旅立ち
そして朝食を済ませると、いよいよ旅立ちの時がやって来る。
見送りに来てくれたのはマルグリットさんだけではない。アランやピエール、その他大勢の農村の人たちが俺たちを見送りに来てくれた。
マルグリットさんは皆に、俺たちが魔王の力を持っていることを伝えたようだった。きっと悪いようには取らないだろうと考えたからだ。実際その通りで、みな俺たちの事情を好意的に受け止めてくれていた。
「頑張れよー!ステッド!クモラー!」
「ありがとなー!」
旅立つ俺たちに、みな口々に声援を送ってくれている。
今までこんな経験をしたことがなく、思わず涙腺が緩みそうになった。
気付けば、マルグリットさんが歩み寄って来る。
「ステッド殿、クモラ殿……そなたたちには本当に世話になった。よければまたテンペランティアを訪ねてほしい。きっと歓迎すると約束しよう」
「ああ、ありがとう。マルグリットさん」
「畜産や酪農といった産業も復活することだし、次にそなたたちが来る頃には食事も味気ないものではなくなっているはずだ」
「……一つ聞きたいんだが、マルグリットさんとしては、やっぱり本音は動物を殺すことに反対か?それを徹底し過ぎるのもよくないってのは、今回のことで分かったけどよ」
去り際にふと、気になったことを尋ねた。
「そうだな、命を慈しむ気持ちは今でも変わらない。しかし私はこう思う。”命を慈しむ”ということと、”命を頂く”ということは相反する概念のように見えて、共存し得るのではないかとな。それこそ自然界のあるがままのように……まあ結局、我々は我々でより良い形を模索していくべきだろう」
「……そうかもな」
「案ずることはない。人には未来を想う優しさと未来を考える知恵、そして未来を切り開く勇気がある。我々はきっと大丈夫だ、そなたたちには後顧の憂いなく旅立ってほしい」
話を終えると、俺とクモラは歩き出す。
マルグリットさんは大きく手を振りながら、朗らかに声を上げた。
「ステッド殿、クモラ殿!それではまたいつの日か!そなたたちの旅路に希望があらんことを祈っている!」
「ああ!きっとまた来るぜ!」
「またねー!」
マルグリットさんの背後では、大勢の村人が手を振っている。
俺とクモラは手を振り返しながらも、どんどん歩を進めていく。
やがて互いの姿が見えなくなると、俺たちはしばらく黙って歩き続けていた。
「ねーステステ、これからどこに行くの?」
「んー、そうだな……どうしよっか?」
そう、旅に出たのはいいんだが、何を隠そう俺はこの世界の地理に詳しくない。
一応マルグリットさんに周辺の地理については軽く聞いていた。俺たちが居たディリゲンティア(現ハインリヒ領)は世界の中心に位置していて、現在居るテンペランティアはその南に位置している。それで、テンペランティアから東に進めばキャスティタスという海沿いの国が、西に進めばパティエンティアという荒れ地の国があるらしい。
ただ結界で分断されて何年も経っているから、マルグリットさんたちも現在の詳しい事情は知らない。よって行き先を頭で決めることなどできずにいた。
「うーん……とりあえず東か西、どっちかに歩いていくか?でも他領の現状がどうなってんのか全然分かんないんだよな」
俺たちが行き先を決めあぐねていた時のことだ。
背後から「おーーい!」と呼びかける声を聞いた。
俺はどきりとした。その声にはとても聞き覚えがあったからだ。あと嫌な思い出も。
やけに大きな声量に、独特の話し方……
「ようやっと見つけたで!ステッド!クモラ!」
「いいっ!?アレクス!?」
俺は驚きのあまり、素っ頓狂な声を上げていた。
投獄されているはずの商人アレクスが、何故だか俺たちを追って来ていたのだ。
「テ、テメー!何の用だ!まだ俺たちとやろうってのか!?」
「ちゃうわ!もうあんさんらと戦うつもりはあらへん。そこは安心しいや」
見れば、アレクスは当初着ていた高級そうなローブではなく、質素な旅装束に身を包んでいる。身に付けていた首飾りや指輪もすべてなくなっている。蓄え込んでいた財産は本当に没収され尽くしてしまったのだろう。
「第一オメー、牢屋にぶち込まれてたはずだろ!?なんで外に出て来てるんだよ!?」
「ワハハハハ!ワイを誰やと思うとる!ワイは世界最高の商人――!」
得意げに言いながら、アレクスはゴソゴソと懐をまさぐる。
何やら水晶色の、鍵のようなものを取り出した。
「ジャンジャカジャーン!これこそワイのお宝十指の一つ、変幻自在の鍵や!コイツは鍵穴に合わせて鍵自体が形を変えよる摩訶不思議な一品でな、コイツをパンツの中に仕込んでいたからワイは牢から脱出できたっつーワケや!」
な、なんと……!そんな珍妙なものが……!
ん?コイツどこに仕込んでたって言った?パンツ?やだ、触りたくない!そんなところに隠していたから取り上げられずに済んだんだな!
「ま、まあ、脱出できた訳は分かったよ。けど戦う気もねえなら、なんで俺たちの元に?」
「決まっとる!この世界を叩き直す為に旅に出るんやろ?ワイもあんさんらを手伝ったろうと思ってな!」
「へ?」
俺もクモラも、アレクスの発言に目を丸くして驚いていた。
手伝う?コイツが?守銭奴という言葉が服を着て歩いているような、欲望と邪悪を煮詰めて擬人化したような奴だってのに?
「どういう風の吹き回しだよ!?俺たちに協力して、それでお前に何の得が――」
「いやなー、ワイ牢の中で考えてん、今後ワイはどうするべきなんやろうってな。権威も失墜し財産も奪われ、このままやとワイに未来は無い」
いや、そりゃそうだろとしか……
自分が犯した罪の重さを分かってねえのか、コイツは。
「せやから思ったんや、こうなればいっそあんさんに協力してあんさんを勝ち馬にしたろうってな!アルバートの政治がクソなんは事実やし、あんさんがこの世界を建て直せば、あんさんは晴れてこの世界の英雄様や!そうなればあんさんに協力したワイも”勇者パーティで一番早くに脱落した敗北者”から、”一番早くに勇者アルバートを見限り英雄を支えた協力者"に様変わりや!ワイの権威を回復するにはこれしかないと思った……!」
熱弁するアレクスを、俺もクモラも冷めた目で見つめている。
セ、セコい……!やっぱりコイツ自分のことしか考えてねえぞ!もう一度牢に放り込むべきなんじゃ……
「なあ、ええやろ?なあ?ワイはこれでも商人として、勇者パーティの縁の下の力持ちやった存在や。戦いは苦手やけど世界のことには詳しいし、元々の仲間なんやから勇者パーティについても詳しいで!」
グイグイ来る。コイツが商人として成り上がれた秘訣は、この図々しさにあるのかもしれない。
俺は追い返すべきかと考えたが、アレクスの言うことにも一理あった。俺はこの世界についても、勇者パーティについても知らないことだらけだ。事情通のコイツが仲間になれば色々と助かることは間違いない。それに初めは警戒したが、どうやらアレクスは本当にもう俺たちとやり合うつもりはなさそうだった。
「うーん、どうしよっかな」
「ええやろ?頼むで!」
「でもお前、悪いことしたからなー」
「ワイは心を入れ替えたんや!もうあないなことはしない!」
「ホントかなー」
「天地神明に誓うで!」
俺は段々コイツをからかうのが楽しくなってきて、もったいぶった演技をして遊んでいた。けど終いには承諾の返事をした。
「……あー、分かったよ!分かった!俺たちゃこれから旅の道連れだ!」
「やったで!流石はステッドや!ワイはあんさんなら分かってくれると信じとった!」
途端に弾ける笑顔で言ってくる。
調子のいいやつだ……けど追い返したところでムリヤリ付いて来そうだしな。
しかし俺は承諾しても、まだ一人了承を取り付けるべき相手が居る。
傍らに視線を移すと、クモラはずっと不満そうな目でアレクスを見ていた。当然だ、あれだけ殴る蹴るされたんだからな。挙句の果てに、蛇型殺戮機に絞め殺されそうになったわけだし。
アレクスは俺との話を切り上げると、今度はクモラの方におべっかを使ったような表情で話しかける。
「あー、クモラ……あん時はすまんかったな。ワイも頭に血が昇ってもうてたんや。どうか許してくれんか?」
「つーん」
クモラはぶすっとした表情でそっぽを向いている。珍しい姿だった。アレクスの奴は困ったような顔をしたが、何か策がありそうにゴソゴソと懐をまさぐる。
「ワイも悪かったと思うとる……!せやからお詫びの印に贈り物や!」
そして洒落た装飾の小さな箱を取り出した。
「じゃーん!高級チョコレートやで!質のええカカオとミルクで作った極上の一品や!どうかこれで機嫌を直してくれへんか?」
箱を開けると香り高い茶褐色の塊がズラッと並んでいる。
カカオはともかくミルクはこれまでのテンペランティアでは生産できなかったはずだから、これもアレクスが自分の館で秘密裏に作らせていたものだろう。本当に裏では贅沢三昧していたんだな。
クモラは不思議そうな顔で目の前の菓子を見つめている。おそらくクモラはチョコレートを見るのは初めてだろう。
「これなにー?」
「食ってみい!甘くて美味しいで!」
クモラは言われるがままにチョコレートを一つ摘まみ上げて、口に放り込んだ。アレクスへの敵意より未知の食べ物への興味の方が勝ったらしい。
しばらく味わうような顔をした後、途端に目を輝かせる。
「おいしーーい!なにこれーー!?」
「うまいやろー?全部食ってええで!」
「ちょーだい!もっとちょーだい!」
「それでクモラ……ワイのことは許してくれるか?」
「うん!ゆるしてあげるー♪」
ク、クモラさん!?いくらなんでもチョロすぎやしませんか?
後でお菓子くれるって言われても、知らない人には付いて行かないように言っておかなきゃ。ふとした拍子に誘拐されそう……されそうじゃない?
クモラの懐柔に成功したアレクスは、したり顔で俺の方を見てくる。
「さてと……そいじゃ話もまとまったことだし、どこかで腰を落ち着けて話し合おうや。これからどこに向かうかも決めとらんのやろ?」
「ああ、俺たちゃ地理にも勇者パーティの事情にも詳しくねえからな」
「安心せい、今はワイが居る。それにあんさんらの持っている不思議な力についても聞きたいしな」
そういや、コイツはまだ俺たちの秘密を知らないんだったな。
俺たち三人は手頃な場所を求めて歩き出す(クモラはチョコレートを頬張りながら)。
しかし数奇なものだ。
これまで閉じた世界で暮らしていた俺が、こうして外の世界に居る。
これだけでも感無量だってのに、魔王の魂を持つ少女と旅に出るという胸躍る展開となった。対立していたはずの、勇者パーティの商人まで加わるというスパイスを添えて。
クモラはずっとチョコレートに夢中だったが、俺はどこかすがすがしい気持ちで空を仰いでいた。その伸ばしたために、よく見えるようになった俺の首筋を見て、アレクスは何か言いたげな顔をした。
俺は気付いていなかったのだ。
昨夜の情事でキスマークが付けられていたことに!
コホンと咳ばらいをしながら、
「せやステッド、言いたいことがあるわ。忘れん内に言っておくな」
「な、なんだよ?」
「ゆうべはおたのしみでしたね」
「……っ!グフフフフフフフフフ……!」
この時俺は、なんとも気持ちの悪い顔をしていたことだろう。