四 妹のお願い事
その日の午後、屋敷へ戻ったソニアが自室でクララのベールを刺繍していると、廊下をパタパタと駆けて来る足音がした。
「お姉様っ!」
今日もまたノックもなしに部屋に飛び込んできたのは案の定妹のダリアだった。
「どうしたの、ダリア? 今夜のメニューに嫌いな物でも使われていて?」
ソニアが軽く冗談を言いながら針を置くと、ダリアは急に泣き出しそうな顔をして訴えた。
「お姉様違うの聞いて! お母様ったら酷いのよ! 私に断りもなしに勝手に縁談を進めてしまったの!」
「貴女に縁談? それは……」
幼い頃から婚約していることもままある貴族社会において、ダリアの年で縁談があっても珍しくはない。
それに縁談はいつも急に持ち込まれて、当人の意志を置き去りにサクサクと進んでしまうソニアとしては返答に窮した。
「私まだ十五よ、恋もしたことないわ。それなのに相手の方は十近く年上なのですって。考えられまして? こんな酷いことってないわ」
二十以上年上との縁談をこなしたことのあるソニアは苦笑いしつつ、顔を覆ってしまったダリアの側に行ってせめても慰めの言葉をかけた。
「そう……急に決まってしまってはショックよね。でも仕方のないことだし、お相手の方もまだお会いしていないのだから良い方かも——」
「お姉様は心が綺麗なのだわ。でも私はそうは思えません。だってお姉様のご婚約者だった方々は、気の合う優しい方もいらっしゃったけど皆最後はお姉様に手酷いことをなさったじゃない。男性って都合が変わるとそんな風に簡単に態度を変える方ばかりなのだわ。どんなに優しいお顔をされてても私信用出来ない」
それは例外的で限定的なことなのだとソニアは諭しかかったが、暗にダリアのせいだと言うことになりそうで口を噤んだ。
「嫌だわ私。縁談なんて受けたくない。会いたくない!」
「……貴女の気持ちはわかるわ。私が良い例を見せてあげられなかったからいけないわね……。でもねダリア、これはレティセラ家としてのことでもあるのよ。どうしてもお相手が無理な時にはお義母様だってきっと話を聞いてくれると思うから、一度お会いするだけで——」
「嫌よ、知らない歳の離れた男の人なんて怖いわ。私まだ婚約なんてしたくない!」
ダリアはソニアにしがみついて嫌だとしきりに繰り返す。
家同士の付き合いや経済的な理由等、婚姻相手を自身で好きに出来はしない。母と父の異例な婚姻を未だに忌む者がいることを知っているソニアはそれがよくわかっている。
レティセラ家の娘に生まれた以上は、この家のため決められたことは受け入れなければならない。
それをダリアにどう諭せばいいか困ってしまったソニアだったが、義母も愛娘ダリアの訴えなら聞き入れてくれるかもしれないとも思う。
縁談を考え直してもらえるよう直訴してみては、そうダリアに声をかけようとした時、そうだわとダリアが声をあげた。
「……そうよ。お姉様が代わりに会ってくださればいいのではなくて?」
「——え?」
急な提案に聞き返すと、ダリアは淡緑の瞳を輝かせて顔をあげた。
「お姉様が私の代わりにその方にお会いして、私が顔合わせにも伺わない非常識な娘だと示してくださればいいのだわ! そうすればあちらからお断りになるかもしれないし、お姉様がその場で断ってくださっても構わないのだもの!」
「な、何言ってるのダリア、そんなことお義母さまが許さ——」
「もちろんお母様には内緒にしておきますの。このお屋敷でお会いしてはバレてしまうから……二人だけで喫茶室ででもお会いしたいとお願いしてみるの。そこへお姉様が私の代わりに伺ってくださればいいのよ。こちらから会いたいと言っておいて伺わないだなんて失礼だもの名案だわ! 大丈夫、周りの皆にも上手くお願いしておくから。だからお姉様!」
「ダリアそんな無茶よ、隠せるわけな——」
「お願い! 私どこの誰とも知らないうんと歳の離れた人となんて婚約したくない! お願いお姉様!」
潤んだ瞳がじっとこちらを見つめている。
ここでダリアの嘆願を断ってはこの美しい瞳から絶望の雫が零れ落ちてしまうだろう。
こんなにも可愛い人をそんな風に悲しませたくはない。
そう思ってしまったソニアは仕方なく、わかったと呟いたのだった。
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