二 秘密の友達①
「ソニア」
翌日、外出しようと玄関に向かっていたソニアの下に義母がやってきた。破談の話が耳に入ったのだろう、険しい顔をしている。
「この前の縁談、また上手くいかなかったそうね。正式にご連絡があったわ」
流石はダリアの生母、目鼻立ちのくっきりとした美人である。しかし性格のキツさとプライドの高さが顔に表れていて、天使のようなダリアの纏う柔らかさはなく端的に言って恐い人だ。
そんな義母は険のある顔を顰めながら大きな溜め息を吐いた。
「いい加減にしてほしいわ。縁談を取り付けるこちらの身にもなってちょうだい。破談はダリアのせいだなんて噂までされるようになって……貴女がお相手をきちんと繋ぎ止めておけないからいけないのでしょう? 妹にまで迷惑をかけていないでレティセラ家の娘を名乗るのなら早く縁談をまとめて尽くしなさい」
「……申し訳ありません」
「まったく……お母様には習わなかったのかしらね、男性の魅了の仕方というものを。お得意でしたでしょうに。お前もその道の技術を磨いたら良いのではなくって? きっとその血に男を誑かす卑しさも受け継いでいるでしょうから」
嫌だわ、と小言をこぼしながら去って行った義母の背にソニアは今日も溜め息を吐く。
ソニアの母は庶民に毛の生えた末端貴族の庶子として生まれた。それが、古くから続く由緒正しい伯爵家の長男であった父に見初められて大恋愛に発展したことで、大変な反対にあいながらも結婚に至り伯爵夫人となった人だった。
対して後妻に入った義母はレティセラ家と同格の由緒ある家柄出身。そのため所詮は卑しい庶子の娘とソニアを疎み、結婚に託けてこの家から早く追い出したくて仕方がないのだった。
ソニアとて、縁談がまとまるのならそれも吝かではない。だが上手くはいかないし、それをソニア側からどうすることも出来ない。
取れる手段とすれば、相手の気持ちが他所にあるまま形だけの婚姻を交わすことくらいだ。
だが、決められた結婚には従わねばならぬと納得している身でもそこまで割り切りたくはない。自由に選べぬ相手だとしても添い遂げる運命ならばせめて、と憧れくらいはあるのだ。
父と母が反対を押し切り貫いたようにとまではいわないが、せめて婚姻を交わす相手との間に仄かでも温めあえる愛を育めたなら、と。
「お嬢様、馬車のご準備が整いました」
「ありがとう、今行きます」
しかし現状無理な話だろう。麗しく愛らしい妹が身近にいる環境で、心奪われるなという方が無理というものなのだから。
ソニアはまた一つ嘆息すると、準備のできた馬車へと向かった。
馬車に暫く揺られて王都へとやって来たソニアは、側付きを待機させて大きな手芸店へと入った。ここで布や糸を物色するのがソニアの週に一度の楽しみだ。
通うようになったきっかけは、ダリアが幼い頃にクララを破いて大泣きしたことがあったから。あまりに可哀想なダリアの姿に直してあげようと針を持って以来、手芸は趣味にまでなっている。
それまではダリアとも義母との関係が影響して距離があったが、その一件が二人の仲を繋いでくれたように思う。
不恰好ながら縫い合わせた人形を受け取って嬉しそうにしたダリアにソニアも嬉しくなったものだ。
そこから二人を繋いだクララに服を作るようになり、布を合わせただけだったものが段々と凝っていった。
今では手編みレースでコサージュを作ったりレース刺繍を施したりと細部までこだわるようになっている。
とはいえ、頻繁に材料を買いに来る必要はない。それでもソニアは週に一度はここに通ってたっぷり時間を使う。その理由がクララ以外にもう一つあった。
しばし見て回ってから、ソニアは商品を一つ選び会計を済ませた。しかし店を出ずに、商品棚に身を隠すようにして奥へ奥へと移動する。
そして店の奥の棚まで移動して、入ってきた正面ドアとは反対にある裏通りに繋がる扉からそっと外へ出た。
ソニアはそのまま街路を道なりに進んで行く。そして曲がり角に差し掛かった辺りで停まっていた一台の馬車を見つけると、周囲に目を配りつつ駆け寄って戸をノックした。
するとガチャリと戸が開いた。
「こんにちは、ソニア嬢」
「ごきげんよう、ノーマン卿」
車内にはソニアより少し年上に見える青年が一人。
その青年が差し出した手を借りて、ソニアは馬車に乗り込んだ。
「川沿いの、いつもの木陰に」
青年が御者にそう指示を出して馬車がゆっくりと動きだす。
「ごめんなさい、遅れてしまったかしら」
「いいえ、そんなことは。毎週楽しみで、私が時間より早く来てしまうだけですよ」
そう言って照れたような柔和な笑みを浮かべた青年に、ソニアも同じように微笑み返した。
彼、ノーマンは、ソニアの趣味友達だ。
週に一度こうして会って、二人で刺繍やレース編みを楽しんでいる。
お互いのことは詳しく明かしてはいないが、婚姻前の男女が定期的に共に過ごしていること、そして男性のノーマンが刺繍に勤しむ姿を見られては色々差し障りがあるだろうと、こうして馬車の中でのみ密会する秘密の友達なのだった。
「今日は何を作りましょう。シャトルもボビンもご用意しておりますよ」
「そうですね……でも今日はやはりレース刺繍を。こちらへ伺う途中でまた覗いてきてしまったもので」
「触発されますよね、わかります。では刺繍を致しましょう」
ソニアは頷きながら小さな鞄から刺繍枠やチュール地の布を取り出して渡し、ノーマンと共に針を手にした。
ノーマンが覗いてきたというのは、国王の結婚五十年を祝って王都に特設された展示場のことだ。そこには国王と王妃が婚姻時に着用した衣装や装身具などの関連品が展示されている。
その中の一つ、完成に数年を要したという全てが手刺繍の美しいレースのベール。伝統的技法の詰まったそれが、二人がこうして趣味友達になるきっかけとなったものだった。
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