第49章:国井そろばん塾(4)
・・・ぼくはですね、
小学3年生のとき・・・つまり、
1979年に、親から無理やり、そろばん塾に入れられました。
「いやもおうも」なかったですね。
反抗できなかった。
塾は、「火曜日の放課後・土曜日・日曜日」にやっていたので、貴重な休みがモロに犠牲に・・・。
だから、
遊びたいサカリの小学生のぼくにとっては、
まぎれもない「拷問」でした。
ちゃんと最後まで「ノルマ」をこなすと、
ご丁寧なことに、
先生が、「出席手帳」みたいなのに、毎回、ハンコくれるんですわ。
夏休みの「ラジオ体操」の、あの首からぶらさげる「チェック用ハガキ(= ラジオ体操の歌の歌詞つき)」みたいなものですわね。
皆さんにしても、
毎朝、夏休みの最初の週と最後の週の合計2週間は、
どこぞの広場で、近所の学童らと集合・合流して、ラジオ体操が終わったら、
保護者とか、自分よりもでっかいおねえちゃんやらオニイサマに、持ってるハガキに「出席の証のハンコ」を頂いていたでしょう・・・?
そろばん塾の場合でも、
・・・それを、ぼくらの両親が、帰宅後に「チェック」するんですヨ。
教育には、実にうるさい家庭でしたから、
塾をサボることは許されなかった。
これは、のちの「学習塾」でもそうでした。
ぼくは、中学1年の、1983年秋口まで通って、
なんとか「そろばん3級」までは取りましたけど、もうそこまでで、
「エンガチョ」でしたよ。
「暗算」や「見取り算」、「応用問題」なんかも人並みにはこなしましたけど・・・
ソレをやったからといって、算数や数学の能力が伸びたわけじゃなかったし。
本当に苦痛で、
毎回、早くうちに帰りたかった。
たまらず、何度か「脱走」して、
一度、「しばじ(= 柴田君)」がね、ぼくが床をはいつくばって、塾から逃げるのをちゃっかり目撃しちゃってて、
しっかりと、
「脱走だぁあああ! くりじが脱走したぁああ!!」と、おおげさに騒がれて、先生がたに連れ戻されちゃった事件(?)なんてのもありましたっけねぇ・・・そういえば(笑)。
しばじ・・・
もう、仲間をチクルのはやめてちょんまげ♪




