少女との邂逅
しばらくして、俺はなんとか立ち上がれるようになった。
しかし新たな問題に直面する。盛大に腹の虫が鳴った。
「ううっ……くそ、腹減ったなぁ……」
俺はすきっ腹を抱えたまま、とぼとぼと歩き出した。
マイボールにひどいことをされたばかりか、せっかく集めた食糧を丸ごと奪われてしまった。まさに泣きっ面に蜂だ。
「ちくしょう!昨日だってロクに食えてねえってのに……!」
腹を鳴らしながら、俺はどうしたものかと考える。今からまた戻ったところで、先ほど投棄されたゴミはほとんど取り尽くされているだろう。それに今までの経験から、同じ日に何度もゴミが投棄されることはまずありえない。ある程度溜まったものを一気に捨てるからだ。今さら戻る意味は果てしなく薄かった。
一応、ゴミが投棄されるポイントは他にもあるらしいが、そもそも中心街を取り巻く環状の外周部すべてが廃棄区域に該当する。要するに無茶苦茶広い。俺は現在居るこの辺りしか詳しくないから、他の投棄ポイントは何処にあるのかとか、投棄される頻度等ちっとも知らない。
(こうなりゃ、いっそ誰かから食い物を奪うしかねーか?うう、けど強そうな奴に挑んでも返り討ちに遭うだけだしな……)
いよいよ空腹も限界に近かった。
俺でも勝てそうな、食糧を持っている奴を見つけなくては……!
俺は狩りをする獣のような目で、辺りを見渡しながら歩いている。
しかし都合の良い獲物というのはそうそう見つからないものだ。食糧をたんまり持っているのはやっぱり強そうな男が多く、女はたいがい腕っぷしの強い男をたらし込んでいる。先ほどの少女のように子供だけで暮らしている連中もいるだろうが、そういう連中はえてして目立たない場所をねぐらにしているものだから簡単に見つかりはしない。
ところが俺はしばらく歩いたところで、絶好の獲物を見つけることになる。
突如「ドロボー!」という声が聞こえたのでそちらの方に視線をやったのだが、一人の小柄な少女が袋を抱えてすたこらさっさと走っている。齢は先ほどの少女よりも更に幼い、十歳くらいだろうか?ボロを纏い、クリーム色の長く汚らしい髪だった。
彼女もおそらく、飢えに耐えかねて食糧を盗み出したのだろう。
(アイツなら……!)
少女の後ろ姿を見つめながら舌なめずりをする俺は、もはや獣以外の何物でもなかった。
◇
少女はねぐらに帰ろうとしているのだろう。
俺は気付かれないよう、適度に距離を空けながらそろりそろりと付いて行く。
何故すぐさま奪おうとしないかにはワケがある。
(わざわざ子供が危険を冒して盗みを働いているんだ、おそらく大人の保護者はいない!独りか複数かは知れないがみんな子供ばかりだろう……このままねぐらを突き止めて、食糧を根こそぎ奪ってやる……!)
もはや先ほどの一件から、子供に対する憐憫の情は無くなっていた。
しかしどうしたことだろう?少女はずんずん深い森の中へと入っていくではないか。
狩りをする獣にふさわしい場所に移ったというのに、俺はだんだん萎縮し始めた。
(おいおい、なんで森の中に入って行くんだ?狂暴な野犬だって出るのによ……)
今までの描写から、廃棄区域はほとんどが荒れ地で構成されているように思うだろう。しかし実際は中心街から廃棄区域に向けて排水が流れているので、流路周辺には森林が広がっている。
だが森林となっている箇所は、居住地としてはあまり人気がない。
まず街から流れる排水が川となっているのだが、下水なので水はひどく汚らしい。幾度も煮沸や濾過を繰り返さねば飲めたものではない。魚もほとんど暮らしておらず、虫ばかりが湧いている。こんなところで水を得て病気になっては元も子もなく、結局水は雨水を溜めて凌ぐ者が多い。
それに加えて森には狂暴な野犬が生息している。人間の食糧となるような植物が豊富なわけでもなく、生息している他の動物も野鼠程度のものだ。危険を冒してまで森に入る意義は薄い。はっきり言って皆そうしているように、中心街との壁際近くで暮らしていた方がよほどまともな食糧にありつきやすいのだ。
しばらく俺は少女を尾行しながら、おっかなびっくり森の中を歩き続けた。
或る時、急に開けた場所に出たと思ったら、少女はダッと駆け出した。
「わんわんお!ごはん持ってきたよ!」
何か巨大なものに近づきながら、声を掛けている。
――俺は驚きのあまり声を上げそうになった。そこには人間の数倍はあろうサイズの野犬が、ぐったりした様子で地面に伏していたのだ。
「がんばってお肉見つけてきたんだよ!これ食べて元気出してよー!」
少女が袋を開けてバサバサすると、食いかけのハムのようなものが転がり出て来る。しかしその巨大な犬は微動だにしない。
(な、なんなんだよ、あのでけぇワン公は……?しかしぴくりとも動かねぇな。怪我をしている様子もねえし、病気か老衰で死にかかっているとかか?)
俺は少し離れた場所から、虎視眈々と食糧を強奪するチャンスをうかがう。しかし犬に向けられる少女の眼差しは真剣そのもので、どうにも邪魔しがたい雰囲気があった。それに飛び出したところで、あの犬が急に動いてガブッとやられたら嫌だしな……
ところが、俺の慎重な行動はとんだお邪魔虫に台無しにされる。
森にうようよ居る虫のことかって?違うね!腹の虫だ!
ぐぎゅるるるるるるるるるるるるる……!
「あ……」
「……だーれ?」
少女は振り向き、俺の存在に気が付いた。
驚きの表情はなく、哀しみだけに彩られた瞳だ。
「いや、そのぅ、森で食糧を探してたらたまたま居合わせちまったんだがよぉ、そ、その犬、いったいどーしたんだ?」
俺は咄嗟に嘘を吐いた。
意外なことに、少女に怪しむ素振りはなく、それどころか縋るような目を向けてきた。
「あのね、わんわんおが動かなくなっちゃったの……ぜんぜん元気にならなくて……」
わんわんおってのはこの犬の名前か?
またけったいな名前だな……
「今までずっとわんわんおがごはんを持ってきてくれたんだけど、動かないから自分で探しに行ったの……せっかくお肉見つけてきたのに、わんわんおちっとも食べてくれないんだよー」
待て待て!信じがたい情報が飛び込んで来たぜ!
この犬が今までずっと食糧調達をしてこの少女を養ってきたっていうのか!?
「わんわんお!ごはん食べて元気になってよー!」
哀し気な瞳で伏せた犬を見つめている。
もはや死にかかっていることが、内心では分かっているのかもしれない。
(……可哀想だが、俺にゃどうにもしてやれねぇよ)
近づき、そっと犬に触れてみる。
ほのかに温かい。まだかろうじて生きているのかもしれなかった。
(……けど、これじゃもう)
俺はそのまましばらく考え込んでいた。
ああでもない、こうでもない。頭の中で自問自答を繰り返していたのだが、やがて随分と厳かな声が脳内に響くようになった。明らかに俺の声じゃなかった。というか女性のような声質に感じる。
【ほう、これは面白い……!お前からは魔族と人間、両方の気配を感じるぞ……!】
声がはっきり聞こえてくると、いよいよ俺は戦慄した。
びびって当然だ、急に頭の中にわけの分からない声が響いたんだからな。初めての経験だったし、それに随分と身の引き締まるような声音だった。
(な、何だ……?いったい誰の声だ?ま、まさかこの犬が思念で喋りかけて――?)
俺は口に出さず、脳内で思っただけだ。
しかしその謎の声は、思念にも反応して応答してくる。
【違うな、この犬には今まで我のお守りを任せていただけだ。我が本体は犬ではなく、そこな少女の方にある】
脳内で会話が成立しているのだから、俺はまたしても驚いた。
(じゃ、じゃあ、いったい……あ、あなたはどちら様で……?)
びくびく怯えながら尋ねる俺に、謎の声はさらなる恐るべき情報をもたらした。
【この世界で我が名を知らぬ者はほとんどいるまい……我が名は魔王モラクレス……!かつて世界を恐怖で染め上げ、そして勇者に敗れた存在だ】