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四話 話してあげない

いじめの描写があります。



「ラヴァンドってさー、馬鹿だし魔法も使えないから、本当に役立たずだよねー?記憶喪失なんて嘘ついてさー、言い訳が好きなわけ?」

「みんなー、ラヴァンドの嫌のところ、一人ずつ言おうよー!」


 延々と聞こえる悪口。私は耳を塞いだ。そうしたら、手首を強く掴まれた。


「痛い……っ!」

「何してんだよ。私たち、本当のこと言ってるだけじゃん。このぶりっ子。自分が可哀想だと思ってるの?」


 がん、と頭を打たれて地面に転がった。そんな惨めな私を、彼女たちは何度も何度も踏んで、蹴り飛ばした。

 私は血反吐を吐いた。彼女たちはそれを見ても、ケラケラと笑って、血反吐を舐めるように言った。

 私は、それに従うことしか出来なかった。


 そうじゃないと、明日はもっと辛い目に遭うもの。

 



 

 ラヴァンド・ティアレス。

 私の娘の名前。

 本当は女の子だったらラヴェンナとつけてあげたかったのに、役所に名前を届けに行くお父さんが間違って、男の子用の候補のラヴァンドと書いてしまったので、こんな名前になってしまった。

 だから、私達はその子をティアと呼んだ。

 ティアはラヴァンドという名前を少々コンプレックスに思ってしまったので、あだ名代わりに呼んでいたのだ。


 そして、そのあだ名を呼ぶことは二度となくなる。

 今、この瞬間から。

 この状況を説明するには、三年ほど遡らなければならない。


 

「ティア、おはよう。ティアがおかしくなってもう三年も経つね」

「……あ」


 ティアはベッドの上で、いつも通りにぼうっと座り込んでいた。かつてはキラキラと輝いていた瞳の面影もなく、濁り切った瞳は見ていて痛々しい。

 何度ティアが元気に成る日を夢見たことか。

 しかしティアが発するのはあ、の一言のみ。

 私も半ば諦めかけている――そんなときだった。


「……おかあ……さん?」

「……ティア?」


 私は確かに聞いた。お母さんという声を。

 ティアのガサついた唇が、また同じ言葉を紡ぐ。


「おかあ……さん。おかあさ……ん」

「ティアっ!意識が戻ったのね!ティア!」


 私はたまらずティアに抱きついた。小さく痩せ細った体をひしと抱きしめた。

 しかし、次に発する言葉は無情なものだった。


「あなたが……お母さん?」

「……え?」


 あれから三年も経つ。

 私は天井を見上げながら思い出す。ティアは記憶の大半を失っていて、意思の疎通も難しいほどだった。

 私のことは少しも覚えていなくて、あの後一人泣いたものだ。


「あの…………お母さん、ただいま」

「おかえりー!ティア!今日はおやつにクッキーを焼いてみたの!」


 元気で明るかったティアは無くなってしまった。

 記憶をなくしたティアはなぜか暗く、大人しい。

 ダメだと分かっているのに、私はどうしても昔のティアに戻って欲しかった。

 前みたいに元気に笑って、みんなに分け隔てなく話しかけて、みんなから好かれて……。そんなティアに戻ってほしい。

 だから、私はティアのために異国のお菓子、クッキーを焼いてみたのだ。


「……クッキー。……私、嫌い」

「……そうなの?」


 昔は好きだって言ってたのに。記憶喪失は好き嫌いすらも変えてしまうのか。

 ティアの記憶喪失の理由はいまだに分からないままだ。ティアが頭をぶつけた形跡はないから、おそらく他者からの干渉で失ったのだと医者には言われた。

 例えば――魔法、だとか。


「私……疲れたからもう寝る」

「最近疲れているの?学校で何かあったなら、教えてね」

「………………うん」


 それにしても、最近ティアがおかしい。

 意思の疎通ができるようになってからは学校に通わせていたが、ティアがやけに疲れて帰ってくるのだ。

 何かおかしい。そう思った私は呼び止めようとティアの手を掴んだ。


「痛いっ!」

「……え?」


 別に私は強く握っていない。軽く、痛くないように掴んだだけ。それなのにティアは異常な程に痛がった。


「ティア……!これ、どうしたの!?」

「あ……」


 ティアの手首を確認すると、紫色のあざがあった。手首だけじゃない。腕も、それから足まであざや傷があった。それを見てひゅっと息が詰まった。


「ティア。何があったのか言いなさい。大丈夫よ。どんなことがあっても、私はティアの味方だから」

「……わたし、記憶が戻ってからよくぶつけるようになった。だから……」

「嘘はつかないで。これはぶつけてできる傷じゃないわ」


 私は人に殴られたり、暴力を振るわれたことがない。だからはっきりと分からないけれど、これはおそらく殴られた跡だ。

 手首の周りのあざだって、ぶつけた跡じゃない。手首をこんなふうにぶつけることなんてない。これは強く握られた跡だ。

 娘が、いじめられているかもしれない。

 私は全身の血が引ける限りに引いたような、そんな恐ろしさを感じた。

 

「…………うるさい……!」

「ティア!」


 ティアは泣きながら叫んだ。最近物静かなティアが叫ぶなんて、珍しいものだ。私は拒絶されたことに深くショックを受けた。

 ティアはよく噛み締めるのか荒れた唇をそのまま噛み締め、手を握りしめて、ポツポツと話始めた。


「お母さんは前のわたししかみてない……!ティアはもう死んだ!目の前にいるのは明るくて元気なティアじゃない!暗くていじめられているラヴァンド・ティアレスだ!」

「……っ!」


 がん、と崖から突き落とされた感覚になった。

 くらくらと目の前がまわる。それだけは言ってほしくなかった。目の前にいるティアは、私が好きだったティアじゃない。それは分かっていたつもりだった。

 しかし、それはただのつもりでしかなかったのだ。


「お母さん。わたし、今の学校をやめたい」

「それは、分かったわ。いじめられているのにやめてはいけないなんて、言えるわけないもの」

「やめて、それから寮のある学校に入りたいの」

「…………」


 ティアが怒った時から、それは予想していた。ティアは私のことが嫌いだろう。ティアにとって、私のみていたティアはただの死人でしかない。

 ティアにとって、私は死人と重ねてくる迷惑な人でしかない。


「何処に行くの?手続きを手伝うわ。それからお金も……」

「出さなくて、いい。私、エクスゼウス魔法学園に通う。お母さん。一回距離を取ろう。そうしてから、次会うときにはまた親子に戻ろう」

「……ティア……」


 目の前に立つティアが眩しく見えた。

 いじめられているのに親にすら気づかれず、その親には死人と重ねられ……そんな状況下でティアは自分で道を決めたのだ。

 前のティアなら、そうはいかなかっただろう。ああ、私はティアの……いや、ラヴァンドの悪いところばかり見ていたのだ。


「分かったわ。ラヴァンドの意志を尊重する。……頑張ってね」

「うん」


 そうして、私はラヴァンドと彼女を呼ぶようになったのだ――――。



 今日は食堂が空いている。ラウゼやフェルル、それからクロノスが何か話しているけれど、自分から話しかけに行く勇気はない。人見知りはこれだから困るのだ。

 私は食堂のテーブルに寄りかかりながら、物思いにふけった。お母さんとはあまり良い別れ方が出来なかった。

 次会うときは、本当の家族になれるかなぁ、なんて考えてみる。ティアとしてじゃなくて、新しい娘のラヴァンドとして、またやり直したい。

 ぼーっと朝ごはんを食べていると、遠くにラウゼリーナを見かけた。眉を顰める。

 やはり、ラウゼリーナを好きにはなれない。

 ほんの少し残っているティアの記憶が彼女にひどく怯えるからである。

 いつも通り、フェルルやジョーヌがいるのだろう。そう思ったが、周りに二人がいない。

 しかも、よくみたらラウゼリーナは私の方へ歩いてきているではないか。私はこれからの面倒を予想し、更に眉間の皺を深くした。

 

「ラヴァンド様。お話がございます」


 だから、そうラウゼリーナに声をかけられた時、私は嫌悪感でいっぱいになった。

 やっぱり私の方へ向かっていたのだ。


「……何?」


 態度悪く接しても、ラウゼリーナは引く様子すらない。

 そういえば今日は、仮面ではなく布をつけている。無くしたのだろうか。


「ごめんね」

「え?」


 いつも礼儀正しく、私には敬語しか使わない彼女は珍しく普通に話した。ごめんね。その単語を理解するのにしばらくかかった。


「……謝っても、私、許してあげない」

「いいの。許してもらえなくても。でも、謝らせてほしい」

「……私、あなたのこと……嫌い」


 私はラウゼリーナ・エル・ブランシェという女が心から嫌いだ。

 前の私――ティアを殺した最低な野郎だ。


「私のお母さんとお父さん、ティアが大好きだった。だから、すごく悲しんでた。しばらく呆然としてて、孤児院も一時期辞めてた。でも、ティアは天国で、多分あなたのこと……許してくれる」

「……!そんな……そうよね……ごめんね」


 ラウゼリーナは驚いたのか呆然とした顔で私を見ていた。それからふと謝った。

 そんなに、私のお母さんとお父さんが悲しんだことが辛いの?あ、よく考えたら彼女にとって、私の家族は恩人だ。

 そんな人を悲しませるなんて、辛いことだろう。


「……私に、謝らないで。私……ティアじゃないから。私は、ラヴァンド。……ティアはもう、死んだ」

「…………えぇ。分かった。ティアのご家族に謝りに行くわ」

「いや、謝りに行かないで。…………迷惑」

「そう……ごめんね」


 ラウゼリーナは強く手を握りしめていた。爪が白くなるくらいに、強く。

 私は白けた目でラウゼリーナを睨みつけ、ローブのフードを深く被った。

 本当は、迷惑なんじゃない。

 君にこれ以上苦しんでほしくないだけだ。

 

「もしよければ、貴女がただのラヴァンドになった経緯を教えてくれると嬉しいのだけれど」

「それは、しない」


 私はにっこりと笑った。

 にっこりなんて言っているけど、たぶんあんまり笑っていない。私は表情筋が拙いからだ。

 話してあげない。

 その決意を込めた笑みだ。


「……そう、なの」

「……うん。でも、ただの意地悪じゃない。……貴女を信じたティアを信じるから、話してあげない」


 そう。知らなくていいのだ。ラウゼリーナはこれ以上苦しまなくていい。

 私がティアと重ねられたことも、記憶喪失になったせいで知能が下がり、いじめられたことも、知らなくていい。きっと君は、責任を感じるから。

 本当に困ったものだ。現実とは非情なものだ。

 ティアもラウゼリーナも、悪者じゃない。どっちもクロじゃない。

 私はそう思うし、信じている。


 私はラウゼリーナを許さない。

 けれど傷ついてほしいわけじゃないから。


 話してあげない。


「いい感じじゃないかい?つまりラヴァンドはあんまり怒ってないってことだよねぇ」

「ま、そうとも言えるんじゃないの?よかったな、これでキミも恋愛に専念してくれてもいいんだよ?」

「は?誰がキミなんか好きになるんだよぉ」

「誰もボクの話なんてしてないけど?」

「…………今の取り消しねぇ」


 そういえば、さっきから後ろでうるさい。この声はフェルルとクロノスだ。

 私は剣を起動して、後ろを全力で斬りつけた。


「ぎゃー!何するんだよぉ!」


 フェルルの悲鳴が響き渡った。私はため息をつきながら剣をしまった。

 二人の関係性は大変憧れるが、盗み聞きは見逃せない。

 まぁ、フェルルは前から私達の仲が悪いことを心配していたから、別にいいけど。フェルルはちょっと胡散臭いけど、本当はいい人なのだ。


「むむ?私は早く来たはずだが……みんな早起きだな!まぁ、私も早起きだが!ふはははは!」

 

 野太く低い声が食堂に響いた。みんなからキッと睨まれ、ジョーヌは眉を八の字にさせて落ち込んだ。

 私はふう、とまた息をつく。ジョーヌが来るのが遅くてよかった。ラウゼリーナと気まずいのがバレたら、どうにかしようと余計なことをしてくるに決まってる。


「ジョーヌ。何回したら学ぶんだい?朝早くから叫ばないようにねぇ」

「…………うむ……」

「ジョーヌ、キミすげー顔してるぜ」


 全身から悲しいオーラが出ているジョーヌを、クロノスが呆れた目で見ている。

 今日も騒がしい。でもそれが、心地よい。

 こんな日々がずっと続きますように。私は声に出さずに、内心で祈ったのだった。

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