第42章:理容店の次男・・・菅谷なおき君(4)
・・・なおき君とは、
歌手の話で盛り上がったことがある。
つまり・・・
『松田聖子派』か? それとも、『河合奈保子派』か?
ということ。
彼と仲良かった、1980年は、
4月に、聖子さんが、
少し遅れて、河合奈保子さんがデビューしてきた。
おふたりとも、実にみずみずしくて、フレッシュな魅力たっぷりの新人歌手。
タイプはちがうものの・・・
それぞれに個性があり、歌も爽やかで、それぞれの持ち味を存分に発揮されて、ぼくたち男子児童のあこがれの的だった。
ちなみにぼくが『聖子派』で、
なおき君が、『奈保子派』でしたぜ♪
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
・・・無邪気で素直でかわいいなおき君ではあったが、
なんとなしに、疎遠になっていって、
小学校に彼が入学してからは、もう会話はおろか、遊ぶこともなくなっていった。
・・・こんなことがあったからだ。
いつだったか、正確な日付けはおぼえていないが、
ぼくは、木幡西公民館の東の踏み切り地点から、
なおき君とふたりで、
線路のレールの上を歩いて、1キロほども南に「ウォーキング」したことがあった。
・・・すばらしい風景だった。
踏み切りからしばらく歩くと、
線路のある地面は、
小高い「堤」・・・つまりは、「堤防」のようなエリアに変化する。
むかしの国鉄や、いまのJRの作業員でもない限り、まず見ることのできない、
あの『電車でGO!』でもけっして見られない視点からの、「レアな風景」だ。
・・・鉄道マニアやオタクなら、
一度は歩いてみたいルートだろう。
右手には、
線路から見下ろす形で、
美絵子ちゃんが当時、2年間暮らしていた、彼女のおばあちゃんの山口セツさん宅や、
なおき君の理容店、
田中さん宅、遠藤さん宅が並んでいるのが見える。
・・・令和のいま見てみると、
美絵子ちゃんが住んでいた家だけが、
更地になっていて、ぽっかりと空いた空間と、
生い茂った雑草が、
一種の「物悲しさ」と、月日の流れを痛感させてくれる。
あとでも触れるが・・・
ぼくは、この踏み切りより南のエリア一帯が好きだ。
ほかにはない、独特の「ノスタルジー」が感じられるからだ。
そのすばらしくなつかしい線路を、
なおき君と仲良く雑談しながら、彼が「一番線」と称する1件の家がある地点まで歩いた。
ずっとその間、
レールと枕木の下に敷かれている、あの大きめの砂利を、一歩一歩踏みしめながら。
・・・楽しい「歩き旅」ではあったが、
悪いことに、ソレを目撃していた人がいたらしい。
まぁ、
線路の上を子供らがすっとぼけて歩いていたら・・・
そら、いやでも目立ちますわね(苦笑)。
いや、笑ってる場合じゃないや。
いつ電車が来てもおかしくない、危険極まりない行動なんだから。
いまなら、「即、通報」ですわ。
・・・後日、なおき君のお母様より、直接ぼくにクレームがついた。
「うちの子を危険な目に遭わせないでください!」ってね。
それからほどなくして、
なおき君は、ぼくから距離を置くようになっていきました。
・・・そのあたりからでしたかね。
「あの、栗原茂雄とかいう児童は頭がおかしい。行動がいちいち異常だから、ゆめゆめ、自分の子供をあの子と遊ばせないように。」
というふうな、一種の「お達し」が、
川崎小学校の親御さんの間で言い交わされるようになったのは。
・・・ぼくにも、それとなく情報が、この耳に入ってきましたからね。
美絵子ちゃんは、それでも気にすることなく、
ぼくに付き合ってくれました。
けっこう、
そんな「お達し」があっても、ぼくを避けるような行動を取る児童は、
ほぼほぼいませんでした。
いままでといっしょでしたよ。
・・・なおき君を除いては、ね。
でも、ぼくにとっては、
いい思い出でした。




