第二十一話:雷神アレクシア
前回のあらすじ!!
エリザベスと名乗った異国の女は、強い兵士を率いてきた。
素晴らしい知識と優れた戦の才能に、すぐに我が王の右腕と取り立てられ貴族となった。
幾度も遠征を成功させ、我が国に勝利と栄光をもたらした戦女神。
貴女のような優れた者が、どうしてこの国に来られたのだ? と聞いた時、彼女はただ微笑んで、「神に追われた」とだけ言った。
――ファティマ王国の歴史家の回顧録 30年頃
※エリザベスについてこの文献以降の記録はないが、彼女の物とされる家系は現代まで続いている。
左腕で良かった、とは慰めにもならないんだよなぁ。
こんな金属の腕でどうやって妻を抱きしめろと言うんだね。
せめてこう、木とかにならないかな。
え、無理? なんとかしてくれよ。
――ニキアス=ペルサキスとヘパイストス組(当時最大手の鍛冶屋)職人の会話 3年頃
※試作品の魔導蓄音機で録音された貴重な音声。実用化にはそれから20年ほどかかった。
「向こうは寝る必要ないのかな。呆れたね、あの薬には」
「年寄りには辛いですなぁ。どうぞ坊っちゃん、お先に仮眠を」
「……傷口が痛くて寝られないんだよ。ムラト、先に休んでおきなって」
「では、お言葉に甘えて」
真夜中まで戦闘は続き、即席の前線基地に引き揚げたペルサキス軍。
ランカスターの兵士たちは休むこと無く追撃を掛け、疲労に負けた者から沈んで行く。
ニキアスは失った左腕の幻痛を堪えて、守備隊の指揮のために立っていた。
「まだ帰ってこないのかアレクシア……」
彼女が戦っているのなら、雷鳴が聞こえるはずだ。
しかしそれもなく、王城で大きな爆発が一度あっただけ。
アルバートも前線に来ないし、まさか刺し違えたのだろうかと。
「そのくらいの敵だったってことか。覚悟は決めておいたほうがいいかもな」
疲れ切った頭が、もう還らないのだと告げる。
思えば、ただの地方軍人貴族として産まれ、彼女におんぶにだっこでここまで来たようなもの。
自分と出会って十年にも満たない間に、帝国に歯向かい倒し止めまで刺した彼女の人生を想い、こんなところで殺されるとはと呆然とした。
夜襲のけたたましい銅鑼の音、ドラグーンの炸裂音。鎧と武器のぶつかり合う音。
「はぁ、僕には過ぎた妻だったのかな……自分だけ生き残って情けないな……」
喧騒に耳を貫かれながらも、彼はアレクシアが死んだとしか思えなくて。
散っていった部下たちに対して流れた涙も、叔母を突き刺した時の感傷もなく、ただただ王都の方を眺めていた。
「いやいやいやいやニキアス。なんて言いましたの?」
「……アレクシア?」
「今、勝手に死んだことにしてましたわよね?」
そこにひょこっと、泥だらけのドレスを着た彼女が顔を出す。
夜の闇に紛れ王都を抜け出した彼女は近衛兵たちを連れて。
匍匐前進でじりじりと、泥にまみれて死体をかき分け、なんとかたどり着いたのだった。
「流石に空腹過ぎて雷も出せませんわ。とりあえず食料を貰えるかしら」
「あ、あぁ勿論。アルバートには勝ったってことかな」
「当たり前でしてよ。そっちはどうでしたの。エリザベスの首は?」
「あー、まぁそれなんだが。ソフィアに見張らせてる。食事しながらにしようか」
げっそりした様子の妻を連れて、ニキアスはテントを訪れる。
鎖に繋がれ眠るエリザベスを見て、もそもそとパンを齧るアレクシアは不思議そうな顔をした。
「生け捕りにしましたの? 無傷でよく捕まえましたわね」
「いや、殺したはずなんだが……こう……ソフィア、説明してくれ」
「えっ、あの、陛下? これはどうやって説明したら……」
直接手にかけたはずのソフィアと一緒に、彼は言葉に詰まる。
困り果ててしまった二人に、埒が明かないと。女王はぺたぺたと身体に触れると、ごくりとパンを飲み込んだ。
「心臓は動いてますわね。脈拍も正常。うーん、寝てるだけですの」
「た、確かに腹を突き刺しましたよ?」
「そもそも自分の魔法で焼け死んでたと思うんだけどなぁ。殺した瞬間からかな? その入れ墨が動いてたんだけど、君の見解としてはどうだい」
二人の反応に、どうやら本当に殺したのは間違いないだろうと。
まぁ原因はだいたい推測できるのだが、本当に訳の分からない魔法だなと、彼女はため息をついた。
「やれやれ、この入れ墨の魔法なら現在の魔法学では無理でしょうねぇ。スケッチはしてあるので、何百年後かに乞うご期待、ですの」
そして鎖を解くと、エリザベスの頬をぺちぺち叩く。
「起きなさいエリザベス。アルバートは死にましたわよ」
だんだんと強く、べしべしと張り始めたところで。
「……畜生」
「ごきげんよう」
「アルバート、負けたのね」
目を開いてすぐに、エリザベスはアレクシアに気づく。
忌々しい宿敵の顔を、久しぶりに目に入れて。
彼女はぎりぎりと奥歯を噛み締め、言葉を吐き出した。
「理解が早くて助かりますわ。これ、お土産ですの」
満足そうに何度か頷いたアレクシアは、彼女の前に木箱を置いた。
確認するよう促し、何が入っているか大体理解したエリザベスが恐る恐る蓋を取る。
「いい顔ね」
「彼を操っていたエクスカリバーは、もう存在しませんわ」
「やっぱり、そうだったのね。乗ったあたしも悪いけど」
死してようやく解放され、安らかに目を閉じる一人の男の首。
そして、死して尚強大な魔力の残り香がする、誰かの左腕。
それを検めたエリザベスは、ふぅと息をつき、アレクシアを見上げた。
「終わりかぁ。これで、何もかも」
えぇ。と一言相槌を打った女王に、彼女は何度も首を横に振ると。
入れ墨がせわしなく蠢く右腕を抑え、自暴自棄な笑いを返し、姿勢を正した。
「アレクシア女王陛下。我らランカスターは、貴女のもとに降伏します」
僕の時とは随分態度が違うなぁ。とジト目で見つめるニキアスと偶然歴史の立会人になって困惑するソフィアの前で、エリザベスは膝を付き頭を下げ、敗戦を認めた。
「ほーんと強情ですわねぇ。とりあえず条件付きで……」
ただし、自分たちはアレクシアに負けただけでペルサキスに負けたわけではない。
それだけは譲れないと誇りを掲げる彼女を見下ろす女王の横から、ペルサキスの国王が口を挟んだ。
「つっても大陸から一人残らず駆逐するけどね、ランカスター人は」
「あの、ニキアス?」
「君も、そう言ってただろう」
「そうですけれど……」
ペルサキスには面子がある。その降伏は認めない。
いずれ建てる連合国の盟主として、内乱の鎮圧はなるべく完全に、なるべく非情に。
自らの国の反乱すら抑えられないのかと傷ついたプライドを取り戻すために、彼は冷酷に言い切った。
その迫力に押し黙ったアレクシアから目線を切って、エリザベスは仕方ないかとため息をつく。
「やっぱりそうなるわよねぇ。あんたのことだし」
「お前らがしたこと考えろよな……」
「ま、そうよね」
とはいえペルサキス軍も相当疲弊していて、より安い選択肢を探しているのは彼も一緒だった。
本心では降伏を受け、さっさと終わらせたい。しかしプライドと、将来の不安が頭をよぎる。
「正直こっちだって降伏を受け入れたいんだ。でも、お前らはいつかまた反乱起こすだろ」
「独立させろって言ってるでしょうが。そうしたら収まるわよ」
「収まるわけ無いだろ。ランカスターはかつて大陸を一手に治めた王国だし、ペルサキスにある先祖代々の領地を取り戻すとか理由つけて戦争すんだろうが」
「あー、それあるかもね」
ニキアスの言っていることは、当時のペルサキスの民の総意と言って過言ではなかった。
オーリオーン帝国に敗れるまで隆盛を極めたランカスター人に対する旧帝国人の恐怖は大きく、エリザベスにそんなつもりはなくても、一方的にそう思われていたのだった。
「結局、分かり合えなかったわねぇ」
「チャンスは結構あったけどな。全部お前が台無しにしたんだよ。分かってるのか?」
「……その通りね」
彼の指摘に、他人事のように頷く。
自分たちが歴史から消えることを理解した彼女は薄く笑い、なんとなく鼻歌を口ずさんだ。
「トゥリア・レオタリアの……」
「抗いようのない死、オーリオーン帝国に挑む兵士たちの歌よ。ほら、外からも聞こえるでしょ?」
ニキアスはガバっと後ろを向いて、幕を開く。
こちら側の陣地まで押し戻されたペルサキス兵たちの、怯える背中の向こうから。
目を爛々と光らせ、真っ赤な口を獣のように大きく開き。
咆哮に潰れた、しわがれた声達が奏でる冥界の楽譜。
「最後の歌よ。聞いていってあげてね」
エリザベスはそう言ってアルバートの入った箱を抱え、堂々とニキアスの横をすり抜けて。
さあ最終決戦だと言わんばかりに、自らの兵士たちに向かって口を開いた。
「総員!! これが最後よ!! ペルサキスの腰抜けどもに、永遠に消えない傷を残してやるわ!! この大地に、我々の生きた証を!! 流した血を!! 刻み込むわよ!!」
歌声が津波のように広がり、敵を押しつぶそうと襲いかかる。
既に命は捨てた。しかし、ランカスター人として。
かつてこの地の邪神を打ち払い、その子孫に最後まで抗った者として。
「ったく。ちょっと頭冷やしてくださる? スーパーセル」
今だ戦おうとする彼らの頭上から、巨大な雹が降り注いだ。
「ニキアス、貴方もですわ。ヒュノスティエラ」
「……え?」
空腹から解放されたアレクシアが、続けて腕を振るう。
吹雪が彼に纏わり付いて、急に冷やされた身体が悲鳴を上げて。
真っ青になってしゃがみ込みガチガチと震えながら、彼は目の前で吹き荒れる大嵐を……いや、天を覆い尽くすほどの嵐雲が稲光に照らし出されるのを見守っているしかなかった。
「ああああああれうしあ、そそそれははは」
「……ちょっと冷やしすぎましたわね。まぁ、少し見ておきなさい。アルバートも居なくなった以上、力を出し惜しみする必要はなくなりましたから」
エクスカリバーただ一振りでアトラースを沈めた彼に敬意を表し、全身全霊を込めて天に手を翳す。
この世界にただ一柱、神として君臨する自分の魔法を見せてやろう。
「いやいや、アストライアと同じ考えではいけませんわ……嫌ですわね血を引いてるって……」
そう驕った彼女は、自らを律する。
そして神界の言葉ではなく、自らの言葉で呪文を叫んだ。
「ブロンテー……ヴァリア……スィエラ!!」
自ら開発し、最も親しんだ魔法、何度も落とした雷。
巻き起こした雹が擦れ、溜まった静電気が雲を照らし、アレクシアの魔法によって収束し増幅し雷となり落ちる。
闇夜が真昼のように照らし出され、もはや音と呼べるものではない振動が駆け抜ける。
やがて暗雲が退くとともに夜が明け、朝日に照らし出されたのは。
「エリザベス、まだやりますの?」
「……ははっ、勝てるわけないじゃない。こんなの」
一面の炭の山に座り込み、泣き崩れる女の姿だった。




