♯24 白河さんは好きって言いたい
それからはしばらく歓談が続いた。
仕事の飲み会なので、主な話はお仕事の話ばかり。
あの人は使えない。
あの人は頑張っている。
うちの部門の五十嵐さんの悪口も少し出た。
往々にして、こういう場では、この場にいない人の話になる。
……潔癖かもしれないが、こういう話は白河さんの前ではしないで欲しかった。
「ごめん、白河さん。ちょっと席離れるね」
「えっ?」
「ちょっと、店長に挨拶してこないと」
俺が席を立つと、白河さんがものすごく不安そうな顔を覗かせた。
「わ、私も行きますか!?」
「アルバイトの子はそんなに気を使わなくていいから。ご飯でも食べてて」
白河さんも、俺に釣られて席を立とうとするのでそれを制した。
「そ、そうですか……」
「すぐ戻ってくるから。山上さん、白河さんのことお願いしますね。無理矢理、お酒を飲ませちゃダメですからね」
この中では、一番しっかりしていると思われる山上さんに一応声をかけておく。
「そんなことしたら、店全体が終わっちゃうわよ」
「そうならないようにお願いします」
直接の上司に、このまま挨拶もしないのは立場的にも良くないだろう。
少しの時間、白河さんを一人にしてしまうが仕方がない。
俺は店長の席に向かうことにした。
※※※
「店長、お疲れ様です!」
「おっ、水野君。お疲れ様」
飲み物のグラスを持って、店長のいる席に混ざる。
うちの店の総責任者、大河原店長。
四十代の少しお腹が出ている強面の男性だ。
普段はおっとりしているが、怒ると怖いともっぱら噂の人だった。
「丑の日は大成功だったね」
「皆さんのご協力のおかげで、前年の売上は超えることができました」
「はぁ~、うちの店舗は水野君のところだけは数字がいいんだよなぁ。俺、精肉出身なのに」
大河原店長は精肉部門出身の店長だ。
店長は、各部門のチーフが昇進するという形でなるケースが多い。
全ての部門に精通しているわけではないので、自分の出身部門が店長になっても得意になるケースが多い。
「各店舗の鮮魚部門は数字ボロボロだよねぇ」
「今、全体的に相場が上がってますので。鮭ですら高いです」
「そんな中で良くやってるよ水野君は。店長会も水野君の部門だけは報告に困らないんだけどなぁ」
思ったよりも褒められてしまった。
売り場を無理していないだけなんだけどなぁ……。
スーパーには判断基準となる、大きな数字が二つある。
それは“売り上げ”と“利益”だ。
売り上げが前年比で120パーセントでも、利益率が前年の50パーセントなら、それは優秀とは決して言えないだろう。
逆に売り上げが前年比で70パーセントしかないのに、利益率が前年比の120パーセントになっていたら、相当やり手なチーフだと思う。
この売上と利益のバランスというのは中々に難しい。
売上を求めると、売り場に商品を過剰に出しすぎてしまい利益がなくなってしまう。
……過剰に出した商品は値下げされることになるからだ。
逆に利益を求めすぎると、値下げを恐れて商品を出さなくなる。
商品を出さないということは売上が落ちてしまうということに直結する。
ここが、割とチーフごとに特色の出やすいところでもあるんだよなぁ。
あるチーフはこういうことをやる人もいる。
商品の安売りをして、目標の売上額を達成する。
安売りをしているので目標の利益《《率》》は達成できないけど、目標の利益の《《額》》は大幅に達成する。
これができるチーフは相当優秀だと思う。
俺は、そういうチャレンジングなこと決してしない。
無理のない売り場を作って、無理のない計画を立てているだけだ。
「水野君、ここだけの話なんだけどさ」
「はい?」
「南店がリニューアルするのは知っているよね?」
「はい、社報で出てましたから」
「そこの鮮魚部門の責任者に君を推しておいたから」
「え……?」
「水野君ならきっと失敗しない売り場を作ってくれるだろうって思ったからさ」
「……」
「お盆が終わった後に、人事異動が出るかもしれないから。まだ分からないけど、覚悟はしておいてね」
寝耳に水だ……。
異動自体は毎回決まった時期に出るので知っていたが、まさかリニューアル店舗に自分が配属されるかもしれないなんて。
(……)
多分、仕事の話だけなら昇進に近い話をもらっているのだと思う。
でも……。
「この話は、まだ内緒にしててね。誰にも言っちゃダメだからね」
「分かりました……」
……もう、あんまりのんびりしていられないのかもしれない。
※※※
「水野チーフ! 二次会には行きますよね!」
江尻さんが、俺の肩に手を置いてそう聞いてきた。
夜の九時前、会も大体お開きになってきた。
「ごめん、白河さんのこと送っていかないといけないから」
「えー! タクシー呼べばいいじゃないですか! 店の経費で出ますよ!」
「ううん、もったいなから俺が送っていくよ」
「えぇええー!」
江尻さんはお酒を飲んでいるためか、テンションがいつもより高い。
さっきから、やたらボディタッチも多いような気がする。
「それじゃ、白河さん。俺たちは行こうか」
「は、はい……!」
長居をしてもいいことがないので、白河さんにそう促す。
「それじゃ、山上さん、星さん」
「ん?」
「あそこの親父の後始末お願いします!」
「絶対に嫌!」
うちの裏のドン小西さんは、チェッカーさんのところで酔いつぶれていた。
若い女の子たちがとても困った顔をしてる。
ごめんなさい……チェッカー部門の皆さん……。
「じゃあ、江尻さんもお疲れさまでした。皆さんお疲れさまでした」
「お、お疲れさまでした!」
白河さんも俺の言葉に続く。
「白河さん」
「はい?」
ふと江尻さんが白河さんに声をかけていた。
「いいなぁ、すごく大切にされているって感じがして」
江尻さんが白河さんにそんなことを言っていた。
※※※
「はぁ、疲れた~」
夜道を白河さんと一緒に歩く。
白河さんはいつも通り、俺の後ろを半歩下がってついてきた。
「大丈夫だった? 店の飲み会」
「は、はい……。皆さんいつもより賑やかだったのでびっくりしちゃいました」
「小西さんは特別だからね」
「で、でも、その人の知らない一面が見れたみたいで楽しかったです」
「そっか」
夜とはいえど、八月の生暖かい空気が俺の頬を撫でる。
額は少し汗ばんでしまっていた。
「変なことされなかった? 嫌なこと言われなかった?」
「ぜ、全然そんなことはなかったです! 山上さんも星さんも楽しくお話してくれました!」
「なら良かった。俺、実はあんまり今日は白河さんのこと連れていきたくなかったんだ」
「えっ?」
「店の飲み会なんて愚痴ばっかりだしね、セクハラ発言とか普通にあるし」
「……」
「だから連れていきたくなかった」
「……もしかして心配してくれたんですか?」
「うん」
「……」
俺がそう言うと、急に白河さんが足を止めてしまった。
「白河さん?」
「私、チーフにちゃんと言っておきたいことがあります」
「ん?」
「お、驚かないで聞いてほしいんですが――」
声が震えている。
白河さんの真剣な雰囲気に飲まれ、額の汗がすっと引いていくのが分かった。
「私、チーフのことが好きなんです」
暗くて顔がよく見えない。
でも白河さんは、きっと五月中旬のあのときと同じ顔をしていたと思う。
同じ顔をしているかもしれないが、前回と確実に違うところがある。
しっかりと彼女はその言葉を俺に伝えてきた。
「うん、知ってるよ」
だから、俺はその言葉を今度はちゃんと受け止めることができた。
「白河さん」
「は、はい……!」
「――――」




