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5話・夢の話

 ここからは夢の話だ。

 


 夢の中で夢だと理解する。そんなタイプの夢だった。

 気がつけばアオイは暗がりにいる。ただの暗がりではない。

(……懺悔室だ)

 と、アオイは気づいた。

 壁にも床にも、埃と錆とシスターの匂いが染み込んでいる。ヘアオイルの残り香が染みついた懺悔室は、アオイも子供たちも大好きな場所だった。

 アオイは自分の小さな手を見つめる。いつの間にか眠っていたらしい。そうだ今日は孤児院の引っ越しの日である。

 遠くに行くのだと、3日前に告げられた。

 少し寂しくはあるが今の時代、それは当たり前のこと。昨日まで平気だった土地も、その翌日には土砂崩れや浸水でだめになる。

 それにシスターと共に行くのであれば、子どもたちにはなんの不安もない。アオイを含む子どもたちは3日で引越しの準備を整えた。もとより、物なんて何もない孤児院だ。

 子どもたちは今朝、業者だという男と引き合わされた。

 彼の運転するトラクターに載せられ一足先に、新居へと向かう……アオイ以外は。

(そうだ、あたしは)

 アオイはぼんやりと立ち上がり、歩き始める。

(……忘れ物をして、それで)

 アオイは孤児院に忘れ物をした。それは黄色の花のタネだ。

 枯れた花から種を収穫したのは夏の終わり。次の土地でもそのタネを植えねばならない。アオイはこの時、8歳だった。孤児院の中でも年嵩だ。お姉さんであるアオイが忘れ物をしたのでは、下の子に示しがつかない。

 それに旧孤児院にはまだシスターが残っている。一緒に新しい孤児院に行けいい……それは最高に素敵な考えだ。幼いアオイはそう考えた。

 だからトラクターが止まった瞬間、アオイは小さな弟分に「孤児院に戻る」とだけ告げて飛び出したのだ。

 アオイは物覚えが良い。車に乗っていても、道筋はしっかり覚えている。

 数時間かけて孤児院に駆け戻ったアオイだが、シスターは不在だった。しかし彼女の荷物はシスターの自室である懺悔室に置いてあった。

 きっとどこかに買い物に出ているのだ……そんなことをアオイは考える。

 そしてアオイは彼女の荷物の隣で膝を抱え、ほくそ笑んだ。

 荷物を取りに来た時、アオイがここに入ればシスターは驚くだろう。目を丸くして、心臓が止まるかと思った……と大声を出し、大げさに怒り、そして最後は笑ってアオイを抱きしめてくれる。

 そんなことを考えているうちに、アオイはいつの間にか眠っていたらしい。

 眠っても心配なんてなにもない。きっとシスターが起こしてくれる。


 ……しかし、アオイを起こしたのは一発の銃声だった。


 アオイは音に驚いて目を覚ます。

 いつもシスターを驚かせた、おもちゃのパチパチドラゴンが手の中で爆発したのではないか……そんな気がしたのだ。

 しかし手を見ても何もない。

「……シスター?」

 人の気配を感じ、アオイは声を上げる。あまりにか細い声なので、自分の声にアオイは震えた。

「そこにいるの、シスター」

 恐る恐る地下の懺悔室から狭い階段を上がればすぐ、礼拝堂だ。

 階段の一番上に足をかけた瞬間、アオイの足先になにか硬いものが触れた。

 それは、重くて熱い銃だった。

(見ちゃいけない)

 夢の中でアオイは叫ぶ。幼い自分に向かって、アオイは必死に手を伸ばした。

(見ないで)

 しかし幼いアオイは無意識にその黒い塊を掴む。そして握りしめたまま礼拝堂に向かう。

(お願い)

 そこは赤の世界だ。

 割れたステンドグラスから差し込む紅色の夕日が、礼拝堂を照らしていた。暖かな、どこまでも暖かな色だった。

(……お願い)

 そんな夕日よりまだ赤い色が、礼拝堂の一番前に広がっている。

 漆黒の修道服が床に落ちている。

 シスターの美しい髪がその上に扇のように広がっている。

 そして黒を覆い尽くすような赤い……赤い血の池が彼女の周りに流れている。

(……シスター!)

 幼いアオイと今のアオイが同時に叫んだ。

 そこから先は見なくてもわかる。

 アオイはまっすぐ、シスターに駆け寄った。

 その体に触れると、あふれる血がアオイの手に張り付いたことを覚えている。シスターの顔からほほえみは消え、恐ろしいほどに色が白くなっていた。

 体から温もりが失われ、その口元は硬くこわばったまま。アオイはどれだけ叫んでも揺らしても、彼女は動かない。目も開かない。

 やがて、入り口が誰かに蹴り開けられた。

 扉の向こうからは、見たこともない男たちが現れる。青いベストを身にまとうその男たちは、アオイにむかって怒鳴りつけた。

 動くなと言われた気もする。大きな手のひらがいくつもアオイに迫る。

 アオイは叫んだ。逃げた。血に足を取られて転び、男に掴まれた。とっさにアオイは男の腕に噛みついた。

 力が緩んだそのすきに、アオイは駆ける。扉から飛び出し、右を見た、左も見た。

 どこへ行って良いのかなど、わかるはずもない。ただ直感のままに駆けて、転び、また駆けた。

 そして目の前に止まっていたトラクターに飛び乗ったのだ。

 中には孤児院の子どもたちがいるはずだ。早くシスターの異変を伝えねばならない。皆で孤児院に戻らねばならない。

 しかし、願いはむなしく、車の中に子供の影はなかった。

 アオイが飛び乗ったのは、つんと匂いたつような廃材が積み込まれたトラクターである。

 外に飛び出そうとしたが、追いかけてくる男たちの姿を見て、躊躇った。その間に、トラクターが動き出す。あっという間に青いベストの男たちも教会も、工場みたいな孤児院も全てが夕日の向こうに溶けていく。

 アオイに残されていたのは、口の中いっぱいに広がる、見知らぬ男の血の味だけだった。

 

「……っ!」


 何かを叫んだ気がして、アオイは飛び起きる。心臓が皮膚を突き破って飛び出しそうに跳ねている。

 汗が全身から吹き出して、息が乱れる。痛む胸を押さえて、アオイは奥歯を噛みしめた。

 髪をかき乱し、唸る。

(こんな時に、思い出すなんて)

 ……トラクターに乗ったあとの生活は、ただ、無茶苦茶だった。

 そのトラクターが、廃材漁り集団の持ち物であったことが、アオイの人生を大きく変えた。

 あやしい店に売り飛ばされる寸前、集団を率いる爺さんの若い愛人がアオイに情けをかけたのが運の尽き。代わりに、アオイは廃材漁りの道具になった。

 体が小さいのであちこちに潜り込める。吐き気と怒りを堪えながら命令に従ううちにアオイは腹が据わった。

 腹が据われば、まず爺さんがアオイを見直した。ピッキングの方法、盗み方、車の運転方法、人を殺さない程度の力の入れ方、警察からの逃げ方。

 そんな爺さんが折からの酒毒で死んだのは、去年の冬。

 最期の言葉は「誰も信用するな」である。

 だからアオイはその1分後に、仲間の荷物を盗み、根城である廃墟を飛び出した。あと5分、そこに残っていれば爺さんの愛人がアオイを殺しに来ただろう。

(シスターの夢、久しぶりにみた)

 汗を拭い、アオイは身を起こす。

 そこは懺悔室でも廃墟でもトラクターの中でもない。

 ここは廃大学、空き教室の一角。防寒布で体を覆い起き上がれば、ポチが小さく尻尾を振った。充電が切れかけているのか、その力も弱い。

(モガリさんは……隣の教室か)

 枕元に、いつの前にか乾パンと氷砂糖が置かれている。それを噛み締め、氷砂糖を噛み砕く……と、頭がより聡明になった。

 窓の外は、かすかに白い。青みがかった白靄が校舎外を一面覆っている。空はまだ暗く、星も美しく瞬いているというのに、たしかにそこに朝が訪れようとしている。

 空気の割れる音が聞こえるほど冷たい、冬の朝である。

 防寒布を体にしっかり巻き付けて、アオイは息をゆっくりと吐いた。

 寒い日に息を吐くと白い煙が出るのだと、教えてくれたのもシスターだった。普通は親が教えるが、アオイはどんな些細なこともシスターから学んだ。

 アオイの人生に、親は存在しない。

 アオイは孤児院以外の記憶を持たない。おおかた親に捨てられたのだろう。

 真っ当に生きられないはずの命がシスターによって救われ、正しく人生を歩みかけた。

 ……しかし結局、アオイについて回ったのは犯罪者の烙印だ。

 シスター殺しの嫌疑をかけられ、全国に指名手配中。

 ついでに言えば、廃材漁りの連中にもアオイは追われている。

 爺さんの荷物を盗んだからだ。その中にゴミクズ程度の宝物があったという。価値云々ではなく、子供に盗まれたことが彼らのプライドを刺激したのだろう。 

 そんなアオイが生き残るのに一番大事な教訓は「誰も信用するな」である。

 この生き方を教えてくれたのは爺さんだ。

 だから爺さんは、ある意味確かにアオイの師匠ではあった。

「……誰も信用なんてしてない、するわけがない。シスター以外」

 アオイは氷砂糖を一気に噛み潰し、爺さんに言い訳するように呟いた。

「……あの場所に戻りさえ、できれば」

 今ならわかる。シスターは死んだ。死んだだけではない。誰かに殺された。

 しかし幼いあの日、細かく現場を見ることはできなかった。だから無様に冤罪をなすりつけられたのだ。

 孤児院を見つけることができれば。そこにもし痕跡を発見できれば。

 ……シスターの死の事情がわかるかもしれない。それさえ分かれば、アオイの冤罪が解ける。

(そうすれば、あたしは、犯罪者ではなくなる。A地区にだって堂々と出入りができる。普通の人に混ざって普通に暮らして普通に……)

 そう思った日から、それが生きる目的となった。

 とはいえ、覚えているのは古びた教会と工場のような建物だけだ。

 あれが何地区だったのか、住所さえアオイは知らない。だからアオイは全国を駆け回り、孤児院を探すことを決めた。

 しかし非認可を含めると、孤児院は全国各地にある。隠れて運営されているものもあり、到底探しきれるはずがない。だからモガリが孤児院と口にした時、ついていこうと思ったのだ。

 利用するためだけ。それだけの関係だったはずである。

(おかしい。こんなの、あの男のせいだ)

 今日のアオイは妙に感傷的だ。シスターの夢ももう何年も見ていない。

 こんな感傷、とうに捨てたはずだ。あの男の目が、声がアオイをだめにする。

 アオイは髪をぐしゃぐしゃにかきまわし、自分の頬を強く両手で叩きつけた。

(そうだ、信用なんて、しちゃいない)

 息を吸い込み向かったのは隣の教室。音がしないように扉を開けて、隙間から滑り込む。と、部屋の隅にモガリの丸い背が見えた。

 防寒布にくるまれて子供のように眠っている。几帳面なのかバカなのか、スーツのジャケットは窓にかけられたまま。

 黒く光るそれにそっと手を伸ばし、内ポケットを探る……中に乾いた紙の感触があった。

 出会った時、彼がアオイに見せた「I地区の孤児院を示す地図」だ。

 息を吸い込み、モガリが起きないように気をつけて……抜き取る。

 

「ほしければ言ってくれれば、あげるのに。アオイ君」


 が、その手はあっさり封じられた。起き上がる気配もなかったはずだ。それなのに気がつけば背後にモガリが立っている。その腕はアオイの手をしっかりと掴んでいた。

 言い訳をしようにも、唇が乾いて震える。異変を察したらしいポチが、ぎこちない動きで二人の間に割り込む。

「モガ……あたしは……その」

「見たければ見せてあげる。僕はそこまで意地悪じゃない」

 モガリはあっさりとアオイから手を離した。そして紙を握りしめるアオイを見て、どうぞ。と、肩をすくめる。

 恐る恐るアオイは紙を広げ、目を丸めた。

「……真っ白だ」

 震える手で開いた紙はただ、白い。何もない……そこには空白だけがあった。

 アオイは紙を握りつぶし、モガリを睨む。

「地図じゃない。騙したんですか」 

「起こしてくれたお礼に、盗みは不問にしてあげよう」

 眉を上げるアオイを見てもモガリは堂々たるものだ。ジャケットを羽織り、乱れた髪をなでつけると、窓の外を見た。

 薄闇の外に、赤い光が反射していた。それは赤色灯である。

 一台、ニ台……いや、もっと多い。サイレンはなく、声も聞こえない。ただ光だけが不気味に校舎に反射する。

「急ごう。どうも救援要請が出たらしい。あの男が持ってたのは、無線だけじゃなかったんだな」

「待ってください。先に質問に答えてください。地図、騙してたんですか」

「この紙は確かにフェイクだが、地図はあるさ。ずっと君の目の前に。でもその前に、移動だ」

 モガリは潰れた紙を破り捨てるとポチを抱き上げ、アオイの背を押す。その瞬間、別棟の校舎から派手な爆発音が響いた。

「大学で見つけたから仕込んでおいたけど、パチパチドラゴン……って言うんだったっけ。子供がおもちゃにしてる、あれ」

 モガリが他人事の顔をして、眉を寄せる。

「学生の引き出しで見つけた。結構在庫があったから、明け方頃に爆発するように少し細工しておいたんだけど、いやあ、すごいね」

 アオイの鼻先に甘い火薬の香りが蘇る。幼い頃、シスターを驚かせた懐かしいおもちゃの名前。

「けが人が出てすぐに販売中止になったらしいけど、さもありなんだ。子供のおもちゃにしてはタチが悪い……が、僕たちにはぴったりだ」

 それは校舎と校舎に反響し、想像以上の音になった。木々に止まっていた鳥たちが驚くように飛び去っていく。赤色灯を放つ車も一斉にそちらに……アオイたちのいる校舎とは真逆の建物へ向かって行く。

「どうだい。ガラクタも時には役に立つ」

 ようやく顔を見せた朝の日差しを背にし、モガリだけが自慢そうに胸を張った。

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