太極
アレクスの口から出た聞き慣れぬ言葉に、俺は思わず聞き返す。
「た、太極?いったい何のことだよ?」
「ハンナ、覚えとらんか?魔王を倒して少し経ったあたりで、ハインリヒが発表した論文を……」
「あーなんかあったわね、そういえば。太極……反属性同士が調和することで爆発的な力が生まれるとかいうやつだったかしら?」
「せやせや!それや!」
なにやら元勇者パーティ同士で話が進んでいる。
俺にはなんのこっちゃだ。
「よ、よく分かんねーけどよ……俺やアレクスが魔族側と合体できたのは、その太極って現象によるものなのか?」
「おそらくな。分かるように説明したるわ。まず万物が何から出来とるかは知っとるか?」
「そ、それは聞いたことがあるぜ。四元素……地水火風の四つから出来てるんだろ?」
「せやな、だがその四元素も大元を辿れば光と闇から生じとるんや。その二つがすべての根源なんやな」
唐突に始まった講義を、俺とクモラ、魔族二名は黙って聞いている。
「太極というのはな、ハインリヒが古代の文献から引用した言葉らしいんや。文献によれば世界は陰と陽の二つによって成立しとるらしい。陰と陽ってのは要するに光と闇やな。その相反する二つが結び付いて世界が成り立っとるっちゅうわけや」
「つ、つまり正反対の二つが合わさっているのが本来の在り方だから、そうした方が力が生まれるってことか?」
「その解釈でええはずや。魔法学の話になるが、昔は反属性同士はぶつけたら互いに打ち消し合うってのが常識やった。火と水、風と土、光と闇がそれぞれ反属性やな。ところが反属性同士を同程度の出力で合わせれば、消えるどころか爆発的な力が生まれるということを魔法使いハインリヒが証明してみせたわけやな」
ハインリヒ……俺は奴の領地で辛い生活を強いられていたから、どうにも苦い記憶ばかりを思い出してしまうが、やはり勇者パーティの魔法使いだけあってかなりの研究成果を出していたのだ。
「どうもこの世のすべては陰か陽に大別されるらしいんや。例えば天地なら天が陽で地が陰、昼夜なら昼が陽で夜が陰、季節なら春夏が陽で秋冬が陰、男女なら男が陽で女が陰、魔族と人間なら人間が陽で魔族が陰や。六属性だと火風光が陽で、水土闇が陰になる。この陰陽ってのはどっちが上とかやない。相反する側が存在しなくてはもう片方も存在し得ないっちゅう概念なんやな」
「それで、アンタやステッドが魔族と合体できたのも、その太極って概念で説明できるということよね?」
ハンナの問いに、アレクスは首肯する。
「初めてステッドとクモラが合体したのを見た時、白い光と黒い光が混ざり合っているのを見たんや。あれは今思うに、陰と陽という相反する属性が融合している状態やったんやと思う」
「それは人間と魔族の組み合わせなら誰でもできるのか?」
「初めはワイも、あんさんとクモラにしかできん芸当かと思っとった。あんさんは人間と魔族の混血やし、クモラは体は人間で魂は魔王っちゅう存在や。お互いに入り混じったモン同士やったからな。けどワイふと気付いたんや、よく考えたらワイもグーラっちゅう魔族が中におることに……」
アレクスは立ち上がり、ここから話にも力が入る。
「ここからはワイの推測になるんやが、相反する同士とは言っても別の個体同士が物理的に結び付くなんて普通はできんやろう。せやけど前にも言ったように七大罪の化身ってのは、生物というより概念に近い存在なんや。そしてよう考えてみい!ワイとグーラの有り様は、現在ちぐはぐになっとるんや!」
「あー!なんか分かって来たかも……」
ハンナも得心がいったような顔つきをしていた。
俺やクモラにはまだ話の真意が掴めていない。
「つ、つまりどゆこと?」
「グーラは神が定めた七つの悪徳の一つ、暴食を体現した存在や。せやけど今のコイツは勇者のことがトラウマになっとるから飯もロクに喉を通らん!”暴食”に対応する美徳は”節制”なんやが、自然とそちらに歩み寄った暮らしをしとったわけやな。そしてワイは人間やから陽側つまり美徳側なわけやけど、知っての通りワイは裏で贅沢三昧の暮らしをしとったからな。節制の欠片もなく暴食に身をやつしておった!」
「人間が悪徳側に、魔族が美徳側に、互いに歩み寄っている状況に奇跡的になっていたってコトよね?」
「そうなんや!ワイ、これに気付いた時ピーンと来てな!もしかしたらワイもグーラと存在を結び付けることができるかもしれんと思い、ほんで上手くいったわけやな。あれは美徳と悪徳……相反する概念が”太極”した状態やったんやろなあ」
な、なるほどなぁ……
ようやく、ある程度の話が掴めてきたぜ!
「あれ?じゃあ、俺とクモラもなんかの美徳と悪徳が結び付いた姿なのか?」
「いやー、それについてはよう分からんなあ。魔王が何かの悪徳に該当しとるんかどうかも不明やしな。さっきも言ったように、お互い半端者同士やから上手くいったという風にも考えられるが……」
「んん?ちょっ!待って待って待って!」
ここでハンナが大声を上げて立ち上がった。
何事かと、一同は彼女の方を見る。
「……話の流れ的に、私もその太極ってのができるのか試すことになると思うんだけど……よ、要するに私は”色欲”という悪徳に歩み寄らなければいけない、ってコトよね?」
「ま、まあそうなるな……」
「いや、やらないからね!?」
迫真の声で言っている。
確かに男嫌いのハンナには荷が重そうだが、アレクスは譲らない。
「せやけどハンナ、我儘言ってる場合ちゃうで」
「嫌ったら嫌!」
「甘いわ!ワイらはゆくゆくはアルバートの奴と戦わなあかんのやぞ?アイツの化け物じみた強さは嫌というほど知っとるやろ?はっきり言うで!七大罪の化身をすべて解放して魔王の力を完全なものにしても、それだけやと間違いなく負ける!実際十年前に魔王は勇者に敗れとるんやからな」
アレクスの声に、一層熱が入る。
「それだけやない、あの超絶意識の高い勇者様は、魔王を倒したからといってこの十年間片時も修行を怠ってはおらんやろう。下手すると十年前よりも強くなっとる可能性すらある!あの頃は勇者もまだまだ駆け出しやったからな。そんな相手に挑まねばならんこの状況下で、太極という現象で力を引き出せるっちゅうんはえらい渡りに船やで!?使わん手はない!」
「うう……でも、でもぉ!」
アレクスの熱弁にも、ハンナは駄々をこね続ける。
代わりに傍らに控えていたルッスリアが口を開いた。
「えーと、要するに魔族の私は美徳側に歩み寄ればいいのよね?」
「そうなるな。ちなみに色欲に対応する美徳は”貞淑”や」
「えー……それってつまり、エッチなことはご法度ってことぉ?」
「そ、そういうことやな」
ここでハンナだけではない、相方であるルッスリアも強烈に不満げな顔をした。
「さ、さすがに嫌かも!わたくし、ずっと性欲を発散できてなくて、もうとんでもなく欲求不満なんだけど!?」
「ダ、ダメや!エッチなことはあかん!」
「じゃ、じゃあもう人間じゃなくてもいいから!豚でも犬でも、オスならなんでもいいからぁ!」
「あかんあかん!お前は貞淑側に近づかんとおそらく太極できん!これは他でもない、お前たちの魔王を勝たせるためにも必要なことなんやで!?」
ルッスリアは、はっとしてクモラの方を見る。
そして彼女の吸い込まれそうに綺麗な瞳を見て、心を落ち着けた。
「そ、そうよね……魔王様の為とあらば仕方がないわ。フフフ……それにいっぱい我慢してから欲望を思い切り解放するのも気持ちがいいしね。この際だし、もう少し我慢していることにするわ」
あれ?もしかしてこの旅が終わったら、大量に男の犠牲者が出るんじゃ?
お、俺はさっさと逃げることにしよっと……
「どうせなら形から入ってみることにするわ。ちょっと待っててね♪」
突然、ルッスリアが翼をはためかせたかと思えば、軽やかに月夜に飛び立った。
少しして、ルッスリアが戻って来た。
夜なのですぐには分からなかったが、月明りと焚き火の光が、彼女の出で立ちが変わっていることを伝える。
なんと!
ルッスリアはシスター服をその身に纏っていたのだ!
「ふふーん、どう?シスター服なんて初めて着たけど似合ってるかしら?」
シスター服なので当然露出などないのだが、胸や尻が布地の下からもありありと存在感を放っていて、かえって淫猥な雰囲気を強めていた。
((うおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!))
俺とアレクスは内心でおそらく同じように叫んでいた。
最近コイツとはシンクロすることが多いな……
(ア、アレクス!大変だ、事件だぜ!露出が一切なくなっているのに、むしろ余計にエロく感じるぞ!)
(ああ、なんということや……ワイの中のエロ観念が覆りそうや……!)
なんだよ、エロ観念って。
(きっとボディビルのリラックスポーズと同じなんや……!ポージングを決めていなくてもこの筋肉ですと周囲にアピールしているように、露出が一切ないにも関わらず布地の下から乳や尻がこれ見よがしに存在をアピールしてくるからエロいんや!)
おお、さすがはアレクスだ……解説が熱いね!
(ワイは昔、とある変態が「本当にエロい女は着ている方がエロい」と言っているのを聞いたことがある。その時は何を言うとるんやこのアホはと思ったモンやが、今ようやくその言葉の意味が分かった……!言葉でなく心で理解できた……!)
こらこらアレクス、そろそろ落ち着け?
ちょっとヒートアップし過ぎだぞ?
勝手にテンション上がっている男二人を余所に、ハンナはルッスリアに不満げな顔で抗議していた。
「ちょ!アンタ、よりにもよってシスター服って!それじゃあ私とペアルックになるじゃない!」
「別にわたくしは構わないわよ?」
「私が嫌なの!」
叫ぶハンナに構わず、ルッスリアはいそいそと何やら服の内側から取り出した。
「まあ貴女には色欲に歩み寄れる衣装を持ってきたから、どうせペアルックじゃなくなるわよ。はいコレ」
ルッスリアから渡された物を受け取るハンナ。
何やら黒くて細長い物体だった。
「え?何これ?紐?」
「水着よ、水着」
「水着……?」
ハンナはワケが分からないといった顔で、渡された物を見つめている。
一方俺とアレクスの紳士両名は、すぐにそれが何であるかを見抜いてしまった。
(ア、アレはーー!?ルッスリアの奴、まさかあのあぶない水着を――!)
(ああ、間違いない……!アレはマイクロビキニの一種、スリングショットと呼ばれる一品やな……!)
人のことは言えないが絶好調ですね?今日のアレクスさん。
「見て見て、紐のこの部分、ちょっとだけ幅があるでしょう?これが乳首を隠すところね。それで二本の紐が繋がって、ちょっと幅があるようになっている箇所があるけど、ここが割れ目を隠すところよ」
ルッスリアの説明を真顔で聞き続けるハンナ。
少しして、驚愕に震えたような声を漏らした。
「……………………えっ!?こ、これ、ホントに水着なのっ!?」
な、なるほど……
なんかリアクションが薄いなと思ったけど、マジで何なのか分かってなかったのか。
「それじゃあ、着てみよっか!」
「着るかあああああああああああああああああっ!!」
今宵一番の絶叫を上げた。
おい、鳥がバサバサ飛んでいったぞ。
「着るわけないでしょ!こんなふざけた水着!バッカじゃないの!?この水着を考えた奴は確実に頭がおかしいわ!」
(それはそう)
(いや、むしろ一周回って天才の所業やとワイは思うで?ワイはあの水着を考えた御仁を末代まで祝福してやりたいぐらいやわ)
止まらんなあ、今日のアレクスは。
「でもハンナ、わたくしが貞淑側に近づいても貴女が色欲側に近づかなければ太極はできないのよ?」
「ふんだ!要らないわよ!そんな力!」
すっかりへそを曲げたように叫び続ける。
「よく考えたらそこのザコオス二匹は太極しないとロクに戦えないんでしょうけど、私は元々光魔法を使いこなせるんだから必要ないじゃない!なしなし!要らないわ!そんな力!」
「せやけどハンナ、この先いかに太極を使いこなせるかがきっと運命を決め……」
「うるせええええええ!この私が色欲とかいう悪しき概念に歩み寄るワケないだろ!バーカ!」
「な……!バカとはなんや!このアホ!」
「バーカ!バーカ!」
「アーホ!アーホ!」
……あーあ、こりゃもう収集つかねえや。
騒ぎ立てる二人は放っておいて、俺とクモラは一足先に眠ることにした。
この先上手くやっていけるんだろうかという不安と、旅が賑やかになってきたなという充足感……相反する二つの想いに揺らされながら俺は眠りの中へと落ちていくのだった。




