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二話 白色は心を閉ざす



 見て、しまった。

 触れてはいけなかった、ラウゼの素顔を。

 あれは、なんだ。あの宝石は、なんだ。呪いか?呪いとしか考えられない。

 自分でも意味もわからず、がむしゃらに廊下を走った。どくどくと心臓が脈を打つのを、手を取るように感じる。

 心臓って、喉についているんじゃない?そんな錯覚をしてしまいそう。それぐらいに、喉から心音がバクバクと聞こえて、はて、これは果たしてどの理由からだろうかと考える。

 緊張?走っているから?それとも、ラウゼを怒らせてしまったから?


 そうだ。あれは、きっと怒っていた。そうじゃなくても、あのまま話すことは、きっと無理だった。そうだ。きっと、そうなのだ。


「フェルル!どうしたんだ?こんな時間に廊下を走って。そろそろ消灯時間だよ?」

「寮長……先輩」


 がむしゃらに走っていた私を止めてくれたのは、寮長先輩だった。寮長先輩は只事ではない、私の様子に気づいたらしい。

 そっと、手招きをしてきた。


「何か、あったの?聞かせてくれないか?」

「あの、すみません。言えないんです」


 ここで、先輩に言っても、ラウゼを傷つけるだけだ。

 先輩はそんな答えにも怒らず、困ったように笑った。


「ふふ、それは困ったな。でもその様子だと、エルゼと何かあっただろう?実は使っていない部屋が右端に一部屋あってね。そこを使っていいよ。今日はね」

「いいんですか?ありがとうございます」


 いつものような嘘笑顔を作る元気すらない。察しの良い先輩に感謝して、私は今日だけ違う部屋を使わせてもらうことにした。


 部屋に入る直前、寮長先輩にそっと助言を貰った。


「何が合ったのかは知らないけど、喧嘩をしたなら仲直りをするべきだ。出来るだけ早く……ね。分かった?」

「……はい。善処します」


 寮長先輩は、私の頭を雑に撫でて、自分の部屋に戻っていった。

 

 一番右端の部屋はいつもと違うベッドだ。眠りにくいかもしれないと思ったのに、私はベッドに転がった途端、唐突な眠気に襲われた。まるで誰が私の眠気を操っているような、そんな不自然な眠気だった。


「起きた?」

「……ヴィオレット……?」


 どうやら、現実世界で寝てまた夢を見ているらしい。

 ヴィオレットが視界いっぱいに写っている。なんだかここに来ると、安心する。ここに来るからと言うよりも、ヴィオレットに会うと、だろうか。


「今日はいつもより疲れているね。今日もゆっくりとおやすみ」

「……うん」


 ヴィオレットは私の顔色がすぐにわかる。何故かはわからないけれど。夢の中の住民らしい設定だ。

 私はいつものように、椅子に座った。今日は茶色い粒々が入ったクッキー。チョコチップクッキーというらしい。


「何があったの?私はキミのためならなんでもするよ。クロには行かせないけど、シロの中なら平気。」

「……何言ってるか分からないけど……」


 私は吐き出すように、ヴィオレットに起きた事を話した。ヴィオレットは何度もうんうんと頷いてから、上品に笑った。


「もしかして、初めての喧嘩?なんだ、そんなこと?ふふ、任せてね。私にいい考えがあるよ」

「いい考え?」


 ヴィオレットは自信満々に、言い放った。


「そのエルザちゃんにクッキーをあげるのはどうかい?」

「クッキー?ラウゼは甘いものが嫌いだと思うけど…あと、エルザじゃなくて、ラウゼだよぉ」

「あれ?そうだったかな。私は覚える名前が多いからね。エルザとも一度は会っているから混ざってしまうよ。それはともかく、早くクッキーを作ろう。ついてきてね」


 ヴィオレットは私の返事は気にしていないのか、椅子から立ち上がり、私を手招きしてきた。なんと、初めてこの花畑から出るかもしれない。

 私も椅子から立ち上がり、ヴィオレットを追いかけた。

 花畑の外は、森だった。森の奥には、小さな小さな小屋のような家がぽつんと建っていた。

 そういえば、森の外側はどうなっているのだろう。ヴィオレットは中に入ったらしく、辺りにはいない。

 チャンスかもしれない。少し外を見るくらい、いいだろう。今のうちに小屋の横を通り抜けようと、歩いたその刹那。


「いったぁ……」


 何かに弾き飛ばされた。ヴィオレットは外に出れないと言っていたが、なるほど、物理的に出れないとは。


「うん。そうだよ。シロの鳥籠からは、物理的に出れない。だから、キミには謎を解いてもらわなくてはいけないよ」

「……ヴィオレット。いつの間にいたんだい?あと心の中を読まないでよぉ」

「読んでないよ。予想しているだけ。怪我はないかい?あるなら、傷口を洗いに行こう。ね?」

「怪我はない、けど」


 よかった、とヴィオレットが微笑んだ。悪意なんて見当たらない、慈愛に満ち溢れた笑顔。私は反論する気をすっかり無くして、おとなしく小屋の中に入った。

 部屋の中は粗末で色々なものが散乱しており、キッチン以外はまともに歩けないくらいだった。

 私は顔を顰めた。

 ヴィオレットは気にしていないのか、私に尋ねた。


「エルザちゃんは、何味が好きかな?チョコチップ?ステンドグラス?ジャムクッキー?」

「……分からないよぉ。あとエルザじゃないってば」


 ラウゼはいつもジョーヌと同じものを食べている。好きな食べ物なんて、わからない。――あれ、私って思ったよりラウゼのことを知らないのかもしれない。


「んー、じゃあ無難にプレーンにしようね」

「ぷれーん?まぁいいや。わかった」


 プレーンって何だろう?チョコチップみたいなものだろうか?わからないが、とりあえずそこはヴィオレットに任せておいて大丈夫だろう。


「まずはね、薄力粉をふるってみて」

「はくりきこ?ファリーヌじゃないの?」

「ファリーヌね。懐かしいな。でも生憎ファリーヌがなくてね」


 クッキーは、外国のメルクリウスから伝わった食べ物で、本来はファリーヌを使わないらしい。ファリーヌは味が似ているから使うのだとか。薄力粉は夜に光らないことが、ファリーヌとの大きな違いだろう。


「そうそう、上手だよ。それが終わったら、バターを混ぜてね」


 ヴィオレットは優しく最後まで教えてくれて、なんとアイシングまでやってくれた。私は料理や裁縫は苦手だから上手くできないので、アイシングはガタガタになっちゃった。けど、いざやってみて、あれ、意外に楽しいかもしれないと思った。機械を作るよりも、魔法の練習をするよりも、余程楽しかった。

 

 出来たものは散々な出来だったけど、綺麗にラッピングしてみると、おいしく見えるものだから、不思議だ。


「よかった。とってもいい出来だね。私はシロの鳥籠で、明日もキミを待っているよ。キミの世界に、私はついていけない。キミの手助けはできない。……ごめんね」

「……?なんで、謝るんだい?」


 意識が遠ざかっていく直前、私はヴィオレットに抱きしめられた。ヴィオレットは、泣いていた。私はオロオロとするしかない。


「ごめんね。これしか言えないけど、頑張ってね」

「うん。今日は、ありがと。…料理、楽しかったよぉ」

「――そうかい。それはよかったよ」


 ヴィオレットの泣き笑いが、視界に広がり、そして消えた。


「朝、か」


 気づけばそろそろ日が昇る時間に起きていた。随分と早起きだ。

 そういえば、化粧道具、部屋に置いてあるから化粧はできないな。

 ポケットに入れておいた、最低限の道具だけで、どうにかいつもの顔を再現する。


「……だめだ。やっぱり、だめ。これじゃあ本当は可愛くないって分かっちゃう。所詮は詐欺師の娘だと思われたら、どうしよう。嫌だ。嫌われるのだけは、嫌だ」


 鏡に映る自分の顔は、醜く思えてくる。父が処刑された後、私は「醜い」と言われた。

 自分だけ生き延びて、卑怯。醜い顔。怪しい。信用できない。悪者……。

 みんなから嫌われて、一人で、部下のみんなが好きなのは、詐欺師の娘の私だけ。


 ぶるぶると、震える。ラウゼに嫌われたら、どうしよう。あの子は私のことなんて、友達とも思っていないかもしれない。でも、私は嫌われたくない。もう、嫌われるのは嫌だ。騙して、嘘をついて嫌われるのは、嫌だ。

 それなのに、私は変装みたいなことをして、本当の自分に仮面を被せて、隠しているんだ。


 鏡の前で、私は嘘笑いを作る。緊張しているせいで、どこか不自然だ。自然なものが作れるようになってからようやく私は鏡から目を逸らした。


「……は?クッキー?」


 何故か、目を逸らした先の布団の前に、クッキーがあった。ラッピングされた、アイシングが不恰好な、クッキー。


「夢で見たのと、同じ?」


 息が詰まる。まだ夢を見ているのかも。そう思い、頬をつねる。痛い。


「つまり……あれは、夢じゃ、ない?どういうこと、なの?」


 いや、そういえば、ヴィオレットは言っていた。

 これは夢ではない、と。薄々、感じてはいた。これは夢じゃないかもしれないと思うことはあった。

 夢にしては、記憶の中で現実のような存在感を放っていたからだ。

 色々思うことはあるけど、そろそろ食堂が開く。早めに行かなくては。推測だけど、ラウゼはもう食堂で私を待っている。

 ラウゼは罪悪感が強い。きっと昨日のことも、後悔しているはずだ。


「……行こう」


 私はクッキーを持って、駆け出した。


「ラウゼ。」


 食堂は、朝早いのでラウゼしか居らず、私はすぐに話しかけた。私は昨日、逃げてしまった。今だって、逃げたいくらい、怖い。嫌われてしまったかと思うと、恐ろしい。身の毛がよだつ。けれど、ここで聞かなければ、後悔するだろう。


「……フェルル」


 振り返ったラウゼは布を顔に巻いていた。髪は結ぶ余裕すらなかったのか、おろしたままだった。


「ラウゼ。昨日は、ごめんね」


 私はラウゼにクッキーを渡した。ラウゼはパチパチと瞬きをして、受け取った。受け取った手は少し震えている気がした。顔色も悪い。昨日はあまり寝れていないのだろう。――人を分析してしまうのは、私の悪い癖だ。


「……怒っていないの?私、貴女は何も悪くないのに、自分勝手に怒鳴りつけてしまった」

「怒ってないけど。逆に、キミは?」

「怒っていないけれど……」


 私は安堵した。なんてどうでも良いことで、怖がっていたのだろう。ラウゼを信用していない証拠だ。


「ラウゼ。……その。顔のことなんだけど……」


 私が勇気を出して言うと、ラウゼは一度息を吐いてから、布をとった。

 昨日と同じ、人形みたいに綺麗な顔。何度見てもやはり、まとわりつく宝石が不気味だった。


「この宝石のことを話すには、ラヴァンドのことも、話さなくてはならないわ」

「……うん」


 ラヴァンドとラウゼが何かしら問題があることは、既に本人から話されていた。きっとそれは、この話のことだ。


「フェルル」

「何?」


 ラウゼは目を伏せながら、言った。なんとも美しく儚い表情に、私はえもいえないほどに魅入った。

 ラウゼの素顔は芸術品のような魅力があった。今まで素顔を見ていないので無表情だと思っていたが、変わりなく、無表情が多い。目もあまり感情を語らない、凪のような、氷のような、そんな落ち着いた目をしている。


「私は許されないことをしているわ。……そしてそれを隠そうとしていた。それでも私を嫌いにならないかしら」

「何言ってるんだい?」


 私はニヤリと笑って見せた。いつもとは違う、悪い笑み。ラウゼはそれに気がついたのか、一瞬大きく瞬きをした。


「私は詐欺をしたし、詐欺師の娘だよ?私だって、罪から逃げ出してしまった。それに、……私が勝手に思ってるだけかもしれないけど」

「?」


 私は目線を落としてから、言った。


「私はキミのこと、親友だと思ってるけど。ラウゼは違うの?」

「フェルル……」


 ラウゼは大きな瞳を更に大きくさせて、それから目尻を微かに上げた。笑い慣れていない、私と真反対なもの。口角と目尻がかろうじて上がっているような、そんな微妙なものだった。

 けれど、ラウゼリーナ・エル・ブランシェは、私が見る中で初めて、仮面無しで笑ったのだ。


「ふふ、それもそうね。私もそう思っている。では貴女を信じて、話しましょう」


 ラウゼは話し始めた。慎重な、真剣な声で、少しずつ。

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