♯16 白河さんは発散させたい
うちの鮮魚部門は全員で六人いる。
チーフの俺。
魚を下ろす係で、時々セクハラ親父になる小西さん。
噂が大好きでお節介な、お刺身担当の山上さん。
シングルマザーでいつも遅刻しがちな五十嵐さん。
アルバイトで遅番の白河さん。
そして、もう一人……。
ムードメーカーかつトラブルメーカーな人がいる。
「星さーん! 値付けの産地が間違ってますって!」
「えぇえええ! ちゃんと送り込み表を見たのに!」
「それ! 別の店舗に納品されるやつですから! 面倒でもちゃんと聞いてくださいね!」
商品の値付け担当の星さん。
四十三歳の女性だ。
ちなみに未婚。
昔、悪い男に騙されたとかなんとか。そのことは、聞いてはいけないことになっているらしい。
「星さん! これはビンチョウマグロ! メバチマグロの金額が付いてますよ!」
「マグロって凍っていると分からないよね~」
「もうとっくに溶けてますから! 赤いほうがメバチですからね!」
と、こんな風にまぁまぁお仕事が適当なのだ。
ちなみに商品の値付けは専用の大きい機械でやる。
機械の中には膨大な商品データがあり、その中から品番を呼び出すと、値付けのラベル添付と商品のパックを機械が自動でやってくれるようになっている。
品番の数はかなり膨大で、数だけなら四桁近くあると思う。
実際に使う品番はそれよりもずっと少ないのだが、商品ごとの品番を覚えないといけないので慣れていないと相当難しい作業だと思う。
メバチマグロ一つをとっても、メバチマグロ(サク)、メバチマグロ造り、メバチマグロ切り落とし、メバチマグロ角切り、とかなりの種類がある。それプラス、“生”か“解凍”かの違いもあるし……。
当然、産地表示も毎日同じなわけではない。
添加物表示も仕入れ先で変わってくる。
もちろん値段設定だって仕入れ値によって変わる。
この呼び出した品番から売上のデータを集計するので、間違えると大変なことになる。
……と、スーパーの値付け担当って、簡単そうに見えて実はかなり大変な作業なのだ。
「星さん! これはグラム売りです! 定価で198は安すぎますから!」
「あらら、安売りしちゃった~」
「ちゃんと直しておいてくださいね!」
大変な作業をやっているはずなのだが、その担当の星さんは至ってマイペース。
どんなに忙しい時でも、いつもほわほわしている。
それが彼女の良さなのかもしれないが――。
「ほ、星さん! このウナギは国産! 中国産じゃないですから!」
「逆産地偽装しちゃったね~」
「全ッッ然、笑えない!」
……平たく言ってしまえば、星さんはものすごく仕事の覚えが悪い。
スーパーで仕事をやるようになってから五年以上経つらしいが、それ間違う? というミスをちょいちょいする。
「産地は本当に気をつけてくださいよ! 分からないことがあったら聞いてください!」
「は~い!」
星さんが、俺に元気よく返事をする。
本当にもう! いつも返事だけはいいんだから!
部門責任者の俺は、部門の人が作ってくれた商品を品出しして、売り場を作るのが仕事だ。
商品の足りない場所を部門の人に指示して、売り上げが見込める場所から売り場を埋めていく。
品出しをやる俺は、値付け担当の星さんと、常に連携しながら仕事をしないといけないのだ!
「星さーん。じゃあ次はカツオの値付けをお願いしますね」
「は~い!」
ほわっとした返事がまた聞こえてきた。
き、気が抜ける……。
俺もつい口調が厳しくなってしまうことがあるが、星さんはそれを意にも介さない。
(キャラで得してるよなぁ、この人……)
年末の死ぬほど忙しいときも、この人はずっとこの調子だった。
繁忙期のギスギスした雰囲気の中で、それにどれだけ救われたことか。
「って、あーーー! また値付け間違えてるし!」
「えぇええ!? うそぉおお!」
「普通、カツオとマグロは間違えないでしょう!?」
「海を泳いでいたらみんな一緒に見えるよね」
「今は泳いでないですし! 刺身になって、無残な姿で死んでるじゃないですか!」
「チーフがひどいこと言っている気がする」
※※※
「チーフはストレス溜まらないんですか?」
夕方の作業場の片付けの時間、白河さんに急にそんなことを聞かれてしまった。
いつも通り、俺はパソコンで発注業務。
白河さんは作業場の片付けをしているところだ。
「溜まる。めちゃくちゃ溜まる」
うちの部門の人って全員個性的過ぎるんだよ……。
なんとなーくだけど、鮮魚部門ってそういう人が集まりやすい気がする。
「チーフはどうやってストレスを発散してるんですか? 全然、愚痴をこぼしたりしないので……」
「こぼしたら止まらなくなるからね!」
そりゃ内心は思うところがあるさ!
小西の親父は自分の仕事を終えるといつも先に帰っちゃうし、山上さんはおしゃべりが止まらなくなって仕事が進まないときがあるし! 五十嵐さんは年末に泣かれた経験があるから、いちいち指示を出すのにも気を遣うし!
「ち、チーフ、眉間にしわが寄ってますよ……」
「うっ……」
日々の出来事を思い出したら、もやもやしてきた。
そりゃ俺だって人間だから、イライラするときはあるさ。
でも、部門責任者の俺がそれを顔に出すわけには絶対にいかないのだ。
「はぁ……俺って将来は絶対ハゲるような気がする……」
「えぇええ!? チーフがですか!?」
「ハゲても笑わないでね……」
「わ、笑いはしませんが……」
俺がそう言うと、白河さんが視線を天に向けて、考え込むような仕草をした。
「あ、あの……私はチーフがハゲるまで一緒に――」
「ん?」
「い、いえ……」
白河さんが、何かを言いかけて止めてしまった。
俺の気のせいだと思うけど、この子またすごいことをぶっこんでこようとしてない!?
「ち、チーフ……」
「な、なに?」
つい白河さんの一言一言に身構えてしまう。
「あ、あの……発散なら私で良ければ付き合いますので……」
「発散?」
「で、ですからチーフが私で発散してくれればいいなぁと……」
「……」
「い、いつもでいいですからね……?」
「……白河さん」
「は、はい!」
「それ、絶対に他の人に言っちゃダメだよ」
「?」
俺がそう言うと、白河さんがきょとんとした顔を浮べていた。
あっ、絶対に分かってない顔だ。




