五 神様の悪戯
どう言ったものか、ダリアは上手くお願いしたようで、ソニアはこの日指定された王都の喫茶室に向かっていた。
御者を始めとした使用人達にも根回し済みのようで、家を出る際も義母に成りすましに気づかれることなくすんなりと出てこられたから驚きだ。
馬車に揺られて市街地へ出て、広い通りに面した喫茶室の近くで下りる。しかしというか仕方なく運ぶその足取りは当然に重い。
ダリアの哀願につい頷いてしまったが、ソニアは後悔し続けている。こんなことをして良いはずがない。
義母には怪しまれるため詳しく縁談相手のことを聞けなかったが、由緒ある侯爵家の長男とは聞き出せた。しっかりした家柄の人だ、気位も高いかもしれない。
今回の無礼な計画に相手が呆れてくれればまだしも、もしも怒り狂ってしまったら。双方の関係に亀裂も生じるだろうしダリアの今後に響くかもしれない。
それを思うとソニアのここでの振る舞いは非常に重要で、考えるほどに憂鬱だ。
どの道どこかで義母には知れるのだからやはり計画は取り止め、この場はなんとか上手く誤魔化して後々ダリアを説得した方が良いだろう。
そう思いながら案内された個室へ入ったソニアだったが、挨拶を口にする前に自身の名を呼ばれたので驚いてしまった。
「……ソニア嬢?」
「——え?」
俯き加減だったソニアが顔を上げると、部屋にいたのは椅子から立ち上がり驚いた顔をしたノーマンだった。
「ノーマン卿⁈ どうしてこちらに……」
「ソニア嬢こそどうしてこちらへ……縁談の相手は確か十代半ばと……」
そう聞いてソニアはハッとした。縁談の相手の侯爵令息。その人こそノーマンだったのだと。
「ノーマン卿が……この縁談の……」
「この……ということは、ソニア嬢が私の縁談のお相手でしたか」
驚愕するソニアをよそに、納得したようにそうかと頷いたノーマンにソニアは慌てる。
「あ、いえ、その——」
「すみません、十四、五歳と聞いた気がしたのですが……聞き間違っていたようです」
「ち、違うんですノーマン卿、あの——」
「違う⁈ これは……すみません、随分と大人びていらっしゃるから、てっきり同い年くらいのものと……それではこれまで、とんだ失礼を」
「いえ、私は二十歳なのですけどそうでは——」
「そうですよね、良かった。私は二十三なので十五歳では些か離れているし間違いではと思っていたんです。間違いといえばお名前も確かダリア嬢と伺った気がしていたのですが……ミドルネームでしたか?」
「いえ、ですから、それは——」
妹の名前だ。貴方の縁談の相手は妹のダリアなのだ。
そう言うべきとわかっているのに、ソニアの口からは妹の名は出て来なかった。
「——それは……ええ、ミドル……ネームで……」
「そうでしたか。確認したはずなのに私は何を聞いていたんだろう。貴女と気づいていればこの縁談ももっと早く……思い返せばお互い呼び名以外を詳しく明かしていませんでしたよね。ですが、このような偶然があるとは驚いていますよ」
「私も驚いて……こんなことって……」
ソニアは震える唇を押さえた。
咄嗟に嘘を吐いてしまったのは、別人であるとわかってノーマンの怒りを買うのを恐れたからではない。
本当のことを言ってノーマンがダリアと会うことになるのが嫌だったからだ。ダリアに奪われたくない、そう思ってしまったからだった。
咄嗟に騙ってしまった自分にソニア自身も驚くなか、ノーマンが促すままダリアとして席に着く。
「今さらな気もしてなんだか変な気分ですが、改めて自己紹介を。私はエンブロイダン侯爵家嫡男ノーマン・ウェズリーです」
「あ……私は……」
正さなければ。
嘘だと、自分は姉でダリアは妹で、縁談の相手ではないのだと。
そう思うのに、心の奥に積み重なった元婚約者達の記憶が真実を噤ませた。
「私は……ソニア……ダリア・レティセラです」
はっきりと。
咄嗟にではなく自分のはっきりとした意志の下、ソニアはそう名乗ってしまった。こんなことをしてはいけないし、こんなことをしても何にもならないのはわかっているはずなのに。
自分のしていることの不味さと愚かさに手が震えだすが、正面に座るノーマンはソニアの心中を知らず優しく微笑みかけてくる。
「変わらずソニア嬢とお呼びしてよろしいでしょうか。こんな嬉しい偶然が……神に感謝せずにはいられない」
照れたように笑うノーマンに普段だったら同じように微笑み返したことだろう。この縁談が真実おのれのものであったなら尚のこと。
だがそんな気に到底なれず、ソニアは柔和な表情を作るノーマンから目を逸らした。
「ええ、本当に……なんて偶然かしら……神様に——」
感謝など出来ようはずがない。神と天使のこんな酷い悪戯に。
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