三話 最下位クラス
「貴女は……正しい事をしたのです……だから……自分を責めないで……」
彼女の腹の近くに突き刺さった剣を、私は無言で引き抜いた。途端に吹き出す、黒混じりの紅。勢いよく吹き出したそれは、私を同色に染めさせた。血を被ったまま、私は剣を握りしめる。
ポタポタと、髪から血が地面に滴り落ちた。
後ろを勢いよく振り向く。
ずっと、隙を狙ってた。今が最大のチャンスだ。足元を魔法で絡め取った今が、唯一の勇者の隙だ。
殺して、やる。私は口元を醜く歪ませた。
そしてそのまま後ろの友だった人に、血濡れの剣を振り上げようとして…………それで……。
「……朝……か」
辺りを見渡すと、知らない景色。寝ぼけたままぼんやりと周りを見つめて、ようやく寮にいる事を思い出す。
そういえば、何か夢を見た気がする。だが、昨日とは違い、少しも思い出せなかった。
今でも、昨日の夢ははっきりと思い出せるのに。
「さて、化粧でもしようかなぁ」
私は切り替えて、大量の化粧道具を持った。これは父のお下がりで、父が変装をする時に使っていたものだ。
……そういえば、私も変装の練習をしたっけ。
だいたい五年前だったか。
あの時は父と同じ詐欺師になるために変装の練習をしているのだと思っていた。しかし今思えば、もしかしたらそうではなかったかもしれない。
父は自分が処刑されるのを見越していて、私が詐欺師の娘として扱われないように、変装をさせたかったのではないか。
父は世間的に見たら悪い人だったが、私から見たら、とてもそうは見えなかった。
「……。まぁ、死んだから確信できないけど」
昨日は時間がなくて薄化粧だったが、本当は化粧は得意分野である。さて、学園ではどんな顔で過ごそうか。
もはや変装する前提で、私はワクワクと化粧を始めた。
――1時間以上かけて、私は別人のようになっていた。
残念ながら、私はお世辞にも可愛い顔ではない。だが、厚化粧で無理矢理可愛く見せる事に成功した。
よし。決めた。学園では毎日可愛い系のメイクをして、なんとか印象をマシにする。詐欺師の娘と言うことはバレているかもしれないが、それでも話しかけてくる偽善者はいるものである。
とにかく、顔は印象をグッと良くしてくれるのだ。
そういえば、下のベッドで寝ているラウゼが中々起きない。私はそっと上からラウゼを覗き込んだ。
「……仮面つけたまま寝るんだねぇ……」
ラウゼは仮面をつけたまま寝ていた。それに、ものすごく布団がぐちゃぐちゃだし、ラウゼはベットからはみ出しかけている。寝相が悪いらしい。しかし、それよりも気になる事があった。
「……槍に刺さらないか不安だなぁ」
なんと、ラウゼは昨日乗っていた槍をベッドの横に立てかけていたのである。それがラウゼの寝相の悪さによってずり落ちており、いつかラウゼに突き刺さりそうであった。
「ラウゼー。早く起きないと遅刻だよー?」
「……起こしてくれた事、感謝します。そうでなければ頭に槍が突き刺さっていた事でしょう。そろそろ起きねばなりませんね」
「……起きてたんだねぇ」
起きているなら、早く頭の位置直せよ、と言いたくなるが、私が言うよりも早くラウゼは頭の位置を直していた。どうやら起きたのは今さっきらしい。
……それにしては、流暢に話すが。彼女には隙が見当たらない。
「ラウゼ、ずっと仮面をつけておくつもりかい?」
「はい。目だけを隠している故、食事の際も問題はありません」
ラウゼは本当に顔を見せたくないらしい。協力関係である私に見せないなんて、まだ私を信用してはないのだろうか。まぁ、勿論私もラウゼを信用してはいないが。
ラウゼはベッドから起き上がり、髪を三つ編みに編み出した。昨日と同じ髪型にするつもりらしい。
ふと、懐中時計を見る。あまり時間に余裕がない。私も素早く制服に着替え、髪が小さい三つ編みを左右に結った。髪がたくさん残るくらいの、小さな三つ編みだ。それを二つのお団子にする。
「我ながら、可愛いねぇ」
高級品の、小さな手鏡で覗き込む。大分奮発して買ったものだ。そこには昨日と別人のような美少女が写っていた。化粧が落ちていないか確認していると、小さな鏡にホワイトブロンドの髪が映り込んだ。
「そういえば、今朝から昨日と顔が違いませんか?……変装魔法でも、使用しましたか?」
「してないよー?ま、厚化粧はしたけどねぇ」
ラウゼが訝しむように、私の顔を何度も見た。失礼な事だ。全く。確かに変装のように顔を盛ったが、そんなに訝しまなくても良い気がする。
「さて、そろそろ食堂に行こうか?」
「えぇ。そうですね」
ラウゼは私からようやく目を離して、ドアの鍵を開けた。寮長先輩から借りている鍵だ。
……そういえば、鍵はどこにあるのだろうか。先生が部屋に置き忘れたのか、それとも、いじめか。
そんな事を少し考えたが、結局気にしても仕方がない。もし置き忘れたなら、寮長先輩が渡してくれるはずである。
私達は、部屋を後にした。
「……ラウゼ、リーナ。……あの人が、わたしの……」
背後に隠れていた人物に気が付かぬまま。
「……食堂、思ったより人がいないねぇ」
食堂について、一番に思ったことはそれだった。
ぽつぽつと人はいるが、少数派だ。しかも、みんな大体同学年。どうやら遅起きする人が多いらしい。
「えぇ。メニューは空腹を刺激するものが多いと見えますが」
「……まぁ、美味しそうではあるねぇ」
メニューに載っている食べ物は、みんなどれも美味しそうである。説明だけで、美味しそうと決めつけはできないが。
「お、エルゼではないか!ん?隣にいるのは誰だ?まさか、フェルルとか?まさか、そんなことはないだろう。フェルルはこんなに可愛くなかったからな!」
「ご機嫌宜しゅう。ジョーヌ殿。隣にいるのは……」
「フェルール・エスピエグリーだけど、どうしたのかい?」
ニコリと、しかしチクリと刺すような笑顔を浮かべて見せると、ジョーヌはむぐ、と口をもごもごさせながら一歩下がっていった。
……ちょっと面白い。
「……すまん……。悪意はないのだ……」
「別に怒ってないよー?ま、そんなことするなら、早めに朝ごはん食べないかい?」
「……うむ。………………しかし、困ったことが一つある」
ジョーヌは下がっていた眉を更に八の字にさせ、真剣な声でいった。
「全く字が読めん……」
「キミどんな環境で育ってたんだい?」
仕方がないので、全部文字を読んでやるが、なんとメニューの食べ物の名前すら知らない始末。
彼曰く、ものすごい悲惨な環境で育ったらしい。なんと、毎日毎日戦い、時には死にかけ、遂には自分が人を殺しかけて怖くなり、故郷から逃げてきたとか……。想像以上に壮絶な過去である。
「そんな生活だったから、今まで肉しか食べてこなかったのだ。……どれを頼めばよいか?」
それには、少し返答に詰まる。好きな食べ物を普通は選ぶ。しかし、彼は好きな食べ物がないのだ。
「学園生活は長きに渡ります。……いつかは全てのメニューが頼めるでしょう。毎日違うものを頼むのはどうですか?」
「おぉ!流石はエルゼ!では今日はフェルルと同じものを頼むぞ!」
「……私と同じの?ま、いいけどねぇ」
「では、せっかくなので、私も同様に」
そんなに期待をかけられてなんだが、私の好きな食べ物は、特にない。正直なところ、素早く少しの量で栄養が取れるものがすきだ。……これを好きな食べ物と言って良いのかは知らないが。
それはともかく、私はカウンターの前に足を運び、店員に声をかけた。
「すみませんー。ウィユ三つくださーい」
「はい。ウィユですね。かしこまりました。少々お待ちください」
「はーい」
頼んでからも、彼は不思議そうだ。ウィユすらも食べたことがないのだろうか。
少ししてから、ウィユが座っている席に運ばれて来た。ほかほかと湯気が出ている。出来立てなのだろう。
「……うわっ。なんだこれは。人が食べてはいけない見た目をしているぞ!」
「失礼だねぇ。これは栄養価が高いくせに、食事の効率が良いんだよ」
ウィユは、目玉のトマト煮である。目玉は中々の高級品だ。流石は王立学園。食堂の格まで違う。
ウィユを食べ始める私達を横目で見て、ジョーヌは明らかに引いた顔をした。
ウィユは好き嫌いが分かれるが、ラウゼは嫌いじゃないらしい。真顔で食べている。
「……私がおかしいのか?いや、そんなことはないはずだ。こんなものを食べれる人がおかしいのだ」
「……そうは言わずに、一口食べてみたらどうだい?」
「………うぬぬぬ……」
ジョーヌは、手をプルプルと震えさせながら、ウィユをすくったスプーンを口元に近づけた。そしてそのまま、ごくりと飲み込んで……。
「ぐえーっ!不味い!不味いぞっ!」
そう叫びながら、大量の水を飲み干したのだった。
「おっはよー!よろしくねぇ」
ガラリと教室のドアを開け、元気よく言ってみたものの、完全に無視された。教室の雰囲気は足が止まりそうになるほど重い。みんながどんよりとした空気を纏っている。……Dクラスに選ばれたことが、みんなショックなのだろう。
Dクラスの教室は、あきらかにどのクラスよりも質素で、しかも階段の一番端にある。歓迎されていないのをみんなも読み取ったのだろうか。
黙り込んだ私の肩を、エルゼが慰めとばかりにポンと軽く叩いた。
「はぁ……初日でこれは先が怖いねぇ……」
「……あの」
私がため息をついていると、誰かが話しかけて来た。
ラウゼの無表情な声でも、ジョーヌの凄みのある声でもない。透き通った小さな小さな、しかし可愛らしい声だった。
声の主の姿は小柄な私と同じくらいで、制服の上にローブを羽織り、ローブについたフードを被っていた。
少女からは終始おどおどとした暗い雰囲気が漂う。しかし、悔しいことに顔は可愛らしい。……私の素顔の三倍くらいは。
「……席……」
「?席って?」
少女は、ポツリとそれだけを言う。オドオドと視線を彷徨わせてから、もう一度、口を開いた。
「あの……席。わたしの…………横」
「ん?あ、あぁ、そうなんだねぇ。ありがと」
「……うん」
少女はこくりと小さく頷いた。まるで小動物のような動きだ。私とて身長が小さくて可愛い(化粧のおかげで)のに、何故かそうはならない。父曰く、あざと可愛いの方向に一直線である。
どうやって席がわかったのか見渡してみると、机の上に名前の書いた紙が貼ってある。なるほど、これのおかげで分かったのだろう。
「じゃあ、私達はお隣さんだねぇ。これからよろしく!フェルルって呼んでねぇ」
「あ……うん。…………えっと、わたし……ラヴァンド。ただの、ラヴァンド。……あの、よろしく」
ニコッと優しく笑って見せて、そっと手を握ってやると、ラヴァンドは、僅かに口角を上げて微笑んだ。
よし、この子とは仲良くできそう……
「そうか!ラヴァンドか!私はジョーヌである!ふははははは!」
「ジョーヌ殿。話しかけられているのは、貴殿ではありませんよ」
そう思った途端、耳元に鼓膜が破裂しそうな程大きな声が響いた。
声の主……ジョーヌを睨んでやる。空気の読めない奴め。せっかく仲良くなれそうだったのに。
「あ……えっと、よろ……しく」
「うむ。宜しく頼むぞ!こっちはエルゼと言う!」
何故かジョーヌから紹介されたラウゼは、ペコリとお辞儀をした。カーテシーはやりすぎだと言う私の助言を受けたからだろう。
そうしてから、軽く手を出した。
「エルゼ・スノーホワイトです。どうか宜しくお願いしますね」
「……………………。」
しかし、ラヴァンドは、ラウゼの出した手を握ることはせず、下を向いたまま黙っていた。
ラウゼは不思議そうに首を傾げる。何故ラウゼの手を握らないのだろうか。私の手を微笑んで握ったから、手を握るのが嫌なわけではないだろうに。
仮面をつけていて怪しいから……とか?
……そういえば。ラヴァンドは何故私の顔を見ていないのに、私の席が分かったのだろうか。
昨日の測定で覚えていた、とか?考えられなくはない。詐欺師の娘かもしれないと、騒がれてはいたからだ。しかし、そんな怪しい人に話しかけるものだろうか?
彼女は完全な善人ではない。それはラウゼの手を拒んだことが示している。そう考えると何か理由がある筈で。しばしの間、考えてみる。
「ね、ラヴァンド。キミ、私の名前をどうして……」
結局思い付かず、彼女に聞こうと口を開いたその時。
手を鳴らす音が、教室中に広がった。しんと静まり返る。
「皆さん。座ってください。そして、初めての人ばかりで不安かもしれませんが、一度こっちを見てくださいな」
教室のドアから堂々と入って来たのは、先生と思われし人物。特に特筆すべき点もない、地味な容姿。若手の先生であった。しかし、その目はとてつもなく闘志に満ちていた。
私達はその闘志に押されるようにして、素直に椅子に座った。
「あなた達は最下位のクラスのDクラスです。魔力が少なく、特殊な適正魔法もない人が集まるクラスです。けれど、私はその事と才能とやる気がない事を結びつけるつもりはない」
先生は、ニコリと微笑んだ。しかし、その微笑みには得体も知れない感情が隠れ見えていて……まるで父のようだと思った。
「わたしは本気で全ての授業を担当します。あなた達も死ぬ気で努力し、わたしについて来なさい。あ、そうだわ。自己紹介がまだでした」
先生は前にあるボードに、魔法で一瞬にして文字を書いた。
「グリスィーヌです。どうぞ宜しく。今から五分後に授業を始めます。急いで心の準備をなさい」
簡単な自己紹介だけをして、先生は足早に教室を出ていった。
教室は未だに静まり返ったまま、だれも、一言も発しない。
「……凄く厳しそうだなぁ……」
そんな中、ポツリと私がつぶやいて、みんなが揃って首を縦に振ったのだった。