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6話・仕舞い屋の仕事

 太陽がゆっくりと上にあがった頃、ようやく二人は目的地のそばまでたどり着いた。


 I地区は想像以上に入り組んでいる。細道が多く地面が割れているだけではない。

 あちこちで人為的な壊れ方をした家が傾いている。屋根が壊れ、壁が落ち、道を塞いでいるのだ。

 そのせいで何度も道を行ったり戻ったりを繰り返し、アオイは小さくため息をついた。

「……ひどい」

「やったのは住人だよ」

 窓枠に肘を置いたまま、モガリが冷たい声でつぶやく。

「どの地域でも起きたことさ。皆、離れるときに故郷を壊した。これ以上漁られないように」

「ところで、ちゃんと地図確認してますか、モガリさん」

 思わず感傷的になった自分に舌打ちし、アオイは前をにらみつける。

 モガリの陽動作戦が効いたのか、大学を離れた瞬間から警察の姿を見ることはなくなった。それどころか周囲には人もいない。

 急に暖かくなった日差しに、ポチがうとうとと目を閉じる程度には平和過ぎる。

 欠伸を漏らすモガリは相変わらず間抜けにみえるが、底知れない怖さがあった。気を抜かないように気を張っていても、気づくと彼の手のひらの中にいる。そんな怖さだ。

「本当に地図なんてあるんですか。適当なこと、言ってるんじゃないですか。そもそも最初から地図なんて」

「問題ない。目的地は近づいてるよ」

 モガリは伸びをしてポチの背中を叩いた。不機嫌そうに目を開けたポチは、電子音のするまばたきを繰り返し、前を見つめた。

「アオイ君は固定概念を捨てた方がいい。いまだに地図を紙だと思い込んでるんだろう」

 ポチの目が、静かに振動している。壊れた道をまっすぐに見つめ、瞳孔がゆっくりと開いていく。

 その眼球の奥に、赤と緑のライトが見えた。

「まさか」

「そのまさか、だ。このロボット犬にマップが組み込まれている。目的地に近づけば、自らその場所に駆けていく」

「ポチは一体」

「最初に言っただろう。僕の依頼者だ」

 モガリがゆっくりとアオイの前に腕を差し出す。

「そろそろ止めてくれ」

 ブレーキを踏むと、窓からポチが勢いよく飛び出した。弱った足など気にしないように、矢のように早く駆けていく。

 崩れた家の隙間に潜り込み、瓦礫の上に乗り、ポチは激しく吠えた。

「ポチの向かうその場所が」

「孤児院」

 崩壊したI地区。その細道の向こう。

 確かにそこに、三角形の可愛らしい屋根が見えた。

 


 ポチの声を頼りに、歩くこと10分。瓦礫と壁の向こうに今や森と化した公園がある。

 道のえぐれた公園の際を歩いて抜ければ……そこに青とピンクで彩色された門が見えた。

 ポチは門のあたりを駆け回り、甲高く一声鳴いた。

 門は支えが壊れているのか、斜めに傾いている。

 中に足を踏みれると、雑草がぼうぼうと乱れた庭のちょうど真ん中に開放的な建物があった。

「これはすごいな」

 モガリが素直に感嘆の声をあげた。 

 目の前の孤児院といえば、レンガ造りの屋根に、三角形の屋根。入り口は色とりどりのタイルが不規則にはられていて、建物を包む白壁にはカラフルな色で幼い絵や文字が踊っている。

 入り口の扉は外されていて、中を覗けば綺麗に整頓された机、椅子が見えた。日差しの入らない壁にはツタが這うが、床にはゴミ一つ落ちていない。

「綺麗なままだ。経年劣化はあるが、愛されていた建物だな」

 壊されていない。壊れてもいない。この建物は、ゆっくりと自然に帰ろうとしている。

(……ああ)

 アオイはその中を覗き込み、小さく息を吐く。

「……なるほど、孤児院自体は50年だか60年前に閉園したらしい。それからは地区の公民館として使用されていた、と」

 建物の横に略歴を刻んだ看板がさびている。それを丁寧に拭って、モガリが切なそうにアオイを見た。

 ここは、アオイの知らない孤児院である。

「そのときにここにいた子供たちが最後の孤児たちのようだ。別の地区の孤児院と合併でもしたんだろう」

 壁には小さな子どもたちが描いたらしい、落書き。ありがとう。さようなら、幼い文字。

 その隣には、子供の名前らしいものが刻まれている。アイカ、ケンジ、コウタ。その人数は、10名。

 この土地を捨てる時に、描いたであろう、精一杯の文字はアオイの腰あたりまでしか届いていない。

「アオイ君の孤児院じゃなかったね」

 静かに壁を撫でるアオイに気づき、モガリが言う。

 アオイは唇を噛み締め、手に握りしめていた黄色の花を地面に投げ捨てた。

「平気です」

 平気だ。なんでもない。傷つきもしない。そんな言葉をアオイはこころの中で繰り返す。

 ……そうだ。これまでだって、何度も落胆してきたではないか。

 分かっている話だ。アオイの愛したあの孤児院は簡単には見つからない。

 この国中に孤児院がある。もしかするともう取り潰されているかもしれない。別の建物になっているかもしれない。

 こんなに簡単に、見つかるはずがない。

 でも……奇跡はあるのではないか。そんな気がしたのだ。神の生まれたこの季節なら、あの孤児院にたどり着くというプレゼントがあるかもしれない。そんな期待をした。

(それなのに、浮かれて花なんて、持ってきて)

 地面に落ちた黄色の花は、すっかり元気がない。しおれて、花も縮こまっている。

「花なんて、やっぱり柄じゃない」

「花、このままドライフラワーにしよう」

 ふと、モガリが身をかがめて花を手に取った。

「今日ここいらは乾いてるから、1日もあればじゅうぶんだ。そしてハーバリウムを作る」

「はーば……?」

 壁が崩れて風の通るその場所に、モガリはそっと花を置き直す。

 茎のところを固定して、飛ばないように慎重に。風で黄色の花びらが揺れるのが、不思議と美しかった。

「生花のままで持ち歩くのは難しいからね。ドライフラワーを作って、オイルに漬けるんだ」

 彼は手にしていた鞄から、2つの瓶を取り出した。一つは黄銅の蓋がついた六角形の瓶。何かとろりとした液体が詰まっている。もう一つは細長い空っぽの瓶。

「花が乾いたら空の瓶に花びらを詰めて、上からオイルを注ぐ。そして本当にその孤児院を見つけたとき、そこで供えればいい。まあ任せなさい、僕は花の扱いにかけてはこの国一番だ」

 と、彼はその2つの瓶をアオイに押し付けた。

「知ってるかい。花はね、数千年前の墓からも見つかってる。墓に花が紛れ込んだというわけじゃない。誰かが……数千年前の人間が、墓の中に美しい花束を供えたんだ。死者を花で彩ったんだ。花束で人を見送るのは人間のDNAに刻まれた、人間根源の優しさだ。僕は仕舞い屋として、花を作って花で見送る」

「仕舞い屋……って」

「まあ見ていなさい」

 モガリは薄暗い室内に足を踏み入れ、舌を鳴らしポチを呼ぶ。足を引きずりながらポチは素直にモガリの膝に頭を押し付けた。

 モガリはポチの首輪を取り、ナイフでそれを割く。やがて、太い首輪の内側から、ほろりほろりと薄い何かが漏れてきた。

「紫の……花びら?」

 乾いた地面に落ちたそれを見て、アオイはぽかんと目を丸めた。

 首輪の中に包まれていたのは、グラデーションのかかった美しい……大きな紫の花びら。

 驚くようなアオイを見て、モガリが微笑む。

「これはクリスマスローズだよ」

「花……じゃない?」

「ご名答。これは石だ」

 地面に落ちた花びらは、カランカランと音を立てる。生の花びらではない。モガリはそれを掴んで漏れた光にかざしてみせた。

 花に浮かぶ脈までリアルで、アオイは思わず手を伸ばした。

「これが、石?」

 触れた花びらはざらりと硬く、不思議と温かい気がする。そして数はちょうど、10枚。

「正確には、骨だ」

 モガリは花びらを手に包み込み、そっと口づける。

「僕は人の骨から宝石を作って、それを花びらに加工する」

「これも、これも?」

「今回は数が多い。こっちはお婆さんの骨。こっちはおじいさん、この小さいのは……早くに亡くなった子の骨から作ったんだ。皆、孤児院の子どもたちの骨だ。はるか昔に地球を発ち、彼らはみな宇宙のあちこちに移住した。死が近づくと皆故郷をm地球を……孤児院を思い出すのだろうね。一人亡くなるごとに骨をひとかけら、孤児院仲間に託す……それを繰り返し、最期に亡くなった女性の元に集まったのが9つの骨。それにその方の骨を加えてちょうど10個。お孫さんが遺志を継いで、仕舞い屋の僕に託した」

「仕舞い屋……」

「僕は皆の骨を石に変え、故郷に彼らを咲かせる。それが仕舞い屋の仕事だ」

 モガリは天井を見上げ、目を閉じる。

「ここで、僕は10名を故郷に戻す」

 ここもかつては礼拝堂のような場所だったのだろうか。机や椅子が並べられている。

 小さな椅子で机で、子どもたちは様々なことを学んだのだ。

 きちんと整頓され部屋の隅に片付けられた椅子と机だけが、そのときの風景を知っている。

「……さあ、戻ってきましたよ」

 モガリは締め直していたネクタイを整えると、紫の花びらをそっと地面に置いた。

 かつて、子どもたちが立っていたであろう、その場所に。

 かつて、子どもたちが去っていったこの場所に。

「おかえりなさい」

 モガリは花びらを撫で、静かに微笑む。

 それはアオイが初めて見た、彼の本心からの笑顔である。

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