雪道も藹々と
花ざかりの地を出て幾らか進むと、俺たちは氷雪に閉ざされた極寒の地にたどり着いた。世界の最北、ヒュミリタスである。
この地は勇者パーティの一人、武闘家ラヴィアンの領地。
そして七大罪の化身、傲慢が眠る最後のアーティファクトがある土地であった。
アレクスに聞いたところ、中心街は天然の巨大洞窟の中にあるらしく、人々はそこに集住しているのだという。あまりの寒さゆえに、洞窟の外に暮らしている人はまず存在していない。せいぜい狩猟や採掘のために一時的に外に出る程度である。農業については洞窟内で、どうにか岩の割れ目から採光しつつ耐寒性の強い作物を育てているらしかった。
俺たちは今、防寒着に身を包み、体を震わせながら一面の銀世界を歩き続けている。
「うぅ、なんちゅう寒さや……できれば二度とこの土地は訪れたくなかったんやけどなぁ」
「しょうがないでしょ、ラヴィアンの奴が此処を領地にしているんだから」
「さむさむ……ラヴィアンって奴はなんだってこんな場所を領地に選んだんだ?」
真っ白い息を吐き出しながら、俺はアレクスとハンナに尋ねる。
「まあそれは、単純にアルバートの直轄地が近いからやないか?すぐ東に行けば希望霊山が広がっとるわけやしな」
「それに厳しい環境ほど修行が捗るからとも言っていたわね。アルバートに負けず劣らずの修行中毒者だったもの」
「あと魔法の属性が相性良いのもあるやろなあ。あいつは氷魔法を使いよるからな」
武闘家ラヴィアン。
勇者アルバート・エリュシオンの信奉者という話は聞いていたが、それ以外のことはまだ詳しく把握できていなかった。今の話で、ある程度の人物像は浮かび上がってくる。
「修行に余念のない、氷魔法を使う武闘家か……そして勇者アルバートの信奉者」
「そうや、あいつの勇者への心酔っぷりははっきり言って度を越しとる。おそらくやが、領民に勇者への過剰な崇拝を強要している可能性が高い」
「勇者が死ねと言えば喜んで死ぬような女よ。神官の私が言うのもナンだけど、あそこまで盲目的な信仰心もどうかと思うわ」
「ど、どーしてラヴィアンって奴はそこまで勇者を崇拝して――?」
「それはかつて、魔物に殺されそうになっていたところをアルバートに救われたからなんや」
そこから次のような話を聞いた。
ラヴィアンは、勇者アルバートの旅路に一番最初に同道した者であったという。十年以上も昔のこと、当時十代半ばの少女であったラヴィアンは、霊山近くの農村で家族とともに暮らしていた。しかし或る時、村は魔物の群れに襲撃されたのだという。
当時の彼女には、まだ魔物と戦う術がなかった。家族も友人もみんな魔物に食べられて、彼女は泣きながら逃げ惑うことしかできなかった。そこを救われたのだ、まだ勇者としての力を授かったばかりのアルバート・エリュシオンに。
以来、彼女は勇者に懇願し、旅に付いていくことになった。
そして死に物狂いで魔物と戦う力を身に着けて、今に至っているのだという。
「……そんなことがあったのか。そりゃ勇者に心酔するようになるわけだ」
「せやが、その村の生き残りはラヴィアンひとりだけだったらしいで。アルバートの奴は、自分がもう少し早くに駆け付けられていればと、よく零しとったな」
「アルバート自身も故郷を魔物に滅ぼされているし、だからアイツは魔族や魔物を心の底から憎むようになったのよね。そしてそれは、アルバートに共鳴したラヴィアンにとっても同じことよ」
ラヴィアンがどういう存在か分かってくるにつれて、これまで以上に堅固な存在として立ちはだかることが予想された。
戦闘の心得がない少女の身から、勇者パーティ三強として名を馳せるほどまでに実力を培ってきたその向上心。それに勇者の旅に最初に同道した、パーティ屈指の勇者信奉者。きっと口先だけで心を動かしてはくれまい。それに辛くも打ち負かしたとて、それだけでつつがなく事が進む保証もなし。
いや、それは今までだって同じだったはずだ。
結局やることはいつもと変わらない。俺はクモラと力を合わせ、やれるだけのことをやるまでだ。
「よ、よーし……!今度の相手も強敵なんだろうが、俺たちだってどうにかここまで来れたんだ!やぁ~ってやるぜぇー!」
「あ~ん!寒いー!ステッドあっためてー!」
俺の闘志の炎に水を差すように、突然キアラが飛びついてくる。いや、彼女はむしろ暖を取りに来ていた。俺の右腕に、しがみつくようにして引っ付いてくる。
「お、おい!キアラ……!」
「このままじゃ凍えちゃうかも……こうなったら互いの体温で温め合うしかないわ!」
【ウウ、インヴィーハタイオンガナイカラ、オフタリニヌクモリヲアタエルコトガデキナイノデス……】
キアラの背中に引っ付きながら、インヴィディアが言っている。
そのキアラが俺にぐいぐい体を押し付けてくるものだから、俺も次第に寒さどころではなくなってくる。
(く、くそ、柔らけえ……!おまけにいい匂いまでしてきやがる!)
途端に、体の一部が熱というか、活力を漲らせてくる。
うん、どこかなんてのは言うまでもないことだよね。まったく、こんな場所ですら縮こまるということを知らない、どうしようもなく元気いっぱいな相棒だ……
「キアラ、そんなにくっつくなって!はっ……!」
見れば傍らで、クモラが意味ありげな視線を俺たちに送っていた。
(ク、クモラ!やめてー、美女にくっつかれてドギマギしている情けない俺を見ないでくれー)
俺の胸中とは裏腹に、キアラはしたり顔で笑っている。
(うふふクモラ、ステッドがおっぱい星人であることは既に履修済みよ。あたしも巨乳ってほどじゃないけど、アンタのその貧相な胸相手じゃ、残念ながらキアラちゃんの圧勝と言わざるを得ないわね!見なさい、ステッドのこのニヤけきったスケベ面を!せいぜい悔しがるがいいわ)
しかしクモラにしてみれば、俺の戸惑いもキアラの思惑もどこ吹く風だった。
まったく気に留めないままに、楽しそうに駆け寄ってくると、空いている俺の左腕にキアラと同じようにしてしがみついてくる。
「え~い!一緒にステステサンドイッチだー!」
(なっ!)
まったく対抗心を見せることもなく、純粋に目の前のじゃれ合いを楽しんでいた。
(さすがは魔王の器ね、とんだ度量の持ち主だわ)
争いは同じレベルの者同士の間でしか発生しないという名言があるが、これはまさにそれかもしれなかった。
「どっちがステステを温められるか、勝負だからね!」
「いいわ、受けて立とうじゃない!」
「ちょっ!ふたりとも……」
「「ぎゅ~っ」」
これが勝負事でなく単なるじゃれ合いでしかないことは、火を見るより明らかだった。
(や、やばい!クモラの匂いと感触まで加わったものだから、相棒がより一層元気な状態に……!これじゃうまく歩けねえ!そ、そうだ、この状況なら言い訳が……)
俺は苦し紛れに、繕ったように叫ぶ。
「ふ、ふたりとも!そんなにくっつかないでくれよ~!う、うまく歩けないじゃね~か~!」
どこかうわずった口調で言いながら、女ふたりに挟まれて、よろよろと雪道を往く。
それを後ろから見つめながら、アレクスとハンナが言葉を交わす。
「な、なんやステッドの奴……羨ましいやっちゃやな」
「まあアイツは、アンタと違って性根までは腐ってないからね」
「な、なんやとぉ!?」
凍てつく冴えた空気の中でも、どこか騒々しい道中だった。
◇
視点は巨大洞窟の中に広がる中心街、その聖堂に移る。
高いお立ち台の上に、神官のような出で立ちの群青色の髪の女が立っている。その場に居る民衆はみな席に座して、なにやら文字の書かれた紙を見つめ、ペンを片手に悩ましげな表情を浮かべている。
群青の女がぽつりと、冷徹な声音で言った。
「問題です。勇者アルバート様がお風呂に入られる時、体はどの部分から洗うことが多いか?
A頭 B二の腕 C男性器」
紙には女の問いと同じ文言、そして回答欄があった。
(え、A……かな)
(分かるわけがない)
(いいや……もうヤマ勘!適当で行こう!)
(そもそもラヴィアン様は、なぜ正解を知っているのだろう?)
見れば紙には同様の、答えを知るわけがない問いが無数に羅列してあった。領民たちはみなうんざりといった様子で、嫌々ペンを走らせていく。
やがてこの試験と呼ぶのもおこがましい謎の時間が終わると、領民は紙を提出して次々退出していく。後には群青の女ばかりが残された。
回収した解答用紙を眺めつつ、嘆息して呟く。
「まったく、みんなダメダメですね。勇者様のことがまるで分かっていません。この世界を救ってくださったのは他ならぬ勇者様なのですから、勇者様を心から敬愛し、日頃から勇者様のことしか考えられないのがあるべき姿であるというのに」
コツコツと靴を鳴らして階段を昇る。彼女は自室に戻ろうとしていた。
「やはりもっと勇者様の偉大さ、素敵さを知らしめねばなりませんね。勇者パーティ最初のメンバーであるこのラヴィアンの手で、いっそう啓発に取り組んでいくこととしましょう」
自室に戻ると、ラヴィアンは扉に鍵を掛ける。
回収した紙を机の引き出しにしまう。どこかそわそわしている印象だった。
「……さて本日のお務めも済んだことですし、いつもの”日課”と参りましょうか」
ごそごそと、戸棚を漁る。なにやら色んな染みの付いた、やたらくたびれた男性用下着が取り出された。途端に、彼女の息遣いが荒くなった。
「……これもずいぶんと古くなってしまいましたね。これでは勇者様の香りを強く感じられません。ですが新たに入手することも難しいですし、これで慰みを続けるしかありませんね」
戸棚の中には、古びた服やら下着やらが多数保管されてあった。靴下や歯ブラシのようなものまで見られる。戸棚の上には写真立てが所狭しと並んでおり、そのいずれにも勇者アルバート・エリュシオンの雄々しい姿が映っていた。いずれも、目線がこちらを向いていない写真だった。
ラヴィアンは下着を手にした状態でベッドに飛び込むと、興奮した犬のようにそれを嗅ぎながら、己の秘所をいじくり始めた。
「はぁはぁ……!ああ、勇者様……!」
激しい息遣いと、くちゅくちゅと湿った音ばかりが部屋の中に響き渡っている。
「勇者様!勇者様!どうかその逞しい聖剣で、私を懲らしめてください~!」
やがてベッドシーツに雨が降った。
これが彼女が、毎日欠かさずおこなっている日課だった。




