよう。
確か、シグニーミアの服は彼女と出会った初日に風呂に入れる際に脱がして洗濯した記憶がある。一応乾いてからは返したが、シグニーミアはずっと月瀬の服を着ていた。……だが、今こんな事を考えてもしょうがない。
月瀬は意識を衣装の事からシグニーミアと彼女に絡んでいる男性達へ移す。
彼らを見上げながら声を荒げているシグニーミアに対し、男性達が彼女をおちょくるよう軽口を叩いている様子だ。彼らの顔は見えないが、変に上ずった声からはニヤついている事が想像できる。
「オマエ達、わるい事してるの? してるなら、おしおきするから!」
「はは、お仕置きだってさ。カンワイ~」
自分よりずっと背の高い存在三人組に囲まれても堂々と受け答えしている姿に一切の怯えはない。
それどころか、とんがった目は苛立っているように見え、見たことのない大きな杖――大きさはシグニーミアの身長と同じくらい。ピンクを主体とした、女児向けおもちゃを連想させる可愛いものだ――をしっかりと握りしめている。
本来ならここで回収しに行くべきなのだろう。だが、ただの女子高校生である月瀬にそこまでの勇気は無かった。
シグニーミアと言い争っている男性達のうち二人は強気な上に変にテンションが高く、様々なスプレー缶を所持している。その上、彼らの背後には奇妙な模様にされた複数のシャッター。おそらく、落書きをしていたのだろう。
三人組のうちの最後の一人は両手でスマホを構えていた。立っている様子も、ほか二人とシグニーミアが映るような場所であり、目の前で口喧嘩が起きているのに口を出す素振りすら無い。……よく見たら青ざめた顔をしている。
「な、なぁ。二人共、止めよう? ……その子、なんかおかしいって……!」
「何がだよ。こんなキャンワウィ~子が映ってんだぞ? 視聴率バク上がりのチャンスだろ!」
「そーだそーだ。チャンネル登録者数増えるって!」
「か、可愛い……? けど、さ……」
「無視しないで!」
視聴率爆上がり、チャンネル登録者数……それらの単語を聞いた瞬間、月瀬の全身を悪寒がすごい勢いで駆け巡る。
同時に、彼女は確信した。
――こいつら迷惑系配信者だ!!
同時に、影からこっそり出してた顔を光の速さで引っ込める。顔を写されたらたまったもんじゃあない。
想定していたのとは違うベクトルで非常にまずい事態がおこってしまった。滝のように出た冷や汗が背中と服を貼り付けて非常に気持ち悪い中、どうやったらこの状況を抜け出せるかについて頭をフル稼働させる。
――落ち着け、落ち着け……っ。えっと、まず、私のやらなきゃいけない事が、ミアを連れて帰る事で……。いやでも警察来るまで放置しても……。いや駄目! てかあの子絶対撮られてる! どうすれば……!
力強く鼓動する心臓につられて浅い呼吸を繰り返しつつ、考えをまとめる。
まず、最終的な目標は『シグニーミアを連れて帰ること』。
その上で。
・『シグニーミアが(月瀬と初めて会った時のような)暴力を振るわないうちに』
・『なるべく穏便な方法で』
以上の点を守ったうえで連れて帰るのなら理想に等しい。
続いて、相手が迷惑系配信者である点を加味した目標。
・『相手に目をつけられない(動画に映らない。もし映っても一般通行人A程度。シグニーミアに声をかけられる事も含む)』
・『シグニーミアに魔法少女としての力を振るわせない』
月瀬には彼らの影響力がどれくらいあるかわからない――こんなちんけな犯罪でキャッキャウフフしているのだから、見ている人は多くないだろう――のだが、万が一この配信がバズってしまった場合、月瀬の平穏な生活が更に壊される事は目に見えている。
シグニーミアを預かっている以上、彼女目当てで来た人と完全に接触を断つ事などどうしてできようか。
彼女目当ての野次馬に家を囲まれでもしたら、この騒動が広がって親戚にも知れ渡ったら……ちょっと考えるだけでも頭が痛くなる。
だからどうにかしてこの状況を打開しなくてはいけないのだが……。
――なんとかしてミアにこっち気づいてもらって、そこから全力で逃走……。ああいや駄目だ私映る!
――視聴者の誰かが通報してくれる事に賭ける? まともな視聴者がどれくらい居るのかすら知らないのに? ……そもそも、これ生配信なのかな……?
――誰か探して代わりに通報してもらう? いや、目を離す方がまずくない? でもこのまま隠れていたって……。くそっ、くそっ! スマホ壊されてなければ……!
内なる自分が案を出しては、別の自分が却下する事を繰り返す。ぐるぐると同じところを回る思考回路はやがて熱を持ち始め、夏の気温と相まって頭の働きを鈍くしていく。
混乱の中冷や汗をたらすこと体感時間一時間、現実にして約一分。絶望が一つの言葉を編み出した。
――あれ、詰んだ?
その五文字が脳裏に響いたと同時に、月瀬の頭が真っ白になる。
声をかけても、ここから逃げ出しても、このまま隠れていても全ては運任せの結果にしかならない。
スマホという便利な道具さえあれば切り抜ける事はできただろうが、それがない今、焦りが冷静さを焦がしていく。
余談だが、月瀬は近くに公衆電話があるのかさえ知らないし、知っていたとしても使い方を理解していない。
やばい、ストレスに圧をかけられた脳みそがそんな言葉を絞り出し、心臓の音とそこら辺で鳴いてるセミの声との区別がつかなくなる。
――落ち着け落ち着け大丈夫まだ方法はあるはず落ち着け私……!
胸に手を当て、不規則になりかけてる呼吸をどうにかして安定させようと何度も息を吸う。だが、息の吐き方を忘れた体は更に苦しさを募らせていた。
自分が冷静にならないとまともな案をひねり出すことすら叶わないという事しか考えられない。なんとかして落ち着かせようと不完全な呼吸に意識を集中させた時。
「あー!!」
聞き覚えのある叫び声。
嫌な予感がして、ばっと顔をあげる。
非常に嬉しそうな表情のシグニーミアが、月瀬を指さしていた。




