勇者アルバート・エリュシオンの治世
世界の中心ディリゲンティアから北東方向に広がる希望霊山。
アルバート・エリュシオンという名の青年が神から勇者の力を授かった地であり、世界で最も光の力が強い土地であった。
当時、彼が勇者の力を授かったのは、他ならぬ魔王により混沌の渦中にあった世界を立て直す為であった。大きすぎる闇の力が、大きすぎる光の力をもたらしたのだ。
――しかし魔王モラクレスが滅び、十年の歳月が過ぎている。
この希望霊山は今や勇者アルバート・エリュシオンの直轄地。そして彼が目指す”完全な社会”の礎と成ることが期待された土地だった。
霊山は外側ほど急峻な山岳地帯となっており、内側(すなわちディリゲンティア側)は山麓の平地にあたり市街はそこに広がっている。
市街の中心地にある議事堂。
此処では勇者と大臣たちが一堂に会し、逐次国政の現況や課題についての報告が行われる。早朝から毎日欠かすことなく。
「それでは本日の報告を聞こうか。まずは農務大臣からお願いする」
会議卓の最も上座に座っている男が口を開く。
黄金の長い髪を靡かせ、白銀の聖剣を背負い、赤銅のマントを身に付けた端正な顔立ちの男だった。彼こそが魔王を討ち世界を救った男――勇者アルバート・エリュシオンである。
「は、はい……!お、お伝えしにくいことですが、今年は悪天候に見舞われる日が多く、麦の収量が安定せず価格が上昇し続けております!民の暮らしにも影響が出ている状況で……」
「ならば国庫を解放しろ」
「しかし農民や漁民への損失の補填で、既に財政がひっ迫している状況であります!これ以上は財源が足りません!こうなれば更に増税をするしか……」
「馬鹿か貴様は?この世情で更に税を上げればいよいよ民の暮らしは余裕のないものになるだろう。第一、農務において悪天候はつきものだ。今までのデータをしっかり踏まえて考えれば予測できたことではなかったのか?これはお前の怠慢と言えるのではないのか?」
「そ、それは……」
農務大臣は押し黙った。
「今日中に対応策をまとめて俺に報告することを命ずる。次は騎士団長」
「はっ!今月に入ってから、窃盗・空き巣・強盗の被害数が上昇を続けております!おそらく先の農務大臣の報告にもあった食料品を始めとした値上がりが生活を苦しくしているのでしょう!騎士団総出で市街の警戒と摘発を強めておりますが、とても手が回り切らない状態であります!」
「そうか……再犯者は始末するようにしろ」
「はっ!は……?」
「刑務所に割く人員も削減できるし抑止力にもなる。一石二鳥だ。法もそれが可能なよう法務大臣に改正を要求する。第一、真に心正しき者ならばどれだけ困窮しようとも犯罪など犯さぬものだ。汚れた魂の持ち主など、今の社会には相応しくない。粗暴な魔族と大差ない存在ではないか」
「はっ、しょ、承知いたしましたぁ!」
騎士団長は深々と頭を下げた。
勇者が頂点のこの社会において、権力の分立など無い。すべてが彼の思うがままだ。
その後も各大臣から報告が上がっては勇者に叱責されるという、似たようなやり取りがしばらく続いた。毎日早朝から一、二時間をかけての会議。この後に日常の業務が彼らを待っている。
「さて、そろそろ締めねばな。それでは唱和に移る」
勇者が立ち上がる。各自、嫌そうに彼に続いた。
「我々はなにゆえ存在するか?」
『人々の暮らしを守り、恒久に脅かされぬ社会秩序の安寧を実現する為であります!!』
「それには何が必要か?」
『邪悪を滅し邪念を廃し、誠心誠意を以て職務に当たることであります!!』
「邪悪や邪念を打ち払うにはどうすればよいか?」
『節制、貞淑、救恤、忍耐、勤勉、感謝、謙虚に徹し、健全な肉体と高潔な魂を目指して日々励んでまいります!!』
「すべては完全なる正義と平和のために!」
『すべては完全なる正義と平和のために!!』
勇者に続いて、一同は声を上げる。
唱和は議事堂の外にも漏れ出るほどに大きく轟いていた。
「さて、次は霊山の頂上に向かわねばな」
勇者は全身に光を迸らせると、勢いよく空に浮き上がって飛んで往った。
霊山の頂上を目指し、行進している集団がいる。標高四千メートルを越える過酷な環境を、軽装備で重荷を背負って残雪を踏みしめている。そこかしこから弱音が聞こえてくる。
寒い……
腹が減った……
いったい何時間歩いているんだ……
もう脚が限界だ……
彼らは早朝からロクな食事も摂れないままに、休むことなく歩き続けていた。
先頭を往くリーダーらしき男が、なんとか後ろを鼓舞しながら行進を続けていく。
「ぜえぜえ……み、みんな、頑張るんだ!あともう一息だぞ!」
息も絶え絶えになりながら、ようやく一行は山頂へと辿り着いた。
そこにはまるで武闘場のような石造りの広場があった。しかも刀剣の類が片隅に幾つも用意されている。
しかし彼らはそれどころではなかった。寒さと空腹、疲労、空気の薄さも相まって、誰も彼もが例外なく死人のように具合の悪そうな顔色をしていた。
一斉にへたり込む。
そこに突然、広場に降り立った影が声高に檄を入れた。
「休むな!まだ修練は終わっていないぞ!さあ立ち上がれ!」
黄金の髪を靡かせ、勇者アルバート・エリュシオンがはだかった。
リーダーらしき男がなんとか立ち上がってその場にあった剣を握ると、アルバートに向き直りつつ武闘場に上がる。アルバートも剣を構える。背中の聖剣でなく同じような普通の剣である。
「どうした?目が死んでいるぞ。時間通りに到着したことは褒めてやるが、そんなことでは未来を導く優秀な人材に育たないぞ!」
「ハア……ハァ……ま、参ります!」
アルバートに立ち向かっていく。そして何撃も剣を振るった。
だがその尽くを弾かれると、胴に重い拳を入れられる。
「がはぁ……!」
「隙だらけだ」
男は剣を落とし、力なく倒れ伏した。
アルバートは武闘場の外でへたり込んでいる男たちに目を向ける。
「どうした?次は誰が来るんだ?早くしろ!」
男たちは誰も彼も、疲労と恐怖で体が動かない。
「何だ、その体たらくは?甘ったれるな!」
床を剣で打ち、鋭い声を上げた。
男たちは一斉にビクッと肩を震わせた。
「俺だから話が通じるが、もし相手が魔族や魔物だったらそうはいかんぞ?一方的に殺されるだけだ!今や魔王は滅びたが、未来永劫あのような邪悪な存在が現れない保証はどこにもない。いや、いつか再び邪悪なものが闇より現れるだろう。決して脅かされぬ平和などありはしないのだ!」
その勢いのままに言葉を続ける。
「だがその時、俺は年老いて生きてはいまい。その時未来を担うのはお前たち若者か、あるいはお前たちの子孫になるだろう。なれば今の内に培わねばならぬのだ!何者にも負けぬ力と精神を!」
剣を振りかざしながら叫ぶ、叫ぶ。
「勇者なき世となれば、民のひとりひとりが少しずつでも勇者に足る力と精神を持たねばならない!さあ来い!俺を殺すつもりでかかってみろ!大サービスだ、お前たちの誰か一人でも俺に一撃入れられれば今日は合格としてやる!だができねば飯抜きだ!さあ何人がかりでもいいぞ、来い来い来い!」
男たちはふらふらと立ち上がり、死に物狂いで勇者へと向かって往く。
その表情は勇猛果敢というよりも、自暴自棄という表現がしっくりくるものだった。
昼過ぎに、勇者アルバートは居城へと戻って来る。
あれだけ山頂で剣を振るっていたにも関わらず、彼は顔色一つ変えていなかった。
彼の居城、アルバート城は霊山の中腹辺りに存在している。
この城には彼以外にも常駐の使用人や文官、兵士が何人も滞在している。彼らはアルバートが帰還したのを見るや、一斉に頭を垂れて平伏するがアルバートはいちいち取り合わない。
「さて、俺も自分の業務を進めねばな」
食堂に立ち寄りパン一つを十秒で飲み込むと、早々と自室に向かう。
途中で足元が覚束なくなっている女性文官を見かける。
彼女はアルバートの目の前で転倒した。
「どうした?大丈夫か?」
「は、はい……すみません、昨日はあまり眠れていなくて……」
アルバートは手を貸して彼女を立ち上がらせる。
優しい所作だが、優しいのは貸した手だけだ。
「なんだと?睡眠不足はよくない。眠りが不十分だと何事もパフォーマンスが落ちるからな。なにゆえ寝不足だったのだ?」
「い、いえ、その、ぎょ、業務が溜まっておりまして……」
「そうか、それはきっとお前の怠慢だな」
アルバートはきっぱりと言った。
「タスクにちゃんと優先順位を付けて整理しているか?アプローチが非効率的でタイムパフォーマンスに優れないものになっていないか?基本的に仕事が時間内に終わらないのは、お前の仕事ぶりにおいて熱意か工夫が足りていないのだ。もっと精進しろ」
「は、はい、申し訳、ございません……」
「そこの男も、以前の仕事ぶりはひどいものだったが、今ではだいぶ改善されているぞ。なにかアドバイスでも伺ってみたらどうだ?」
アルバートはそう言うと、近くに居た一人の文官がこちらに振り向いた。
文官の顔は、頬骨が浮き出るほどに痩せこけていて、目ばかりが爛々と輝いている。
「ええ……!ええ……!もちろんですとも!なんでも相談してください!私でよければ力になりますよ!」
「は、はい……あ、ありがとう、ご、ざいます……」
「お疲れですか?疲れるのは疲れたと思った時だけですよ!わはははは」
「そ、そうですね……ご相談は、また、のちほど……」
引き気味に答えた後、彼女は立ち去った。
「アルバート様、貴方のおかげでコンプレックスだった頃の自分も随分と遠い存在になりました!ありがとうございました!それではまた!」
元気よく、痩せこけた男も立ち去った。
いよいよアルバートは自室に辿り着くと、さっそく仕事に取り掛かろうとドアノブに手を掛ける。
そこに大慌てで、先ほどとは別の女性文官が駆け寄って来た。
「ア、アルバート様!ご報告したいことがあるのですが……」
「どうした?知っての通り、俺は忙しい。たいした用事でないなら後にしてもらえるか?」
「き、緊急事態なのでございます!」
アルバートの冷徹な迫力に、文官は怖気づきながらも報告を続ける。
「アーティファクトの中央制御装置をチェックしていたのですが……アーティファクト七つの内、テンペランティア設置分とキャスティタス設置分から故障信号が発報されているのを確認いたしました!」
「……!なんだと……!」
その時、さしものアルバートも、いささか動揺したような表情を見せていた。




