館への侵入
あの後、俺とクモラで残ったイノシシ鍋を平らげると、俺たちは再びマルグリットさんの詰所の方に戻って来た。そして、本日もまた泊めてもらえることになった。
眠りに落ちるまでは平和そのものだった。
事態が動き出したのは翌日からだ(俺とクモラがアレクス領に落ちてから三日目)。
その日は昨日ほど早く寝付かなかったからか、起きるのも昨日より遅かった。
もうとっくに朝食の用意はされているだろうなと思いながら、俺はクモラを起こして共に一階のリビングへと降りていった。
しかしどこにも朝食の用意がない。いや、準備をしていた形跡すらなかった。マルグリットさんの姿もどこにも見えなかった。奇妙に思っていると、テーブルの上に一枚の紙きれが置かれていることに気付く。
「……こりゃ、いったい?」
どうやら書き置きのようだった。
俺は読んでみた。紙には次のように記されてあった。
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ステッド殿 クモラ殿
すまないが、簡潔に状況を伝える。
さきほどピエールのやつが大慌てで駆け付けて来てな、どうやら昨日の件がアレクスの手の者にバレてしまったらしい。朝早くからアランの家にアレクスの手先が押し入り、アランと娘のポーラを連れ去っていったようだ。あの病床の娘すらも有無を言わさず連れ去ったのだ。
何故露見したかは分かっていない。そなたたちがイノシシを運ぶのを実は誰かに見られていたか、それともアランかピエールがあの後誰かに口を滑らせてしまっていたか。だがそなたたちが気に病む必要は無い。死に瀕した少女を救うべく、親切心でやってくれたのだからな。
とにかく、私はこれよりアレクスの館に向かおうと思う。当初こそ彼の思想に賛同していた私が言うのもどうかとは思うが、もはや己の立場など関係なしに想いの丈をぶつけてみようと思う。
しかしアレクスに逆らって生きて帰った者はいない。おそらく私も同じ末路を辿ることだろう。さよならも言わずに今生の別れを伝えることになってしまい申し訳ない。
この詰所に残された金銭や保存食、衣類等は自由にそなたたちの旅に役立ててくれて構わない。そなたたちがどのような事情で旅をしているのかは知れないが、旅の目的が無事に果たされることを願っている。それでは達者でな。
マルグリット
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「クモラ!アレクスの館に向かうぜ!」
「うん!」
俺たちは吹き飛んだようにして、家屋から飛び出した。
気に病む必要は無いだって?冗談じゃねえ、これは俺のせいだ。俺が勝手にやったことで招いた惨事だ。それにそんな事情を抜きにしても、俺はマルグリットさんの助けになりたくて仕方がなかった。あんなできた人が、何も果たせずにその命を終えるなんてあっちゃならねえ!
俺は農村で道往く人にアレクスの館の場所を聞き出すと、クモラを背負って大急ぎでそこまで駆けていった。アレクスの館はこの農村内にあるわけではなく、街道沿いに歩いて二時間以上はかかる位置にあった。商人街の外れに位置するような立地だった。
俺は走りに走ってなんとか館まで辿り着いた。
少し息を整えてから、様子を窺う。高い壁に囲まれためちゃくちゃ面積の広い屋敷だった。なんというか、金持ちが金に物を言わせて建てたような印象だ。
「うーん、わかっちゃいたが、やっぱ正面の門には警備の兵が居るな……入れてくれと言っても無駄だろうし、ムリヤリ入ろうものなら俺たちも二の舞になりかねない。クモラ、裏手に回ってみようぜ」
俺たちはコソコソ繁みに隠れ潜みながら、なんとか侵入できる場所がないかを探す。だが出入口こそ正面の門以外にもあったが、そのすべてに警備の兵が配備されていた。
「くそ、やっぱムリヤリ押し通るしかねーか?でもそれをやっちゃ、すぐ館全体が警戒ムードになるだろうしな……いや、待てよ……!」
そうだ、俺には魔王の力がある。
そして魔王の力とは、要は闇の力なんだろうが、俺は聞いたことがある。火、水、風、土、光、闇――世界に存在する六つの属性にはそれぞれ特徴のようなものがあって、なんでも闇という属性は破壊や腐敗、死や失活といった方向に秀でているらしい。
つまり俺はこう思ったんだ。闇の力で壁を損壊させてなんとか人ひとりが通れるくらいの穴を空けられないだろうかと。
俺は壁に手を当てる。
そして処分執行機やイノシシを倒した時のように爆発的に闇の力を放つのではなく、壁にじんわりと浸透していくように穏やかに闇の力を解放してみた。
(上手くいくといいけどな……)
心配は杞憂だった。
初めこそ壁にはなんの変化もないように見えたので、失敗したかと思ったが、試しに壁を手の甲で殴ってみると脆くも大きな穴が空いたのだ。まるでビスケットを殴ったかのような感触だった。
「や、やった!壁が超脆くなったぞ!闇の力すげえ……!」
人ひとり充分に通り抜けられる穴だった。もう少し下の方を崩して通りやすくすると、俺とクモラは館の敷地内へと立ち入った。裏手の方に回っていたからか、人の姿はない。見つからない内に館の中へと侵入したい。
「ねえねえ、ステステ!今の、わたしにもできるかな?」
クモラが聞いてきた。壁をいとも簡単に壊してみせたのが面白かったらしい。
「え?そりゃ魔王の力は本来クモラのものなんだから、やればできるんじゃねーのか?」
「じゃあやりたい!教えてー!」
目をキラキラさせている。俺は少し迷った。
(うーん、悠長にしている暇なんてあるかな?いやでも、俺がいつでもクモラのことを守ってやれる保障もねえし、クモラも闇の力を使い慣れていた方がいいかな?)
そう思い直した俺は、先ほどやってみせたような力の解放の仕方をレクチャーする。
クモラは手頃な壁に向かって言われた通りに力を発動させた。彼女の小さな手から、じんわり漏れ出すように黒紫色の闇のエネルギーが放出される。
そして小突いてみる。
固いレンガの壁は、脆くも崩れ落ちた。
「やったあ!できたー!」
クモラはぴょんぴょん跳ねて喜んでいる。
うーん、ずいぶんあっさりとやりやがった。やっぱり俺がやるより、本来の力の持ち主であるクモラがやる方が力を発揮できるのかな?なんだか悔しいぞ。
しかし、そんな俺の胸中の想いなど些末なことだ。
今はそれよりも優先すべきことがある。
「よーしクモラ、行くとしようぜ!なんとか見つからないように立ち回りながら、マルグリットさんを見つけるんだ!」
俺とクモラは崩れた壁の穴から、アレクスの館の中へと踏み入った。
◇
視点は変わり、此処は館内の地下牢獄。
冷たい檻の中にマルグリットは囚われていた。鉄格子越しには、一人の男の姿がある。赤いマッシュルームカットで、糸目ギザ歯の容姿。ゆったりとした裕福そうなローブを着て、高価そうな首飾りや指輪を身に付けていた。
「よりにもよってワイに歯向かうとはなあ……もう見逃してはやれんでえ?マルグリットぉ……」
糸目ギザ歯の男は侮るような笑みで、マルグリットを見下ろしている。
「アレクス様……統治の在り方について、今一度考え直しては頂けないか?一切の動物性の食品が摂れないというのはやはり身体的負担が大きい。栄養失調で体調を崩す者が後を絶たない。とくに育ち盛りの子供の影響が深刻だ。せめて卵やミルクを摂取することだけでも解禁しては頂けないだろうか?」
マルグリットは真摯な瞳で、想いを言葉に乗せている。
しかし眼前の男には取り付く島もない。
「あかんあかん!そんなん認められへんで!卵もミルクも、鶏さんや牛さんが子孫の為に出しとるモンや。人間が食糧にする為にあるモンちゃうねんで?動物はおどれらのごはんやないんやでー!」
せせら笑うように言っていた。
「マルグリット、いくら寛大なワイでもそろそろ堪忍袋の限界や。お前は生類愛護会からは除籍とする!そしてワイに歯向かった報いを受けてもらおうか……!」
アレクスの邪悪な笑みに負けじと、マルグリットは尋ねる。
「……前々から疑問ではあった。貴方に逆らって、この館から出てきた者は見たことが無い。いったいどのような目に遭わせているのだ?」
「それはこれからお前がその身を以て知ることになるやろう。ワーハハハハハハ……!」
暗く冷たい牢獄に、不釣り合いなやかましい笑い声が響いていた。