一話 宝石の少女
二章に入りました!
鳥の声がする。うっすらと赤らんだ空は、今青くなろうとしていた。白明を迎えるのだ。
起きたあとなのに、視界ははっきりとしている。夢を見てはあるが、昨日はよく眠れた。
大きく伸びをする。そうしてから、昨日を思い出そうとして
「…………は」
途中で記憶が途切れていることに気がついたのだった。
クロノスと話をして、何故か告白??をしてきて、それから私が蹴り飛ばして…………あれ、やっぱりここから先の記憶がない。
今寮にいるのを見る限り、もしかして寝た?
あり得ない話ではない。私はその前の日に二徹したばかりであり、その前の日もほとんど眠れていなかった。
魔法戦の後だ。疲れがどっと出てしまったのだろう。
「……うわぁ。最悪。あいつが部屋に入ったってだけで吐き気がするよぉ」
「吐き気って、何のことかしら?」
「……あれ、ラウゼ。珍しく早起きだねぇ」
基本的にラウゼは遅起きだ。今日は早く起きたが、眠そうに目を……仮面の外側を寝ぼけて擦っている。
「ちょっと体調が悪くてねぇ……。また変な夢を見たし……」
私は罪悪感を抱きながら、嘘をついた。いや、嘘はついていないか。あの夢を見てから妙に思考が鈍るのだ。
シロの鳥籠?だっけ?あの夢を連続で見るなんて、そんな奇跡があって良いものか。
最近、変な夢ばかり見ている。ヴィオレットの夢も、友達を殺す夢も、頭からこびりついて離れない。
まるで夢が現実で起きているような――そんな錯覚をしてしまうくらいに。
「ま、大丈夫だよぉ。ただの夢だしねぇ」
「そう?それなら良いのだけれど」
ラウゼは安心したとばかりに、下にある自分のベッドに戻っていった。私も下がっていくラウゼを見て、いつも通りに準備をした。
「あれ、ラウゼ。今日は三つ編みじゃないんだね?」
食堂に着いた頃、ようやくラウゼの髪型が変わっていることに気がついた。ラウゼが髪形を変えたのは初めてかもしれない。
「…………えぇ。あの、フェルル。後で少し……」
ラウゼが何か言いかけた頃、誰かにぎゅっと腕を握られた。
私は勢いよく振り返った。
「フェルルー!昨日ぶりだな?元気だった?」
「……うわぁ。腕に抱きつくのやめてよぉ」
クロノスだ。私は腕を払い、追い払った。追い払われたクロノスは唇を尖らせた。
「えー。別にいいだろー?ボク、キミのこと好きだし?」
「好きだからと言って、抱きついていいわけじゃないから……」
そんな会話をしていると、ラウゼが難解そうに仮面の外に見える眉間に皺を寄せ、首を傾げていた。ラウゼはその顔のまま尋ねた。
「貴殿はクロノス殿ですね?いつの間にフェルルと仲良く?付き合っているのですか?フェルルは嫌がっていますよね?」
「うん。付き合ってるよ?あと、フェルルのこれはただの照れ隠しだぜ?」
「いや、クロノスとは付き合ってないから。照れてすらいないから」
平然と嘘をつくクロノスを睨みつけながら、反論した。
クロノスは悪戯っぽく笑いかけてきた。私も頰をピクピクさせながら黒い笑みを返してやった。
「……そうよね。よかったわ。一日で付き合われたら、貴方達を止めなければならなかったもの」
「こんな性悪な奴と付き合うわけがないよぉ。しかも、恋愛とか心底興味ないしねぇ」
ラウゼは大方賛成の意であるのか、こくりと首を縦に振った。
「性悪とか、ひどいなぁ。ま、それよりもさ。フェルルって何が好きなの?好きな食べ物は?」
「好きな食べ物?ウィユ……」
そう言いかけ、ふと頭によぎったのはクッキーだった。あのえもいえないほどの懐かしく、頬がとろけるような感覚を思い出す。今までは特になかったからウィユと答えていたけれど、クッキーも好きになったかも。
……夢だから、本当に好きかはわからないけれど。
「やっぱり、クッキーかなぁ?」
「クッキーか。ね、今度ボクにクッキー作ってよ」
「普通キミが作るものじゃないかい?」
「別にいいじゃん。どっちでも」
クロノスはそう言ってまた私の手を握った。私は無言で手を払った。
「そういえばさ、キミなんで仮面なんかしてんの?」
「……誰にだって話したくないことの一つや二つもあるものでしょう?」
ラウゼはするりとクロノスの質問を避けた。私もラウゼの素顔を見たことがない。ラウゼは頑なに素顔を見せようとはしない。
いつか話してくれるらしいけれど、ラウゼは秘密が多いのだ。
特に素顔のこと、それからラヴァンドについては謎だ。ラヴァンドの嫌い様を見ると、ラウゼが何かをしてしまったのだとは思うが。
「ふーん」
結局クロノスは、興味なさげに相槌を打ったのだった。
「――――あ、昨日の悪い人。……また、フェルルに……近づくの?…………わたしが、守る」
誤解が解けた途端、新たな誤解がやってきた。ラヴァンドはそう言いながら私の後ろに隠れて威嚇する。
これ、守るどころか隠れてるじゃん。可愛らしいラヴァンドに思わず笑みが溢れた。
「あ?フェルルはボクが守るから」
「張り合うなよ……。あとキミに守られたくないよぉ」
私は面倒臭いクロノスにため息をつきながら、反論したのだった。
「今日はこれで終わります。ありがとうございました」
あれから二週間経った。魔法戦の後から、先生は変わった。実技の授業では、私たちに魔力を効率よく使う術を教えてくれる。戦うことは少なくなって、他にはラヴァンドたちの為に剣術の先生を呼んでくれた。
……ここは魔法学園ではあるが。
「エルゼー!今日一緒に遊ばない?」
「えぇ。いいわね。ラヴァンドたちも誘いましょう」
ラウゼは無表情でこくりと頷いた。魔法戦が終わったら少し余裕ができて、私達は頻繁に町に出かけるようになった。
「ラヴァンド、ジョーヌ!今日一緒に遊べる?」
「……うん。遊ぼう」
「うむ。遊ぼうぞ!……クロは誘わないのか?」
そしてジョーヌは何故かクロノスと仲良くなった。
ジョーヌが騙されていないか、非常に不安である。
「えぇー。キミが誘いたいならいいけど……」
しかし、女子の中に一人ぽつんと男子がいる状況は中々辛いだろう。それにクロノスはクラスに友達がいないらしい。厳密にはいないこともないが、本人曰く興味ない、らしい。
ジョーヌを友達と思っているかは知らないが、ジョーヌは友達と思っているようなので、別に誘ってあげなくもない。
「なら誘うぞ?良いな?」
「……まぁねぇ」
曖昧に返しておいた。ジョーヌに曖昧な返事は通用しないが、なんとなく癖で返してしまう。
ジョーヌはニコニコと満足そうに笑っている。多分私がクロノスを嫌いなこと、気づいてないんだろうな。
「よし、決まりだ!一時間後に町に出かけるぞ!」
クロノスの返事すら待たず、ジョーヌは元気よく拳を突き出した。
キラキラと輝く羽の飾り。赤、青、黄色……たくさんの色で町が飾り付けられている。いつもより人の多い大通りには、いくつかの露店があって、私はパチパチと瞬きをさせた。
今日はお祭りか何かだっけ?
「今日は……レゼル祭。みんな、知ってた?」
「……レゼル祭ってなんだい?」
ラヴァンドだけは知っていたのか、町の様子にきょとんとする私達に生き生きと説明した。
「レゼル祭は、この町の小さいお祭り。……この祭りで、恋人にプロポーズしたり、告白したりする人も多い。……とっても素敵なお祭り」
ラヴァンドは頰をほんのり赤く染めて、珍しく熱意のある言葉で言った。ラヴァンドは恋愛に憧れているらしい。
確かに、周りを見てみると男女のペアが多い。それに距離感が近い。カップルなのだろうか。
ラヴァンドの服装を今更ながら、まじまじとみる。
なるほど。いつもより可愛い服装だ。髪もふんわりと巻いている。
「へー。ラヴァンドは恋人とかいるの?」
クロノスはデリカシーもなく、軽い調子で尋ねた。
「……あ……いない……けど。いつか……欲しいな」
ラヴァンドは少ししょんぼりと眉を下げてから、軽く微笑んだ。
クロノスはニヤリとしながら私の手を握った。
「何すんだよぉ」
いつものように振り払おうとしたが、今回はいつもと違って、乱暴じゃなかった。いつもは手首を握りしめるみたいに乱暴なのに、今日は優しく手を絡めるように握ってきた。いわゆる恋人繋ぎという奴か。
「恋人同士の祭りなら、友達だけで来てるのを見たら、場が覚めるだろ?」
「……別に。そんなので覚めないと思うけどねぇ」
そう言いながら手を振り回すが、力が強いので私は手を払うことはできず、諦めて暴れるのをやめた。
「……すてき」
後ろを振り返ると、ラヴァンドが頰を赤く染めて、こちらを見ていた。絶対に勘違いしている。これはクロノスの片思いである。私はこいつが嫌いだ。
ラウゼは「がんばって」とだけ言って、仮面ごとそっぽむいて、見ていないふりをした。
私が嫌がっているのをわかってるなら、止めて欲しい。お願いだから、本当に。
「……エルゼ。ジョーヌ。私、やっぱり用ができた。……付き合ってもらって…良い?」
「分かりましたわ。…………ご愁傷様ね」
勘違いは勘違いを生み、ラヴァンドは決意を込めた目で、言った。そしてラウゼは確信犯だ。後で話し合いをしないといけないみたい。私は黒い笑みでラウゼを見つめた。
「うむ……それは良いが、フェルルが嫌がってないか?私は恋愛ごとに疎いから、確信はないが……」
「気のせいに決まってんだろー。ジョーヌ。向こうに美味しい屋台があるって噂だぜ?行かなくて、いいの?」
「むっ、なんだと?ご、ゴホン!やっぱり私も急用ができてしまったみたいだ。……屋台に釣られたわけではないぞ?」
途中までいい感じだったのに、クロノスの誘惑に釣られたジョーヌは、駆け足で遠くまで走り去って行った。屋台があると言う方向なので、バレバレだ。
「何してくれんだよぉ……」
「別にいいだろー?たまには。あと、ボクはもっとキミのこと知りたい。キミはボクのこと、知りたくない?」
「興味ないって言ったら、嘘になるけど……」
あざとく微笑みかけてきたクロノスは、近くの屋台を指差した。
「な、アクセサリー屋見ようよ。フェルル、髪飾りつけてないだろ?」
「別に、そんな事しなくても可愛いからいいんだよぉ」
正確には、化粧した顔が、だが。素顔は確かに何か着けないと物足りない顔立ちだ。化粧品が切れた時、顔から目線を逸らす為に買うのも悪くないかもしれない。
「そんなこと言わずにさ。ほら、見ろよこれ。絶対ボクがつけても可愛いね」
「自分で言うなよ……」
確かにクロノスは子供っぽい顔なので、可愛いリボンをつけても似合う。クロノスは白色のふりふりしたリボンを私のお団子の横に、試しにつけた。
鏡を見る。似合ってる……とは思う。けど、ちょっと恥ずかしいかもしれない。
「……これは嫌。……ちょっと恥ずかしいよぉ。この年でリボンとか……」
「別に恥ずかしいことではないだろ?ラヴァンドも似たようなの着けてるじゃん」
確かにラヴァンドも白のリボンで後ろを編み上げて纏めているが、あのリボンとこのリボンは、私の中ではちょっと違う。
それに、このリボンをラヴァンドか私がつけるのだったら、ラヴァンドの方が似合うだろう。
「……他のにしてよねぇ。買うなら」
「じゃあ、これは?」
見せてきたのは、蝶々のリボンみたいな髪飾り。試しにつけてみる。これはまだ恥ずかしくはないかも。
「似合ってるじゃん。買ったら?」
「普通キミが奢るとこじゃないのかい?」
クロノスはお金を出すつもりがなかったのだろうか。非常識な奴である。
「流石に嘘に決まってんだろー?買ってあげる」
クロノスは勿体ぶりながら、お金を支払った。
やっぱり、性悪な奴。それでもやっぱり完全な悪じゃなくて、ちょっと優しいのも、認めてあげる。
「次はクッキーでも買いに行こ?キミ、クッキー好きなんでしょ?」
「そうだけど……って走らないで!私運動神経ないから追いつけないよぉ!」
私はクロノスに手を引かれながら、大急ぎで大通りを駆け抜けた。
「フェルル。今日はどうだった?」
斜陽がようよう山の影に入り始めて、クロノスと別れた頃、ラウゼがようやく姿を現した。もしかしたら、跡をつけられていたのかもしれない。
ラヴァンドは宿題が終わっていないので、早めに帰ったらしい。ジョーヌはおそらく、まだ店で食べているだろう。
「どうだったも何も……最悪だったよぉ。あいつ、子供みたいにはしゃぐから、疲れた。連れ回される気持ちにもなって欲しいよねぇ」
「そう。でも髪飾り、買ったのね。似合っているわ」
ラウゼが無表情のまま、さりげなく褒めた。私は髪飾りに触れた。
つるりとしたガラスと、リボンの部分は布の感触がして、心なしかいつもより可愛くなった気がする。気持ちの問題かもしれないが。
「……ありがと」
私は誰に言ったのかもわからぬまま、呟いた。
私はなんだかちょっと照れ臭くなって、そっぽを向いた。その時だった。
「は?」
背中に鈍い衝撃が走る。大きく突き飛ばされて、私はつまずいた。誰だ、突き飛ばしたのは。
膝がヒリヒリと痛む中、ラウゼを見た。
「……あ」
私は喉の奥の方から、か細い声をあげた。いつものようにホワイトブロンドの髪は三つ編みに一つにまとめられて、白い腕は前へと突き出され、魔法を放っている。
ラウゼの前には貴族の騎士らしき人物。貴族の騎士なら、制服に紋章が刻まれてるはず。紋章を探す。
視線を右往左往させて、ようやく見つけた。
ホワイトリリーの紋章。白でマントの後ろに控えめに描かれていた。
「ブランシェ家……ラウゼの…」
私は貴族の名を人よりも知っているが、ブランシェ家は誰でも知っているくらい、有名な貴族。そしてラウゼはこのブランシェ家の出だった。
騎士がラウゼを攻撃しているということは、ラウゼの正体がバレてしまったことを意味する。私を突き飛ばしたのは、おそらくラウゼ。私を巻き込まないようにするためだろうか。
そうしている間も、戦いは進んでいく。騎士は話すつもりすらないのか、終始無言だった。
しかし、騎士に学生が勝てるほど、世の中は甘くない。
ラウゼは少しずつ防戦一方になって行った。
私は空間魔法を使うことを決意した。逃げるのが、最善だろう。バレないように、ぶつぶつと小さく唱える。
詠唱が終わった途端、私は大声を上げた。
「ラウゼ!逃げるよぉ!」
「えぇ。分かったわ」
ラウゼが冷静に、私が発動した空間魔法の中に入ろうとしたその時、騎士の放った最後の一撃が、ラウゼの仮面に当たった。
パリン。鉄製のはずのそれは、容易く真っ二つに割れた。しかし、そんなことを気にしている場合ではない。
ラウゼは足を止めず、そのまま中に入った。次いで、私も逃げ出したのだった。
寮の部屋へと繋げた空間魔法を、着いた途端に急いで閉じた。ふう、と一息つく。まさか騎士から逃げる羽目になるとは。
「ラウゼ、大丈夫?さっき仮面に当たってた……け……ど……」
キラキラと輝く宝石。青、赤、黄色、紫……角度によって変わるそれはまるでオパールのよう。
そんなものが、ラウゼの顔の片側を侵食していた。
ラウゼの初めて見た素顔に、私は息を呑むしかない。
片目しかないが、プラチナブロンドに縁取られた大きな切長な瞳は、サファイアよりも深いブルー。肌は白く、鼻はスッとしている。
美しい、人形のような顔立ち。けれど、左目から上は、顔を侵食している宝石が禍々しい存在感を放っていた。
「見ないでっ!」
ラウゼが叫んだのは初めてだった。ラウゼはいつも冷静で、声を荒げるなんて、そんな様子も見せなかったのに。
ラウゼは顔を手で隠そうとしていた。あぁ。だからか。だから、変そうじゃなくて、仮面なんだ。
どうでもいい事を、ぼんやりと考えて、私はフラフラと部屋から飛び出していた。