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三 秘密の友達②


 機械化が進む中でレースは安価なものとなり、時間と熟練工を要し高額になる手工業品は衰退の一途を辿る昨今。

 その中において全て職人の手作業で作られたベールはとても希少で、そして機械では及ばない繊細さのある美しいものだった。


 展示場にてそのベールもお披露目されると聞いて、ソニアがダリアと共に足を運んだその日、その場にベールを見つめるノーマンがいた。


 初めは人も多く、ソニアも彼を気に留めはしなかった。けれど、ベールの刺繍の繊細さに心奪われていたソニアがぽつりと漏らした言葉に、突然相槌が打たれて気づいた。

 ダリアも飽いてとうに側を離れたように周囲の人々が流動していく中、ベールに見入ってその場から動かないソニア同様、ノーマンもまたずっとベールに見入っていたのだと。


「なんて優雅な表情の刺繍かしら……こんな素敵な物が作れたなら」


「ええ……きっと楽しいでしょうね。いつか作れたのなら」


 そんな相槌に驚いてソニアが声のした方を見やると、ノーマンもうっかり口から漏らしてしまったといった顔でソニアの方を向いていて、気まずそうに笑ったのだった。


「……すみません、つい。変ですよね、男が刺繍だなどと」


 バツが悪いと言った風に、ノーマンはそそくさとその場を去ろうとした。

 ソニアにはその横顔が酷く寂しそうに見えて、相槌に驚いただけであったのに何か傷つけてしまったかと慌てて引き留めた。


「いいえ! いいえ、何も。何も変ではないです。素敵だと思うものに、好きだと思うものに触れたくなるのは普通のことだと思います。だってこんなに美しいのですもの。私も刺繍やレース編みが大好きで、このような素敵な作品を作れたならきっと楽しいだろうと思いますし、憧れもしますもの」


 なんだか必死に訴えてしまって言い終えてから恥ずかしさが込み上げて、今度はソニアの方がバツの悪そうな顔をすると、ノーマンは足を止めて微笑んだ。


「そう……ですか? そのように言っていただけたのは初めてです。家人には男の身で手芸をしたいだなどと恥だと言われ続けてきたので……とても嬉しいです、ありがとう」


 その照れたような笑顔と瞳の輝きが心底嬉しそうで、ソニアもホッとするのと同時に嬉しくなった。

 この人は失われゆく技術の素晴らしさを分かち合える人なのだと思えて。


 そこからレースについての会話が弾み、また何度か展示場へ足を運ぶ度に顔を合わせて徐々に親しくなっていき、今では刺繍を教える仲にまでなったのだった。


 定位置となった川沿いの木陰に馬車を停め、刺繍を楽しむ毎週の決まり事となったこの時間。それが今のソニアにとっては全てを忘れられる憩いの時間となっていた。

 

 ♢

 

「ノーマン卿は上達がお早いですね。とても綺麗な仕上がりだと思います」


「ソニア嬢の教え方が上手なのですよ」


「そう言っていただけて嬉しいけれど……私はお教えするのにも刺し間違えることばかりでお恥ずかしい」


「そういえば今日は珍しく何度かほどいていましたね。何か考え事でも?」


 それでも、日々こころの奥に蓄積していく小さな痛みは楽しい時間にも影を落とすようだ。針の運びにも現れるのか、今日は刺繍も冴えない。

 それに気づかれてしまってソニアは苦笑いする。


「……そうですね。上手くいかないことが続いて、少し考えてしまって。誰も悪くはないので……強いて原因をあげれば自分の力不足なのですけど」


「力不足?」


「ええ、足りないのだと。努力か……元々の価値か」


 ソニアは繰り返される婚約破棄を思う。


 妹を前にしては婚約者達の心変わりも仕方がない。それほどの愛らしさなのだから。

 ソニアとしても相手と恋仲だったわけでもなく、はっきり破棄を告げてくれるだけ誠実だと呑み下してきた。


 けれど中には話しの合う相手もいたし、結婚のイメージを共に持てる人もいた。それなのに一切顧みられることもなくすっぱりと破談となってしまうのは、自身の存在価値を否定された気がしてならずチクチクとした物が胸に取り残されていく。


 人の心だ、縛ることが出来ないのはわかっているから誰を責めるべきでもない。しかし少しずつ削り取られていくような日々に疲れて、ソニアはふぅと溜め息を吐いた。

 その様子に、心配したのだろうノーマンが声をかけてくれた。


「……価値などと称するつもりはありませんが、貴女があの日声をかけてくださらなかったら、私は今こうして刺繍を習う機会を得られなかった。恥と叱責され奇異の目で見られて諦めてきたものを、貴女が肯定してくださった。少なくともあの日あの場に貴女がいらっしゃったことに私は感謝しています。貴女はとても素晴らしい方ですよ」


 言葉にしなかった気持ちに寄り添うようなノーマンの優しい慰めに、影の差していたソニアの顔にも笑みが戻った。


「……ありがとうございます。そう言っていただけると、心が軽くなります。ごめんなさい、楽しい時間に溜め息なんて。さ、続きを作りましょう」


 そう言って気を取り直した時、トントンと外からノックする音が聞こえた。


「ノーマン様、お時間でございます」


「……もうそんな時間か」


 ソニアが黙って馬車を待たせていることもあって、秘密の時間はあまり長くはない。


「残念ですが今日はここまでですね、ノーマン卿」


「では続きはまた来週、同じ時間に。いつもこのような車内になってしまって、その上ご自宅までお送りもしないですみません」


「いいんです、その方が。義母に知れると厳しいので。それに秘密を持つってなんだか楽しいです」


「そうですね、共有出来る秘密というのは楽しいものです」


 二人がそう言って笑い合う中、馬車は先程停まっていた裏路地の角へと戻る。


「それではソニア嬢、お気をつけて」

「ご機嫌ようノーマン卿。また来週」


 自身を下ろし馬車は去っていく。それを見送るソニアの胸にはいつもぎることがある。

 二人だけの秘密であることは楽しくはあるのだが、もう少しこの時間が長ければいいのにと。出来るなら公に顔を合わせられる関係になれればいいのにと。


 だが友達付き合いといえど相手が男性では、伯爵家の子女として如何かと義母は厳しいだろうしソニアの意向を聞き入れてはくれない。

 それに何より義母に許されたとしても、ソニアにはダリアという美しい妹がいる。もしも彼女を前にして微笑みを向けられることがあったなら。ノーマンはきっと他の人達と同様ソニアのことなど忘れてしまうだろう。


 それを思うと辛い。

 何度となく告げられた婚約破棄よりも、彼との繋がりが切れる方が辛い。


 仮にそうなっても妹のせいではないとわかっている。ノーマンとは恋仲でもないのだし、彼が誰に何を思おうと口を出す権利もない。

 けれど思ってしまう。

 この人だけはダリアに奪われたくはないと。


 だから万が一にも妹と彼が接触する機会を作りたくなくて、自らのこともノーマンのことも詳しくは明かさないし訊かないのだ。


 これ以上は望まない、このままでいい。


 ソニアはそう思って、ノーマンに対する気持ちを何と呼ぶのか自覚する前に手芸店へと踵を返した。

お読みいただきありがとうございます。

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