一 不幸な姉
レティセラ家は何かと噂の的となる伯爵家。
古くは現当主と亡き奥方の身分差のある結婚劇に始まり、後妻に入った新しい奥方の気位の高さ、先妻の忘れ形見への冷遇、そして新たに生まれた次女の天使のような美しさまで。
時々により噂の種に事欠かず注目度の高い伯爵家であるが、今最も話題となっているのが異母姉妹の動向だった。
今日もまた、例に漏れずご婦人方のお茶会ではヒソヒソと噂話が囁かれている。
「聞きまして? レティセラ家のご長女、また婚約が破談になったのですって」
「まぁ、これで何度目かしらね。また例の理由で?」
「そのようよ。初めはあれだけ美しい妹さんがいらっしゃっては、お相手の方のお気持ちも……とも、もしやお姉様ご本人にも問題が……とも思っていたけれど、こうも続くと同情してしまうわ。あの妹の姉でいる限り幸せになれないのではと思えて」
「本当よね、お可哀想なご長女。継母からは疎んじられて、実の父親のご当主の関心だって跡取りに向いていて薄いそうだし」
「それでいて天使のように麗しい悪魔みたいな妹に、毎回婚約者を奪い取られてしまうんですものね」
♢
「すまない、ソニア嬢。君との婚約はなかったことにしてほしい。私は知ってしまったのだ、真実の愛というものを」
似たような台詞をもう何度聞いたことだろう。
予想通り今回も積み上がった先例と同様の結果となり、ソニアは感慨もなくそうですか、と今しがた「元」と冠することになった婚約者へ無感情に答えた。
「わかりました。では婚約解消における諸々の手続きとご連絡は、こちらで行える分は済ませておきますので。ごきげんよう、さようなら」
ペコリと頭を下げて呼び出された喫茶室から馬車へと戻り、ソニアは早々《はやばや》と自宅へ帰る。
婚約破棄に慣れたくなどないがもう慣れっこだ。決まってはすぐに一方的に破棄される。ここ数年で持ち込まれた縁談の悉くがそうなのだから。そしてその原因が自身では改善できないものとあっては、慣れもするし無感情に受け流す以外にないだろう。
婚約が毎度破棄に至るその原因。それは——
「お姉様っ!」
屋敷へ戻って自室に入った直後、ノックもなしに叫ぶような呼びかけと共に一人の少女が部屋へ飛び込んできた。走ってきたのだろう、息を切らし陶器の肌をした頬も桃色に染まっている。
「……ダリア、どうしたのそんな大きな声を——」
「ごめんなさいお姉様!」
部屋に飛び込むなりソニアに抱きついてきたのは五つ下の妹ダリアだった。
今年十五になる妹はソニアとは母が異なる。ソニアは伯爵家の娘に生まれたが母は幼い頃に亡くなっていて、そこへ後妻に入った義母がダリアを産んだので二人は異母姉妹なのであった。
義母とは正直なところあまり上手く行っていないが、妹ダリアはソニアを慕ってくれていて、ソニアもまたダリアを可愛がっていた。
「ごめんなさい、私またきっと……ごめんなさい」
ぎゅうっとソニアの服にしがみついて小さな声で謝り続けるダリアの頭をソニアは撫でる。光に透けると黄金色に輝いて見える薄茶の髪はふわふわとして柔らかい。
「何を謝ることがあるのダリア。あなたに謝られることなんて何もないわ」
「でもだって、お姉様また婚約を解消なさったのでしょう? あの婚約者の方から私宛てに手紙が届きましたもの……読んでいませんけどわかります。また、私が邪魔をしてしまったんだって……」
消え入りそうな声でそう言ったダリアに、ソニアは、ふぅと一つ息を吐くとにっこりと笑いかけた。
「私の婚約者が貴女に心変わりしたって、それは貴女のせいじゃないでしょう? 貴女が噂されるようなことをしていないのは、私はわかっているわ。気にしないのよ。婚約者と言っても会ったばかりの人だもの、私も何も気にしていないわ」
「……お姉様……」
淡緑の大きな瞳を潤ませて、ダリアは上目遣いにソニアを見上げた。
悩ましげに眉を寄せ、涙を溢すまいと噤んだぷるんとした唇はいじらしい。なんとも庇護欲を唆る可愛らしさだ。こんな表情をされてしまったら、女のソニアであっても思わず抱きしめたくなってしまう。
そう、妹ダリアは美しいのだ。
一度微笑もうものなら周囲の者からはうっとりとしたため息が漏れ、道行く者は見惚れて足を止めるくらいに。
ソニアの歴代の婚約者達もこの愛らしさに悉く心を奪われて、その結果婚約破棄を口にしてきた。だがそれも致し方ないと、ソニアは可愛い妹を前に思う。ダリアは天使と見紛うばかりに麗しく、愛らしい少女なのだから。
「私はそれよりもまた変な噂が立って貴女が落ち込むことの方が心配だわ。今回ご縁が無くなった方についても、今後貴女にしつこくするようなことがないと良いのだけど……」
「噂は……仕方ないわ本当のことだもの。いつもいつもお姉様の婚約者を誘惑して奪い取る、悪魔のような妹だって……本当のことだもの」
ソニアが今後を心配すると、ダリアはそう言って俯いてしまった。
天使のように美しく清廉なダリアだが、それでも妬む者というのは現れるもので。ソニアの婚約者達が見せるダリアへの変心を、ダリアが誘惑したものとして囁く者達もいるのだった。
「ダリア……悲しいけれど世の中全ての人が味方になるなんてことはないの。そんな噂は貴女を妬むごく一部の人が根拠もなく面白可笑しく流しているだけよ。貴女がそんな真似していないことは知ってる。私も、周りも。だからそんな些細な噂は気にしないのよ」
ソニアの胸元に顔を埋めるように俯いたダリアからは返事がない。事実無根と言えどまだ十代も半ばの少女、それも良家の子女があろうことか男を誘うだなどと謗られているのだから傷つくのも無理はない。
ソニアはもう一度慰めるようにダリアの頭を撫でて、それからパッと明るい声を出した。
「ねぇ! いま、クララの服を新しく作ってみてるの。途中だけど見てくれる?」
「……クララの?」
クララというのはダリアが小さな頃から大事にしている、両手に収まるサイズの熊の人形のことだ。
やっと顔をあげたダリアに返事をしながら、ソニアは窓際の棚の引き戸を開いて、作りかけの小さな衣装を取り出した。
「まぁ綺麗なウエディングドレス! ベールの刺繍もとっても細かい!」
「ほら、今年国王陛下がご結婚から五十年を迎えられて、結婚式当時の装飾品などが展示されているでしょ? 王妃様が着用されたベールのチュールレースがあまりに綺麗だったから、作ってみたくなって」
「お姉様ってば本当に素晴らしい才能だわ! こんなに薄い布に……なんて繊細な刺繍かしら。趣味にしておくのがもったいないくらい」
作りかけの衣装を見て感嘆とともに笑顔を溢したダリアの様子に、元気を取り戻したようで良かったとソニアも微笑む。
「ねぇ、お姉様! クララに合わせてみてもいいかしら?」
「えぇ、作りかけで良ければ」
「待っていらして、連れてくる! すぐ戻ってきますから!」
ダリアはそう言ってクララを取りに自室へと駆け戻って行った。
落ち込んでいたのを忘れたように喜ぶダリアは幼い頃と同じく純粋無垢だ。心ない噂を流される謂れのあるような妹ではない。元婚約者達の心変わりはただただ一方的な恋情であり、いわば巻き込まれた形のダリアには責任もなければ問題もない。
それは十分にわかっているのだ。
わかっているのだが、妹への心変わりという同じ理由でこうも破談が続くとこたえるものがあって、ソニアは一人になった部屋の中で小さく溜め息を吐いた。
お読みくださってありがとうございます。
今日から一話あたり二〜三千字を目安に、一日に一、ニ話程度更新、中編になる予定で頑張っていきます。お付き合いいただけたら嬉しいです!