第45章:美絵子ちゃんの南側の隣人・・・遠藤君(3)
・・・遠藤君は、
おだやかな性格で、実は、ふだんはあまりしゃべらないタイプの少年だった。
そんな彼がぼくとあんなに話してくれたのは・・・
それだけ、1981年当時の小学生時代のぼくが、とってもピュアで、
気さくで話しやすかったからだったと思っている。
・・・いまの令和時代のぼくは、
自分からはあまり人様に話しかけることはなく・・・
初見では、いかにもとっつきにくそうな印象の男にちがいない。
誰に訊いても、「無口で気難しい人かと思いましたよ」という返事が返ってくる。
でも、いったん打ち解ければ、
こんなにびっくりするほどおしゃべりで優しくて、ひょうきんで話しやすい男も、そうはいないというのにねっ♪
・・・まぁ、
人生の「酸いも甘いも」味わってきてしまったからねぇ。
人並み・世間様並みに、
「海千山千」的な要素が、多少なりともインストールされてきてしまったので、
はー、しかたなか。
優しい男にはちがいないだろうけど、
当時のなおき君や遠藤君、美絵子ちゃんといま、あんなに仲良くなれるような、フレンドリーな印象ではないだろうな・・・。
54歳のいまでも、
子供と動物と、若い女の子には、なぜか好かれる傾向があるが、
同年代あたりの年齢層の女性陣には、まったくもって人気がありませんなぁ(苦笑)。
てんで、モテましぇん(泣)。
年齢に見合わない、若者寄りのしゃべり方と、
ときどき思い出したように放つ、
「しげちゃんギャグ(?)」が、かえってウザくてうっとしいから、
めんどくせーし、敬遠されちゃうんですかね・・・。
逆に、若いおねぇちゃまたちには、そりゃウケルのにねっ❤️
ま・・・いっか。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
・・・最後に、
遠藤君のお母様について、皆さんにお話しておきたいと思う。
彼について語るとき、あの優しいお母様についての話題は外せまい。
コレが書きたくて、わざわざ、彼についてのエピソードを追加してきた、といっても過言ではないからだ。
・・・ぼくは、
たった一度だけ、彼のお母様にお会いしたことがある。
ぼくと遠藤君が、1階の「鉄道模型」が置いてある大きなリビングにいたとき、
デザートを持ってきてくださったことがあった。
たしか、ゼリーとプリンと、いちごショートケーキと麦茶だったと記憶しているが、
とくに、ゼリーにのっかった、特製の「生クリーム」がまた、サイコーのおいしさだった。
・・・とてもおだやかで上品な方で、
話しぶりといい、しぐさといい、
「優しい印象のレディ」というイメージしか残っていない。
遠藤君は、お母様にそっくりな顔立ちだった。
彼のおだやかで寡黙な人柄は・・・
もちろん、
お母様ゆずりだったのだろう。
悲しいことに、
翌年の1982年には、ご病気で逝去されてしまったので・・・
ぼくが、お母様と会ったのは、
その日が最初で最後になってしまった。
でもぼくは、
あの日から44年経ったいまでも・・・
彼女の優しいまなざしと、
おだやかな物腰での、心のこもったもてなしに対する感謝の気持ちを、けっして忘れることはない。
「問題児」だったぼくを、
親御さんたちのうわさ話に振り回されることなく、「息子の友人」として快く受け入れ・・・そして、なによりも、
「一人前の人間」として、丁重に扱ってくださったからだ。
m(_ _)m
追伸:
美絵子ちゃん、おはよう。
元気してる・・・?
ぼくはこれから、ガソリン入れと、報告書の提出に、
宇都宮に行ってくるね。
またバイキングで、たっぷり食ってくるよ♪
明日から減量に入る。
美絵子ちゃんは、遠藤君のお母様のこと、
おぼえているかな??
じゃ、仮眠したら行ってきます。
今日も、愛してるよ❤️
m(_ _)m




