TS薬で街潜入
ギュンターの助けを受けて隔離区域から脱出を果たした俺たちは、それから大聖堂のある中心街に向かってひたすら歩を進めた。数刻ほどして、街の入口付近に到達する。
そして俺たちは今、街道から外れた人目のつかない茂みの中で作戦会議をしている。
「で、どうするよアレクス?着いたのはいいがこのまま無策で入るわけにもいかないだろ?クモラは女だからいいが、俺たち二人は男だ。女しかいない街なんてのにうかうか入り込んだらすぐに騒ぎになっちまうぜ」
「安心せいステッド、ワイに秘策ありや」
アレクスは笑みを浮かべながら、ゴソゴソと懐をまさぐる。そしてピンク色の薬品が入った試験管のような物を取り出した。
「ジャジャーン!これこそワイのお宝十指の一つ、その名もTS薬や!」
「TS……?って何だ?」
聞き慣れない言葉に俺は首をかしげる。
「トランス・セクシャルの略称やな。つまり性転換ってことや」
「性転換……えっ!?も、もしかして女になれるってコトか!?」
クスリの予想外の効果に声を上げて驚いてしまった。
「せやせや。男が飲めば女に、女が飲めば男にたちまち変わってまう摩訶不思議なクスリや。コイツは大変希少な代物でな、ワイもこの一本しか入手することができんかった。今までは勿体なくて保管していただけやったが、ワイは今が使うべき時だと判断した」
ア、アレクス、お前って奴は……
「ステッド、とにかくコイツを二人で半分こして飲むで。ただ一本を二人で飲むんや、おそらく制限時間も半減する。飲んだ後は寄り道厳禁で大聖堂に向かわなあかんで」
「わたしも!わたしも飲んでみたーい!」
「ダアホ!女のお前が飲んだら男になってしまうやろが!それじゃ意味ないねん!」
ぴょんぴょん跳ねて主張するクモラを、アレクスが諫めた。
そして容器のふたを空けて半分ほど飲むと、残りを俺の方へと渡してくる。少し躊躇したが、俺は意を決して残りのクスリを飲み干した。
しばらく何も起きずに二人して棒立ちになっていたが、突如としてピンク色の靄のようなものに包まれる。それとともに上手く言い表せないが、なにやら自身の体が変質していっているかのような奇妙な感覚に襲われる。眩暈の中で視界も不明瞭だったが、やがて周りが見えるようになった頃には靄も晴れていた。
――眼前には赤髪で糸目ギザ歯の、粗末な旅装束に身を包んだ女性が佇んでいた。
(す、すげえ……!このクスリ、本物だ……!)
確実に女の体だが、顔の特徴や服装は完全にアレクスのそれであった。
そのアレクスの形質を持った女は、自身の両手や体つきをジロジロと見回しながら、興奮に昂った声を発する。明らかに普段よりも高い声音だった。
「おお……!ホンマや!ホンマにワイが女になっとる!やはりコイツは正真正銘のお宝やったんや!」
昂りながら、今度は自身の胸を揉みしだき始める。
「おお、なんということや……ワイにおっぱいがついとる!感無量やわー!コイツは奇跡体験やで!」
そして下半身の方に手を伸ばした途端、複雑そうな顔をした。
「うう、そしてこの股間のすっきり具合はなんだか落ち着かんな……あるべきものがなくて、ないべきものがあるこの違和感……慣れるのに少し時間がかかりそうやな。ステッド、そっちはどうや?」
アレクスは俺の方に視線を向ける。そしてブフッと噴き出した。
うん、鏡なんて見なくても今のリアクションで分かったよ、俺の見た目がどうであるかを。きっと女になっても元のブサイク面のままなのだろう……
「ギャハハハハハハッ……!ブッサ!なんやねん!こんな女おってええんか!?娼館行ってこんなん出てきたら速攻でチェンジやわ!ワーハッハッハッ!」
アレクスはおかしそうに腹を抱えて笑い転げている。
腹立つなコイツ……正直、俺の見た目が醜いままなのは予想通りではある。何がムカつくって、コイツがそこそこの見た目の女になっているところなんだよな。まあ別にアレクスは、俺と違ってブサイクというわけではないからな……
ところが、俺が下品な笑い声を聞きながら不憫な気持ちで突っ立っていると、クモラが駆け寄って来て、「ステステ、かわいい!」と言ってきたのだ。
「へ?そ、そう?」
「うん!」
にっこりと、満面の笑みで言うのである。
慰めや同情からではなく、本心で言っているように思えた。クモラはどういうわけか、やけに俺を肯定してくれる。全肯定も全肯定だ。きっとクモラの中の俺と、実際の俺との間にはかなりの乖離があるだろう。それでも彼女のような存在が傍らに居続けてくれることは、俺に確かな喜びと勇気を与えてくれていた。
そういうわけで、気を取り直すと眼前の笑い転げる女に一喝、
「おい!いつまで笑っているんだよ!制限時間が切れる前に大聖堂まで到達しなくちゃいけないんだろ!?だったら急ごうぜ!」
俺の声もそれなりに高い女性声へと変わっていた。
アレクスは思い出したように、パッと飛び起きる。
「はっ!そうやったわ!あんさんがあんまり面白いボケかますモンやから、すっかり抱腹絶倒してもうたわ!」
コイツ……ナチュラルに人の顔面をギャグ扱いしやがって!
「急ぐで!ステッド!初めて使うクスリやさかい、ワイも具体的な残り時間は知らんでな!」
「お、おう……!」
「二人とも待ってー!」
こうして茂みから飛び出した三人の女は、市街の入口の方にまで走っていくのだった。
薬草採取をしていた体で門を通過して、なんとか俺たちは城壁に囲われた街の中へと入り込むことに成功した。そして予想通りではあるが、中には実に珍妙な光景が広がっていた。どこを見ても女、女、女……本当に男のひとりも風景に見出すことはできなかった。
眼前の光景に唖然としながらも、改めて目的地を探す。
遠くを見れば確かに、優美かつ荘厳な大聖堂の建物が見えていた。白い石レンガ造りで、複数の尖塔を備えている。街の中央辺りだ。
門からの道は市街の大通りに連なっていて、そのまま直進すれば迷うこともなく大聖堂まで辿り着けそうであった。
「なんかこのまま直進すればよさそうだな」
「いや、大通りやと人目も多いからな。ワイらは今女とはいえ余所者なんや、無意味に目立つ必要あらへん。少し路地裏の方を通っていこか」
アレクスの先導で大通りから逸れ、裏街の方に入りながら目的地を目指す。アレクスの足取りには迷いがなかった。きっと十年前にも旅の中でこの街を訪れていて、その頃から根本的な区画は変わっていないのかもしれない。
道すがら、色々と考えさせられるものを見た。
例えばゴミの散乱や壁の落書きで汚れている箇所が随所に見受けられたり、気の弱そうな女に集団でタカリをしているところなんかも目撃した。
「な、なんつーか……男を追い出したところであんまり変わってなくないか?治安の悪そうなところは相変わらず悪いってゆうか」
「まあ、そんなモンやろ」
アレクスは冷静に言いながら歩き続ける。
「きっと全部が善の人間も悪の人間もおらんのやろう。個人の資質や性差というのもあるが、それ以前に人間の気質なんてモンは、時代や環境次第でいくらでも変動しよる。せやから今現在悪として顕在化している存在を追い出して、それで万事解決した気になっても、結局いつか別のモンがなんかの拍子に悪に染まるんや。追い出しても追い出しても終わらん。堂々巡りや」
「じゃあ、平和な社会を創ることは不可能ってことか?」
「人が人である限りは、完全にってのは難しいんちゃうか?自分だけはええ思いをしたいってのは、誰だって大なり小なり思っとるはずやからな……現実的なアプローチとしては如何に悪を根絶しようとするかではなく、如何に妥協して折り合いを付けてゆけるかを考えることかもしれん」
「それはそれで、結局難しそうだけどな……」
「せやなあ……けど完全に正義だけの社会なんて絵空事やとワイは思うで?まあそれをムリヤリ実現しようとしてるんが我らが勇者様なんやがな」
勇者アルバート・エリュシオン。
完全無欠の存在であり、他者にもそれを強いる完璧主義者であるというのは既に聞いた話だった。
「ワイらの旅は言わばアルバートの歪な理想を止める為のモンや。その為にはあんさんが己の理想ってモンを強く持たなあかんで」
「理想か……このキャスティタスの領主ハンナも、自分の理想通りの社会を実現しようとしているわけだよな?」
「いーや、アイツはアルバートと一緒にしたらあかん。アルバートはあくまでも人々の為に政治をしとるが、ハンナに関しては完全に自己満足やと思うで。アレはそーいう女や」
「そ、そんなひでえのか?」
「逢えば分かる。まあ、逢いたくはないがな」
夢中で話している内に、気が付けば大聖堂の寸前にまで辿り着いていた。