七話 忍び寄る影
「明日は何の授業が良いでしょうか」
グリシィーヌ先生は、生徒のことを考えながら、時間割を書いていく。ジョーヌが回復魔法を練習しているから、その授業が良いか?あとはフェルルやプリュオのために、魔力効率の復習とか。
グリシィーヌ先生は、思い出すたび頰が緩むのを感じた。生徒が楽しそうに過ごして、どんどん成長していく。その姿を見るのが、グリシィーヌ先生は一番の喜びであり、幸せだった。
「やはり、魔法省を辞めてよかった」
グリシィーヌ先生は、以前に魔法省と呼ばれる、国のトップが集まる団体で働いていたが、この学園に復讐がしたいと思ったのだ。
グリシィーヌ先生はこの学校で、Dクラスなだけで先生にいじめられて、毎日つらい日々を過ごしていた。だから、Dクラスを世界一幸せなクラスにしたいと思った。
それがグリシィーヌ先生のささやかな復讐なのだ。
「――だから、お誘いの手紙は要らないのですが」
教卓に山のように積まれた手紙。差出人は、全部魔法省からだ。
あなたの力が必要です。
力をお貸しください。
あなたの知恵をお貸しください…………。
グリシィーヌ先生は、全ての手紙を読んでから、ビリビリと破ってゴミ箱に捨てた。
「私は教師です。――もう、賢者は辞めました」
はらりと一枚の破片が落ちる。そこには、「賢者様へ」と、綺麗な字で、ガラスペンで書いてあった。
「そういえば、最近ラヴァンドを見ませんね……どうしたのでしょう」
グリシィーヌ先生は不思議そうに首を傾げた。
グリシィーヌ先生の様子を見ながら、若き戦士は息を荒げて短剣を握りしめていた。
「殺したく……ない」
若き戦士は唇を噛んだ。一粒、涙が溢れてくる。一粒出てしまったら、あとは我慢が効かなくなり、たくさんの涙が頰を伝った。
涙の膜が張った目は、まるで水の中にいるみたいだった。短剣を握る手が、震える。
「でも……殺さなかったら。私が……殺される」
自分の命。先生の命。それを天秤にかけて、無情なことに、若き戦士は自分の命を選んだ。
「うっ……」
キーン。耳鳴りが鳴り響き、耳が痛かった。私は耳を押さえながら、周りの様子を見て、驚いた。
みんな、固まっていたのだ。瞬きすらせず、指先すらも動かさず、まるで時間が止まったみたいに。
よくみたら、落ちていく木の葉も空中で止まっていた。
「ごめんな?びっくりしただろ」
「これは……?もしかして、時間を止めたのかい?」
耳元にクロノスの声が広がった。知ったかぶりをして、冷静に答える。後ろにいることに気づけなかった。私は後ろから抱きしめてきたクロノスを振り払って、ジトリとした目でクロノスを見た。
「で?どうするんだい?心臓の時間を止めるとかは許さないよぉ?人殺しだけは許さないからねぇ」
「大丈夫だって」
クロノスはニヤリと子供っぽく笑った。さっきの狂気に囚われた目ではなくなっていて、私は少し安心した。
「 ΑΦΡΟΔΙΤΗ《アフロディテ》 」
彼がそう唱え、敵に向かって手を翳すと、彼の手から黒いいばらが飛び出す。
そしてそれは敵を素早く縛り上げた。薔薇の花びらがひらひらと落ちていった。
「ボクの適正魔法の闇魔法の一種だよ。ほとんど使わないけどな」
「……これだから、魔力と才能と適正魔法に恵まれてる人は……」
私は魔力も才能も適正魔法も恵まれていないど底辺である。ついでに言えば、体格と運動神経もない。――いや、体格はクロノスも同じか。彼はクラスの女子で一番背の低い私より、少し高いくらいだ。ラウゼよりも低いかもしれない。彼は悪い顔でニヤニヤと私を笑った。
大丈夫。私はキレない。彼は身長がチビであると言う弱点があるのだ。
「ニヤニヤすんなよぉ。チビ」
「あ?……それはフェルルもだろ?」
「…………背が低いのも、可愛さの一種だよねぇ」
「じゃ、ボクもそう言うことで」
イラつく。そう思ったが、意外にもダメージを喰らっているらしく、クロノスは視線を右往左往させて、私の身長と見比べていた。
少し、満足である。私は内心でククッと笑った。
「そろそろ動かすけど、いいよな?」
「いいけど」
私が言ったのを聞いてすぐに、クロノスはボソリと呟いた。
「動け」
彼がそう言うだけで、空中で止まっていた木の葉が動き出した。時間が動いたのだ。
私は首を傾げた。彼の時間を止める魔法は、本当に魔法なのだろうか。特別な詠唱も必要がないみたいだし、もっと他の何かな気がする。
「……コイツらは気絶してるし、今のうちにラウゼのところに行こうぜ。フェルル、空間魔法で近くの物陰に飛べる?」
「飛べなくもないよぉ?でも、それは悪手だと思うなぁ」
「ふーん、なんで?」
私は息を吐いた。クロノスは人の感情を無視してこの先の展開を予想している。彼は人の心をわかっていないのだ。
「ラウゼには、助けは不用だよ。私達の助けは必要としていない。私は騙すため、キミは私の護衛のために呼ばれた。それ以上は望んでいないよ」
私がグリーズの従者と共に、グリーズを待っていると、グリーズがこちらへやってきた。グリーズは、私の顔や髪をぐるりと見て、こくりと頷いた。
私の正体に気づかれたのだろうか。
「申し訳ありませんが、エルゼ殿に用ができました。こちらの部屋に来ていただいてもよろしいですか?」
「えぇ。勿論ですわ」
グリーズの発言で確信する。私の正体に気づいたらしい。グリーズは使用人に何かを耳打ちした。
そうしてからグリーズは階段の上にある部屋に私を案内して、その中にあるソファーに座るように言った。
チクタクと時計が針を刻む。私とグリーズは、しばしの間黙っていた。
「エルゼ殿は、姉さん……なんですか?」
沈黙の中、ようやくグリーズが言った。私はこくりと頷いた。
「私はラウゼリーナ・エル・ブランシェ。貴方……グリーズ・アントラシット・ブランシェの姉よ」
「…………姉さん……なんだね。…………僕は、その……」
グリーズがおどおどと言い淀んだ。まるで、昔のラヴァンドのようだ。私はふふ、と笑った。
仮面舞踏会だったからか、仮面をしているけれど、視線を右往左往させているのがよくわかる。
「姉さん……その……ごめんなさい。僕は、許されないことをした。嫉妬のあまり、姉さんと母さんを追放するなんて。母さんも、死んじゃったんだよね。……その、そんなこと、許されないって分かってる。あとは、領地をめちゃくちゃにしちゃったんだ。本当に、ごめん。許されなくても、いい。」
「――――私は貴方を怒っていない。そしてそれは亡くなったお母様も同じだったわ。領地がどうなっているのか、私には分からないけれど、今から変えていけばいい話ではないかしら」
私は出来る限りニコリと口角を上げた。私の表情は固まっているらしい。フェルルが感情を見抜きにくいとぼやくほどに。
だから、上手く笑えているか分からないけれど、限界まで笑った。
すると、グリーズは安心したように笑った。私と違って、柔らかい笑みだった。
「ありがとう。姉さんに言ってもらえるだけで、頑張れる気がするよ」
「そのことだけれど。一体何が起きているの?私を襲った騎士団は貴方が命令したわけではないのでしょう?」
私が軽く首を傾げながら言うと、彼は悔しそうに唇を噛んだ。
「最近、隣国のメルクリウスが我が国と戦争をしようと企んでいるらしい。そのためにまず、王様と血縁の我がブランシェ家を狙ったんだ」
「メルクリウス……ねぇ。復讐の機会を狙っている、と言う訳かしら」
メルクリウスは、この国、エクスゼウスの横にある国だ。前の戦争で我が国が勝ってからはエクスゼウスを敵視し、復讐のタイミングを見計らっているらしい。
憶測ではあるが、王様と王太子様をを暗殺しようと考えているのだろう。今の王は賢王と呼ばれるほど賢いお方だ。
メルクリウスにとって、王様は面倒な相手なはずだ。
「うん。そうらしい。騎士を集めた時、随分と腕のいい騎士だと思って雇ったのが、始まりだったよ。それからは、僕の適正魔法が弱いことを利用して、政権を握ってくるんだ。……逆らったら、殺される。僕も、住民も……」
「グリーズ……。しかし、そろそろ怪しまれてしまうわね。また、貴方の家を訪れるわ。その時にもっと話し合いましょう」
「うん。次は客人として招待するよ」
外から人の気配を感じる。恐らくさっきの使用人だ。
彼女も敵なのだろうか。グリーズの対応を見る限り、敵だろうが、強そうには見えないから不思議なものだ。
「グリーズ様。何をしていたのですか?随分とエルゼ様と仲が良さそうですが」
「彼女はいい商談相手だよ。安く、大量の鉱石を仕入れてくれることになったんだ」
「あら……そうなのですね」
使用人は私を観察するように眺めた。私は無表情で見返した。
「そろそろ帰りますわ。さようなら。また後日お会いしましょう」
「いえ、楽しみに待っていますね」
楽しみに待っている。つまり、こちらからいつ来てもいいと言うことだ。私はグリーズと目を合わせてから背を向け、フェルルたちを探しに会場の外へと歩いた。
「それにしてもクロノスは一体どこへ……」
私は頭痛のしてくる頭を抑えながら庭園に出ると、黒いいばらで騎士団を封じている二人を見つけた。
フェルルはすぐに私に気が付き、手招きした。
「ちょっと正体がバレちゃってねぇ……。早く馬車に乗って逃げた方が良さそうかなぁ」
「了解したわ。早く、逃げましょう」
状況を把握した私は、馬車の方へ早足で歩いた。フェルルが失敗するなんて思わなかったが、クロノスが助けに言ったおかげで助かったようだ。
――クロノスを信用は出来なかったが、少し評価を改めるべきかもしれない。
「……そこに誰かいますね。早く出てきなさい」
「……っ!」
若き戦士は、体をピクリと震わせた。やめろ。叫びたくなる。そんなこと、言わないでくれ。そう言いたいのに、そう言えない。
そんなこと言ったら、先生を殺すしかないじゃないか。
若き戦士はグッと唇を噛んだ。強く噛み締めたあまり、口の中は鉄の味でいっぱいになった。
「――死ねっ!!!!」
若き戦士は短剣を後ろから突き刺した。
「…………こほっ」
先生はあっけなく膝をつく。口から血を流した。先生の白いシャツが血に滲んだ。
若き戦士はとうとう泣いてしまった。
殺してしまう。私が、恩師をこの手で。
いつの間にか、若き戦士は叫んでいた。
「治れっ! パナケイア Πανάκεια 」
じんわりと淡い光が先生を照らした。若き戦士は顔を喜びで綻ばせた――が。治ったのは僅かだけだった。
若き戦士の魔力は低い。全回復するには足りない。
「嫌だ――っ!パナケイア Πανάκεια!パナケイア Πανάκεια!パナケイア Πανάκεια!」
「もう、やめなさい」
先生は、まだ生きていたようだった。先生は若き戦士の顔を見て、困ったように笑った。
若き戦士は泣きながら固く唇を結んだ。
「ジョーヌ。貴方は私を――――賢者を殺せと、そう、命じられて、いるの、でしょう?」
「……そうだ。私は、王からそう、言われて。そうしないと、殺されるから。でも、先生を回復させたら、死なないかと、思ったのだ。だから、回復魔法を、練習したのだ」
「うん――ジョーヌは甘いですね。回復魔法は、死んでから使っても意味がないんですよ。――――私は、生徒が好きです。だから、最後くらい、貴方を守らせてください。賢者じゃなくて、先生として、死なせてください」
グリシィーヌ先生は、震える手でジョーヌの手を握った。ジョーヌはダメだ、と首を横に振った。
「優しい子ですね。……だから、おかしいと思います。あなたみたいな優しい子供が、こんな目に遭うのは」
じわりと服から血が滴り落ちた。出血が酷い。もうじき死ぬだろう。賢者と呼ばれた先生は、思ったよりも弱いのだ。多分、先生は回復魔法が使える。
それなのに、使わないのは、ジョーヌを守るためだろう。
ジョーヌは服をシワができるまで握りしめた。
回復魔法を使っても、治せる傷じゃ無い。がむしゃらに使えばいいわけでは無いとわかっている。
「私……ね。昔、先生に、いじめられていて、悔しくて。それで……教師になったんです。…………私はあなたたちを……強く、したかった。そうしたら……みんな、これから先、生きるのが、楽……かなぁって……」
先生も死期を悟ったらしい。遠くの方を見ながら、言った。
「そろそろ……死ぬ……でしょう……ね。ジョーヌ……。貴方にとって、Dクラスは……、世界一……楽しいクラス……でしたか?」
「あぁ。世界一、楽しいクラスだった。世界一、幸せなクラスだったぞ」
先生は、フッと笑った。ジョーヌに安心させるように、幸せそうに、そんな顔で。
まるで、世界一幸せそうな顔で。ジョーヌに恨みもなく、怒りもなく、ただ穏やかな顔で。
「なら……私も、世界一幸せな……先生……でした。……ふふ…………。私のことは…………気にしないで……くだ……さ…………」
「…………先生?」
先生は笑った表情のまま動かなくなった。綺麗な緑の目。濁りがなくて、真っ直ぐで、負けず嫌いで。そんな目はもう二度としない。
先生の目は濁っていた。目の焦点なんてものはない。もうどこも見ていない。――――もう、死んでいるんだ。何度も死を見届けたジョーヌは、直ぐに分かった。
知り合いが死ぬなんて、当たり前だったのに。そんな世界で生きていたのに。
「…………おかしい。こころが……痛いぞ」
ジョーヌは、苦しくて仕方がなかった。
幸せを、たくさん知ったから。その感情を、先生やみんなから教えてもらったから。
「……苦しい……。いつも、こんなことは……なかったのに。おかしいぞ……。私は……おかしくなったのか?」
「おかしい?おかしいに、決まってる。…………ジョーヌ。なんで、こんなことをした……?」
先生の亡骸の前で叫ぶジョーヌに、何者かが腕を握った。ジョーヌが素早く振り向いた。
「ラヴァンド……、プリュオ……」
「何か、事情がある。…………そうでしょ?……早く、逃げよう。……見つかったら……死刑じゃ、済まない」
「何で……こんなことをした私を怖がらないんだ?」
プリュオもラヴァンドも、強い目でジョーヌを見ていた。怯えなんてない。ただ、困っているような、疑問に思っているような、そんな目だった。
「決まってる。ジョーヌは、そんなこと……意味もなくやらない」
「……そうだって、俺たちは信じてるからさ。ジョーヌも俺たちを信じて。一緒に隠れよう」
ジョーヌは差し出された手に少し戸惑い、血に汚れた、罪に汚れたその手で、綺麗な二人の手を、握った。
そのせいで二人の手は赤黒く、汚れた。
ちなみに、先生がラヴァンドを見かけなかったのはジョーヌを怪しんでつけていたからです。




