第十九話:安らぎ
前回のあらすじ!!
アトラースが虹色に輝く剣で真っ二つにされた日の夢を見た。
正直そんな兵器はアレから50年経っても見たことがないし、聞いたこともない。
いや、多分遠い将来には出来るんだろうけども。
女王陛下は軍事研究に携わるのを止めて久しいし、あの再現は無理だろうなぁ。
――テオ・プロトンの手記 50年頃
(前略)
ただ、無数の影とその中央で大剣を振るうアルバートに、女王陛下はたった一人で向かい合っていたのを覚えている。
あの後起こったことは夢だったかもしれないが、夢のほうが良かったのかもしれない。
――あるペルサキス兵の回顧録 13年頃
アストライアを斬り、世界に平和が訪れたと思った。アルバートの居場所もあったはずだった。
ラングビの大人気選手でもいい。邪神を滅ぼした勇者でもいい。それがどうしていきなり反乱なんか選んだのか。全く合理的ではないし、彼らしくないとずっと疑問に思っていた。
その答えを、やっとアレクシアは理解した。
「ま、全く酷い話ですわ……いたた……」
瓦礫から這い出した彼女は、我を忘れて大剣を振り回すアルバートを見据えていた。
不意打ちの一撃は回避したが、降ってきた瓦礫にまでは気が及ばずに埋まりかけていたところ。
なんとか這い出して影に隠れて見ていると、彼はでたらめな咆哮を上げて暴れまわる。
「ふーむ。あの剣、でしょうかねぇ。アルバートが急におかしくなったのは」
エクスカリバーとかいう呪いの剣、おそらく彼はその犠牲になったのだと。
アレクシアはそう結論付けて、寂しそうな目を向ける。
祖先がランカスターに押し付けた災厄の剣。そして、自分がうっかり封印を解いてしまったもの。
正直申し訳なくは思う。
「ま、今更ですわね。あの剣をへし折り、ランカスター人を歴史から抹消する。それで何もかもハッピーエンドですし」
ただ、いつか必ず爆発する爆弾が、偶然自分の代に爆発しただけ。
そう迷いを振り払って、彼女は唇を結んだ。
「はぁ……惜しい人を亡くしましたわ」
ランカスター人と帝国人の橋渡しを出来る唯一と言ってもいい人材を、自分で殺すことになるとは。
そう呟いた彼女は当然の如く、自分が負けるという可能性は毛筋ほども考えずに。
パラパラと埃を払って立ち上がり、凛とした声で告げる。
「アルバート、終わらせましょう。わたくしの一族と、ランカスターの因縁を」
その声に、暴れる大男がぴたりと止まった。
ゆっくりと首を向け、虹色に輝く眼光が彼女を見据え。
口から漏れる冥界の冷気とともに、彼の喉が鳴った。
「そこに、いたか」
「少しは落ち着きましたの? さあ、貴方の最後の戦いですわ」
ぐらぐらと揺れるように振り向き、大剣を構えるアルバート。
袖から一対の短剣を取り出し、逆手に構えるアレクシア。
「俺たちは、まだ終わらない。なぁ皆、あれが最後の邪神だぞ」
虚空に向かって呼びかける彼の背後から、亡者の群れが起き上がる。
古代の青銅鎧に弓を持つ兵士から、近代の革鎧にドラグーンを手にする兵士まで。
ランカスター王城に血を吸われた無念の亡霊たちが立ち上がり、アレクシアに武器を向けた。
「ここで死んでおきなさい。歴史に名前を遺したほうが、貴方にとって名誉でしてよ」
しかし、何だその程度かと。
一度、戻る前の時間で亡霊たちを見ていた彼女は不敵に笑い、これ以上勇者アルバートの名前を傷つけるなと呼びかける。
「笑わせるなよ、アレクシア。アストライアの血族、神の力を宿した最後の一人!!」
その笑いが気に食わないとアルバートは叫ぶ。
呼応するように、亡霊たちが手にした武器から弓矢や魔法や銃弾が一斉に放たれた。
「時間稼ぎにもなりませんわよ」
彼女は呪文を呟くこともせず、ただ振り払うように片手を少し動かすと、虹色に輝くヴェールが攻撃を打ち払い。
「試合開始の演出にしては、豪華だっただろう?」
段々と理性を取り戻したように見える彼は、不敵な笑いを返して亡霊を下がらせる。
「さて、そろそろ馴染んできたのでな。本番と行こう」
「馴染む……あぁ。アルバートを食ったんですのね」
「失礼だな。俺は俺だ」
「……哀れですのよ」
アレクシアは既にアルバートの本来の人格が消滅したのだと理解した。
もう裏切られた怒りはなく、哀れにすら感じて短剣を握り。
「その細腕でどこまで戦えるかな!」
大剣を振り下ろす彼の懐に潜り込もうと突進する。
「ちょろちょろ、するなッッッ!」
「その大剣、扱いきれていなくてよ?」
致命の一撃をひらりとかわし、剣の腹にブーツを吸い付け、雷撃を流す。
一瞬痺れたアルバートは苦悶の表情を浮かべると、思い切り振り回した。
「一撃で殺す気だったのですけれど」
「期待に沿えなくて悪いな」
大きく飛び退って優雅に汗を拭う彼女を睨みつけ、彼は邪神の魔法を唱えると。
「イリアキ・エクリプシ。絶望に眠る安寧、蝕む暗澹、我が敵を喰らいつくせ」
瞬時に漆黒の球体が虚空に浮かび上がり、ふわふわと宙に舞う。
アレクシアがその球体を短剣で軽く突くと、剣先が綺麗にえぐり取られたように消滅した。
「奇襲に即死呪文に雑魚召喚……何でもありですわね」
「亡霊ども。思う存分援護しろ」
周りを見渡し、囲まれたと冷や汗をかく彼女。
その反応に満足そうな笑みを浮かべ、アルバートは大剣を掲げる。
唸る刃が漆黒の球体を弾き飛ばしながら迫り。
「安置は貴方の懐。わたくしが最も得意な至近距離」
冷静な声とともに、一対の短剣が虹の刃を滑るように打ち払う。
しゃりんと力を逃した音がして、深々と床に突き刺さるエクスカリバーを蹴り、彼女は思い切り懐に飛び込んで。
「おやすみなさい、穢れた勇者。夢の続きはあの世でどうぞ」
神の力を注ぎ込んだ短剣が、心臓を抉る。
「かはっ」
刃を念入りに捻り、思い切り喉元に向けて押し上げる。
どす黒い血を吐くアルバートは、エクスカリバーを取り落とすと。
「んげっ!? な、何をする気ですの?」
「かかったな……!! ネア・セリーニ……真なる闇よ、縛れ……!」
アレクシアを抱きしめて、ごぽごぽと血と呪文の泡を口から流す。
途端に彼の漆黒のマントが、周囲の亡霊と球体を吸い込んで広がって。
「締め付けたところで、何が出来るって言うんですのよ!」
「エクスカリバー!! こいつを殺せ!!」
二人を締め上げると、打ち捨てられた虹の大剣を誰かが掴んだ。
「くふふ、我が主。この時のために我を封じたのだな? 感謝するぞ!!」
ツギハギだらけの体をした少女は、腐った身体をぎこちなく動かして笑顔を浮かべる。
左腕だけが美しく輝き、エクスカリバーを掴み上げると。
「早くしろバカが!」
「苦節五百年……いや、多分それ以上だな……アストライアに下僕にされて以来……アポロンとディケーに封印されて以来……本当に長かった……やっと我の復讐が……」
「だから早くしろと言っているだろ!!」
急かすアルバートの前で、大剣を引きずりふらふらと苦労を語る。
「腐っておるのだ! 誰かさんが我を剣に戻して、身体をほったらかしにしたのでな!!」
「うるさい! とにかく、斬れ!」
口論を始めたのが聞こえて、アレクシアは頭を回していた。
この強大な闇の魔法を破るまで、あと少しだけ時間がかかる。
それなら、仲間割れに便乗するしかないと。
そう考えて、彼女は問いかけた。
「あの。お顔が見えなくて失礼しますが……さっき、アルバートがアストライアの血族とか言ってたんですの。それ何のことですの?」
「知らんのか!? 汝のオーリオーン家は、アストライアの息子の家系なのだ。つまり、汝がアストライアによく似ておるのは、遠い血縁だからだぞ!」
「それは知りたくなかったですわね……どなたか存じませんが、ありがとうございますわ」
ちょっと気になったことを聞いたら、とんでもない答えが返ってきて目が点になる。
正直知りたくなかったけれど、なぜ自分が命を狙われたか、この声の主の話を聞いてちょうど理解できた。
恐らく自分を殺そうとしているこいつが、アルバートを狂気に落としランカスター人を戦わせた、本当の悪だと。
「それで、名もなき方。アルバートを殺したのは、あなたですわね?」
「それは汝だろう? 確かに間もなく我が主は死ぬが、我は我が主の願いを叶えようとしただけだぞ? ついでに我も復讐できるし万々歳だが」
「その主さんを利用してたって自覚がないんですわねぇ。おファックな亡霊ですわ」
願いを叶えようとした。という言葉。
さっきの会話と、ニキアスから聞いたユースとアルバートの件。
アレクシアの頭に、やっとこの反乱の筋書きが浮かんだ。
「はぁ。時間稼ぎはもう十分でしょう。アルバート、貴方の仇は取っておきますわ」
既にものも言わず、冷たくなりつつあるアルバートの胸を軽く叩き、彼女は哀悼の意を表す。
願わくば、神代の呪いの最後の犠牲者であってほしいと願いを込めて。
「おっと感慨深くなりすぎてしまった! 邪神アレクシア、封印を解いてくれたのはありがとう!! でもこれで終わりだ!!」
よたよたと大剣を振りかざす少女が、アルバートの体ごと黒衣を突き刺した瞬間。
「終わりなのは、あなたの方でしてよ」
きらきらと白金に煌めく光の粒子が飛び散って。
「神様の力? 本物の? ユースティティアの?」
目を白黒させるエクスカリバーの前に、アレクシアは降り立った。
「ああ、そんな汚らしい姿だったんですの。見ないほうが良かったですわね」
「どういうことだ! ユースティティアは、我が主に力を貸したはずだぞ!?」
腐った身体に眉をひそめる彼女に、狼狽した様子で悲鳴を上げる。
なぜ目の前に本物のユースティティアが顕現したのかと、真っ青な顔で膝を付き頭を垂れた少女は、誰にとも無く抗議した。
「それについては、わたくしもまだ解明できていませんのでお答えしかねますが。なるほど、この間の歌はそういうことでしたか。通りでユースから何も感じなくなったはずですわ」
「ひ、卑怯だぞ汝! 邪神の力は我が取り上げたのに、神様の力を奪うなんて!」
「奪ったわけではないのですが……まぁ、なんというか偶然貰ったので。アルバートは弔いますが、貴女は消し炭も遺さず消してやりますのよ」
ユースの口から出た歌が、きっとあの神様自身の願いだったのだろうか。
新しい神様、とか歌っていたが、きっと彼女は自分にすべての力を託して消えたのだろう。
それなら、とアレクシアは力を込めて。溢れ出した神の力の粒子が輝き宙を舞い踊り。
「や、やめてくれ……それを、それをされたら我は……」
「時間を戻しても、きっと上手くは行かないでしょう。アストライアと、貴女のような眷属が居てはどうしようもないですから」
土下座するようにぎこちなく額を擦り付ける少女を、哀れだとは感じなかった。
「消えなさい」
自らの為に多大な犠牲を払わせた、ただの迷惑な呪いを。
願いの神としての力を使い、文字通り”消し去った”。
――
光が満ちた、王城の玉座の間。
生と死の境界の空間にアレクシアは入っていた。
目の前にぽつんと一人、自身の亡骸の横に佇むアルバートが、ぽつりと言った。
「すまなかった。俺のせいで」
「いいえ、そんなことは。貴方も大概不幸な人生でしたわね。生き返ります? 一回くらいならなんとかしますけれど」
狂気は消滅し、食い尽くされたはずの正気の彼が残っていて。
彼女は首を横に振って、ランカスター人を率いて大陸を出ていってくれと。
そうしてくれたらいいなぁと、希望を聞いた。
「こっちにはアンナがいる。それに、俺に騙されて死んだ人たちに謝らなくちゃいけない」
すると今度は彼が首を横に振り。
光の向こうで彼を待つ、女の影を指さした。
「……安らかに」
その影を見て、アレクシアの目に思わず涙がこみ上げて。
そっと指で拭うと、これから死の国へ向かう彼に弔いの言葉を掛けた。
「皆殺しの予定でしたが、生き残ったランカスター人は追放にしておきますわ。こっちにもメンツはありますが、貴方の首で全て許すことにしました」
「俺を悪者にしといてくれ。勝てるはずのない戦争を起こした暴君でもなんでも、民衆が気に入る下衆な肩書を付けてくれれば、少しは俺の魂も安らぐ」
「……それは歴史家に任せますわ」
穏やかに微笑む彼と、申し訳無さそうに苦笑いする彼女。
勝手に背負わされた罪を償うという彼に、これ以上何を被せる必要があるのだろうと。
アレクシアは彼の名誉のために、この境界でのやり取りは書き残さなければ行けないなと、ため息をつく。
すると彼はもう一度微笑んで手を振り、自分を待つ影に向けて歩き出した。
「それじゃあ、こっちに来ることはないだろうけれど。元気でな」
「気休めですが、アンナさんのお墓の横に、貴方も入れておきますわ。荒らされないように無銘にしておきますが」
「ありがとう。じゃあな」
現実世界では、ほんの瞬きの一瞬。
生と死の境で、生涯を呪われた勇者は永遠の安らぎを得て。
存在そのものを呪われた元皇女は、苦痛に満ちた現世へ戻る。




