おいでませ魔法都市
(ハ、ハインリヒだって!?)
俺もクモラもずっとハインリヒ領で暮らしてこそいたが、実際にその姿を見たことはなかった。声を聞いたこともない。思っていたよりも若い、三十前後ほどの怜悧な男の声だった。
『フフフ、お前たちは気付いていなかったかもしれないがね、私はずっとお前たちの動向を観察していた』
「相変わらず趣味の悪いヤロ―ね」
『だがなにぶん私も忙しい身でね、常にお前たちを観察し続けていられたわけではない。とはいえ事情は把握している。七大罪の化身の内、暴食、色欲、強欲、そして憤怒までをも復活させたか。順調のようだな、魔王の力が着実に戻って来ているようでなによりだ』
ひどく余裕のある、悪しざまに言えば上から目線な物言いだった。姿は見えないが、椅子にゆったり座りながらワイングラスでも傾けている光景が目に浮かぶ。
「そういやシューザが言っていたな……魔王が滅んでいないと知ったらダニヤンやハインリヒは喜ぶだろうって」
『当然だ、私にとっては朗報以外の何物でもない』
俺の呟きにハインリヒが答える。
そしてアレクスが一歩前に出た。
「ハインリヒ……お前が勇者パーティに加わったのは、人助けの為だとか自分の力を試したいだとか、そんなちゃちなモンやないやろう。目的はおそらく勇者の力と魔王の力を見極めるため……!ゆくゆくは自分のものにするためにな……!」
『商人だけあって勘は流石だな、アレクス』
くぴりと、ワインでも飲むような音が聞こえた。
『私の望みは他でもない、四属性だけでなく光と闇の属性をも極め、六属性すべてを制すること!そして過去の誰も到達したことがない、未来の誰も到達することがない、魔法使いの至高の領域――”魔の究極”へと到達するのだ!』
「自分の力を高めることしか考えていないところも変わってないわね」
『そのためには勇者という最強の光の力と、魔王という最強の闇の力を得ることが望ましい。だが悲しいことに、十年前の私ではアルバートに勝てる見込みはなかった。だから奴の意思を汲んで魔王を討伐する羽目になったわけだが、おかげで私は強大な闇の力を得る手掛かりを失ってしまったのだ。そして闇の力なくしては勇者の力を得ることも難しかろう。私の目的はこの十年間……停滞状態にあり続けた』
ガタッと、立ち上がるような音が聞こえた。
何かが来るような気がした。
『そこにまさかの魔王が生きていたという吉報!私はとても嬉しかったよ。しかしアルバートの奴がお前たちの存在に気付いてしまった。奴は何故だか城でお前たちを待つつもりのようだが、いつ気が変わるとも知れない。頃合いだ!そろそろ魔王の魂には、私の手に落ちてもらうこととしよう』
ハインリヒがそう言った直後、突然つむじ風が巻き起こるとともに、俺たちの足元に巨大な緑色の魔法陣が展開された。
「わわわ……!」
「な、なんだこりゃ……!」
「おそらく風魔法を応用した転送魔法や!」
『嫌でも招待してやるぞ。来るがいい、我が領地ディリゲンティアへと……!』
急速に風は勢いを増し、俺たち全員を飲み込んでいった。視界はたちどころにブラックアウトした。
…………次第に、辺りの景色が明瞭になってくる。
まず目に映るのは青い空、そしてその下に広がる活気に満ちた大都市であった。レンガ造りの建物が所狭しと立ち並び、街道沿いには商店も多数軒を連ねている。行きかう馬車や人の数も多い。そして市街の中心部には、黒味を帯びた色彩の荘厳な城砦が屹立している。
「こ、ここは……」
知っている場所だった。
他でもない、俺が廃棄区域に落とされる前に居た場所。
「ディリゲンティアの中心街……」
世界の中心部、ディリゲンティア台地の上に広がる大都市に俺たちはやって来ていた。正確にはその街はずれの高台である。クモラ、アレクス、ハンナも俺の元へと近づいて来る。どうやら皆して同じ場所に飛ばされたようだった。
「ねえステステ、ここってわたしたちが居た廃棄区域の上だよね?」
「ああ……つっても俺はクモラと出逢う前は、こっちで暮らしていたんだけどな」
「そういや、そんな話しとったな」
「へー、今ディリゲンティアってこうなってんのね。元々人の多い街ではあったけど、更に活気に満ちているように見えるわ。魔法技術の賜物かしらね」
たしかに、俺はずっと隠れ潜んでいたからあまり詳しくはないが、この街は魔法のおかげでかなり快適かつ安定した暮らしができるようになっている。
街の至るところに街灯が建っており、それが夜間には煌々と街を明るく照らしてくれる。光魔法の応用である。他にも風魔法に火魔法や水魔法を掛け合わせて気象を安定的にコントロールしたり、土魔法と光魔法の併用で地下でも農業ができるようにしているらしい。街の中を水路が循環しているが、それも水魔法のおかげだろう(そして排水は下の廃棄区域へと流れるのだ)。
俺たちが街並みを見渡していると、またしても蝙蝠ロボットが飛んで来る。先ほどと同じ個体か、それとも別個体かは定かでない。
『ようこそ、我がハインリヒ領へ。もっとも観光目的で招待したわけではないが』
奴の声を聞きながら、クモラがなにやら周囲をキョロキョロし始める。
「あれー?ダニヤンがいないよー?」
「あれ?ホ、ホントだ!」
俺も辺りを窺うが、確かにどこにも姿が見えなかった。
ハインリヒが言う。
『アイツには別の場所に飛んでもらった。あいにく戦ってやる義理などないからな。まあ戦うことになったとて、負けはせんがね』
不敵に言いながら言葉を続ける。
『だがステッド、アレクス、ハンナ……お前たちは別だ。お前たちは他でもない、太極という私が解き明かした原理を利用して、ここまで勝ち抜いてきた。お前たちは悪徳の存在を相方に、互いに歩み寄ることによって、存在自体を結び付けてきた。これは私にはない着眼点だった。素晴らしい!お前たちに賛辞を送るのも複雑な気分だが、素晴らしいものは素晴らしい!』
パチパチと拍手の音が聞こえる。
本気で褒めているようにも、どこか見下しているようにも感じられる。
『お前たちの功績を讃え、この私の前に参上する権利を与えよう。魔王の魂を宿せし少女――クモラを我が元に届けに来るがいい。私は市街の中心に聳えるマジック・キャッスルの最上階に居る。アーティファクトも城内にあるぞ。ククク、まあ、無事に辿り着ける保障はしないがね……』
そう言うと話すことが終わったのか、ロボットはバサバサと退散していった。
アレクスとハンナが遠くの黒っぽい城砦を見つめて言う。
「マジック・キャッスルか、今はそないな名称になっとるんやな。昔はディリゲンティア王国の王城やったはずやが」
「名前はともかく、外観は割とそのままってカンジね」
俺とクモラも二人に歩み寄りながら、
「それにしても困ったことになったな。ダニヤンが何処に行ったかわからねえし、アイツ抜きで挑まなきゃなんねえのか?」
「まあそうなるやろなあ。ハインリヒの口ぶり的に、おそらくディリゲンティアとはまったく別の場所に飛ばされとる可能性が高い。合流は絶望的や」
「大丈夫かなー?」
「まあ、なんとかするしかないでしょ。正直あの戦士言うこと聞かなさすぎだから、あんまりアテにしてなかったし」
「そうじゃなくて、ダニヤンが!」
クモラはハインリヒ戦の勝敗よりも、ダニヤン自身の身を案じていた。芯から優しい心でなければ出ない言葉だった。しかしハンナは冷めた目で、
「それこそ心配要らないわよ。害虫なんかよりよっぽどしぶといんだから。きっと世界が滅んでもアイツだけは生き延びているでしょうね」
「せやな、世界一死んでいる姿が想像できん男やからな」
元勇者パーティ二名は、ダニヤンの安否を毛ほども案じてはいなかった。まあ俺も戦ったから分かる、あの戦士がくたばっている姿はマジでイメージできない。
だが合流は絶望的。結局俺たちはいつものメンバーで、最難関かもしれないハインリヒ戦に挑まねばならないのだ。
「いったん退いて態勢を立て直す……とかはできないよな」
「多分な。あの魔法使いが易々逃がしてくれるとは思えん」
「俺たちゃ結局、心の準備もできないままにディリゲンティアまで来ちまっている状況だからな……」
「ハインリヒは強敵や、残念ながら勝てるとは断言できん……!せやけどクモラも覚醒を果たしたことやし、あの暴君竜だって討伐できたんや。ええ勝負はできると思うで」
アレクスが落ち着き払った声で、背中を押すようにして言う。少し萎縮していた俺の心を見抜いているのだろう。
そうだ、俺たちは曲がりなりにもここまで勝ち抜いてきた。
ここで退くことは、これまでの積み重ねを否定してしまうような気さえしてくる。傍らを見ればクモラが力強く笑みを送ってきた。
「行こ、ステステ!わたしたちならきっと大丈夫だよ!」
「……ああ!そうだな!結局俺たちのやることには変わりねえ!いつも通り、目の前のことを全力で頑張るだけだぁ!」
気合を入れ直すように叫ぶと、二人して街へと駆け出していった。




