勇者の追憶
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焼け落ちた村の只中で独りの青年がひざまずいている。
青年は顔を俯かせ、その表情は伺えない。
「……」
辺りには腕を捥がれたり、肉を抉り喰われたり、そんなふうに損壊している死体がおびただしく転がっている。ごく当たり前の風景のように、それはどこにでもあった。
「……」
家という家が崩れ、遠くではいまだ火の手が夕闇に昇っている。
血のように赤い空の下、四足歩行の黒い影が幾つも蠢いている。
「……」
村が燃えた時、青年は隣町に買い出しに出かけていた。
幸か不幸か、彼だけが生き永らえた。
くすんだ黄金の髪に、粗末な綿服。
青年はいつまでも、いつまでも、人形のようにそこから動こうとはしなかった。
しかし彼の胸の中では、熱き正義の炎が燃えようとしていた。
悪を許せぬ、魔を許せぬ。許せるか?許してなるものか!気づけば頬を涙が伝っていった。
そんな時に声が聞こえてきたのだ。
厳かで、神聖なる声を――
『アルバートよ』
名を呼ばれた青年は空を見上げる。
涙を零しながら。
空には豊穣なる光が満ち溢れている。
『世界は魔王によって闇に閉ざされようとしています。このままでは数え切れないほどの命が滅びを迎えるでしょう』
この世のものとは思えない声音に、彼は耳を傾けている。
『私は貴方に熱き正義の心を見出しました。世界を覆わんとする深き闇を打ち払う熱き血潮を感じました。貴方には強大な光の力を授けましょう。これより貴方は勇者を名乗りなさい』
呆けたような顔で聞き続ける。
『勇者とは闇を滅ぼし、世界に恒久なる光をもたらす存在。貴方は勇者の使命を全うし、闇より世界を取り戻すのです。貴方の旅路の果てに希望があらんことを、私は切に願っています……』
やがて、声は聞こえなくなった。
光も消え失せて、元の暮れ間際の空色へと戻った。
それでも青年は変わらず、ぼうっとひざまずき、うなだれ続けている。
ひたひたと、黒い影が忍び寄ってくる。
やはり青年は動かない。
影があんぐりと大きな口を開け、今に青年に噛り付こうとしたその時、彼は押さえ付けたバネのように鋭く撥ね飛んで上空に昇った。急転直下で真下の怪物を蹴り付ける。
そこから青年はけたたましい雄たけびを上げた。
これまでの静寂ぶりとは打って変わって、人が変わったようにがなり、叫び、暴れ続けた。怪物を執拗に、執拗に、執拗に殴打した。
青年は空に手を掲げる。
途端に掌から稲光が走って、遅れて耳をつんざくような轟音が鳴り響いて、辺りの生きとし生けるすべてを焼き尽くした。
青年は去った。
跡には命あるものは何も残されていなかった。
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雪に覆われた険しい山嶺を溶かした青空を眺めながら、窓べりに立つ姿があった。
古びた要塞のような山城の一室だった。黄金の髪と赤銅のマントを靡かせ、背には白銀の大剣がある。
「……」
男の名はアルバート・エリュシオン。
かつて勇者として魔王モラクレスを打ち倒し、世界に平和をもたらした存在。
今では完全無欠の社会を希求し、世界に歪をもたらした存在。
「……」
彼は知っていた、自分を打ち倒そうとする存在があることを。
彼は気づいていた、それがもう間もなく差し迫っていることを。
「来たか……」
おもむろに、窓の景色に背を向けて歩き出す。
その瞳に宿した光は覚悟とも期待とも取れた。
コツコツと、一歩一歩を踏みしめるようにして、彼は部屋を後にした。




