ハインリヒ領の脱出
俺とクモラが森の奥で出逢ってから既に一時間以上が経過していた。俺たち二人は森から、再び中心街との壁際近くにまで戻って来ている。
何故かと言われれば、まだ肝心な問題が解決していないからだ。
腹の虫がやかましく騒ぎ立てる。
「うう……くそ!腹減ったなあ……今日のメシどうすっかな」
昨日も一昨日も、俺はロクな食事を摂れていない。
せっかく魔王の守護者なんて御大層なモンに成れたところで、このままでは飢え死にしかねなかった。
見ればクモラもお腹を抱えてヨタヨタと歩いている。
「ステステー、お腹空いたよー」
え、ステステって何?
ひょっとして俺のこと?
けどこれからどうするか……
そういえば、もうゴミは取り尽くされてしまっているだろうし、他の投棄ポイントもよく知らないから、俺はこのガキから食糧を奪おうとしていたんだったよな。成り行きで連れになっちまったが。
(うーん、結局誰かから食糧を奪うしかないのか?けど俺でも勝てそうな奴を見つけ出すとなると、正直難しいよな……)
そこで俺は、はっとひらめく。
(いや、待てよ……!よく考えたら今の俺には魔王の力があるじゃないか!クモラを通して使えるようにしてやるって、モラクレスも言ってたしな。力の根源を封じられている状況らしいが、それでもただの人間をぶっとばすくらいわけないはずだ……!)
俺は再び、狩りをする獣の顔に戻った。
「ワハハハハハ!ツキは俺の方に向かってきたぞー!」
「……?」
愉快そうに笑う俺を、クモラは不思議そうに見上げていた。
そして俺は獲物を探して、廃棄区域中を練り歩く。
当然食糧をたくさん持っている奴がいい。そしてできれば強そうな奴がいいな。だって俺が強い奴をあっという間にノシて自分の強さをアピールすれば、女性が大挙して押し寄せて求愛を受けるかもしれないじゃありませんか。貴方にひとめぼれしましただの、これからは私を守ってくださいだの。げへへへへへ……
そして下卑た視線を泳がせる俺の目に、ついにお誂え向きの獲物が留まる。屈強な男の二人組だ。それが弱そうな男に絡んで、食糧を強奪しようとしていた。二人組はそれぞれ大きな袋を小脇に抱えていて、既に強奪を繰り返してきた後だと分かる。人目もそれなりにある場所だったが、誰も彼も見て見ぬふりだ。
「へへへ、そいじゃこの食糧はありがたく頂いていくぜぃ!」
「あ、あの……それを持っていかれると……困……」
「ああ!?聞こえねえなぁ!」
俺はできるだけ目立つように、ざあっと音を立てながら、三人の前へと躍り出る。
「おうおうおう!天下の往来で強盗沙汰たぁ見過ごせねえなぁ……!例え神が許しても、このステッド様が許しちゃおけねえぜ!」
不敵な笑みで立ちはだかる醜男に、男二人組は額に青筋を立てて憤る。
「あ~ん!?」
「ンだ、テメェはコラ!」
ひいいい……!怖え……!
いや、大丈夫なはずだ!俺にゃ魔王の力があるんだからな……!
「ど~やら痛い目見てえようだな?」
「俺たちに逆らうとどうなるか、分かってんのかコラ」
拳をぽきぽき鳴らしながら、メンチを切りつつ近づいて来る。
「ふん、それはこっちの台詞だぜ……!今にお前ら二人に吠え面かかせてやんぜ……!」
や、やばい、早く魔王の力を発動しないと!
えーと、うーんと、アレ……?
(し、しまったああああああ!魔王の力を使えるにしたって、一度もやったことがねえからどうすればいいか分かんねえええ!予行演習しとくんだったああああ!)
急に眼前でしどろもどろし出した俺に、男二人は苛立ちを募らせる。
「吠え面……なんだって?」
「い、いや、でへへへへ……お、俺、吠え面って言葉の意味を間違えてたみてえでさぁ、貴方がたを負かすとか、そんな意味で言ったんじゃあなく、このわたくしめが今後は犬のように貴方がたに忠節を尽くして従いますと、そのような意味合いで申し上げたのでございます!ど、どうかわたくしめを貴方がたの犬にしてください……!わんわんわん……!」
窮地を凌ぐべく、俺は自ら吠え面をかいた。なんとも情けない。
しかし相手の目には舐め腐っているようにしか映らなかったのか、男二人は余計に激昂するだけだった。
「何言ってんだぁ!テメェ!」
「死にてえのか!」
「ひぎゃああああああああああああ!」
男二人から殴る蹴るの凄まじい暴行が始まった。
抵抗することもできず、俺はあっという間にボロ雑巾同然に成り果てる。いつの間にか、先ほどまで絡まれていた男も逃げていた。
「オラ!オラ!誰に歯向かったか、分かってんのかテメーは!」
「何だコイツ?犬っころより弱えーゾ!」
「キャイン!キャイン!」
俺は虐待を受ける野良犬同然の姿で、なんとかその場から這う這うの体で逃げ出そうとする。ところがこんな無様な俺の前に立ちはだかり、体を張って守ろうとする小さな姿があった。
「ステステをいじめないで!」
(クモラ……)
な、なんつー情けない状況だよ。
俺はお前を守る使命を背負ってるってのに、その俺が守られてどうするんだよ、くそ!
しかし十歳の小柄な少女が屈強な男二人に敵うはずがない。
ひょいと、服の襟首を掴まれ持ち上げられてしまった。
「なんだ、このきたねえガキは?」
「やー!放してぇ!」
空中で手足をジタバタとさせるが、無意味な抵抗だった。
「このガキどーするよ?売れっかな?」
「あまり高くは売れねえだろうが、女だしな。買う奴はいると思うぜ」
「決まりだな、よーしコイツを売っぱらいにいくとしようぜ!」
(くそ、やべえ……このままじゃクモラが……!)
もはや俺の身など知ったことか!
俺は死に物狂いで男二人に追い縋って、クモラを取り戻そうとする。
ところがどうしたことだろう?
男たちはむしろ自分からクモラを投げ出した。それどころか食糧の入った袋も捨てて、一目散に走り出した。
「ひいい……!やべえ!」
「逃げろ!殺されるぞ!」
男二人は血相を変えて走り去った。
(何が起こって――?)
当初、俺はアイツらが魔王の気に当てられたのではないかと、そう都合のいい解釈をしていた。しかし現実は、俺たちすらも含めてヤバイ状況になっていたんだ。
――遠くから駆動音と共に、宙に浮いた機械が近づいて来る。真っ白いボディで手脚は無く、センサーの付いた頭部と円錐形の胴部で構成されている。男二人はこの機械を見た為に逃げ出したのだった。
男二人組だけでなく、周囲一帯の人々が一斉に逃げ惑い始め、辺りはたちどころに大パニックになった。
「くそ、処分執行機かよ……おかげで助かったが、早く逃げねえと……!」
ヨロヨロと立ち上がりながらボヤく俺の元に、クモラが駆け寄って来る。
「ねえ、ステステ!あれ何?」
どうやらクモラは知らないらしかった。
まあ森とか、人の少ない場所には行きませんモンね、アレ。
「アレは処分執行機っつってな、簡単に言やあ人殺しのマシーンさ。近くに居る人間を手当たり次第に殺そうとする。この廃棄区域は言わばゴミ捨て場だが、言うなればアレはゴミ処分機ってところだな」
この場合のゴミとは、言うまでもなく人間のことである。
ゴミが増えすぎないよう、魔法使いハインリヒが開発した血も涙もない殺戮機械!
しかし俺はそれほど慌ててはいなかった。現れた処分執行機は一体だけだし、それも進行方向的に俺たちとは別の誰かを狙っているらしかった。
(今なら逃げ出せる……!)
俺はクモラの手を引いて、処分執行機から遠ざかる方向に走り出そうとする。そこでレーザーの発射される音と、誰か少女の叫び声を聞いた。
見れば処分執行機の胴から砲のようなものが伸びている。発射されたレーザーが少女の脚を掠めたらしく、血を流しながら苦しそうに地面に横たわっていた。
俺は知ったことかとその場を後にしようとするが、どうにもその少女に見覚えがあった。そして思い出す。昼間、俺のボールにひどいことをした挙句食糧を奪い去ってくれた奴じゃねえか!
倒れ伏す少女に、更に幼い少年少女が泣きながら縋っている。
きっと少女はその齢で、いなくなった両親の代わりに年下の弟妹たちを面倒見てきたのだろう。彼女もまた生きることに必死だったのだ。
俺は見捨てて逃げようかと思った。助ける義理なんてないはずだし、うかうかしていたら俺たちの命も危うい。けれども、泣き喚く彼女の弟や妹たちを見ていたら、何故だか見捨てて走れなくなって……
気が付いたら踵を返し、気が付いたら走り寄って、気が付いたら無我夢中で足元の石を拾って処分執行機に思い切り投げつけていたんだ。
「こっちだ、クソロボ!ここに処分にお誂え向きのゴミ野郎がいるぜ!」
力の限り叫んでいた。
処分執行機が俺の方を向く。
「おいガキども!何してんだ!早く姉ちゃん連れて、逃げろ!」
俺の叫びを聞いて、幼い少年少女たちは協力して負傷した姉を起こすと、なんとかその場を後にした。
ひとつ安堵の息を吐いたが、俺からしてみればむしろ事態は悪化している。慌てて走り出すと、クモラを背負って、一目散に遠ざかる方角へと逃げ出す。
「ステステ、かっこいい!」
「へへ、ソイツはどうも」
言いながら滅茶苦茶に脚を動かし続ける。
しかしあのクソロボは、あっさりと追いついて来やがった。まあ空飛んでますもんね。
俺は急に曲がる方向を変えたりして、なんとかあのクソロボを巻こうとするが、まるで功を奏さなかった。いつの間にか森の中に入ったところで、いよいよ距離を詰められ、レーザーが発射される。
命中はしなかったが、俺は蹴っ躓いてクモラともども地面に投げ出される。
機械の駆動音が、命の警告のように迫って来る。
(やべえ、このままじゃ……)
先ほどの男二人組よりずっと、死の危険を如実に肌で感じていた。相手は血の通わぬ殺戮機械だ。
(くそ!こんなところで終わっちまうのか、俺たちは……?クモラと出逢えて、先の見えなかった俺の人生にも光明が差したような気がしていたのに……)
絶望が心に深い陰を落とす。
未来の俺ならば、こう言うだろう。深い陰があるということは強い光があるということ。もうダメだと思っても諦めずにやってみろって。
俺はこの時点で、少しはそんな考えを見出していたかもしれなかった。
そうだ、まだ終わっちゃいないんだ。抗ってやるさ、全身全霊で!
「魔王モラクレスさんよ、このままじゃ終わっちまうぜ」
俺は言いながら、ヨタヨタと立ち上がる。
「このまま魂の器が死ぬのはアンタとしても不本意だろうよ。俺だって、こんなところで終わりたくねえ。見てえんだ!魔王の力を得たことで、俺たちがどう変わってゆくのかを……!」
右腕を思い切り伸ばして、処分執行機に突きつける。
「俺もクモラも、こんなところで終わるわけにはいかねえ!どうか力を貸してくれ!魔王モラクレス――!」
結局、何故上手くいったのかはよく分からない。
だが俺の右手から黒紫色の闇の波動が放たれたかと思えば、眼前の機械は盛大な音を立てて爆散していた。
バラバラと、部品を振り撒きながら大破した機械を俺たちは呆然と見つめている。
「……!いやったあああああ!」
思わずガッツポーズをして喜んだ。クモラも笑いながら飛びついてくる。
「ステステ、すご~い!」
「わははは!だろー?ま、まあ俺にかかればこのぐらい……」
勝利の余韻は長くは続かなかった。
ビーッ、ビーッと、けたたましい音が辺りに鳴り響いている。どうやら壊れた処分執行機から発せられているようだった。
俺もクモラも、初めは音の意味が分からなかったが、すぐにそれを知る。
遠くから大量の影が飛来してくる。初めは鳥の群れかとも思ったが、とんでもない!そのおびただしい数の影は、すべてが処分執行機だった。
おそらく壊れると警告音を発して、他の機械に知らせる機能でもあったのだろう。
え?こんな機能があるなんて俺は知らなかったよ?だって、コイツが壊れるところなんて一度も見たことなかったし……
そうこうしている内に、処分執行機は次々と降り立った。そして一斉にレーザー光線を放って来る!
「ぎょええええええ!」
俺は急いでクモラを背負うと、無我夢中で走り出す。
機械どもは逃がすまいと追跡を始める。追いながらもレーザーを撃つのを止めない!
「すごいいっぱい来てるねー、ステステ」
「言ってる場合かー!」
やたらめったらレーザーが飛び交う中を、俺は必死の形相で逃げ惑っている。
「ひいいいいい!死ぬ!死ぬーーーー!」
当然、こんな状況下で自分たちの現在位置なんて知りようがない。
俺は走っている内に、眼前に紫色の透き通った壁のようなものがはだかっているのを見る。ハインリヒ領を取り巻く結界だ。いつの間にか随分と周縁に近いところまで来てしまっていた。
「まずい!結界だ!このままじゃ追い詰められる……!」
しかし止まるわけにもいかなかった。
俺は博打に出ることにした。俺たちには魔王の力があるんだ!それならばこの結界だって実は通り抜けられたりしないだろうか?そう思ってのことだった。
これは後から知ることなんだが、勇者の仲間たちは”七大罪の化身”を封じ込め、その力で領地の分断を実現していた。”七大罪の化身”というのは魔王の力の根源なのだから、つまりこの結界は魔王由来のものということになる。
だから、通り抜けられるのは当然のことだった。
俺たち二人の肉体は阻まれることなく結界を通り抜けた。処分執行機ばかりが次々と壁にぶち当たったようにして追跡を止める。結果として俺たちは、あの機械どもを振り切ることに成功したのだ。
「や、やった!やったぞ!結界を通り抜けた!」
俺の脚は随分と軽快になっていた。
生存が約束されたばかりか、出られる日が来るとは微塵も思っていなかった結界の外に居るのだ!妙に心が躍ってしまっていた。魔王の力を手にし、この広い世界へと飛び出した俺たちにどんな未来が待っているんだろう?そう夢想したりもした。
えー、ここで白状させてくれ。
俺はずっとこのハインリヒ領で暮らしていたからさ、世界の地理とか、そんなものはまったく詳しくなかったんだ。自分が暮らしている場所がどんな場所かもよく分かっていなかった。これもまた後から知ることだった。
俺の暮らしていたハインリヒ領は、世界の中心にあるディリゲンティア台地の上に広がる都市だった。周囲より一際高くなった、切り立った崖の上に位置している。
うん、気づかなかったんです……
結界を出てすぐに断崖が広がっていることに……
だって浮かれて走っていたから。
――気付けば俺たちは勢いよく崖から飛び出してしまっていて、真下の森林に真っ逆さまに墜落してしまった。
「NOOOOOOOOO!!」
◇
処分執行機から得られた情報はすべて、中心街の更に中心――マジック・キャッスルに居る魔法使いハインリヒの元に届けられる。
薄暗い部屋の中で、宙に浮いた椅子に腰掛ける男が居る。
癖のある赤黒い髪をオールバックにした、浅黒い肌の男。黒を基調とした貴族然とした衣服を身に付けている。
男の居る部屋には、多数の映像が浮かび上がっている。その内の一つには、廃棄区域辺境の森の様子が映し出されていた。
「何事かと思えば……どうやら強力な闇の波動が放たれたようだ」
男は顎先を撫でながらつぶやき続ける。
「しかし込み入った事情がありそうだ。闇属性の魔法を使える人間はレアだからな、そんな存在を廃棄区域に捨てるわけがない。いるはずがないのだ、廃棄区域にあんな闇の波動を放てる存在など……それにこの感じ、覚えがあるぞ……」
男の声はなにやら愉悦を孕みだした。
「フフフフフ、分かるぞ……一度対峙したからこそ、私にはあの闇の波動の正体が分かる……!」
いよいよ男は興奮し切ったように、椅子から立ち上がり叫んだ。
「魔王モラクレス!」
男の声は恐怖ではない、喜びに満ちている。
「……そうかそうか、読めたぞ!肉体は滅びても、魂までは滅んでいなかったのだな!人間の肉体に憑りついて存在が消えないようにしていたな!」
再び椅子に座る、脚を組みながら意気揚々と言葉を続ける。
「なんという朗報か!どうやら天は私に味方をしてくれているらしい。本来ならアルバートの奴に報告するべきだろうが、誰が教えてやるものか!」
ついには高笑いを始めてしまった。
「魔王という最強の闇の力……!なんとしてでも私が手に入れる!この魔法使いハインリヒが、”魔の究極”へと至る為にも……!ハーハッハッハッハッハッ……!」