すべてはゴミ捨て場から始まった
夜空の下を、ひとつの白い光が飛行している。
(おのれ、勇者め……まさかあれ程の力を持つとは)
その白い光は失意と迷いの中で揺れているようだった。
(このままでは我が魂までもが消滅してしまう……もう誰でもいい、我が魂の器となる存在を探さねば。しかし動物や魔物程度ではダメだ、やはり魔族や人間のような知的生命体でなくてはならないだろう)
やがて森の上に差し掛かったところで飛行を止めた。
泣き声が聞こえる。人間の、捨て子のようだった。
(…………)
その白い光はするりと森の中へと降りて行った。
◇
この世界はかつて、魔王モラクレス率いる魔族の侵攻を受けていた。遥か次元の彼方から現れた魔王は世界征服を宣言し、おびただしい数の魔物を放った。世界は混迷を極めていた。
しかし魔王の脅威は突如として消え去ることになる。
十年前に勇者アルバート・エリュシオンが魔王モラクレスを討ったからだ。
”勇者”アルバートには七人の仲間がいた。
”戦士”ダニヤン、”武闘家”ラヴィアン、”魔法使い”ハインリヒ、”神官”ハンナ、”商人”アレクス、”盗賊”シューザ、”スーパースター”キアラの七名。アルバートは旅の中で出会った頼もしき仲間たちとともに魔王を討伐した。
――そして世界は現在、アルバートと七人の仲間たちによる分割統治の状態となっている。
では、その統治は素晴らしいものなのか?
いやいや、ロクなもんじゃない。
「おい!始まったぞー!」
一人の男が叫んでいる。
俺たちはボロボロの衣服を着て、荒廃した土地の上で、天からお恵みが降って来るのを今か今かと待ちわびている。
やがて眼前の高い壁の穴が開いたかと思えば、どさどさと、大量のゴミが投棄され始める。俺たちは我先にと、まだ食べられそうな残飯や使えそうな粗大ゴミを奪い合っていく。
「てめえ!それは俺が先に見つけたパンだぞ!放しやがれ!」
「うるせえ!おりゃ三日もロクに食えてねーんだぞ!これは俺のモンだ!」
男も女も老いも若いも入り混じって、ゴミを奪い合っている。そこかしこで殴り合う男たちの喧騒が聞こえてくる。
この俺――ステッドもまた、そんな醜い光景の一部だった。
「どけどけどけ!この食糧は全部俺のモンだ!」
バタバタとゴミ山の上を、俺は見苦しく這いずり回っている。
「近づくんじゃねえ!俺のだ!全部、俺のだーーっ!」
その姿はとても直視に堪えないものだったろう。
しかしそうも言っていられない。生きるためには仕方のないことだった。
此処は勇者パーティのひとり、魔法使いハインリヒが治めるハインリヒ領。その外周部にあたる”廃棄区域”と呼ばれる土地。
此処はいわゆるゴミ捨て場。しかしゴミだけでなく、生きるに値しないと判断された人間までもが捨てられる場所だった。領主ハインリヒが優生的な思想を持つ男だからこそ、まかり通っていることだった。
「へへへ……やったぞ!今日は大漁、大漁だぁ!」
俺はご満悦といった表情で、食糧をたんまり収めた袋を抱えながら廃棄区域を歩いている。
廃材から造った粗末な小屋が至る所に建っているのが見える。
地面は乾いた土が露出していて、およそ使い道のなさそうなガラクタが大量に散らばっている。埃っぽい風が絶えず吹いている。
こんな場所で生きていくというのはもちろん容易なことじゃない。
しかし此処にいる人間は、どいつもこいつも他に行く宛てが無いのだから此処で暮らさざるを得ない。いや、行く宛てがないというよりは、他の何処にも行きようがないんだ。
領民が暮らす中心街は此処よりずっと高い位置にあるので空でも飛べない限り戻れないし、それにこのハインリヒ領全体が不思議な結界のようなものに囲われているため他領に逃げ出すということもできない。廃棄された人間は、このゴミ捨て場でのみ生きることを余儀なくされる。
(いつまで続けりゃいいんだろうな……こんな暮らしを)
もはや死ぬしか、救いの道は無いのかもしれなかった。
しかしこの俺、ステッドには少々特殊な事情があった。実は俺はこの廃棄区域にいる他の人間たちとは違い、廃棄されたから此処にいるわけではなかった。むしろ自分から進んで此処まで逃げ出してきていた。
――何故なら、俺は魔族と人間の混血だったからだ。
無論、勇者の治世となった今の世界で魔族の存在が認められるはずがない。
勇者アルバートが世界を救ってからというもの、魔族や魔物はほとんどが滅ぼされたという。俺も見つかれば魔族の血が入っているんだから当然命は無い。
そんな俺がこれまでどうやって生き抜いてこられたのか?
実はウィリアムという親切な神父さんに匿われていたんだ。人間だった俺の親父と懇意だった人で、魔族である母にも良くしてくれていた人だった。
しかし十年前に魔王が滅んだ後、魔族と子を成したことで親父は殺され、母も殺された。
ウィリアムさんは教会の屋根裏に隠し部屋を作って、今までずっと俺を匿ってくれていたんだ。俺は外出の一切できない暮らしを強いられたが、それでもなんとか生きていくことができた。
でも、そんな暮らしもつい先日終わりを告げた。
教会の隠し部屋の存在が、ハインリヒの手の者にばれてしまったのだ。ウィリアムさんは殺された……そして俺はもはや中心街で暮らしていくことはできなくなって、こうして廃棄区域まで逃れてきたってワケさ。
(いったいなんなんだろーな……俺の人生って)
己の境遇を、これまで数え切れないほど呪ってきた。
魔族の血が入っているんだから、もともと差別的な扱いを受けてきたし、魔王が滅んでからは一切の自由がなくなった。世の中に勇者と尊ばれ賛辞を受ける人間が居る一方で、何故俺のような存在が居るのだろうかと、雑念を許せば愚痴ばかりが湧いてくる。
(いいよなぁ、勇者ってのは。俺にも何か特別なモンでもありゃ良かったのに)
勇者に対する憧憬の念は、何も力だけじゃない。
例えば容姿もそうだ。勇者アルバートを実際に見たことはなかったが、端正な顔立ちの眉目秀麗な男だと聞いている。
一方、魔族との混血だからか知れないが、俺の容姿はひどいものだ。
逆立った黒髪、骨ばった大きな鼻に、三白眼の細い目、尖った耳……一応チビでもハゲでもデブでもないが、少々猫背気味だ。
(勇者アルバートはなんというか、俺を裏返したかのような男だよな……世の中ってやつはなんて不公平なんだ!)
そんなことを考えている時だった。
突然「おにーさん!」と、可愛らしい少女の声を聞いた。
目をやればボロを纏った少女がひとり、にこやかに微笑みながら立っている。
齢は十代前半くらいだろうか?
「それ全部食糧?すごーい、大漁だね!」
「な、なんだよ……言っとくが分けるつもりはねぇからな!」
俺は慌てて、袋を背に隠すようにする。
「もう、固いこと言わないでよ……代わりにあっちの方を固くしてあげるから♪」
少女はそう言いながら、俺の足元へと屈んだ。
なんとも!少女はズボンの上から俺の相棒を撫で回すと、隙間からそれを取り出そうとする。その直後、言いようのない快感が走った。
「ふふ、おにーさん、なかなかイイモノ持ってるね♪」
(はうう……このガキ!その齢で既に男の喜ばせ方を心得て――!)
俺はしばらく間抜け面で恍惚としていたが、突如として苦痛に顔を歪める。
なんということか、このガキ!俺のゴールデンボールを思い切りグラブしやがった!
「NOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!」
俺はたまらず地面に倒れ伏した。
股間を押さえて悶絶している俺を尻目に、少女はさっと食糧の入った袋を抱え上げると、その場から退散を始める。
「お、おい!ふざけんな、全部持っていくんじゃねえ!割に合わねえだろ……!」
苦し紛れに叫ぶ。
少女は一切脚を止めることもないまま、振り向きざまにこう言った。
「おにーさん、鏡見たことある?割に合ってるよ!」
捨て台詞を残して、いよいよ少女は走り去る。
後に残されたのは地面にうずくまって悶え続ける、醜く無様な男独りだけだった。
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