♯37 白河さんは触れ合いたい
十一月中旬
今日も今日とて、帰り際に江尻さんがやってきた。
「水野さーん、帰りますよー」
「俺にその報告はいらない」
「挨拶は基本だと習いました」
「じゃあ全部門に挨拶してこい」
江尻さんがしたたかなのは、みんなが帰った後のそんなに忙しくない時間帯に話しかけてくるところだ。
こっちの仕事の邪魔はしないようにしているのと、うちの部門の人になんやかんや言われるのを避けているのだろう。
「だから、なんでいつもうちに来るんですかっ!」
いや、一人だけなんやかんや言うようになった子はいるんだけどさ。
「白河さんに会いに来てるんだよ」
「嘘ばっかり!」
白河さんの江尻さんへの態度もかなり遠慮がなくなった。
誰でもこうなるのは、江尻さんの人としての魅力なのかもしれない。
「私は長期戦を狙っているので!」
「長期戦?」
「だって、私と水野さんは社員同士だよ? 仕事をやめなきゃ、退職するまでずーっと一緒じゃん。白河さんは進路があるからやめないといけないときが来るかもだけど」
「うぅー……」
また白河さんが江尻さんにいじめられている……。
よほどいじめがいがあるのか、このときの江尻さんは俺と話しているときよりも生き生きしているような気がする。
「チーフぅうう……」
今日は白旗をあげるのが早かった……。
ピンチになると、こんな風に白河さんが助けを求めてくるのも日課になっていた。
「あっ、そうだ! 二人とも!」
いきなり江尻さんが何かを思い出したように、ぽんと手の平を叩いた。
「下旬にある飲み会は二人共、参加でいいですよね? 出欠表はマルにしておきますよ!」
「江尻さん、また幹事なの?」
「はい! 楽しみですねっ!」
……気持ちがぐっと重くなった。
こんなに職場の飲み会を楽しそうにする人って珍しいよなぁ。
※※※
「よーし! 忘年会は飲むぞぉ!」
「気が早いなぁ」
次の日の午前中。
うちの部門にも飲み会を楽しみに待っている人がいた。
「小西さん! 今度はチェッカーのところに行ってはダメですからね!」
暑気払いのとき、この人はレジの女の子に多大な迷惑をかけた。
忘年会は暑気払いのときよりももっと多くの人が来るので、今度はちゃんと鮮魚部門で見張っていないといけない!
「えぇー! だって、どうせ飲むなら女の子と飲みたいじゃん!」
「うちの女性陣で満足して下さい」
「なにが悲しくて山上さんの介護をしないといけないんだよ」
俺たちの会話が聞こえてしまったのか、お刺身を切っている山上さんから怒声が聞こえてきた。
「私だってどうせなら若い男と飲みたいわよ!」
「そっち!?」
なんて醜い争いなんだ……。
鮮魚部門はいつもこの二人を中心に争いが起きてしまう。
「今回は五十嵐さんも来るってさ! 小西さんからみたら三十代はピチピチでしょう!」
「山上さん、ピチピチはかなり古いですよ……」
「チーフは黙ってて!」
「ごめんなさい」
ついツッコんだら、怒られてしまった。まるで母親に怒られているみたいだ。
それにしても、今日は五十嵐さんが公休で助かった。地味にあの人はこういう話を嫌がる。
「星さん、仕事やりましょうか」
「は~い」
マイペースな星さんはその話に全然混ざってこない。
飲み会の話なんていつも興味なさそうにしているのに、出席率はほぼ100パーセントのとても不思議な人だ。
「今回、チーフはお酒を飲むんでしょう?」
「はい、さすがに忘年会くらいは飲まないと空気読めないと思いますので」
「チーフ、お酒を飲むとすぐ顔真っ赤になるもんね。おじさんに付き合わされて無理しないようにね」
星がほわほわした声で俺にそう言ってきた。
仕事はできないのに、相変わらず憎めない人だ。
その仕事も、最近は頑張ってくれてるし。
「星さんって結構《《ザル》》ですよね」
「え~、昔はもっと飲んでたよ!」
「そうなんですか? じゃあ具合悪くなったら星さんに介抱お願いしちゃおうかな」
冗談交じりでそんなことを言うと、星さんは何故か目をパチクリさせて驚いた顔をしている。
「星さん?」
「それは白河ちゃんに任せようかなぁ~」
「ほ、星さん!?」
声が裏返ってしまった!
なんであの星さんがそんなことを言ってくるんだ!?
「鮮魚部門の女性陣はチーフを応援してますので。チーフを見守り隊です」
「なにそれ?」
「内緒!」
「いつの間にそんなのが発足してたんですかっ!?」
「内緒~」
その後、いくら聞いても星さんが口を割ることはなかった。
※※※
いつもの片付けの時間がやってきた。
今日も白河さんが、一生懸命作業場の片付けをしている。
「白河さんは忘年会くるの? 江尻さんはにあんなこと言ってたけどさ」
「チーフが行くなら行きたいです」
小売店の忘年会は、普通の忘年会よりも早くやることが多い。
理由はもちろん繁忙期を避けるためである。
うちの店舗だったら、十一月下旬から十二月上旬にはやってしまうことが多い。
「学校のほうは大丈夫? 友達と遊びにも行きたい時期でしょう」
「ちゃんと同級生と遊びに行ったりはしているので大丈夫ですよ」
「……」
「……チーフ?」
「そ、そうなんだ」
「……男の人はいませんよ?」
「……」
微妙に心が読まれてしまった。
心配はしてないけど、ちょっと気になってしまった。
「チーフ、ありがとうございます」
「なんでお礼……」
「言いたくなりました」
白河さんがはにかんだように笑っている。
……今なら言ってみてもいいかな?
予定があると言われたら、普通にいつも通り仕事をすればいいだけだし。
「……も、もし白河さんさえ良ければなんだけどさ」
「はい」
「クリスマス、一緒に過ごさない? 仕事あるから、時間はほんのちょっとだけになっちゃうと思うけど」
「いいんですか! ぜひお願いします!」
白河さんが食い気味に返事をしてくれた。
「わぁぁあああ……」
白河さんの返事に少しほっとしていると、背中から《《ヤツ》》の気配を感じた。
「……なにしてんの?」
「たまにはひっそり入ってきてみました」
「早く出てけ!」
江尻さんがいつの間にか近くにいた!
さっきの会話を聞かれてしまっていた。
おちゃらけてはいるが、江尻さんの顔はニンジンみたいに赤くなっている!
「うぅ……」
うちの白河さんの顔も生鮭の切り身みたいに赤くなっていた。
※※※
「江尻さんは鮮魚に立入禁止! これからは出禁!」
「今のは私は悪くないと思いますが」
「ここにいること事態が悪い」
「ひどい」
どうやら今日も帰り際にやってきたようだ。
く、くそぅ! めちゃくちゃ恥ずかしいところを見られてしまった!
「二人はどこまで進んでるんですか?」
「だからどこまでも進んでない」
「その雰囲気まで手を繋ぐくらいはやってますよね? それともちゅー? まさか――」
「早く帰れ!」
「水野さんが教えてくれないなら、白河さんに聞くだけですもん」
全然、俺の言うことを聞く気配がない。
帰れは割と本気で言ったのに!
「白河さーん! 水野さんとはどこまで進んだの?」
「ど、どこまでって……」
「もうちゅーはしたの?」
「そ、それはまだですが……」
「じゃあ手は繋いだの?」
「それもまだですが……」
「まだってことは白河さんはいつでもオッケーってことだよね!」
「そ、そんなの当たり前じゃないですか! 私だってチーフと触れ合いたいですもん!」
「ふ、触れ合う!?」
「あっ――」
白河さんが盛大に自爆した。
江尻さんの顔がトマトみたいに赤くなった。
初めて、白河さんが江尻さんに逆襲したかもしれない。
自分を犠牲にしてだが。
「……白河さんって意外にむっつり?」
「え、江尻さんは何の話をしてるんですか!?」
顔を真っ赤にした二人がやり合っている。
耳、塞ぎてぇ……。
俺、売り場の前出しに行ってこようかな。
「チーフぅうう……」
売り場に逃げようとしたら、白河さんに服の裾を掴まれてしまった。




