四話 ラベンダーは睨みつける
「これより、実技魔法の授業を始めます」
黒板に立ったグリスィーヌ先生は、こちらに杖を向けた。みんなで一斉に構える。先生が呪文を唱える為、軽く息を吸った。あぁ、今日も地獄が始まる。
「 Ἥφαιστος 《ヘパイストス》 」
先生の冷静な声と共に、杖先から小さな炎が飛び出した。みんなが警戒して一歩下がった。
途端に炎が渦になり、それがうねりを上げ、押し寄せる。頰にかかる火の粉は焼けるように熱い。
私は誰かを助けるべく、空間魔法の準備を始めた。
入学式から、一ヶ月も経つ。
グリシィーヌ先生の授業は想像を絶する過酷さであった。噂ではあるが、他のクラスでは座学が殆どらしい。
しかし、このクラスは違った。なんと実技魔法授業は、対人の実技戦なのである。しかも先生対私達全員。
ちなみに、勝ったことは一度もない。容赦なく打ちのめされる。しかし、もし勝ったら、しばらく座学になるらしいので、みんな必死である。
そのため、自然と私達は団結し、仲は深まっていった。なので、私の苗字について尋ねる人は自然と居なかった。
「 Αιγίς《アイギス》 」
ラウゼの氷の盾が、私達を守るように出現。
見事に先生の炎を防いだ。
ラウゼは何故か適正魔法が使えないらしいが、なんとそれ以外の魔法は恐ろしく強い。正に天才である。
なので、私達の中で最強は間違いなくラウゼだろう。
みんなが今のうちだとばかりに、呪文を次々と唱えた。氷や炎が飛び交う中、先生は易々とラウゼのアイギスよりも大きな盾で防いでいった。
「ジョーヌっ!」
「分かっているぞ!」
ジョーヌが、ものすごい高さまで飛び上がる。吹き上がる突風。それは先生の目潰しにも良い筈であった。
「喰らえぇぇっ!!!」
空から降りて来たジョーヌの斧が、先生の盾を粉砕する。ジョーヌは魔法が使えないが、物理は強い。
先生は物理も許可しているのだ。
……もはや、どこが魔法学園なのか、わからなくなってくる。
「…………Χάος《カオス》」
呪文を唱えて、先生の近くから、ジョーヌをこちらに移動させた。途端に突き刺さる氷の槍。それは先ほどジョーヌの立っていた場所に刺さっていた。
「うむ、流石だな。助かったぞ」
「……まぁ、あと二回しか使えないから、慎重に使わないとねぇ」
このクラスの半分は、適正魔法がない。ラヴァンドとジョーヌもその一人で、そう言う人は放課後に他の魔法を練習しているらしい。ジョーヌはしていないが。
「 Περσεφόνη《ペルセポネ》 」
小さな粒子のような氷が、ラウゼの横に浮かび上がる。
それは遠くにいる私にもひんやりと冷気を感じさせた。あれはどのくらいの寒さなのか。パキパキと空気が凍りかけている。絶対零度に達しているのだ。
それは恐ろしく疾く、先生に向かって行った。
「……ふ、エルゼ・スノーホワイト。貴方には類い稀なる魔法の才がある。しかし――」
しかし、先生はそれよりも疾く移動……いや、瞬間移動をしたのだ。あれは、空間魔法だ。直感で、わかる。
そう気づいた途端、いつのまにか私は呪文を叫んでいた。
「――カオス――」
「遅い」
先生は、容赦なくラウゼを杖で吹き飛ばした。えげつないが、一応手加減はされているだろう。しかし、間違いなくラウゼは気絶した。
……それにしても、まずい。1番の戦力のラウゼを潰されるなんて。
「ジョーヌ。前に出て」
「了解したぞ!」
ジョーヌが、私達の前に守るように出た。
みんなはそれを見て気を引き締める。ジョーヌが倒れたら終わりだ。精一杯に支援をせねばならない。
「 Ἄρευς《アレス》 」
先生がジョーヌの斧に向けて、魔法で出来た巨大な斧を投げつけた。しかしジョーヌは難なくそれを払う。
その斧が先生に向かい、豪速で飛んでいった。
「 Πλουτώ《プルト》 」
クラスメイトでジョーヌの友達のプリュオが支援するように、水の閃光を飛ばす。
水は柔らかい。しかし、速く細く飛べば、それはドラゴンの鱗でさえ貫く武器と化す。
彼の魔法はそれを体現していた。彼は強い。――――――魔力が低すぎて二回しか魔法が使えない事以外は。
プリュオは疲れて、ふらついた。もう二回使ってしまったらしい。
「プリュオ。何度も言っていますね。魔力効率の学習を進めなさい。貴方は魔力切れが早すぎる」
だから、魔力切れになったフリュオは真っ先に狙われた。ラウゼと同じく、杖で殴られて撃沈する。
ジョーヌはこれを機と思ったのか、その隙に背後から重撃を放った。地が割れるような衝撃。それが先生に命中した――――と思った。
「そしてジョーヌ。貴方はもっと頭を使いなさい」
しかし、技を放つ直前、先生があらかじめ張っておいたのか、沼に嵌ってその隙に殴られ撃沈。
「 Ἀληκτώ《アレクト》 」
私の使える唯一の攻撃魔法が、更にその隙を狙い敵を撃たんと雷鳴を鳴らし、紫の雷を落とした。
先生はそれを軽く払う。それは予想済みだった。――だから、その前に唱えかけていた得意の空間魔法と共に出したのだ。
雷がひゅんとワープする。そしてそれが先生の頭上に落ちていった。
雷が軽く先生を貫いた。よし、これでターゲットが私になる。私はこのまま囮になって、みんながその内に打てば、もしかしたら…………。
「ふむ、フェルール。貴女はクラスで一番聡く、そして優しい。しかし、自分の周りになると、すぐにおろそかになりますね」
「……なっ」
後方で冷たい声が耳をきんと貫いた。急いで振り返るも振り返った先には杖があった。ただの杖だ。なんの変哲もない、初心者が使うような、そんな代物。
軽く殴られる。身体能力の低い私の身体は、それだけで崩れ落ちた。
――――杖で殴られて倒れる。だからこそ、悔しいのだ。クラスのみんなで考えた作戦が、そんなものですっかり台無しになる。
暗く沈んでいく視界の中、私は小さく唇を噛んだ。
「はぁ……。今日も負けたねぇ」
「…………うん。あの、ごめん」
ラヴァンドは、申し訳なさそうにこちらを見た。ラヴァンドは魔法が使えない。魔力は有り余るほどあるのに、魔力を発する器官が壊れているらしい。
それを改善するために魔法学園に入学したのだとか。
今は放課後の自由時間だ。そんな時間に、私は鉄やら銀やらのパーツを組み合わせながら設計図の通りに手を動かしていた。
「いや、ラヴァンドは悪くないよー。それに私も人の事は言えないしねぇ」
私はこのクラスで二番目に弱い。そんな私が文句を言ったら人のことを言えなくなってしまう。
話しながらも、慎重に魔晶石――魔力が入った宝石――に魔法陣を書いていった。
今私が作っているのは、ラヴァンド用の魔道具だ。
これが完成すれば、ラヴァンドも戦闘に参加できるだろう。
私は魔道具を作る事が昔からの趣味なので、ラヴァンドの武器を作るのも、あまり難しいことではない。
「あの……何か、手伝おうか…………?」
「んー、今は細かい作業ばかりだし、特にないねぇ。あ、エルゼを呼んできてくれないかい?魔晶石に魔力を込めないといけないから」
「………………エルゼさん……は……その」
途端にラヴァンドは顔を暗くさせた。ラヴァンドとラウゼは、何故か仲良くなれない。まぁ、人には相性の良し悪しはあるものだが……。
私には、ラヴァンドが一方的に遠ざけているように見える。ラウゼがお茶に誘っているのを何度か見かけたが、ラヴァンドは全て断っていたのだ。受けたら関係が改善するかも知れないのに。
あれから一カ月経ったが、ラウゼは私の秘密を守ってくれている。それに、人の感情の機微に敏感で、誰かの相談に乗っているのを何度か見かける。
ラウゼは、悪い人ではない。何度か悪人を見て育って来た私が言うのだから、間違いはない。
でも、ラヴァンドはラウゼが嫌いらしい。怖いでもなくて、嫌いらしいのだ。
「……わかった。…………あの、どうしても?」
「うん、まあねぇ。そろそろ魔法戦があるから、早くラヴァンドの武器を作らないと、すぐにやられちゃうでしょ?」
「――――あ、うん。あの、えっと、ごめん」
ラヴァンドはペコリと頭を一つ下げて、足早に教室から出ていった。
……我ながら、性格の悪いものだ。本来なら私が魔力を込めるだけで済むのに、いちいちラウゼを呼んでいるなんて。
ラヴァンドには、ラウゼと仲良くしてほしいのだ。
これは、本当に個人的な願いだ。
その為に人を騙すだなんて、私の未来もまともなものではないかもしれない。もしかしたら父のように処刑される未来があったり……。……不吉なことを考えるのはよそう。
軽く頭を動かしてから、私はまた作業に没頭した。
魔法戦は、あと少しだ。
――魔法戦とは、四人のチームを組み、一番強いクラスを決める戦いである。年に二回あるらしい。
私は、ラヴァンドとラウゼとジョーヌと組む事が決まっている。
魔道具はあと少しでできる。これで、ラヴァンドは私より強くなるだろう。少し羨ましいような、そんな醜い感情もないとは言えないが。それでも私は手を動かして作業を続けたのだった。
二人の様子を想像しながら。少しは仲良くなってほしいと、身勝手にも願いながら。
「…………エルゼさん。フェルルが呼んでます。…………早く来てください」
「教えてくれた事、感謝します。ありがとうございますね」
見るからに、不機嫌だ。ラヴァンドはラウゼに対してだけ、敬語だった。
ラウゼ自身も、理由が分からなかった。
「……」
教室へ向かう道中も、お互い無口なこともあり、更に仲が悪い事もあり、一言も話さなかった。
ラウゼは仮面の下で、軽く目を伏せた。きっとこれはフェルルの計らいであろう事は容易に予想がついた。
彼女はああ見えて世話焼きである。本人に言ったら否定するだろうが。
フェルルの計らいを台無しにするわけにはいかぬと、ラウゼは気まずい空気の中、そっと話しかけた。
「ラヴァンド様。何故貴女は私に敬語なのでしょう。敬語は解いても良いですよ」
「…………それを言うなら……エルゼさんも、敬語。…………だから、やだ」
それを言われて、納得する。ラウゼはフェルル以外には敬語である。何故フェルルには普通に話せるかと言うと、それはフェルルがわかりやすく敬語を拒んだからであった。ただそれだけの理由なので、距離を作っているつもりはなかったのだ。
「それも、そうですね。では、敬語はなしに……」
「………………ラウゼ、リーナ」
ラヴァンドは、ポツリとつぶやいた。
それは、本来知らないはずの単語だった。
息を呑みそうになる。
ラウゼは仮面から出ている口元に表情を出さないよう、軽く唇を噛んだ。
知っているのは、フェルルだけ。ならば、フェルルが情報を漏らしたのか?ラウゼは思考する。
しかし、フェルルは嘘をつく事を本当に嫌っていた。
そうなれば、違うはずだ。
……それも演技だとしたら?邪な考えが脳裏に浮かぶ。ラウゼはひとまず切り替えた。まずはラヴァンドの対応が先だ。
「何故、其れを知っているの。答えなさい」
ラウゼは無意識に仮面の下でラヴァンドを睨みつけた。ラヴァンドはおどおどと怯えながら、それでも強い瞳でポツポツと話した。
その目には、強い強い憎しみが浮かんでいた。
「……廊下で、聞いた。鍵を盗んだのも、わたし。……あの、あなたのこと、見たことあって、それで気になって…………でも、……それで確信した」
ラヴァンドは憎悪と嫌悪の目で、ラウゼを残酷に、冷めた目で見つめた。ラウゼは目を逸らせなかった。
だって、彼女の目は あの時 とそっくりだったから。どくどくと心臓がいやな音を立てた。
「あなたは、わたしを殺した人だって」
ラウゼはさあっと血が引いていくのを感じた。
「二人とも遅いなぁ。喧嘩してたりして……いや。ラウゼに限ってそれはないか」
ラウゼが喧嘩しているところはちっとも想像ができない。喧嘩したとしても、冷静に言い伏せてしまいそうだ。
丁度、そんな事を考えていた時だった。
「……フェルル。何か用かしら」
ラウゼが教室へ入って来た。ラウゼはあれから敬語をやめてくれて、ちょっと嬉しい。……恥ずかしいから本人には伝えてないけれど。
「あ、エルゼ。ここの魔晶石に魔力を込めて…………あれ?」
私は辺りを見渡した。おかしい。ラヴァンドがいない。ラウゼを呼んで、すぐに帰ってしまったのだろうか?
「ラヴァンドは、どうしたんだい?」
「………………。それは」
ラウゼは言いにくそうに、言葉を濁した。ひっきりなしに、冷や汗が流れている。
しかも、声色に感情が乗っているし、ラウゼの癖である爪先を弄るような動作も、繰り返し行われていた。
私は内心で目を細めた。
何か、ある。喧嘩なんてものではない。
それよりももっと重大で深刻な何かだ。しかし、この様子だと話してはくれないだろう。
話すなら、今話してくれるだろうから。
「はぁー、困ったねぇ。ラヴァンドは。どうしてそんなにラウゼを避けるんだか」
「……………………。えぇ、そうね」
ラウゼは余裕のない声で、同意した。
私はまだ、聞かないことにした。一度聞くと警戒されてしまう。少しずつ情報を抜き出して、全てを知っているようなハッタリをかけ、全てを抜き取る。
そう、決めた。
詐欺師の娘は辞めたはずなのに、どうして私は騙してしまうんだろう。
私は知らない。人を騙す生き方しか。これは無意識だ。私にとって、呼吸をするようなことなのだ。
自分の中で言い訳をして、私は自分を騙した。