♯42 年末商戦 ~大晦日~
大晦日。
朝の六時、朝食を取るために休憩室に向かう。
年末の三日間は、店長が朝食を用意してくれる。
……レジを除いた、全部門が早朝出社になるからだ。
休憩室の扉を開けると、机で突っ伏している女の子が真っ先に目に入ってしまった。
「江尻さん、大丈夫?」
「うぅ……、眠い、疲れた、足が痛いです」
「青果は何時出社だったの?」
「朝の三時ですよ! お肌もボロボロなので顔は見ないでください!」
「良かった、そんなこと気にしてるならまだ余裕あるね」
二十九日から三十一日まで。
スーパーマーケットは地獄のデスマーチが始まる。
鮮魚部門も、二十九日からは朝の三時出社。
俺は、それから夜十時の閉店近くまでいる。
商品の物量が多すぎて、そこまでしないと仕事が回らないのだ。
「これあげるよ。苦手だったらごめんだけど」
「なんですか、これ?」
「コンビニで売ってる高い栄養ドリンク」
体がしんどくなるのは分かっていたので、俺は栄養ドリンクを数本用意していた。
200~300円くらいで買える安い栄養ドリンクではない!
1000円以上する高い栄養ドリンクだ。
「これ思ったよりも効くから!」
「うぅ、お言葉に甘えます……」
江尻さんがようやく机から顔をあげた。
「すげークマ」
「顔、見ないでって言ったじゃないですか!」
「まだ元気あるじゃん」
俺も席に座って、机の上に置いてあるおにぎりに手をつけた。
うちの部門は交代で、休憩を取るようにしている。
「水野さんは余裕そうですね」
「全然余裕じゃねーよ! ずっと立っているからめちゃくちゃ足が痛いし!」
「聞いてはいましたが思った以上でした……。普通なら大晦日は美味しいものを食べてコタツでぬくぬくしているはずなのに」
「虚しくなるからそれ以上は言うな」
大晦日って、一年を通して一番楽しい日かもしれないもんなぁ……。
家族が集まって、美味しいものを食べて、新年の期待に胸を膨らませて――。
スーパーの年末を初めて体験する江尻さんは、今まさにそのギャップに苦しんでいるのかもしれない。
「ほら、年末が終わった後の温泉って格別だからさ」
「温泉?」
「疲れたら銭湯に行きたくならない?」
「それは分かりますけど……」
「俺はそれを目標に頑張ってます」
「水野さんって意外におじさんくさ――」
「それ以上言ったら怒るぞ」
死んだ魚の目をしていた江尻さんの目に、少しだけ光が戻ったように見えた。
「はぁああ、青果しんどいから部門の異動願い出そうかなぁ」
「どこの部門も一緒だと思うけどなぁ」
「私が鮮魚に行きたいって言ったら怒りますか?」
「なんで俺が怒るのさ……」
※※※
去年の早朝出社は俺と小西さんだけだった。
……が、今年は他の人たちにも早朝出社をお願いをした。
そのおかげで、今年は去年よりもかなり作業がスムーズに回っている。
当然、部門責任者としては残業時間はしっかりつけてくれとみんなにお願いをする。
店長も建前上は残業をつけても良いと言う。
そのくせ残業時間を六十時間を超えると管理不足だと怒られる!
俺たちにはコンプライアンスとかうるさいくせに、会社はそういうところあるよなぁ……。
……そして今年も暴れる人が出てしまった。
「あ゛ぁあああ! やってられるかぁああ!」
発砲スチロールの箱が乱暴にぶん投げられている!
小西さんの精神が限界を突破してしまったようだ。
「チーフとしては注意したほうがいいのかなぁ……」
「気にしなくていいんじゃない? 小西さんは去年もそうでしたよね」
五十嵐さんとお刺身を切りながら、暴れる小西さんを見守る。
「あれをやっているほうが体力を使う気がするんだけど」
山上さんもその様子を見ながらあきれ果てている。
「目標数量まであと何パックですか?」
「1980円が後30パック、2980円が後15パックですね」
「やっと終わりが見えてきた……」
時間は午後の三時。
五十嵐さんから、安堵の声が聞こえてきた。
小西さんの気持ちが分からないわけではない。
この三日間、朝からずっと同じ場所で、ずっと魚を切りっぱなしは精神的にこたえるのものがある。
……一月三日まで早出は続くので、今日でようやく折り返し地点というのも精神的にくるところだと思う。
「星さーん、ツマの盛り方はどうですかー?」
「1980円と2980円は終わったよ~。980円はどうする?」
「いらない! いらない! 今日は単価が低いものは出さないで!」
「はいは~い!」
「星さん! そこ終わったら品出しをお願いしていいですか? 刺身のところがまた薄くなってきたので」
「りょうか~い」
本当に一本調子な人だ……。
暴れている小西さんとは正反対な態度だ。
「ふぅ」
「おっ、チーフがため息ついた」
「全力でやって、それでできなかったら諦めましょう。後は会社が人員配置を考えるべき問題だと思うので」
俺が力を抜いてそう言うと、山上さんに少し笑われてしまった。
「私は最初からその気持ちでやってたんだけどなぁ」
「なっ」
「会社のために社員が犠牲になる必要はないんだよって話」
「よーく、覚えておきます」
つらいけど今年はみんなに協力してもらって、なんとか乗り切れそうだ……。
後は刺身の予定数量を切って、片付けをして早めに今日は帰ろう……。
「チーフ、明日は何時でしたっけ?」
「朝の四時です」
「はぁああああ……」
五十嵐さんから深い深いため息が聞こえてきた。
今日だけはため息の絶えない職場になってしまっている。
「ところで今日は白河ちゃん休みで良かったの?」
山上さんが急に話題を変えてきた。
「シフト上、仕方なくですね」
「それだけじゃないくせに」
「う、うるさいなぁ。たまにはチーフ特権を使わせてくださいよ!」
思いっきり山上さんに見抜かれていた。
今日は白河さんのシフトは入れないようにしていた。
理由は単純。
ただ、高校生最後の大晦日をゆっくり家族と過ごして欲しかったからだ。
「案外、どちらも尽くすタイプっぽいよね」
「五十嵐さんまでからかってくるようになった……。いつから気がついてたんですか?」
「チーフは分からなかったけど、白河ちゃんはずっと分かりやすかったですよ」
「どういうことですか?」
「えっ、気づいてなかったの?」
「何がですか?」
どういうことだろう?
全然、五十嵐さんの言うことにピンと来ない。
「白河ちゃん、入社当初からずっとチーフのことを目で追ってたじゃん」
「……」
「あっ、本当に分かってない顔してる」
ぜ、全然知らなかった……。
言われてみれば、白河さんが俺のことを好きになってくれたタイミングっていつだったんだろう……?
「チーフって罪な男だよね。私にちゃんと仕事をさせるし」
「い、五十嵐さん!?」
「星さんだって、チーフじゃなきゃやめてたって言ってましたよ」
「ま、マジですか……」
「マジです」
五十嵐さんの目元が笑っている。
去年の今頃はあんなにつらそうな顔をしていたのに。
「チーフって、絶対に知らないところで女の子を泣かせているタイプだよね」
「山上さんまで混ざってきた……」
「そんな面白そうな話、私が見逃すわけがないじゃない!」
「説得力が違うなぁ!」
白河さんを公休にして本当に良かった。
こんないじられている俺を見られなくて良かった。
ちなみにもう一つだけ白河さんを公休にした理由がある。
……忙しさで余裕のない自分を見られたくなかった。
白河さんに、格好悪い姿を見られたくなかったのだ。
これは俺だけの秘密にしておこうと思う。




