女騎士マルグリットとの出逢い
「いつつ……何処だここは?」
俺は少しの間気を失っていたようだった。
目覚めると深い森の中に居る。木々が鬱蒼と生い茂り、鳥の声がそこら中から聞こえてくる。
(よくあんな高いところから落ちて助かったな、俺……)
体のあちこちが軋むように痛んだが、不思議と外傷はなかった。これも魔王の力によるものだったりするのだろうか?
自分が落ちてきた断崖を見ようと辺りを見回すが、木々に遮られてよく見えなかった。自分が今何処に居るのかも分かりゃしない。
(あれ?そーいや、クモラは?)
少し歩いて辺りを見回すと……いたいた。
俺からちょっと離れた場所で、同じように外傷もなく横たわっていた。ムリヤリ起こすか待つべきかを悩んだが、クモラはすぐに目を覚ました。
「う~ん、あれ?ステステ?」
「よう、無事かクモラ」
「ここどこー?」
「分からねえ。けど結界から出ているわけだし、おそらくハインリヒ領じゃねえと思う」
言いながら俺は歩き出す。とにかくいつまでも此処にいたって仕方がないし、歩いてみるしかなかった。クモラがとてとてと後ろを付いて来る。
「じゃあだれのりょーちなの?」
「それは俺にも分からねえよ。とにかく辺りを散策してみようぜ、なんか分かるかもしれねえ」
そうして、俺とクモラの突発的な森林探検が始まった。
しかし歩けど歩けど、視界にはまるで変化がない。目に映るのは青々とした木々ばかりである。後は、野鳥とか鹿に遭遇したくらいだな。
そして俺たちは、此処がどこであるかを解き明かす以前の重大事項がまだ解決していないことに気付かされる。二人して、ぐうううと、腹の虫が鳴いた。野鳥の声よりうるさかった。
「ステステー、お腹ペコペコだよー!」
「うーん、そうだな、とりあえず腹ごしらえしねえとな……このままじゃ二人まとめて倒れちまう」
俺は食糧になりそうなものがないか、辺りを窺う。緑豊かな森林だが、残念ながら食べられそうな果実を付けた植物は見当たらない。山羊じゃあるまいし、そのへんの木の葉を食う気にはなれない。腹壊しかねん。
いっそ、さっき野鳥や鹿を見かけたのだし、狩りをするのも視野に入れるべきかもしれない。今は魔王の力だってあるんだから難しくはないはずだ。動物を解体するのも、実は廃棄区域に逃げ出してから何回かやったことがある。動物の死骸も貴重な食糧だったからな。
ところが俺は、もっと簡単に食糧にありつけそうな素敵な場所を見つけることになる。
遠くからさらさらと、快い音が聞こえて来る。それが水の流れる音だと気づいた時、俺はダッと駆け出した。クモラも小走りで付いて来る。
少し開けた場所に出た。
そこには清水の流れる川があった。
「うおおおおお!川だ!めちゃくちゃ綺麗な川だ!」
思わず興奮していた。無理もない。廃棄区域を流れる川は、街からの排水なのだからひどく汚いものだった。あそこで綺麗な水にありつきたければ、必死に雨水を集めるしかなかった。
俺は景気よくざぶーんと川に飛び込むと、泳ぎながら水を飲んだ。流れがそれなりにあるので、ずいぶんと清らかな水だった。
「かあああっ……!うめえええっ……!信じらんねぇ!」
「ステステばっかりずっこい!わたしもー!」
クモラも勢いよく飛び込んできた。
そして二人仲良く水を飲みながら、心地よく川の流れに身を任せて浮かんでいた。
「きもちーね!ステステー!」
「だなー」
思わずこのまま寝入りそうな程に快感だった。
だが渇きは癒えてもまだ腹は満ちていない。俺は体を起こすと、目当てのものを探して視線を泳がせる。ちょいと向こうの岸の近くに、目当ての影を複数認めた。
「お、いたいた!クモラー、魚がいるぜ!」
「え!どこどこ!」
クモラも興奮気味に身を起こす。
新鮮な魚は廃棄区域ではまず食べられないご馳走だった。なにせ汚いドブ川しかなかったからな。眼前の魚群は紛れもなく泳ぐ宝の群れだった。
「いいかクモラ?岸の方にじりじりと追い込むんだ。ある程度追い込んだら、ぐわっと捕まえるぞ」
「うん!」
俺もクモラもできるだけ音を立てないようにしながら、魚の群れの方に徐々に忍び寄っていく。
え、魔王の力?それも考えたけど、失敗してまとめて逃げられるのが嫌だったんだよ。俺ってばそういうドジ踏みそうな奴だからな……
後もう少しで食い物が手に入る。否が応にもテンションが上がっていた。そして深く集中していた。気づかなかったのだ。いつの間にか何者かが、川べりに姿を現していたことに――
「何をしている!お前たち!」
凛々しい女性の声だった。
俺たちはどきっと動きを止めて、声のした方を見た。
ショートカットの金髪を風に靡かせ、細剣を腰に提げた女性の騎士だった。赤を基調とした騎士服を着て、銀色のグリーブ、ガントレット、胸当てを身に付けている。
(お、女騎士だ……!すげえ、リアルで初めて見た……!)
当然、騎士は闘う仕事なので圧倒的に男が多い。女性の騎士もいるにはいると聞いていたが、なにぶん初めて目にしたし、しかもかなりの美人だったものだから俺はぽけーっと見惚れてしまった。クモラも興味深げな視線を送っている。
しかしその女騎士は、なにやら俺たちに注意をするために来たのだろう。こちらの事情には構わずに話を続けてくる。ただ俺は最初、何を怒られているのかがよく分からなかった。
「お前たち……自分が何をしているのかが分かっているのか?」
「へっ?な、何って、俺たちゃ魚を獲ろうとしただけ……」
ぐぎゅるるるるるるるるるるるるる……!
またしても腹の虫が鳴った。
混乱して返答に困っていた俺の声より遥かに大きかった。まるで腹の虫が代わりに返事をしたかのようだった。
一瞬気まずい沈黙が通り過ぎるが、女騎士はこほんと咳ばらいをした後、改めて詰め寄って来る。
「魚を獲るだと……?お前たち、まさかこのアレクス領のルールを知らぬわけではあるまい!」
「ど、どういうことだよ!?魚を獲っちゃいけないわけ……」
ぐぎゅるるるるるるるるるるるるる……!
腹の虫ぃぃぃ!
さっきから俺でなくお前ばっかりが返答してるじゃねーか!
恥ずかしいったらねーゾ!
しかしこれはある意味、何よりも分かりやすい状況説明だったようだ。
俺の腹の虫が収まらないのを見るや、その女騎士は溜息を吐き、川に背を向けながら、
「……そろそろ夕食時だ。食事ぐらい振る舞ってやる。大人しく付いて来い」
と言って踵を返し始めた。
俺とクモラも川から上がって、大人しく彼女に付いて行く。
なんてこった!単なる取り調べが晩餐会に化けちまったぞ!
お前って奴は……信じてたぜ腹の虫!
身なりの良い騎士様なら、普段の食事もグレード高いものだろう。
素人が塩無しで焼いた魚よりもずっと良い物が食えるに違いない。
俺とクモラは、さきほどまで詰問されていたという事実も忘れ、軽快な心と足取りでその女騎士の後を追って行くのだった。