八 偶然か運命か
しかしソニアは今日も頭を抱えている。
あんなことを言ってしまって、と悩んでいるのは目下、昨日ダリアに嘯いてしまった破談の件だ。
そんな話が進んでいるはずなど無論ないし、仮に出来たとしても勝手に破談にして良いものでもない。
そのうえダリアに成り代わっている手前、ノーマンにとっては婚約相手はソニアなのだ。つまり破談を申し入れれば、それはソニアからノーマンへの拒否と映る。
関係を壊したくなくて思わず吐いた嘘なのに、ダリアとの破談に動けばその嘘の中で自らに引導を渡すような事になってしまうのだ。
しかし、だからといって真実を伝えれば、ノーマンとダリアがこのまま会わないというわけにもいかなくなる。
義母に露見するまでの猶予ももうそう残っていないだろうし考えている暇すらない。ますます悪くなっていく状況にソニアが己の愚かさを呪っていると、コンコンと部屋の扉がノックされた。
「ソニア様、お手紙が届いております」
「……ありがとう」
侍女に運ばれて来た手紙を受け取り確認すると、差出人はノーマンであった。
「ノーマン!」
こっそりと会う関係の二人の連絡方法は、手芸店の店主を介してメモを渡し合うのみであった。それも日を改めるなどの急を要する用件の場合のみ。
その為ノーマンからこのように手紙が届いて、ソニアは思わず大きな声を出してしまったのだった。
訝しむ侍女をなんでもないと下がらせて、ソニアは手紙へ目を通す。そこには昨日の偶然に対しての驚きが、書き終わりが時折ピョンと外跳ねしている字で記されていた。
なんだか弾んだ気持ちが伝わってくるその文字に、ソニアも一時苦悩を忘れて嬉しくなる。
こんな風に堂々と手紙をやり取り出来ることに。そして手紙から感じる、ノーマンがソニアを縁談相手と知って喜んでいると見える様子に。
昨日の言葉も相まって、ソニアはますます期待してしまう。ノーマンももしかしたら、ソニアがノーマンを想うのと同じようにソニアのことを——。
そう思うと急に恥ずかしくなって、ソニアは手紙を一旦畳んだ。
そうだったらどんなに嬉しいことだろう。
小説のように自由に恋愛するのは難しいとわかって生きてきた中で、もしも慕う人と一緒になれたなら。こんなに幸せなことはない。
偶然出会い、偶然同じ趣味を持ち、そして偶然婚約者になるとしたなら、なんて素敵な偶然の連続なのだろう。それはもう運命と呼ぶべきものかもしれない。
ノーマンと出会ってからを思い返して、そうときめきに浸ったソニアだったが、ふと手にしていた封筒の宛名を目にして現実に立ち返った。
封筒にはソニア・ダリア・レティセラと宛名されている。
ソニアはその名に一気にのぼせ気味だった頭が冷えるのを感じた。
ノーマンは偶然にも妹ダリアの縁談相手。
自分は成り代わって偽っただけで、これはソニアの縁談ではないのだ。ソニアがノーマンと婚約することは決してない。
運命とも呼べる嬉しい偶然の重なりも、これまで同様、妹に奪われる運命の内のちょっとした悪戯に過ぎなかったのかもしれない。
そんなことを思って浮かれた気持ちが冷め切ったソニアは再び手紙を開いた。最後の文には次回のお誘いの文言がある。
ソニアはそれをじっと見つめて唇を引き結ぶ。
次に会う時には真実を伝えなければ。これ以上悪くする前に、正しく運命に従おう。
そう受け入れることが自身の負う物も含めて、全ての瑕を最小限に止める方法なのだから。
ソニアはそう心を決めて、返事を書くべく机に向かった。
しかしペンを手にして書き始めたはいいが、暫くすると手が止まる。
次に顔を合わせる時がノーマンと会う最後になる。妹の縁談相手とわかっては不必要に近寄るべきではないし、もしも破談になったなら尚更なのだから当然だ。
ノーマンの素性を知らずとも、身なりと所作から育ちの良さはわかっていた。
そして義母が選ぶ自身の縁談相手にはまず現れないタイプだから、ノーマンと結ばれることはないのだと、それもよくわかっていた。
でもせめてもう少し、この関係を続けていられたらと願っていたのだ。
それがこんな形で唐突に終わるだなんて、とソニアは返事を書くのをやめてノーマンの手紙を読み返した。
ソニアに向けた内容だが、宛名にはダリアの名。名は偽れても立場は偽れない。
ソニアは長女で庶子の娘で、永遠にダリアの姉である。だからこの意地悪な運命からは、逃れられはしないのだ。
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