♯44 高校卒業後のお話
夜の七時前、仕事は無事に終わった。
本来ならすぐ家に帰って休みたいところだが、今日はそんなことを言っていられなくなってしまった!
「す、すみません! 疲れているところに無理を言ってしまって……。お父さんのワガママなので今日じゃなくても――」
吹き出す汗、ぶっ飛ぶ眠気。
仕事中に感じていた倦怠感はどこかに行ってしまっていた。
気分が全然落ち着かない。
クルマの助手席にいる白河さんもおろおろしている。
「あ、あの何を言われても気にしないでくださいね?」
「う、うん」
白河さんがとても心配そうな表情をしている。
(……)
一体、何をうろたえているんだ俺は……。
年が明けたらちゃんとするって思ってたじゃないか!
「白河さん」
「は、はい……」
「俺、頑張る!」
「はい!?」
自分の家に帰っているだけなのに、どうやら白河さんも緊張しているようだった。
※※※
それから少し運転をすると、すぐ白河さんの家に着いてしまった。
落ち着け……! 落ち着くんだ俺…!
自分より年上の人と話すなんて慣れているはずだ。
目上の人と話すなんて慣れているはずだ。
いつも小西さんや店長と話していることを思い出すんだ!
「ち、チーフぅ……」
「なんで白河さんのほうが緊張しているのさ!」
「だ、だってぇ……」
白河さんの体がかちんこちんになっている。
自分の家に着いたのに、全然助手席から降りようとしない。
「よし……!」
「えぇええ! もう行くんですか!?」
「ま、待ってください!」
クルマから降りようとすると、白河さんに腕を引っ張られてしまった。
「作戦会議! 作戦会議をしてから行きましょう!」
「なんの作戦会議?」
「お、お父さんと何を話すか――」
白河さんが取り乱しまくっていると、ふいにクルマの運転席の窓ガラスをトントンと叩かれた。
「あっ……」
白河さんが完全にフリーズした……。
俺もぎぎぎぎと自分の頭を振り向かせた。
「こんばんわ、白河です」
「は、ははははじめまして水野です!」
後ろにはオールバックで、強面の眼鏡の男の人がいた。
ぜ、絶対に白河さんのお父さんだッ!
急いでクルマから飛び降りて、お父さんに頭を下げる。
「ご、ご挨拶が遅くなり申し訳ございません! 水野大和と申します!」
「初めまして、汐織の父です。いつも娘がお世話になってます」
白河さんのお父さんは、とても真面目そうで、とても厳格そうな雰囲気を放っている。
俺の経験上、こういう人に口先の言葉は絶対に通用しない!
「あ、あの――!」
テンパっていたのかもしれない。
または、連日の寝不足で変なテンションになっていたのかもしれない。
だから、俺は思わずこんなことを言ってしまった。
「汐織さんとは《《結婚》》を前提にお付き合いさせてもらってます! い、いや、まだお付き合いはしてないのですがっ……! なので、汐織さんが高校卒業したらお付き合いをさせてください!」
勢いよく、その場で頭を下げる。
と、とてつもなく支離滅裂な言葉になってしまった。
後ろのほうからは、白河さんのお母さんの爆笑する声が聞こえてきた。
※※※
「す、すみません……」
その後、俺はお父さんにリビングに案内された。
顔が真っ赤にした白河さんも一緒についてきた。
「大和君……だよね? 物事には順序というものがあってね」
「存じております! 先走った発言をしてしまい申し訳ございませんでした!」
とんでもないことを言ってしまった。
言うに事欠いて、初対面で結婚という言葉を出してしまった。
「で、でも! 汐織さんが卒業をしたら真剣に交際をしたいとは思ってます!」
「結婚を前提に?」
「うっ……」
こ、この質問にどう答えるがの正解なんだろう……。
ただでさえやらかしているのに、返事次第では最悪の第一印象になってしまう。
「……」
チラッと隣にいる白河さんを見る。
「あっ――」
……白河さんと目が合った。
白河さんがとても不安そうな……でもとても嬉しそうな顔をしている。
「……」
お父さんが、怖いくらいに俺のことを真っ直ぐ見つめている。
「……俺、今年で二十五歳になります」
何故か分からないが、その視線から逃げてはダメな気がした。
逃げたら、今まで自分が大切にしていたものが崩れていくような気がした。
「給料も安くて、休みが少ないスーパーに勤めています」
お腹にきゅっと力を入れる。
膝の上に置いていた、拳をぎゅっと握りしめる。
「そんな自分なので、これからのことは正直分かりません……。でも、汐織さんとはそれくらいの気持ちで交際したいと思ってます。汐織さんと一緒に過ごせるようにこれからも仕事を頑張りたいと思ってます」
俺も、白河さんのお父さんの視線にできるだけ真っ直ぐに答える。
これからのことは分からない、でもそれくらいの気持ちで交際したい。
それが今の俺に言える精一杯の答えだと思った。
「汐織さんにはできるだけ誠実でありたいと思ってます。なので、高校卒業まで交際を待ってもらって――」
「お母さん」
言葉を遮られてしまった。
お父さんの雰囲気が和らいだのが分かった。
「言った通りでしょう? 今どき、昔ながらの考え方をする子だって」
「はぁ……。汐織が好きになる人ってどんな人かと思えば」
お父さんはそう言うと、俺にぺこっと頭を下げた。
「すみませんでした。お仕事でお忙しい時期に、しかもお正月にお呼び立てしてしまって」
「そ、そんなことは……」
「汐織がですね、大晦日にこんなことを言うんですよ。“高校卒業したら一人暮らしをしたい”って」
「はい?」
ん? そんな話は初めて聞いたぞ。
「当然、親としてはどうしてかって聞くわけじゃないですか」
「そ、そうですよね……」
「そうしたら、好きな人と一緒にいたいからなんて言うわけです」
「はい?」
つい白河さんに視線を向けてしまった。
白河さんの体が限界まで縮こまっている。
顔は、年末に散々見た本マグロみたいに赤くなってしまっている。
「それじゃ二人暮らしだろう! って話をしましてね」
「た、確かに」
「じゃあ、汐織にそこまで言わせる人に早くお会いしたいと思ってしまいました。今日は私のワガママで申し訳ございません」
お父さんの口調がとても優しいものになった。
白河さんのお母さんも俺たちの会話に混ざってきた。
「この子の大学と、チーフの異動する店舗が近いって話になったの」
「それは汐織さんから前に聞きましたが……」
「汐織は、家賃がもったいなから二人ならって話を私たちにするわけですよ」
「白河さんッ!?」
い、一体、何の話をしているんだ白河さんは!?
「い、いや! 案ですよ案! あくまで案の話です! お付き合いと同時に一緒に住めたら素敵だなぁとか考えてしまって――」
「気が早くない!?」
「だ、だからお付き合いをしてからこの話をしたかったんですよ! でも、親には話しておくべきかなぁと思ったら、お父さんがいきなりチーフに会いたいって話になってしまって……」
「そりゃそうでしょう!?」
俺の言葉に、ようやくお父さんの表情が少し崩れた。
「大和さんが常識的な考えをお持ちの方で安心しました!」
「お、お父さん!」
「娘は、いつものんびりしているくせにいきなりそういう突発的なことを考えるんですよ……。アルバイトを初めたときもそうでした」
「わ、分かります! そういうところありますよね!」
「ですよね……。あっ、お父さんはまだ早いと思います」
「大変失礼しました」
真っ赤な顔をした白河さんの目元には涙が溜まっていく。
「だ、だから! 今日はお父さんに会わせたくないって言ったの!」
「お前がいきなり変なことを言ってくるからだろう!」
「変なことは言ってないもん! ち、チーフだってけけけけ結婚を前提にって言ってくれたじゃん!」
「まだ付き合ってもいないだろう!」
あー、喧嘩が始まってしまった……。
敬語じゃない白河さんってとても新鮮だ。
どうしていいのか分からないので、その様子を見守っていると白河さんのお母さんがそっと後ろから声をかけてきた。
「ご飯はまだですよね?」
「は、はい!」
「今、用意しますので。お餅しかありませんが」
「い、いえ、おかまいなくです……」
「子供の頃から自己主張の少ない子でしたので、今回はびっくりしちゃいました。これからはもっと気軽に遊びに来てくださいね。そうしたら二人で暮らすのも認めてあげられると思うので」
「お母さん!?」
「あっ、私のことはお母さんって呼んでもいいですよ」
白河さんのお母さんの顔が心底楽しそうに笑っていた。




