後日談 私はこんな風にしたのは誰ですか?
「汐織、そっちの片付けは終わりそう?」
「もう少しです!」
三月の下旬。
今日は汐織と一緒に、引っ越し先にやってきていた。
荷物の運び出しが終わって、今は部屋の整理をしている真っ最中だ。
新しい住まいは、俺が新たに配属された店舗と汐織の大学の中間地点ああるごく普通のアパートだ。
「二人分の荷物って意外に多くなるなぁ。あまり荷物は増やさないようにしてたんだけど……」
「そうなんですか?」
「うん、異動もあるし、引っ越し代も馬鹿にならないしね」
特にこの三月のお引越し屋さんは繁忙期なので料金が高い!
なので、俺は今までは自分のクルマの往復で済むくらいの荷物しか持たないようにしていた。
でも今年は違う。
初めて親元を離れる汐織のために、また汐織の両親の手前もあるので、ちゃんと部屋の用意をしなければいけなかった。
ついさっきも、汐織の両親は俺たちの引っ越しの手伝いをしてくれていた。
「足りないのは後でホームセンターとかで買ってこようか」
「大和さんは凄いですね!」
「何が?」
「お引越しが手慣れてます」
「この仕事をやってるとそうなるだけじゃないかなぁ」
俺のお引越しを伴う異動はこれで三度目だ。
二度も三度もやっていればそりゃ慣れてくると思う。
普通は引っ越しなんて、人生に何度もあるものじゃないしなぁ。
「汐織の親は戻ってくるの?」
「お父さんが明日は仕事だからそのまま帰るって言ってました」
「そっか……」
汐織のお母さんは、家事のやり方などを汐織になんやかんやと賑やかに言っていた。
さっきまでは騒がしくしていたのだが、今は部屋に二人きりだ。
……汐織のことを意識しないって言う方が無理だと思う。
「汐織は今日はどうするの? 向こうに戻る?」
「大和さんはどうするんですか?」
「俺はこっちにこのまま寝泊まりする予定」
「わ、私もそのつもりだったんですが……」
「……」
「……」
お互いに気まずい雰囲気が流れる。
三月いっぱいは名目上、汐織は高校生だ。
変な気を起こさないようにしないと……。
そもそも俺たちキスすら――。
「よし! じゃあ早く片付けちゃおうか!」
「は、はい!」
「終わったら近所の散策ついでに何か食べいこうか」
「わっ、楽しそうです!」
汐織の顔が花が咲いたみたいに笑顔になる。
うぅ……この同棲は思ったよりも大変になるかもしれないぞ。
※※※
「大和さん、この棚はどっちに置きますか?」
「台所でいいんじゃない?」
「分かりました」
「……これから一緒に住むんだから自分が良いと思うところに勝手に置いていいんだからね」
「すみません」
お互いが片付けに集中すると、ついスーパーの作業場みたいなやり取りになってしまう。
相変わらず汐織は敬語のままだ。
多分、癖なんだろうなぁ。
どうにかして崩してやりたいとは思っているんだけど。
「……汐織、別に敬語じゃなくていいよ」
「えっ!?」
「これからずっと一緒にいるのに敬語はおかしいでしょう」
「そ、それは分かっているのですが……」
「早速、敬語だし」
「あっ」
思ったよりも重症っぽい。
汐織の性格を考えると、本格的に一緒に住む前に決めごとを作った方がいいのかもしれないなぁ。
「汐織、一個だけ決めごと作ろう」
「な、なんでしょ……なーに?」
下手くそ! あまりにも不自然すぎる。
まぁ、こっちは追々《おいおい》でいいか……。
「お互いに遠慮しないこと。言いたいことはちゃんと言うこと」
「は、はい!」
返事が固い。
もうちょっとラクにしてもらわないと、これからが大変そうだ。
汐織に精神的に負担のある同棲には絶対にしたくない。
「汐織がやりたいことがあったら何でも言ってね。仕事じゃないんだから、疲れたら休憩してもいいし、寝ててもいいんだから」
「大和さんは優しいですね!」
「普通だって」
俺がそう言うと、汐織が真顔で俺のすぐ傍まで近づいてきた。
「ん? どうしたの?」
「……」
自分からこっちに来たくせに、汐織は固まってしまっている。
この雰囲気はどこかで見たことがあるような……?
「大和さん、ぎゅーがしたいです」
緊張からか、汐織の肩が上がっている。
正座でじっと俺のの反応をうかがっている。
「急にどうした!?」
「や、やりたいことがあったらって言ったじゃないですか!」
あっ、そうだ。
この感じは最初の値下げ発言のときに似ているんだ。
「……はいはい」
今度はちゃんと伝わったので、俺は汐織の体を抱きしめた。
彼女の体がすっぽりと俺の胸の中におさまる。
「あ」
汐織から小さく声が漏れる。
汐織の体からは力が抜けて、気持ち良さそうに俺の胸に顔をうずめてきた。
※※※
「おーい! 早くやらないと終わらないぞ! 大学の準備もあるんだろう!?」
「もうちょっとだけお願いします」
それから小一時間が経ったが、一向に部屋の片付けが進んでいない。
それもそのはずだ!
だって、俺はずっと汐織にぎゅーされているのだから。
「動きづらい……」
俺が行く方向に、わざわざ汐織がくっつきながらついてくる。
いつの間にか汐織は俺の後ろから抱きつく形になっている。
これじゃ恋人同士というより、コアラの親子みたいだ。
「もー、ちゃんとやれよ」
「……私、どうやらぎゅーが好きみたいです」
「汐織ってもしかして甘えん坊?」
「私はこんな風にしたのは誰ですか……?」
山上さんから聞いたことがあるが、女子の年上好きは甘えたがりが多いらしい。
また汐織の新たな一面を見ることができて嬉しいけど――。
「《《白河》》さん!」
「は、はい!」
「早くそっちの片付けをやって! ご飯に行けなくなっちゃうでしょう!」
「わ、分かりました!」
俺がそう言うと、汐織はすぐに俺の背中から離れた。
汐織の背筋はびしっと伸びた。
「私、チーフに白河さんって呼ばれるのも嫌いじゃないかもです!」
「なんで?」
「分かりません! でも私、白河汐織って名前がとても好きになりました!」
「俺はプラベートでチーフって呼ばれるのは嫌だけどな……」
「ふふっ、じゃあ気をつけるね」
おっ、ようやく自然に敬語を崩してくれた。
「大和さん! これが終わったらまたぎゅーしてくださいね!」
「……」
付き合う前に抱きしめてしまったのが悪かったのかもしれない……。
汐織がハグに変なハマり方をしているような気がする。
(キスかぁ……)
今はそのことは考えないようにしよう。
しばらく悶々とする日が続きそうだ。




