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♯40 お酒の力とぎゅー 後編

 それからしばらく歓談が続いた。


 仕事のこと、家族のこと、ただの世間話。


 ぼーっとした頭でみんなの話を聞く。


「チーフ、チーフ」


 白河《しらかわ》さんが俺の肩をゆすってきた。


「顔、真っ赤ですよ? 大丈夫ですか?」

「うん、大丈夫」


 白河《しらかわ》さんが心配そうに、俺の顔を覗き込んでくる。


 忘年会はこうなるから嫌なんだ……頭がぐわんぐわんしてきた……。

 疲れもあったのか、今日はいつもより酔いが回るのが早い。

 大丈夫とは言ったが、これ以上飲むと本格的に具合が悪くなりそうだ。


「水野《みずの》さん、大丈夫ですか?」

「うん」

「冷たいおしぼり使いますか?」

「ありがとう」


 白河《しらかわ》さんの隣にいる江尻《えじり》さんからも声が聞こえてきた。


「あっ! 私、店員さんにもらってきます」

「さっき、もらったから大丈夫だよ! はい、水野《みずの》さんどうぞ」


 白河《しらかわ》さん越しに、江尻《えじり》さんがおしぼりを渡してくれた。おでこにくっつけるとひんやりしてとても気持ちが良い。


「チーフ、無理しない方がいいよ」


 五十嵐《いがらし》さん星《ほし》さんコンビにも、そう言われてしまった。


 うぅ、情けない。

 飲み会で具合が悪くなるやつがいると白けちゃうよなぁ……。


「すみません、ちょっと休んでるので気にしないでください」


 あんまりみんなの邪魔にならないようにしないと……。

 後ろの壁に寄りかかって、ラクな姿勢を取る。落ち着くまで少し目をつむっていよう。


「チーフ……」

「ごめん、白河《しらかわ》さん」

「い、いえ、私にできることがあったら言ってください」

「うん」


 目がぐるぐるしてきた……。


 ……しまった。

 白河《しらかわ》さんが一人になってしまっている。


 でも、大丈夫かな……。周りには鮮魚のみんながいるし、江尻《えじり》さんとも最近は仲良くなって――。


「水野《みずの》さん、お水もらってきましたよ」

「あ、ありがとう……」


 ……あれ?

 いつの間にか小西《こにし》さんの代わりに、俺の隣に江尻《えじり》さんが座っていた。




※※※




「あーあー、ついにこっちに来ちゃった」

「私、もう鮮魚部門みたいなものですから!」


 山上《やまがみ》さんと江尻《えじり》さんの声が聞こえてくる。


 遠くからは小西《こにし》さんの大きな笑い声が聞こえてくる。

 ……どうやら小西《こにし》さんは店長たちと話しているみたいだ。 


「青果の人たちに何か言われない? 大丈夫?」

「うちの部門の人たち、普通にセクハラしてくるんですもん。何か言われたらそれまでです!」

「お年寄りが多いもんねぇ」


 鮮魚部門の席は、江尻《えじり》さんを中心に話が進んでいるようだ。

 

「それに私も見守り隊の一員じゃないですか!」

「自分で作ったくせに」


 みんなの和気あいあいとした声が聞こえてくる。

 意外だ……、江尻《えじり》さんと五十嵐《いがらし》さんってこんな風な会話をするんだ。


「白河《しらかわ》さん、水野《みずの》さんは私が送っていっていい?」

「え?」

「白河《しらかわ》さん、高校生だから大変でしょう?」

「……」


 頭がズキンスキンと痛くなってきた。

 あまり良くないことを二人が話しているような気がする……。


「……江尻《えじり》さんはチーフの家をご存知なんですか?」

「知らなくてもホテルとかに泊まればいいでしょー」

「ホテル……?」

「そ! 私とチーフは大人だから!」

「冗談でもそういうことを言うのはやめてくださいよ……」


 ……手にひんやりとした感覚がした。

 誰かに手を握られている感覚がする。


「じゃあ、ちゃんと繋ぎ止めておかないとダメだよ?」

「え?」

「水野《みずの》さんは白河《しらかわ》さんのことを心配しているみたいだけど、水野《みずの》さんだって他の誰かに取られちゃうかもしれないんだよ?」

「そ、それを江尻《えじり》さんが言いますか!?」

「だって私は大人だもん~。白河《しらかわ》さんはまだそういうの知らないかもだけど。ね? 五十嵐《いがらし》さん? 二十代と三十代の恋愛は全然ありなんですよね?」


 う、うるさいなぁ。頭に声が響く。

 しかも今、ものすごくツッコミを入れないといけない会話をしている気がする。


「子供扱いしないでくださいよ……。私だって、早く卒業したいって思ってるんですから――」

「じゃあ白河《しらかわ》さん、携帯の番号交換しようよ!」

「どんな流れで聞いてるんですか!?」

「お姉さんが色々教えてあげるから」

「うぅ……」


 白河《しらかわ》さんと江尻《えじり》さんの体が、俺に近づいたのが分かった。俺を挟んで携帯で何かをやっているようだ。


「今日は私がチーフのこと送りますから! 鮮魚のみんなにもお願いされてますし」

「えー! その言い方はズルくなーい!? 自分が送りたいだけでしょう!」

「江尻《えじり》さんだってそうでしょう!」

「私は隠してないもん」




※※※




「水野《みずの》さん、水野《みずの》さん」

「ん?」

「一次会はお開きですよ。タクシーを呼びましたので」

「げぇ!」


 目を開けると、江尻《えじり》さんの顔が目の前にある!


 や、やってしまった! 

 どうやらいつの間にか寝てしまっていたみたいだ!


「ご、ごめん!」

「全然、大丈夫ですよ! 水野《みずの》さん寝てたの三十分くらいですし。可愛い寝顔を見ることができて嬉しいです」

「う、うるさいなぁ……」


 急いで立ち上がろうとすると、頭がぐわんぐわんしてふらついてしまった。


「みんなは……?」

「鮮魚の人たちはご家庭があるので先に帰っちゃいました。チーフのことをぎりぎりまで寝かせてあげてだそうです」

「だっはー……」


 盛大にやらかしてしまった。

 完全に爆睡してしまっていたようだ。


「ちなみにおじさん連中は二次会に行きました」

「元気だなぁ……」


 うっ……。

 半端に寝てしまったのと、酔いが抜けていないのもあってまだ頭がぼーっとする。


「初めて水野《みずの》さんが私に弱みを見せてくれましたね」

「俺なんて弱い所ばかりだけど……?」

「あっ、いつもならそんな風に言わないのに! まだ酔っぱらってますね」


 お酒で少し顔が赤くなった江尻《えじり》さんがいつもの軽口を叩いている。

 そっか……この子がずっと俺の面倒を見てくれていたのか……。

 

「……白河《しらかわ》さんは?」

「やっぱり気になります?」

「うん」

「あははは、いつもより素直で可愛いです」


 もう帰っちゃったのかな、白河《しらかわ》さんは……。

 そうだよなまだ学生だし……。


 ご飯だけとはいえ、あまりこういう席にいるのは良くないだろうし。


「水野《みずの》さんの好きなコーヒーを買ってくるって近くのコンビニに行きました。すぐに戻ってくると思います」

「そっか……」

「タクシーは白河《しらかわ》さんと相乗りでお願いします。私は一応新人なので二次会に顔を出していきますので」

「ごめん……」

「いえいえ、こういう役回りは慣れているので!」

「違うんだ……。それだけじゃなくて……色々とごめん……」

「……」


 朦朧とする意識の中で、ついそんな言葉を言ってしまった。

 迷惑をかけてしまった申し訳なさと、色んな気持ちが入り交ざっていた。


「あははは、本当に酔っぱらっちゃってますね」

「俺、やっぱり白河《しらかわ》さんのことが――」

「分かってますよ。でもいいじゃないですか」

「いいって……」

「私、入社してからすぐに仕事をやめようと思ってました」

「え……?」

「でも、水野《みずの》さんがいたのでもう少し頑張ろうと思いました。思えました」

「……ごめん」

「もー、謝るのはなしですって! 逆にこっちの調子が狂っちゃうなぁ」


 江尻《えじり》さんがいつもの調子で笑っている。

 それが大分俺の気分を軽くしてくれた。


「ちゃんと好きって言ってあげないとダメですよ」

「えっ?」

「気持ちが通じていても、言葉に出すことは大切だと思うので」


 いつもおちゃらけている江尻《えじり》さんが、本当に優しい声色で俺にそう助言をしてきた。


「江尻《えじり》さんって、実はいい女?」

「今更気が付いたんですか!? でも諦めてないのは本当ですよ!?」

「……やっぱり前言撤回していい?」

「ダメです! 吐いた言葉は戻せませんので!」


 白河《しらかわ》さんが帰ってくるまで、江尻《えじり》さんはずっと俺の話し相手になってくれた。




※※※




「それじゃ、お疲れ様でしたー! 二人ともまた明日です!」


 江尻《えじり》さんは俺たちにそう言って、二次会会場に行ってしまった。

 普通なら俺も行かないといけないのに本当に悪いことをしてしまった。


「今日は無理しちゃダメですよ?」


 白河《しらかわ》さんが俺の体を支えてくれている。

 店の外で、タクシーが来るのを二人で待っていた。


「江尻《えじり》さんってすごいですね」

「どうしたの急に?」

「色々なところが見えているなぁと思いまして」

「それが彼女の良い所なんだろうね」


 白河《しらかわ》さんが、江尻《えじり》さんの背中を見つめながら、ぼそっとそんな言葉を呟いた。


 ほんのちょっぴり悔しそうな顔をしているように見えた。


「私、早くお酒飲めるようになりたいなぁ」

「こんな俺の姿を見てそう思うの……?」

「二人でへろへろになりたいです」

「それはそれで楽しい……のかな?」


 駐車場の外にある縁石に、二人肩を並べて腰を下ろす。

 頭はぼーっとするけど、外の空気が冷たくて心地が良い……。


「そ、それに、おおお酒が飲めるようになれば大和《やまと》さんとお付き合いできまふのでっ!」

「自分で言ってて噛まないでよ、俺も恥ずかしくなってくるから……」

「うっ」


 江尻《えじり》さんには悪いけど、俺はやっぱり白河《しらかわ》さんのことが好きだ。


 ……でも、ちょっとだけこんな風に思ってしまうときがある。


 もし、白河《しらかわ》さんの“値下げ”が遅かったらどうなっていたのかなと。


 もしかしたら、今頃は年齢差なんか気にしないで二人で楽しく過ごしていたのかなと……。


「白河《しらかわ》さん」

「はい?」



 ――ふいに俺は白河《しらかわ》さんの体を抱きしめてしまっていた。



「ち、チーフぅ!?」

「高校の卒業式っていつだっけ?」

「さ、三月の頭ですが……」

「三学期になったら大丈夫だよね……。そうしたらちゃんと言うから」

「……?」


 多分、白河《しらかわ》さんは俺が何を言っているか分かってないと思う。


 でも、白河《しらかわ》さんは俺の背中に手を回してくれた。


 白河《しらかわ》さんの頬と、俺の頬がほんの少しだけ触れ合う。


 お互いの耳と耳が少しだけ擦れ違う。


 細くて華奢な体に確かな重みを感じる。


「大和《やまと》さんの体、とても温かいです。あとちょっぴりお酒臭いです」

「じゃあ離れる? 誰かに見られたら困るし」

「もうちょっとだけこのままで……。私、ずっと大和《やまと》さんとこんな風にぎゅーしたかったです」


 俺はお酒の力を借りて、彼女の体を強く抱きしめてしまっていた。

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